雨の日
「で、でも、私は信じてるよ。あの話は嘘だって」
「そうですか」
叶さんに嫌われた。それだけでこんなに悲しいなんて。
好きな人が遠くに行ってしまう事が辛い。そんな事は知っているつもりだったのに。
紅華が部活体験に来なくなって3日がたった。
「紅華ちゃん来ないねー」
佐久間先輩も寂しそうだ。
玲子は紅華の残滓を探すように図書室で一冊の本を借りた。
『雨の日の初恋』。作者は御笠梨央。叶さんが面白いと言っていた本だ。
今日はパソコン部の部活体験はないので、玲子は放課後の教室でこの本を広げていた。
内容は、恋を知らない高校1年生の少女が雨の日に傘を忘れて途方に暮れていたところ、クラスで人気の男子に助けられて恋に落ちる、と言うもの。
叶さんの言う通り、主人公の心情の細かな描写が作品を美しく彩っている。
「玲子」
名前を呼ばれた。振り返ると
「紗奈、どうしたの?」
「そっちこそ、そんな泣きそうな顔してどうしたの?」
「・・・・・・そんな顔になってる?」
「うん」
まじか。
「叶さんと何かあったの?」
「・・・・・・わかるんだ」
玲子は自嘲するように笑った。
女の子に恋をして、秒速で嫌われて、そんな悲しみのオーラまで出しちゃってるのか。なんとも滑稽な人間だな私は。
「どうしたの?」
別に隠す理由があるでもない。玲子は紅華に嫌われるまでのことを、努めて明るく話した。
「・・・・・・そっか」
紗奈はひと呼吸置いた。
「今の玲子、昔の縁みたいだ。ボクと付き合う前のね」
そうなのか。
「あんまり明細に話すと縁に怒られるんだけどね、あの頃の縁もボクに嫌われたって思っててさ、そんな顔になってたよ」
紗奈は懐かしむように遠くを見た。
「ボクとしては、別に嫌ってた訳じゃないんだけどさ、告白されてちょっと気まずくなってただけで」
縁から告白したんだ。知らなかった。ちょっと得した気分。
「話してみなよ、ちょっとくらい強引にでもさ、案外嫌われてないかもだし、嫌われてても、好きになってもらおうって思える」
紗奈はにっと笑った。
ちょっとくらい強引にでも、か・・・・・・。
「・・・・・・ありがとう、紗奈。私、叶さんともう一度話してみるね」
「叶さん、今日はちょっと残ってるらしいから、まだ教室にいると思うよ」
「ありがと!」
玲子は駆け出した。
(もう一度、叶さんに・・・・・・!)
今日は雨が降っている。そういえば朝のニュースでアナウンサーさんがそんなような事を言っていた気がする。
なのに、傘を忘れてしまった。アナウンサーさんごめんなさい。
(冴子・・・・・・まだかな)
今日は同じクラスの数少ない・・・・・・と言うより唯一の友人である七瀬冴子の傘に入れてもらう予定なのだ。それで今、紅華は玄関で冴子を待っている。
冴子は今部活体験の最中である。
部活体験といえば、鹿島さんに知られてしまった。
(やっぱり、気持ち悪いよね)
自分だってそう思う。他の人にすれば尚更だろう。
(もう、無理だよね。パソコン部にも、入るに入れな)
「叶さん!」
全身が総毛立った。
「鹿島・・・・・・さん・・・・・・」
「叶さん、あのね、わた」
(『キモイんだよ、お前』)
半分反射的に、逃げてしまった。今更引き返す訳にもいかない。
紅華は雨に濡れるのも厭わずに走り出した。
叶さんに逃げられた。
やっぱり嫌われているのだろうか。
それなら、もうそれでいい。私は、ただ、
「叶さんと、もう一度話をしたいんだ・・・・・・!」
玲子も、持っていた傘を広げるのも忘れて雨の中へ走り出した。
降り続く雨とそのほのかに甘い匂いの中、玲子と紅華は走っていた。
叶さんが文化部系でよかった。もし運動部だったら絶対追いつけない。
「か、かのっ・・・・・・さん!」
息が上がってもう自分でもなにを言っているかわからない。
「な、なんっ・・・・・・でついて・・・」
叶さんもなにを言ってるかわからない。
やばい、そろそろ限界だ。もう何キロ走ったんだ。
・・・・・・いや多分1キロも走ってないのだが。体感的に3キロは走っている。
なんでそこまで、とふと脳裏に浮かぶ。
