第17話 魔女と黒猫、意味深な会話をする
「いやはや、それにしても……将来有望な子だね。マリベル」
マリベルしかいない学園長室で……
少年のような声が響いた。
「そうね……きっと将来はアニエルやアレクシオス、そして……アレクサンダーをも超える騎士になるでしょうね」
マリベルはその声に答えた。
その声の持ち主―黒猫―はマリベルの机の上に乗り、大きく伸びをした。
「しかし……サリエルちゃんと会話しちゃいけないなんて、酷いじゃないか。僕だって美少女とお話しがしたいよ」
「じゃあ入学式の時、逃げなきゃ良かったじゃない」
「いや……昔のトラウマがさ……」
黒猫は数十年間、アニエルに抱きしめられたことを思い出しながら言った。
力の加減ができていないアニエルが黒猫を思いっきり抱きしめたのだ。
「あの時は死を覚悟したよ……」
「死ねば良かったのに」
「おやおや……僕と君は命を共有しているんだけど、忘れたかい? 君に自殺願望があるとは知らなかったよ」
「……ふん、相変わらず腹が立つわ」
「最初に罵倒してきたのは君だと思うけどね」
やれやれ……
とでも言いたげに黒猫は体を震わせた。
これが人間ならば肩を竦める動作が加わっただろう。
「しかし……もし彼女が魔女になったら、まさに最強の騎士になるだろうね。例えばそう……あの子のように……」
「ふざけないで!!」
マリベルは怒気を含んだ声で黒猫を怒鳴りつけた。
「例えの話、仮の話じゃないか……何もそんなに怒らなくても……」
「仮の話でも……許せないわ。あなた、自分が何を言っているか分かってる? サリエルが魔女になるということは……私やシオンのようになるということよ?」
「ああ、そうだよ。今持ってる力を使いこなした上で、さらに霊力まで身につければ……まさに最強の存在に……」
「あんたは……本当にクソ猫ね」
「その言葉はそっくり君にお返しするよ」
ニャー
と黒猫は一鳴きしてからマリベルに向き合った。
「まあ、確かに僕は『死神』の眷属さ。死んだ者を魔女に転生させる神の手下だよ。だけどね? ここのところはしっかり分かって貰いたいんだけど……僕は『死神』じゃない。そもそも人を魔女にする能力は無いさ。僕は君を監視し、『死神』にその動向を伝え、君に霊力を供給し……そしてもし君が『死神』に牙を剥けようとした時にそれを止める。それだけの役割しか与えられていない」
淡々と黒猫はマリベルに言い聞かせるように言う。
「そもそも『死神』にしたって、別に悪いことは一切してないさ。あの神は……死んだ者を魔女や魔人に転生させているだけで、人を殺してるわけじゃないからね。ハッキリ言うと、君やシオンの身に起こったありとあらゆる不幸は、君たち二人の行いと純粋な不運の結果、そして生まれ持った性質によるものさ。むしろ人生をやり直させて貰っている分、『死神』には感謝するべきなんじゃないかい?」
「……ふん」
マリベルは拗ねるように顔を背けた。
その仕草は外見上の年齢相応に見えた。
「あと、再三言ってるが僕と君は命を共有しているんだ。僕は君の深層心理の代弁者。君は僕のことがクソと称したが、それは裏返せば自分自身の人格をクソと言っているのと同じだよ。その辺は自覚してもらいたいね」
「ふざけないで……私はサリエルが魔女になったら、なんて考えない」
お前と自分は違う。
マリベルははっきりとそう言い切って、黒猫を拒絶する。
すると黒猫は目を細めて……
「嘘をつくなよ。確かに君はサリエルの幸福を望んでる。でも同時に自分と同じように魔女に堕ちて欲しいとも思ってるんだろ? 仲間を増やしたいと思うのは魔女の本能だし、人の幸せに嫉妬するのは人間として仕方がない。だが己の心を偽るのは良くないね」
「偽りじゃないわ!! ふざけないで!!!!」
マリベルは黒猫をその両手で掴み……
喉を締め上げる。
「訂正しなさい……殺すわよ」
「殺せるならどうぞ、殺すと良い。でもね、君はまだ死にたくないんじゃないか? まだ人生の悔いが残ってるだろ。というか、君はせっかく生まれ直したのに全く人生を取り返せてないじゃないか!! 六百年も生きているのに死んだ十四歳の時と同じ……いや、捕まったあの時、十二歳の時から何一つ、君の中では時間が流れていない!!」
