愛している
「え・・・・・・なんで・・・・・・?」
私は、紗奈に突然別れを告げられた。
紗奈は私の問いには答えず、紗奈の家の方角へ歩いて行った。
(足が、動かない・・・・・・)
今すぐに紗奈を追いかけて抱きしめてから理由を問いただしたいのに。紗奈が見えなくなって、縁は膝を付いた。
ポツポツと降り出したにわか雨が、そんな縁を嘲笑するようにアスファルトに斑点を作りはじめる。
「ずっと一緒にいようって・・・・・・言ったじゃん・・・・・・」
頬を伝うのは涙か、雨か。多分、両方だ。
縁は空に八つ当たりでもするように声をあげて泣き出した。
こんなに泣くのはいつ以来だろう。もしかしたら今回が初めてかもしれない。そのくらい、紗奈は私にとって大きな存在だったのだ。
雨粒は勢いを増して縁を打ち据える。
にわか雨はその後しばらく降り続けた。
ボクは、縁に突然別れを告げた。
告げた瞬間から、耳が凍りついたように世界の音が遠ざかった。
縁は、なにか言っていたのだと思う。ボクはそれを無視して通りの角を曲がった。
縁が見えなくなってから、ボクの目から涙が零れた。
(ボクは随分と、情けないやつだな)
にわか雨がポツポツと降り出して、紗奈は顔を上げた。
これは雨?それとも涙?多分、両方だ。
来た道から縁の慟哭が聞こえる。
戻らなきゃ。咄嗟に何歩か引き返してしまう。
「ずっと一緒にいようって・・・・・・言ったのに・・・・・・」
ボクは足を止めた。ボクは最低だ。こんなに好きな人を泣かせて、雨の中放置して行くんだから。
雨粒は勢いを増して紗奈から体温を奪う。
にわか雨はその後しばらく降り続けた。
そんな事があれば、勉強なんて手につくはずもない。
縁は机に突っ伏していた。
おそらく今日のテストで私は中学からの過去最低点を更新しただろう。予想は40点代。もっと下かもしれない。
紗奈はあの日から3日、ずっと学校を休んでいる。
LINEで彩加さんに聞くと、どうやら風邪をひいているらしい。
お見舞いにいかなきゃ。そう思い立ってから、別れようと言われた事を思い出したのが3日前。未だにあの日の事を受け入れられてはいない。
紗奈はテストを後日受けられるのだろうか。先生に聞いた所、1週間後の追試は受けられるらしいので一安心。
放課後、みんな明日もあるテスト勉強のためにさっさと帰宅して誰もいなくなった教室で、縁は窓の外を眺めていた。
「どうしたの?縁」
声をかけられたのでそちらを向くと、心配そうな顔の玲子がそこにいた。
「まだ帰ってなかったんだね、玲子」
「・・・・・・紗奈となんかあったの?」
「・・・・・・まあね」
縁はため息をついた。大好きな人に別れを告げられて、予定ではもっと悲しみに暮れているはずだったのに、今私の中にあるのは空虚だけだ。
「実はさ、紗奈に、別れようって言われてっ・・・・・・!」
けれど声に出すと、それが合図であったように目頭が熱くなり、どこにそんなに隠れていたのかという程の悲しみが溢れ出す。
「こんなにっ・・・・・・!こんなに大好きなのにっ・・・・・・!なんでって・・・・・・!」
もう涙を抑えきれなくなって縁は頬を濡らした。
玲子は今どんな目で私を見てるんだろう。
怖くて玲子の顔を見られない。
嗚咽混じりに未だ血が流れ続ける傷を吐露した縁の頭に、玲子はそっと包み込むような優しさで手を置いた。
「これは、紗奈の受け売りなんだけどね。ちょっとくらい強引にでも話してみなよ。紗奈だって本当に縁の事嫌いになった訳じゃないだろうしさ。きっと事情があるんだよ」
「・・・・・・なんか、慰められちゃったね」
縁は鼻をすすって、涙を拭った。
「ありがとう、玲子。今日のプリント届けに行くついでに話して見るよ」
いつまでも悲しんでいられない。私は、紗奈に、会いたい!
「そうか、ではプリントは私から紗奈に渡しておこう」
紗奈のお父さんにそう言われて、縁は紗奈とは会えなかった。
まあ、風邪が伝染るのを避けたかったのかな?
