観覧車
「玲子と紅華が付き合った記念じゃないけど、今度の日曜にこのメンバーでどっか遊び行かない?」
いつものメンバーに叶さんと、叶さんの友達でバスケ部所属の冴子を加えた6人でお弁当を広げている中、由那が言った。
「どっかって、どこ?」
紗奈は聞き返した。
「うーん、遊園地とか?」
「この辺だと、ウィッシュランドとかですか?」
「いいね、ウィッシュランド。小学生以来だよ」
玲子と叶さんがお弁当のおかずを交換しながら言った。
ウィッシュランドは学校から1kmと少し行った先にある遊園地だ。子供向けの特撮ヒーローのショーをよくやっているイメージ。
確かにそこなら電車にも乗らずに済むから安上がりだろう。
「ボクも賛成。縁と冴子は?」
「いいんじゃない?賛成」
縁はジュースのパックから口を離して応えた。
「私も賛成。楽しみだな、みんなでウィッシュランド」
「じゃあそういうことで決まりね」
その晩、ベッドの上でスマホゲームに興じているとお姉ちゃんがボクの部屋に入ってきた。
「紗奈~お風呂空いたよ~」
「ノックくらいしてよ、お姉ちゃん」
ボクはスマホを閉じて、自分の着替えをタンスから取り出しながら言った。
「次から気をつけまーす」
「何度目だよ、もう・・・・・・」
まあいいか。別に見られて恥ずかしいものがあるでもない。
そう切り替えて、紗奈は風呂場へ向かった。
ボクはお風呂があまり好きではない。そこには大きな鏡があるからだ。
その中に映るボクの胸は一般的な少女のように膨らんでいて、顔も性器も間違いようもなく女性の形をしている。
(なんでボクは女の子なんだろう)
紗奈は幼い頃からずっと抱いている疑問を浮かべた。
トランスジェンダーと言うらしい。身体と心の性が一致しない人。
佐久間紗奈は男の子である。それは家族も知らない、自分以外では恋人である縁しか知らない、最大の秘密。
「紗奈、こっちに来なさい」
風呂上がりの紗奈を呼び止めたのは父親だった。
「何?お父さん」
「この写真はなんだ」
父親が取り出したのは紗奈のスマホだった。そして、その画面には1枚の写真が表示されている。
それは去年のバレンタインデーに、縁と一緒に行った恋人の聖地の写真だった。
「お父さん!なんで勝手に!?」
「紗奈。お前、まだ『男の子ごっこ』してるのか。しかも今度はせっかくできた女子の友達も巻き込んで」
『男の子ごっこ』。ボクが小学校低学年だった頃に、男子とよく遊んでいてお父さんに言われた言葉だ。いい意味ではなく、悪い意味で。女の子なんだから女の子と仲良くしなさい、というのもセットだった。
「・・・・・・別に、付き合ってるとか、そんなのじゃないし」
「お前を生まれた時からずっと見てきた俺を、誤魔化せると思っているのか」
思ってるよ。だってお前はボクが男だって知らないだろ。
反論の言葉は浮かんでも、それを口にする事はしない。
そんな事を言えば精神病院かカウンセリングにでも連れて行かれるだろう。
そして、反論しなければお父さんはさらに加速する。
「いいか、紗奈。俺はお前を思って言っているんだ。お前のその遊びは、お前だけじゃなくこの子にも悪影響を及ぼすものだ。将来結婚を考える時、お前にとっても、この子にとっても、絶対に黒歴史になるだろ?」
だろ?じゃねぇよ。ジェンダー論にガチガチに縛られやがって。
いい加減自分が前時代的だって認めろよ。
「別れなさい。明日にでも。そしてこの子とはもう関わるのを止めなさい」
あまりにも勝手な言いように、紗奈の怒りは限界に達した。
「っ・・・・・・!お父さんには関係ないじゃん!」
「口答えをするな!」
お父さんはぴしゃりと言い放った。
なんだよそれ。言いたい事は言うだけ言って、お前は何も言うなと?
