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雨上がりの宝物  作者: 人生依存
第2話:エゴの書き溜め五ミリ方眼

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第四節

 翌朝学校に行くと私の上靴に画鋲は入っていなかった。

 別にそれ自体は不思議なことでは無い。

 けれど、私は言い得ない気持ち悪さのようなものを感じた。


 何かがおかしい。

 何かが変だ。

 何かがいつもと違う。

 そう思いながら、寒い廊下を歩いて教室へ向かった。


 教室の扉に手をかけたところで、ふと気づく。

 そういえば私、教室に入ろうとしているのに胸が苦しくなってない。

 今日がたまたま心の調子が良い日だったのかもしれない。

 けれど、その偶然は私には大きな一歩だ。

 私は少しだけ楽しい気持ちになることができた。

 そして、その気持ちのまま教室の扉を開いた。


 視線。

 視線。

 視線。


 吐き気がするほどの視線を感じた。

 クラスメイト全員からの気持ちの悪いほどの視線。

 睨めつけるような蔑むような視線。

 同情の視線のようなものも感じる。

 気持ち悪い。

 それら全ての視線が気持ち悪い。

 みんなが私を見ている。

 何を考えているのか分からないみんなが、私を。


 動悸が激しくなり、目眩がする。

 今すぐこの場所から逃げ出したかった。

 足が震え、利き足じゃ無い左足がわずかに半歩ほど後ろに下がった。

 あぁ。また私はこの場所から逃げ出してしまうのだろう。

 きっと、また私は教室に来るのが怖くなってしまうのだろう。

 そう考えてしまった時だった。


「邪魔」


 その声とともに私は背を押された。


「へっ?」


 思わず変な声が出た。

 前のめりになるように崩れたバランスを取ろうとして私はさっき引いた左足を前に出した。

 一歩、教室に足を踏み入れる形になる。

 何が起きたのかと思って後ろを振り向くと、私を突き飛ばした犯人が。

 大場凛花おおばりんかが、そこにいた。


「早く席につきなよ」


 凛花はぶっきらぼうに言い放ち、自分の席へと向かった。

 その凛花の一言で、クラスメイト皆の視線は私から凛花へとあからさまに移動する。

 もう、何がなんだかだ。


 朝のホームルームを終え、一限目と二限目を使って行われる終了式のために皆が体育館へと移動する中、私は凛花に呼ばれて二人でいつもの四階のトイレへと向かった。


「あんた、アイツと知り合いなの?」


 誰にも聞かれないようにと凛花がひそひそ声で話す。

 いつも私を痛めつけて楽しんでいた凛花からそんな風に話しかけられたのは初めてのことで、なんだかむず痒かった。


「あ、アイツって?」


 緊張で唇が震えてしまって吐き出す声が弱々しくなる。


「アイツはアイツだよ。顔にでっかい火傷があるアイツ」


「あぁ、里咲ちゃんのこと?」


「リサ? アイツってリサっていうんだ。まぁそんなことはどうでもいいんだけど、あんたアイツとどんな関係なの?」


「どんなっていうか……」


 なかなか答えない私に凛花がわかりやすく苛立つ。


「早く答えなよ。時間が無いから」


 きつい口調で言うけれど、終了式に遅れないようにしようと思っている程度には凛花はまともな人間だ。

 いや、私を虐めている人たちの主犯なのだから、まともではないのかも?

 とにかく、私は凛花に急かされて慌てて口を開く。


「どんなっていうほど深い関係じゃ無いよ……。先週の金曜日に初めて会ったばかりだし」


 私が吃りながら言うと、凛花は納得したとでも言うように「あーね」と言った。


「あの時ね。なるほど」


 凛花の言うあの時というのはおそらくあの金曜日の放課後のことだろう。

 私が里咲と初めて出会った時のこと。

 夕日が差し込み教室が朱に染められていたあの瞬間のこと。

 あの時、わずかな時間とはいえ凛花は居合わせていた。

 体育教師の足立の悪口を言いながら、あの場所に来たのだから。


「まぁ、なんでもいいんだけど、あの子とは関わらないほうがいいよ」


 凛花は諦めたように息を吐くと、踵を返してトイレから出て行った。

 去り際に「あの子、人殺しだから」とだけ残して。


 数日前にも聞いた言葉だ。

 現実味の無い蔑みの言葉で、その言葉は厄介な棘となって私の内側に突き刺さる。

 言葉の真意はわからなかったけれど、私は胸の奥が締め付けられる感覚を覚えた。

 この日、凛花はこれ以上私に関わってくることはしなかった。


「お前たち、春休みに羽目を外しすぎるんじゃ無いぞ〜」


 そう言いながら先生は教室から出て行く。

 この瞬間、私たちには春休みという非日常とくべつが訪れた。

 クラスメイトが春休みの予定を立てている中、私が黙々と帰るための準備を整えていると、つい先ほど先生が出て行った教室の前扉が勢い良く開いた。


「あれ?」


 扉を開けた主は不思議そうに首を傾げた。

 その際、揺れた髪が顔の火傷痕にかかって妙に艶かしい。

 きょとんとした表情で突っ立っている里咲を見て、クラスメイトは凍った。

 わかりやすく皆が黙り込んだ。

 そのみんなの行為は私には理解できない。

 突然知らない人間が教室に来て動揺しているのかもしれないし、人殺しが教室に押しかけてきてびっくりしているのかもしれない。


 しばらくの間、皆が黙り込んでいると、里咲は何かに気づいたように「あ」と言って教室が何年何組のものかを示すプレートを見た。


「あらら、また間違えちゃった」


 里咲は苦笑いをすると、「ごめんね」と言って教室を去っていった。

 なんていうか、うまく言葉にすることができないけれど、私は里咲を見てよく分からない不安感のようなものに襲われた。


 帰宅途中、家の近くの本屋で面白そうな小説が無いかと探していると、後ろから誰の手が私の両目を覆い隠して視界を遮った。


「だーれだ」


 私はその声に心当たりがあった。

 つい先週知り合ったばかりの魅力的な女の子の声だ。


「里咲ちゃんでしょ」


「えへへ。正解」


 里咲は私への目隠しを解きながら嬉しそうにはにかんだ。


「どうかしたの?」


「どうかしたとかじゃないんだけど、たまたま燈ちゃんを見かけたからさ。迷惑だった?」


「ううん。そんなことは無いよ」


「そっかぁ。よかった」


 ホッとしたように言うと、里咲は何かを言いたそうにモジモジとし始めた。

 里咲の言動に少しだけ私が戸惑っていると、里咲は申し訳なさそうに携帯電話を胸ポケットから取り出し、おもむろに口を開いた。


「あの…さ、連絡先交換しない?」


 私は唐突に投げかけられたその言葉が嬉しくて、人生で初めての経験で、二つ返事で「いいよ」と言った。

 こうして私たちは、世間一般で言う友達という関係になった。

 春休みは素敵な日々(とくべつ)になりそう。

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