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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『約束』の為に

約束の行方

作者: 嘆き雀

 彼女は一人祈っていた。

 両手を組んでまぶたを閉じ膝をついて、ただ一心に。

 その姿は信徒の手本のような素晴らしいものだった。

 朝の輝かしい祝福をもたらすような光が、ガラスを通って彼女を照らしているのもそれを手助けしている。


 しかしそれは外見だけ。

 実際は違う。

 彼女は信仰心なんてありはしないし、神なんて信じていない。ただ彼がそうしていたから、同じようにしているだけ。

 そうでもしないと彼との繋がっているのかいないのかよく分からない糸を見失ってしまうから、感情の吐き出す場所が礼拝堂にしかないから。

 だからこうして毎日欠かさず教会へと通っているのだ。


 彼女は願わない。

 けれど想いはする。

 それほど『約束』は果たされるのを望んでいる。

 彼女は妄執に取り憑かれているから。


 ゴーンゴーンと鐘が鳴る。

 彼女はようやく長い間が経っていることに気付き、先程の神聖な雰囲気がなくなり慌てた様子となる。


「急がないと!」


 いつもなら時間に余裕があるのだが、今日はお客様が来ることで仕事が早く始まる。

 遅れて怒られたら敵わないとばたばたと慌ただしく、走ることはないが早歩きで教会の出口まで進んでいく。

 すれ違う神官には驚かれ目を見開かせるが、そんなことに気に掛けるほどの時間はない。


 こうして今日も、彼女の一日が始まった。


 *


「ベル、遅いですよ」


 ずらりと並ぶメイド達の中で、メイド長たる女性が言った。

 私は「申し訳ありません」と謝り、厳しい視線から逃れるために人の影に隠れるように並んだ。


「これで全員揃いましたね」


 メイド長は私達が働く侯爵家で開かれる夜会について話す。

 仕事の割り振りや注意事項、メイドとしての心得というものをだ。

 それはねちねちと怒るときに似ていて、私は後半については話半分で聞いていた。

 だから最後に眼光鋭く睨みつけられながらメイド長に呼び出しをされて、内心ビクっとした。


 遅れてしまったことか、話を聞いていなかったことがバレたのか、どちらにしろ怒られる内容だろう。

 私は消えるような小さな声で返事をし、これからの説教を想像してうぅ、と呻いた。





「災難だったね」


 呼び出しが終わった後に清掃ために部屋に入ったら、哀れんだように年の近いメイド仲間のノギが言った。


「今日のメイド長は一段と凄かった。鬼みたいに頭から角が生えてるように見えたもん」

「私もたまにあるよ。でも今日遅れたのも一分ぐらいなんだから、見逃してくれれば良かったのにね」

「……ほんと?」

「ほんとほんと」


 私は長々と時間を守ることの大切さについてを聞かされた。

 話を聞いてなかったことには最後にちくっと嫌味を言われたが、説教の大部分は遅刻についてだ。

 まだ今日は忙しいという理由から、いつもよりは早く解放されたが、精神的に疲れたことは変わりはない。

 メイド長は足の小指をぶつければいいんだ、と直接文句は言えないので小さな不幸を願っておいた。


「ほら、いつまでも立っていないで手伝って。まだまだ別の部屋の掃除があるんだから」


 私はベットのメイキングや花瓶の水を変えたりなど、ノギに一人でやらせていた負い目があるのでテキパキと動く。

 やることはいっぱいあって目が回りそうになるが、やりがいのある仕事だ。


「ベルは動きが良くなったね」


 鼻歌交じりに窓を吹いていると、ノギが感心したように言う。

 私はつい一ヶ月前にメイドとして雇われたばかりだ。

 経験などなかったので拙いところがあり、なので日々他のメイドを観察したり教えを請いたりと日々精進している。

 だから褒められると努力を認められたようでとても嬉しい。

 ただでさえ私は事情があるから、人一倍努力しなければならないから。




 そのことについて、私は先程もメイド長に指摘された。


 あなたは他のメイドとは違うのですから。

 妬まれないようにも、侮られないようにも、メイドとして働く内は自分を律しなさい。

 たとえ近い未来でメイドの立場でなくなったとしても。