あぁ、もう、怒りで頭が真っ白になりそうだ。
クールダウンの為と、この場から出て行く為に、紗奈は何も言わずに自分のスマホをひったくって家を飛び出した。
紗奈は近所の公園の滑り台の上に立っていた。
最近は温かくなって来たけど、夜はまだ結構寒いものだ。
紗奈は身震いした。コートの1枚でも羽織って来ればよかった、なんて考えてしまう。なんでも出来るスマホさんも、湯たんぽにはなってくれないようだ。
「・・・・・・あぁ、もう、なんでボクばっかり・・・・・・」
紗奈は独りごちた。
ボクだって女の子に産まれたくて産まれた訳じゃない。
親は『私』しかくれなかったくせに、すぐに縁からもらった『ボク』を否定したがる。
「・・・・・・ごっこ遊びなんかじゃないのに」
怒りが消えた訳じゃない。けれども今は、埃を吸い込んだみたいなどうしようもない悲しさが溢れてきた。
「紗奈」
突然声をかけられた。
「縁?なんでここに?」
「彩加さんに聞いてね、紗奈は多分ここにいるんじゃないかって」
「お姉ちゃんに・・・・・・」
そういえば、この間家に遊びに来た時にLINEを交換してたっけ。
なんというか、面倒をかけてしまった。縁にもお姉ちゃんにも。帰りにプリンでも買って帰ろう。
「どうしたの?紗奈」
「・・・・・・お父さんにバレンタインの写真見られてさ、縁と別れろって言われて」
ボクは滑り台を降りて空を見上げた。
「ついカッとなって飛び出しちゃったんだ」
縁も、ボクに続いて空を見上げたのを視界の端に捉える。
「家族にはまだ言ってないんだね、紗奈が本当は男の子だって」
「うん」
縁と話していると、心が軽くなる。イライラもムカムカも淡い初雪のように溶けて消えていく。
「誰になんて言われても、私達はずっと一緒にいよう」
縁がボクをまっすぐに笑顔で見つめている。
「もちろん」
ボク達は改めて約束をした。夜は2人をそっと静かに見守るように月を輝かせる。
この時間を切り取って引き出しの中に大切にしまっておきたい。そんな欲求がボクの全身の血管を走り抜けるようだった。
「縁、好きだよ」
縁は今更だね、と笑った。
「私も好きだよ、紗奈」
2人きりの夜の公園で、紗奈と縁は唇を重ねた。
「ありがとう、縁。もう大丈夫だよ」
「ならよかった。また明日ね、紗奈」
縁が来た道を戻って行ったのを見送ってから、紗奈も最寄りのコンビニに向かって歩き出した。
次の日曜日は晴天に恵まれた、まさに出かけるには最良と言えるであろう天気だった。
そう言えばウィッシュランドに縁と一緒に来るのは久しぶりだ。2人で前に来たのは確か初デートの時だった。その時は縁と一緒にゲームコーナーで散財しまくったのを覚えている。
今日はめいっぱい、小遣いに配慮しながら楽しまなくては。
そう意気込んで、ボクは待ち合わせ場所に向かった。
結果として、ボクらはクレーンゲームとバスケゲームに熱中してしまい、気が付けば財布の中身はすっかり寂しくなっていた。
バスケゲームで2回目の『Νew record!』の文字を見たあたりからやばいとは思っていたのだが、ゲームコーナーの魔力には逆らえなかったのだ。
「せっかく遊園地来たんだから、観覧車くらい乗ってかないともったいないでしょ。私は冴子と乗るから2人1組で乗ろう?」
との由那の言葉がなかったら本当に小遣いがなくなるまでゲームコーナーに篭もってしまっていただろう。
ボクと縁が付き合っている事と玲子と紅華(名前で呼んでください、と本人に言われた)が付き合っている事を冴子が知らないのを考慮して『カップルで観覧車乗らずに帰っていいの?』と言う意味の言葉をかけてくれる由那の配慮に感謝しながら、ボクと縁は観覧車の順番に着いた。
「・・・・・・綺麗だね」
「・・・・・・うん」
紗奈と縁が乗った観覧車の中は綺麗な夕焼け空も相まってロマンチックな雰囲気に包まれていた。
「ねぇ、紗奈、覚えてる?初デートの時の事」
「うん、あの時も最後この観覧車に乗ったんだよね」
紗奈は初デートの時交わした約束をなぞった。
「・・・・・・誰になんて言われても、一緒にいよう」
紗奈と縁は、その約束を確かめ合うように見つめあって、やがてどちらからとなくキスをした。
誰に、なんて言われても。あの父親がどう言おうと、ボクは紗奈とずっと一緒にいてやる。そんな決意を込めて、紗奈は縁の唇に舌を割り込ませた。
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