少し萎える気持ちを抑えてお願いしますと伝え、縁は来た道を戻った。
「あ、縁ちゃん」
3分程行ったところで後ろから呼ばれた。
「彩加さん?」
佐久間家から追いかけて来たらしい。私服姿の彩加さんがそこにいた。
「これからちょっと時間いい?」
聞きたい事か話したい事があるならLINEでいいはず。そうせずにわざわざ追いかけて来たという事は、おそらく大事な話、・・・・・・つまり紗奈の話なのだろう。
「・・・・・・はい。大丈夫です」
「よかった。ちょっとそこの公園まで」
「はい」
この前ここに来た時は夜だったが、今はまだ夕方と言える時間だ。
小学生くらいの子供達が滑り台の周りでゲーム機に視線を注いでいる。
いや、家でやれし。思わずそうツッコミたくなる光景だ。時代の変化は恐ろしいなと感じながら、縁は彩加に続いて滑り台から少し離れたベンチに腰をおろした。
「紗奈は、多分伝えられてないと思うんだけどね」
彩加さんが深呼吸して、私もごくりと唾を飲み込む。
彩加さんは前置きをしてから私の目をまっすぐに見て言った。
「引越しが決まったの。私も紗奈も、来月から別の遠くの高校に通う事になる。つまり、転校する、という事」
「転校・・・・・・」
縁は言葉を失いかけた。そうか。だから紗奈が抱えていた『なにか』はこれだったのか。
「縁ちゃんは、紗奈と付き合ってたの?」
「・・・・・・はい。中2の時から」
今更隠す気もない。縁は正直に認めた。ここで嘘を言うのは、引越しの事実を教えてくれた彩加さんへの裏切りだろう。
「・・・・・・それは、紗奈が男の子だから?」
縁は今度こそ言葉を失った。家族には明かしていないと言っていたのに。
「・・・・・・知ってたんですか?」
「その反応は、本当だったんだね」
鎌をかけられたらしい。彩加さんは悪戯っぽく破顔してごめんねとウィンクまで寄越してきた。そうだった。この人はそういう人だった。抜けているようで、意外と策士。
「なんとなく小さい頃からそうかも?とは思ってたんだ。本当だったんだね・・・・・・それで、どうなの?」
彩加さんは一転して見定めるような真面目な表情になった。
「・・・・・・紗奈を好きでいいんだって思ったのは、それを本人にカミングアウトしてもらったからです。でも・・・・・・」
そんな彩加さんに、私は何を言うべきか。それは正直かつまっすぐな、本当のことだ。
「好きになったのは、あくまで紗奈自身です」
縁はまっすぐに彩加の目を見て言った。
彩加はしばらく黙って縁の真意を探るように縁の瞳を見詰めてから言った。
「わかった。縁ちゃんを信じて、紗奈を託すね」
ボクは、何をしているのだろう。
部屋の天井をベッドの上から眺めながら紗奈は何度目かの疑問を浮かべた。
風邪は一昨日には治ったけれど、学校に行きたくないからまだ治っていない事にしている。
(ボクも随分と不真面目になったな)
紗奈は自嘲気味に笑ってからスマホに手を伸ばそうとして、手元にない事を思い出した。
スマホは今、お父さんが持っている。編入試験に向けて勉強に集中させるためとの事だが、実際は縁との接点を少しでも無くすためだろう。
まあ、学校に行けば縁には会えるのだからそこまで効果のある事だとは思えない。休んでる間だけの事だろう。誤魔化しも限界だし、明日には学校に行かないと。
(縁に会いたい・・・・・・会いたいけど、会いたくない)
もう縁と普通に話す事もできないだろう。あんな酷い事を言って、今更どの面下げて縁と話せばいい。もう戻れない過去ばかりがキラキラと輝き続けている。
これからボクは自分の一人称に縁の残滓を感じながらそんな過去を思い出して、きっとその度に悲しくなるのだろう。
だけどそれは、きっと罰だ。ボクの犯した罪はそれだけ大きなものだ。
「紗奈、学校のプリントだ。部屋の前に置いておくぞ」
部屋の外から聞こえたのはお父さんの声。
引越しを知らされてからお父さんとは話していない。
転勤なんてテンプレートな理由で引越しを持ってきたお父さんを許せないのだ。子供っぽい反抗心だなと自分でも思う。
もう嫌だ。紗奈は考えるのをやめて部屋の前にプリントを取りに行った。
彩加さんに教えてもらったその計画は、正直に言うとちょっと怖い。それでも私は動かすのは、紛れもない、愛。
月並みだけど、それ以外にこの感情を表す言葉を私は知らない。
紗奈は今、何をしているのだろう。
もし今紗奈が泣いてるなら、その涙を拭ってあげたい。
恋人としてじゃなくても、紗奈を愛してる私として。
私は紗奈と、駆け落ちする。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
お気軽にご感想、ご指摘等よろしくお願いします。