 何度も何度もその言葉が頭の中で再生する。

 私は近い未来のことなんて、起こるはずがないと拒絶している。

 その未来を受け入れたら、彼を裏切ってしまう。 

『約束』を破ってしまうことになる。


 けれどメイド長はそれでもと言う。

 もしかしたら、私の迷いを見透かされてしまっているかもしれない。



「―――ル、ベルったら」

「……ぁ。なに?ノギ」

「えと……なんだか、危うく見えたから」

「ぼーとしてただけだよ」

「そう?それなら、いいんだけど……」


 また、見透かされるところだった。


「悩んでることがあったら、いつでも相談に乗るからね」

「大丈夫。私、元気だけが取り柄だから」


 得意の笑顔を貼り付ける。

 ノギは杞憂だったと安心したようだ。


「ベルの場合は元気じゃなくて、おっちょこちょいなだけでしょ」

「うっ、そんなことないもん」


 なんとか誤魔化せれた。



 相談出来る訳がない。

 ノギもあの人達と同じに決まっている。


 昔、『約束』について人に話したことがある。

 食事も喉に通らなかったときに親切にしてくれた、パン屋のおねえさんだった。

 慟哭のせいで、少しずつしか話せない喉でぽつりぽつりと話した。

 涙も枯れ果て、腫れてしまった目でひどい有様だったと思う。

 途中で口を挟むことなく、最後まで聞いてくれた。

 優しい人だった。

 だけど『約束』を否定した。


 そんなことないと、私はかなぐり捨てて叫んだ。

 痛い喉のことも忘れて、ただただ繰り返し、狂ったように。


 他の人に話しても、最後は否定された。

 そのたびに鈍器で頭を殴られたような衝撃があって、『約束』をどんどん穢されたようだった。


 早く、早く、『約束』を果たしてほしい。

 私はずっと待っている。

 いつまでも、いつまでも。

 想いが溶けてなくなってしまうまで。





「ラジファング様だ」


 ノギと別の部屋に向かっている途中、その言葉を聞き姿を確認した後壁の端に寄って頭を軽く下げた。


 ラジファングとは侯爵家の現当主である。

 見目よく才能のある方で、若いながらにも数々の政策を成功させていた。


 私はラジファングが通り過ぎるのを待った。

 だがいつまでも足が私の前で止まっているのを見て、そろそろと顔を上げてしまい、目があった。


「久しぶり、ベル」

「はい、お久しぶりでございます」


 私は最低限の言葉で返した。

 当主とメイドの立場では、これが最適なものだ。

 だが相手にとっては不服なようだ。


「少しベルを借りていいかい?」


 許可を得ているようなものだが、メイドとしては拒否することはできないことだ。

 ノギは了承の意を伝える。


 私はごめんと目で言うと、ノギはそんなことは気にしていないように笑顔でいた。

 ただ私だけに聞こえる声で「後で期待しておくね」とウインクをして去っていった。

 何を要求されるか分からないが、良い関係が壊れないためならばそのぐらいお安いことだ。



「ラジファング様、どのようなご用でしょうか?」


 いつもはメイドのときは個人的に話すことはしなかったのに、と嫌な予感を覚えながら問う。


「二人だけだから、いつものように呼んでくれないか?」

「……ですが」

「お願いだ」

「……ラグ、様」


 にっこりと顔を緩ませた。とても甘い顔で、どんな女性でもときめいてしまうのは間違いなしのものだった。

 私は罪悪感でズキリと痛ませるものだか。


「今日はどんな目的で夜会を開くか知っているかい」

「……ラグ様の奥様を見繕うものだと記憶しております」


 端麗な顔を歪ませた。

 知らないとでも思っただろうか。

 私は能力が劣っていても一端のメイドなので、知らないはずがない。


 両親がお節介として開いた夜会だと聞いている。

 ラグは既婚している身だった。

 だが半年前に体の弱い奥様が亡くなってしまった。

 愛し愛される関係で円満だったため、そのときは荒れた様子だったらしい。



「ベル……」


 私の髪を触ろうとしたので避ける。


「どうしても、だめなのかい?」

「……申し訳ございません」


 髪を触っていいか、ということではない。

 以前から何度も願われていることだ。

 最初は即答できた。これからもずっとそうしたいはずなのに。私はだんだんと返答に迷いが生じる時間が出来てきている。


