1.お前さんが被保険者か?
――お前さんは、何故、人を助けたいのか?
――笑顔を見たいからだよ。
魔王の問いにそう答えた勇者は、流行り病であっさりと息を引き取る。
孤独な魔王の友人は勇者だけだった。故に彼は勇者を呼び戻す手段を探す。探した。
結果、その手段はあることが分かる。
勇者を復活させるには、とある儀式が必要だった。
しかし、誰であってもこの儀式をこなすことはできない。
いや、亡き勇者のみが儀式を成功させることができる。
何故なら、この儀式には膨大な魔力が必要だったのだ。
ならば、魔王であれば――。
魔王は慟哭する。自分ではこの儀式を成功させることは叶わない……と。
彼には徳が足りなかった。
徳とは何か。勇者にあり魔王に足りない物……それが徳。
魔王は考える。
長い長い思考の果て、彼はようやく徳とは何かの答えを導き出した。
徳とは――善行であると。
要は人へ笑顔をもたらせばいいのだ。しかし、魔王はこれまで人を笑顔にさせたことなど一度たりともない。
自分にあるのは、勇者と並ぶほどの圧倒的な強さ。それだけである。
勇者と違い、不器用で孤独にしか生きられなかった自分が、一体どうすれば……。
人間たちの酒場で酒を飲んでいた魔王は、商人たちの会話を耳にする。
「いやあ、荷物が全部崖に飲み込まれてしまってね」
「そうでしたか。それは災難でしたな。保険には加入されてなかったのですか?」
「保険は失わなかった場合はお金の損になるじゃないですか、なかなか踏み切れませんよ」
「そうですなあ」
保険か。面白い制度を考え付くものだ。
損失に対する補償……。
なるほど……。魔王はニヤリと笑みを浮かべる。
自分の力を生かし、人を救う。そして徳を貯める。
通常の保険は損失した結果に対する補償らしいが……誰もができることをやっても仕方がないだろう? それに失ってしまっては金が戻って来たとしても、徳が溜まるとは思えん。
魔王が欲しいのは金銭ではない。
それに……自分を魔王たらしめる、人には想像できぬほどの力を持っているのだから。
なら、こういうのはどうだ?
損失に対して支払う通常の保険と異なり、未だ存命の人物を「確定した損失」から救う。
自分にしかできまい。浮遊魔法を初め様々な魔法を使いこなし、超高速で対象の人物の元に移動。障害を排除し救い出す。
そうだな。
名付けて「人命救助保険」とでもしようか。
仕事とあれば、人となれ合うことが苦手な魔王でも動くことができる。言葉もいらない。ただ、救うだけだ。
魔王は愉快そうにクツクツと笑い、酒場を後にするのだった。
この時より二年の月日が経つ――。
◆◆◆
地平線の向こうまで砂だけが広がる砂漠に馬と馬車で進む一団がゆっくりと歩を進めている。
きめ細かな砂だけの地面を踏みしめながら、彼らは何かへおびえるように顔が強張り緊張感がありありと見て取れた。
慎重に、慎重に行かねばならない。
彼らがここまで神経質になるのには理由がある。
まるで海原のように見える砂漠に、伝説の土龍が出たというのだ。かの魔物は砂嵐を巻き起こし、流砂によって何もかもを飲み込むという。
もし本当に土龍ならば、危険度は災害級……SSクラスの冒険者たちを揃えても撃退できるかどうか……。
隊のリーダーである髭もじゃの馬上に座す男は、土龍の伝承を思い出し体をぶるりと震わせる。灼熱の砂漠の中だというのに、彼の背筋には冷たい汗が流れ出た。
不安を振り払うように首を振り、彼は縋るように懐へ手を伸ばし羊皮紙をギュッと握りしめる。
怪しい男から買ったこの羊皮紙……確かあの男は「保険の契約書兼ハザード」と言っていた。少々値が張ったが、もし本当に助けに来てくれるのなら安い買い物だろう。
男はそう思いため息をついた。
砂はどうだ? 彼は眉をひそめ横を進む馬車を見やる。
とその時、彼の後頭部に乾いた風が撫でつけたのだ。背筋に悪寒を感じ振り返った彼の目に驚愕の光景が飛び込んできた。
――後ろの地面がすり鉢のごとく沈み込んでいるではないか。
「は、走れ!」
男は馬車へ向けて叫ぶ。
しかし、沈み込む砂……流砂の動きは彼らより早く馬車はたちまちのうちに半ばまで飲み込まれ、男の乗る馬もまた同じ運命をたどる。
そ、そうだ。これを使えば……。男は藁にもすがる思いで懐の羊皮紙を天に掲げた。
すると、羊皮紙は一人でに浮き上がったではないか。
「ハザードを検知した。お前さんが被保険者か?」
ほ、本当にやって来た! 男は喜色を浮かべ左右を見渡すが、どこにも人の姿は見当たらない。
「上だ」
ハッとした男が見上げると、三十代半ばほどの長髪の男が何ら支えもなしに浮かんでいた。
男は白銀のまっすぐな髪に氷のような鋭い瞳をしている。口元には八重歯が覗き、尊大に態度で胸を逸らし腕を組んでいた。
異様だ……男を一目みた彼はそう思った。
何故なら服装がおよそ砂漠には相応しくない。真っ黒なシャツにレザーパンツ、茶色のブーツまではいい。しかし、男は真っ白な足首まで届く白衣を身に着けていたのだ。
しかも、この男……。
「う、浮いている……」