なんでなんて、そんなの愚問だ。私は、叶さんが好きだから。それ以上のなにがある。濡れた制服が肌にひっつく感触も、乱れまくった前髪も、全ては叶さんと話をしたいから。それだけだ。
「それだけっ・・・・・・なんだ!」
もう追いつけない。そう思った瞬間、叶さんが滑ってコケて、追いかけっこは終わった。
雨の中で、玲子は紅華に抱きついていた。
「やっと・・・・・・捕まえた」
「なんで・・・・・・そこまで、して、私を追ってくるん・・・・・・ですか・・・・・・」
お互いに息が限界まで上がって、会話もままならない。
「と、とりあえず、話、聞きますから、うちまで、来てください・・・・・・・・・すぐそこです」
紅華が指さしたのは一件のアパートだった。
紅華は1人暮しらしい。アパートの3015室が彼女の部屋だった。
「私は着替えるので、シャワー浴びてきてください」
との事で玲子は今、シャワーを浴びている。
(なんか、ドキドキする)
別に普段同性の使っているお風呂くらいでどうこう思うということはない。うちのお風呂も妹とお母さんが使っている。けれど、叶さんは例外だ。
叶さんがここを使っていることを想像するだけで、こう、ドキドキする。
(別にいやらしいことしてる訳じゃないのに)
単純に雨に濡れた私をあっためてくれているのだ。
「逆に、なっちゃってるな」
玲子は身体の上を流れるお湯を眺めながら呟いた。
「着替え、置いておきますね」
扉の向こうから叶さんの声が聞こえた。
「うん、ありがとう」
とりあえず理性が仕事してる間に上がってしまおう。
そう決めて玲子はシャワーを止めた。
「それで、なんの用ですか」
「ええとね・・・・・・」
思考がまとまらない。言いたいことはあるのに、いざ言葉にしようとすると曇りガラスの向こう側のようにぼやけて見えなくなってしまう。
玲子は落ち着かない様子で前髪をいじった。
「あのね、叶さん、私は、叶さんと仲良くなりたくて、だからあの噂も絶対嘘だって、つまり、ええと・・・・・・」
なんとなくのニュアンスはちゃんと伝わったらしい。
叶さんは目をまるくしている。
「そんな事言うためにわざわざ追いかけてきたんですか!?」
「だって・・・・・・心配だったんだもん」
玲子は思ったままを声にした。
「叶さんが部活体験来なくなって、すっごく寂しくて、このままじゃ嫌だって思って・・・・・・」
「だからって、なんでそこまで私にこだわるんですか?」
「それは・・・・・・叶さんが・・・・・・」
好きだから。その言葉は理性がせき止めた。
「叶さんが、心配だったから」
紅華は言葉を失った。
それだけでこの人は雨の中、私を追ってきたのか。
心配。ただそれだけで逃げる私を追いかけてくれる人。
そんな人は初めてだ。これまで私を追いかけた人は、噂を知らない人か、知って私を嗤う人だけだったのに。
そんな人から、私は逃げてていいの?
・・・・・・いいわけない。
「だいたい、非常識過ぎます!雨降ってたのに傘もささないでびしょ濡れになるまで追いかけるなんて、近年ストーカーでもしませんよ!それに部活体験だって、別に毎日同じところに行かなきゃいけないものでもないでしょう!違うところ行ってただけだったらどうしたんですか!」
「・・・・・・ごめん、なさい・・・・・・」
鹿島さんはおっしゃる通りと言わんばかりに俯いている。
違う、言いたいのはそんな事じゃない。そんな事じゃなくて、
「・・・・・・でも嬉しかった」
「・・・・・・へ?」
「そんなになってまで、私を心配してくれるのは、嬉しいです。そこまでして、仲良くしたいって言ってくれたのも」
だから、つまり、私は、
「部活体験、明日は行きます」
あなたを、信じます。とまではさすがに恥ずかしかった。
「ほんとに?」
「さすがにここで嘘は言いませんよ」
ぱぁと、鹿島さんの顔が明るくなった。
・・・・・・瞬間、胸が高鳴ったのは、きっと気のせいだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
お気軽にご意見、ご感想等くだされば幸いです。