 ラグは私を妻にと求めている。

 何度もそのことを告げられてきた。


 断った。

 だが、生活に困っていた私をラグ様がメイドにと誘われ、その好意に甘えて働くまで至った。そうしてしまった。



「待っていても、彼はこないよ」


『約束』を否定する言葉だ。

 否定しないと思い口をを動かすが、声がかすれて言葉にならなかった。


「もう、分かっているだろう?だって、」


 嫌だ。

 聞きたくない。

 耳を塞ぐ。

 そんな手で耳を抑えている手首を、ラグ様が壁に押し付けてその意味を失くした。


「……だって、彼は死んでしまったのだから」


 あぁ、と私は手の力をぬいた。





 今から四年前のことだ。

 イルという男に出会ったのは。


 きっかけは私がドジを発揮して、野菜や果物の入った袋を地面にぶちまけてしまったことだった。

 あわあわと散らばる食べ物を拾い上げているときに、「大丈夫か」と声をかけて手伝ってくれた。


 格好いい人だと思った。

 一目惚れした訳ではないけれど、旅人だというイルのもつ雰囲気も相まって、当時彼氏がいなかった私は狙いを定めた。


 そして、私はイルと付き合うようになった。

 最初に出会ったことがきっかけで父と私が営むお店によく来るようになって、告白したら了承してくれたのだ。

 イルと付き合い始めてからは、私はイルに外見だけでなく性格にだんだん惹かれていった。


 優しかった。

 落ち着きがないことからよく怪我をする私を、「痛かっただろう」と丁寧に手当をしてくれた。

 生真面目だった。

 少しでも危険なことがあると、「危ないぞ」と何もさせずに過保護だった。

 不器用だった。

 料理などまるっきし駄目で、「うまい」と自分の手料理を褒めてくれた。

 泣き真似をするとオロオロしていたことなど、思い出すと短所なところばかりだけれど、それすらもイルの魅力となっていた。



 そんな幸せ絶頂なとき。

 父が死んだ。

 突然なことだった。

 家を建てるために置いてあった木材が急に倒れてきて下敷きになってしまったというのとだった。


「ぅ、……ひくっ。な、んで……」


 結婚も視野に入れて付き合っていると伝えると「まだ早い!」とそのとき十八歳の私に言った、頑固さがある一般的であろう父だった。

 だが幼いころに魔物に殺されて死んだ母の分まで、大切に育て愛してくれた。


「イ、ルは……どこにも、いかないよね……?」


 私と一緒にいると死ぬという噂があった。

 事実だった。

 母も父もそうだし、親友であった友人は病気で死んでしまった経験がある。

 そんな私を恐れて父と営んでいたお店に客は一切来なくなったし、歩けば誰も近づいてこない。


 イルはボロボロの私を「違う町に行って、二人で暮らそう」と抱きしめた。

 苦しいぐらいの強さだったが、伝わってくる体の熱を離したくなくて私もいっしょになって抱きしめ返した。



 それが間違いだった。

 私は呪われていたのだ。

 そうでなければ町に移動中に大群の魔物に襲われて、私だけが無事でイルが腕も足も千切れて事切れそうになっているはずないのだから。


「ごめん、なさい」


 何回も何回も繰り返し謝り、うわ言を言うしか私には出来なかった。

 大粒の涙目がイルの頬に落ちる。イルの片腕がゆっくりと動いて私の涙を拭った。

 それでも目から涙が溢れてくるのは止まらなかった。


「すまん」

「……なんで、謝るの?」

「守れなかった」


 ノイが悪いことではない。

 胸を締め付ける痛みは、ノイが私を恨んでくれたら収まっただろうか。

 きっとこの痛みよりは苦しくないはずだ。



「どこにも行かないで。私を一人にしないで」


 思えば前に同じことを言ったとき、イルは何も返さなかった。

 このことを予知していたのだろうか。

 だから誓って約束してくれなかったのか。


「また、会える」


 その言葉を聞いて、呆気に取られた。


「会いに行く」

「……本当に?」

「ああ。『約束』する」


 イルの体が冷たくなっているなか、瞳だけは力強く熱があった。


「私、信じるから。いつまでも待ってるから」


 いつの間にか、涙は止まっていた。


 私はだんだんとイルの瞳の熱がなくなっていくのがたまらなく悲しくて寂しくて、イルの唇に口付けした。

