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雨上がりの宝物  作者: 人生依存
第3話:春休み

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第一節

 春休みが始まって三日が過ぎた。

 今回の春休みは例年よりも数日長く、二週間と二日もある。


 ちなみに、アケミ先生にどうして今年は春休みが数日ほど前倒しになったのか聞いたけど、先生は大人の事情があるとしか答えてくれなかった。


 学校の近くにあるマクドナルドで、里咲と合流した私は思わず「はぇ〜」と声を漏らしていた。


「な、なに? どうしたの?」


 里咲は困ったように両目をパチクリさせながら首を傾げた。


「眼帯、取れたんだね」


 そう、里咲の右目にはもう眼帯がつけられていなかった。

 眼球も出会ったばかりの時と違って白目部分がしっかりと白い。

 内出血が治ったということだろう。


「目、治ってよかったね」


「う、うん。良くなってよかったよ」


 私の言葉にしっかりと頷きながら、里咲は自身の右手のひらでなぞるように右目の瞼のあたりをさすり、両目を細めて微笑んだ。

 その時、右目がうまく細められないことに私は気づくことができなかった。

 右目の瞳孔が左よりも大きく開いていて、うまく集める光の量を調節できていないことに気づくことができなかった。


「私、シェイク買ってくる!」


 後からやってきた里咲が荷物を席に置いてレジへと向かっていくのを眺め、私はこれが友達と遊ぶっていう感覚なのかと思った。

 知らなかった感覚だ。

 昔はよく話すクラスメイトがスクールステージ毎に一人はいたが、どの子も学年が変われば縁は切れた。

 その子たちとは学校で話すことはあっても、一緒に遊びに行くことは特になかった。

 だから、過去に友達という関係性に私は縁がなかった。


 高校生になって虐められるようになり、それからは友達などというものは空想上のモノなのではと錯覚するほどには遠く無縁のものだった。


 シェイクを持って戻って来た里咲は嬉しそうに私の向かい側に座る。


「何味?」


「ストロベリー」


「好きなの?」


「うん。もしかして、あかりちゃんはバニラ派?」


 えーっ。といいながから、里咲がジト目で見てくる。


「いやいや、バニラが王道でしょ」


「バニラも確かに美味しいけどストロベリーもなかなかだよ」


 こうやって話をしていると、まるで私たちは昔ながらの長い関係の友人同士みたいだった。

 何でもないような話をしてクスクスと笑いあうこの時間が、私は涙が滲みそうになるほど楽しい。

 友達というのは、こういう関係性を指す言葉なのか。


 しばらく楽しくてくだらない話をした後、「ふぅ」と小さく息を吐いて里咲が会話を止めた。

 話題を大きく変えようとしていることはすぐにわかった。

 ちょうど、私も今日の本題に入ろうと思っていたところだ。


「燈ちゃん……完成……したの?」


 息を飲み、恐る恐るといった様子で里咲が言う。


「……うん。まだ添削とかはしてないから試作みたいなものだけどね」


 持ってきたリュックから五ミリ方眼のノートを三冊取り出し、お盆をどけてテーブルへと置く。

 そのノートに里咲の視線が向いていることがよくわかった。


「えーっと、その……お願いします」


 私は里咲にどんな言葉を投げかければいいのか分からず、恥ずかしさを紛らわす意味も込めて余所余所しくそんなことを言った。


「うん!」


 里咲は嬉しそうに返事をすると、勢いよく立ち上がってソファー側に腰掛ける私の隣に腰を下ろして肩を寄せてきた。


「えっ、ちょ、里咲ちゃん」


「いいじゃんいいじゃん! せっかくなんだから一緒に読もうよ! 燈ちゃんの処女作」


 いきなりのことで動揺する私に里咲が眩しい笑顔を向けてきた。

 左目を瞑りウインクをするような形で少しばかり歯を出して、無邪気ながらも美しい笑みを私に見せてくれた。

 その表情があまりにも魅力的で、私は彼女から目を逸らして無言の肯定をすることしかできなかった。


「じゃあ、いくよ?」


 一とタイトル欄に書かれた五ミリ方眼の表紙をめくりながら、確認するように里咲は言った。

 私は生唾を喉の奥の方に押し込みながら頷く。



__________



 一時間ほど経った頃、ようやく一冊目を読み終えた。

 自分の書いた物語をまじまじと読み返したのはよくよく考えてみれば初めてのことで、なんていうか、ものすごく胸の奥がむず痒かった。

 妙にソワソワして、季節柄申し訳程度につけられている暖房の効果も相まって、少しばかり汗が額や背に滲んできた。


「いやぁ、やっぱり燈ちゃんはすごいよ」


「そ、そんな……」


「そんなに謙遜しないでよ、本当に凄いから。早く続きが読みたいと思えるもん!」


 里咲は目を輝かせながらそんなことを言ってくれる。

 けれど、私はそれを素直に喜べない。

 私が書いたのは、とても小説などと呼べるものではないのだから。


 書いたのは、誰でもかけるようなよくある簡素な恋の話。

 舞台は田舎。主人公は中学生の男の子。

 その子の前に、祖母の家に遊びに他所の街から一人の少女が現れる。

 男の子は少女に一目惚れして、アプローチをかける。

 けれど、告白をするよりも前に少女は何も言わずに元の家に帰ってしまって、二人は引き裂かれる。

 それから数年の時間が経ち、まだ少女の事を忘れられずにいた男の子の前に、記憶の少女によく似た女性が現れる。

 その頃には、男の子は大学生になっていた。

 男の子は記憶の少女によく似た女性と時間を重ね、そうして、その女性が記憶の少女によく似た人物ではなく、記憶の少女と同一人物だと知る。

 数年越しで実る、初恋の物語。

 それが、私の書いた小説だ。


 主人公は男の子で、私の性別は女。

 きっと、所々で言葉遣いに違和感が有った筈だし、主人公の思考も女性的だった筈だ。

 こんなもの、小説と呼ぶには気がひける。

 せいぜい妄想だと定義するのが精一杯の筈だ。

 けれど、里咲はそんな私の処女作を読み、凄いと言ってくれた。

 胸の奥の方が、ポカポカと温かみを持つ。


 ふと周りを見回すと、昼時とあってか店内がそこそこに混み始めていた。

 さすがに、これ以上この場に居座ってしまうのは店員さんや他のお客さんに申し訳なかった。

 私が周囲を見回していることに気がついたのか、里咲もつられて周りを見回し、ハッとした様子で口を開いた。


「さすがにそろそろ出たほうがいいよね。迷惑になっちゃう」


「そうだね、そろそろ行こう。あ、あと……」


 慌てて立ち上がった里咲に私は残りの二冊の五ミリ方眼を差し出す。


「これ、その……里咲ちゃんに持って帰ってほしいな」


 恐る恐るといった感じで私は言葉を放った。

 声が震えていたのをしっかりと自覚している。

 元来、私は自分の意思を主張するようなタイプの人間ではなかった。

 だからきっと、慣れないことをする緊張で声が震えてしまったのだろう。

 里咲は一瞬だけぽかんとした後、左目を閉じてなぜかウインクをするように笑って見せた。

 しかも、下手くそなウィンクだ。


「いいの!?」


「あ、う、うん。私も早く里咲ちゃんに読んでほしいから」


「……うん! うん! ありがとう! 私読むよ。すぐに読む!」


 そう言って笑う里咲はやっぱり何故かウインクをしているようで、その歪な笑みを見て私は言葉にできない不安感のようなものが胸のうちに湧き出るのを感じた。

 翌日、私の暮らす町には雨が降った。

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