浮遊の魔術などこれまで見たことがない商人の男は、自身が流砂に飲み込まれつつあることも忘れ思わず呟いた。
「で、どうなんだ? 誰が使ったんだ? ハザードを」
白衣の男は腕を組んだまま顎をあげ尋ねる。
「わ、私だ」
「ふむ。保険の契約に従い、お前さんを救助しよう。そのままじっとしておいてくれ」
組んだ腕を開き、手のひらを商人の方へ向ける白衣の男。次の瞬間、彼の手のひらから緑の蔦が伸び商人の男に絡みついた。
「う、うおおお」
蔦に吊り上げられ叫び声をあげる商人の男。
「お前さんの保険契約は、最後に居た街へ送り届けるだったな。じゃあ行こうか」
鷹揚に頷き、体の向きを変える白衣の男へ商人の男は慌てて声をかける。
「ま、待ってください。仲間を救っていただけませんか?」
「それには保険契約に特約をつける必要があるな。いいか、お前さんの保険契約は――」
つらつらと説明を始める白衣の男だったが、商人は気が気でない。何故なら、仲間たちはもう首元まで流砂に飲み込まれているのだから。
「な、何でもいいです! はやく、お願いします!」
「きちんと保険料金は支払ってもらうからな」
「もちろんです! は、はやく!」
やれやれと肩を竦めた白衣の男は、気だるそうに両手を伸ばす。
すると彼の手から多数の蔦が伸び、商隊のメンバー残り四人を宙へ吊り上げたのだった。
「助かった! 助かったぞおお!」
「あ、ありがとうございます!」
異口同音に感謝の言葉を述べる商隊の男たちへ、白衣の男は少しだけ口元をほころばせる。
「ふむ。このままでは被保険者たちがここを通るたびに救助を行わねばならなくなるか……。俺の手は一つ……ついでだ」
白衣の男はブツブツと呟くと、流砂から遠く離れた場所へ商隊のメンバーを降ろす。
商人の男が何を言っているのか訪ねようと口を開くが、白衣の男はそれを手で制し、
「少しここで待っていてくれ」
と告げる。
対する商人の男が彼へ問い返す。
「一体何を?」
「簡単なことだ。被保険者の安全を……守る。それだけだ」
ふわりと宙に浮きあがった白衣の男は、再び流砂の真上まで移動する。
◆◆◆
流れ落ちる砂はますます勢いをましていた。しかし、白衣の男は尊大に胸を逸らすと両手を広げ手のひらから先ほどと同じ蔦を大量に伸ばす。
蔦は砂の中へと入っていき、何かを探るように右へ左へとせわしなく動いた。
「ふむ。ここか」
白衣の男の言葉と共に蔦の動きが止まる。そのまま彼が腕を引くと、蔦がピンと張り何かが蔦を引っ張っているのが見て取れた。
男と中にいる何かとの引っ張り合いになる蔦……。
「ふう……」
彼は息を吐き肩を竦めた後、腰だめに構え一息に腕を振りぬく。
すると――
――巨大な何かが空へと舞い上がる!
「ほう、思ったより巨体だな」
涼しい顔で呑気な声をあげる男の言葉とは裏腹に、出て来た巨体は全長二十メートルを超えるとんでもないモンスターだったのだ。
巨体を持つモンスターは硬い砂色の甲殻に、円筒形をした細長い体には小さな幾本もの歩脚が付属していた。それは怒りのためか大きく口を開きビリビリと地面が震えるほどの咆哮をあげているではないか。
このモンスター……一言でいうと、巨大な芋虫だった。
「土龍か……」
この巨体を見ても尚、男の態度は変わることはなく、彼はつまらなそうに呟くだけだった。
芋虫――土龍は体をくねらせようと身をよじるが、白衣の男が放った蔦に絡み取られ身動きが取れないでいる。彼は足を天に向けさせた状態になるよう土龍を転がすと、くだらない物を見るような目で一瞥する。
しかし、土龍は口から亜麻色の糸を吐きみるみるうちに糸が自身を覆い始めた。
対する男は土龍の動きには構わず、両手を前に構えブツブツと呪文を唱え始める。
「出でよ。我が剣!」
彼の呼びかけに応じ一切光を反射しない漆黒の大剣が姿を現し、彼の手にすっぽりと収まった。
一方の土龍は自ら吐いた糸を自在に操り浮き上がる。その勢いをもって器用に一回転すると地に脚をつけた体勢へと戻った。
キイイイインン――。
耳をつんざく高い音が響き渡り。土龍が咆哮をあげる。
すると、亜麻色の糸が弾け飛び、土龍がいくら動いてもビクともしなかった男の出した蔦が千切れ飛ぶ。
「ほう」
男が感嘆した声をあげる。
その間にも自由に動けるようになった土龍の口から亜麻色の糸が吐き出され、糸が男へ向けて襲い掛かってきた。
それに対し彼は剣の様子を確かめるかのように左右に剣を振り、上段に構える。
次の瞬間、剣へ黒い光が集まり出し稲妻のようにビリビリと鳴動を始めたのだった。
彼は腰を落とし、腕に力を込めると足先から全身の力を伝えるように流れるような動作で剣を振りぬく。
剣の動きに合わせ、黒い光が糸を切り裂きながら土龍へ向けて駆ける。
そして――落雷のような音を立て砂煙が舞い上がった。
煙が晴れると、土龍は中央から縦に真っ二つへ分かれて絶命していたのだ。
あれほどの巨体をただの一撃で仕留めた男は、眉一つ動かさず首を左右に振る。
「駆除完了……。被保険者を送り届けるとするか」
白衣の男は独白し、先ほど捨て置いた商隊の元へと戻るのだった。