 軽く触れるぐらいのものだったが、冷たくなっている唇から本当に『約束』は守られるのかとてつもなく不安を感じた。

 そんな私をイルは何か言おうとして口を動かしたが、音にはならなかった。


 変化が訪れた。

 イルを構成していた体が端から灰になっていく。

 さらさらと崩れていくのは現実離れした光景だったが、どこか遠くに行ってしまうことは分かる。

 一つ、止まったはずの涙が意思なく流れた。

 私は気付かなかったものだが、灰になっていくのを構わずに私を見ていたイルは気付いたようで、また音にならない声を発した。

 今度は聞き取れた。


 そして、イルの全ては灰になった。

 強い風が吹いて思わずまぶたを閉じてしまい、次に開くと灰は一欠片も残さずに飛んでいっていた。


 私は一人になった。





「ベルだって、分かっていただろう? 彼はもうこの世にはいないことを」

「……じゃあ、私は何を信じて生きれば良かったんですか?」


 敬語が崩れていく。

 ラグ様が言っていることはとっくに分かっていた。

 だが彼は嘘をつくことはないし、なにより私が『約束』が果たされることを信じたかった。


「例え、彼がアンデットになっていたとしてもいいんです。生まれ変わって醜くなっても、人間じゃなくても、獣でも、どんな姿になっていたって構わないんです」


 彼が信仰していた神の教義には、転生というものがあった。

 だから彼がいなくなって何年か経っても、こうして彼のことを信じられたかもしれない。

 神のことを信じていないのに都合のいいことだけ受け取る。

 なんて自分勝手な考えなのだろう。


 それでも私は信じることでしか、自分の人生に意義を見いだせなくなっていたのだ。

 周りに親しい人達がいなくなって、どうして生きたいと思えるのか。

 しかもいなくなった原因は、理由は分からないが私のせいかもしれないのに。


 寂しいのだ。

 一人ぼっちは。

 楽しかった日々があったから、この寂寥感に耐えられそうにない。

 だから『約束』に期待するしかないじゃないか。

 嘘をついたことがなかったイルが「会いに行く」と言ったのだから、私は待っていないと。



 親しかった人達との思い出を思い出して胸が苦しくなり、服をぎゅうと握りしめた。

 皺になってしまうことを考えるが、頭の隅でだけだ。


「私は君のことを本当には分かってあげられないだろう」


 俯いて黙り込んでしまった私にラグ様が言う。

 自分の背が低くラグ様は高いせいで上目遣い気味に見上げると、落ち着いた声からは分からなかったが相手もまた苦しんでいるような表情をしていた。


「私は妻を失くしたが、家族や友人は生きていて親しかった人達が皆いなくなってはいない。……けれど、見ていられないんだ。普段の君は快活だが、ふとしたときに儚く見える。そんな君を見ていられなかったし、そんなことにはさせたくないと感じた。守ってあげたいと思ったんだ」


 ラグ様は切なげな表情をしていた。

 そして私が服を握りしめていた手をほどき、両手で優しく包み込んだ。


「だから、どうか私を受け入れてはくれないかい。彼のことを忘れられなくてもいいから。私はベルと共に残りの人生を生きていきたいんだ」


 あぁ駄目だ。

 私はラジ様に惹かれているのだろう。

 そうでなければ、こんなにも心が揺れ動くことはないだろうから。


 ラグ様を選ぶことは、イルを裏切ることになる。

 いつ果たすか、それとも果たされない『約束』を待ち続ける辛い道か、私のことを思ってくれる人と生きる楽な道。


 きっと、どちらを選んでも私は後悔するだろう。

 でも自分の手を包み込む暖かさは、一人でいたときには感じらないものだ。

 その手を選んだら、また私は死なせるかもしれない。

 けれど自分のことで精一杯の私は、死なせてしまうことよりも寂しくなってしまうことの方が嫌だ。


 だが今はまだラグ様の道を選ぶことはできない。

 まだ私はイルのことを忘れられない。

 それほど『約束』のことを思って数年生きてきたのだから。


 けれど時間の問題かもしれない。

 暖かさを与えてくれる存在のラグ様は、それほど今の私には魅力的なものなのだから。

イル視点を「終わらない約束のために」で投稿しています。

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