「はあ? 余計なお世話ね。私は今、こうして学園長をやってたくさんの子供たちを育てて……」
そんなマリベルに対して……
黒猫は冷たい目で見つめながら言う。
「その青春を指咥えてみているんだろ?」
「一体何を……」
「そうやって気が付かない振りをする辺り、君は本当に進歩がない。救いようがないね。良いかい? どんなに君が生徒たちを育てて世に送り出そうとも、彼らは結局他人だ。君じゃない。友情を育み、恋をして、夢を追い、努力し……青春の果てに子供を産み、老いて、満足気に死んでいくのは……君の生徒であって、君じゃない。いい加減さ、そうやって他人の幸福を盗み見てさぞ自分が幸せになったような気分になるのは止めたらどうだい? 何というかさ、片思いの相手が恋敵とセックスしているのを見ながらオナニーしているみたいで、見ててこっちが憐れになってくるよ」
マリベルの瞳が揺れ動く。
一瞬、力が緩んだ隙をついて黒猫をマリベルの手から抜け出した。
「『死神』の意図は分からないさ。でもさ、せっかく人生をやり直す機会を与えられたんだ。君は全力で自分自身の幸せを追求するべきだね。君は今のところ、復讐しかしていない。アニエル君の言う通り、復讐は何も生まないというのは実に真実だよ。こういうと綺麗ごとだとか、何とかいう奴はいるけどね、それこそ綺麗ごとさ。だって、そうだろ? 復讐をすることで前に進むことができるようになる奴よりも……復讐のために手に入るはずだった幸せを取りこぼしたり、復讐を終えた段階で時計の針が止まってる奴ばかりなんだからさ。君のご両親が復讐を望んでいないとは言わないけど、それ以上に君の幸せを願っていると僕は思うけどね」
実に嘆かわしい!!
とでも言うように、黒猫は言う。
そして……
「ああ、そうか……結局他人事だからか?」
「な、何を……」
黒猫はマリベルの心を見透かすように言った。
「結局、他人事だからだろ? サリエルちゃんが魔女になって欲しいと心の底で思っているのわさ。はあ……実に醜い感情だよ。やはり魔女や魔人になる人間はその境遇以上に、そもそも根っこの魂の方が腐っているから何だろうね……」
「いい加減にしなさい!! まるで知ったような口を……あなたに私の何が……」
「六百年の付き合い、とでも言えば良いかい?」
黒猫の言葉に……
マリベルは押し黙った。
「このままだと同じことを繰り返すんじゃないかい? 君の大切な教え子、そして戦友であり……先々代の聖女であるジャ……」
「言われなくても分かっているわよ!!! 同じことは……サリエルをあの子と同じような目には合せない!! 絶対……絶対よ!!!!」
「……なら良いけどね」
黒猫は溜息を吐いた。
「安心しろ、というべきか残念ながらというべきか分からないけど……サリエルちゃんは魔女には絶対にならないよ。あの子は両親の血を色濃く継いでいる。きっとサリエルちゃんは勇者アレクシオスが殺されても……怒りはしても憎悪は抱かないだろうさ。彼女は良い子だ。君のように醜い人間じゃない。少なくとも……復讐を終えた段階で何をすれば良いのか分からなくなって、六百年を空虚に過ごすような人間じゃないね」
黒猫は立ち上がり……
マリベルに尻尾を向けた。
「まあ、良いさ。ちょっと長い話になっちゃったけど、僕が最終的に言いたいのは……君は早く過去を乗り越えて、幸せになるべきだということさ。シオンを見習うと良い。昔の彼女は嫉妬に狂い、自分よりも幸せな人間を憎み、殺し続けたが……今は丸くなっている。サリエルちゃんのような幸せ一杯の人間に嫉妬を覚えつつも……何だかんだで彼女を、人を愛することができるようになっている。黒蛇の奴とも関係が良好なようだしね。あーあ、羨ましいよ。僕もシオンのように前向きな人間の使い魔になりたかった」
「……私もあんたみたいな嫌味な使い魔じゃなくて、紳士で優しい使い魔が良かったわ」
マリベルは黒猫に吐き捨てるように言った。
すると黒猫は鼻で笑い……
「ふん……こればかりは仕方がないさ。僕は君で、君は僕なのだから。……さて、僕は生徒たちに餌をねだってくるよ。じゃあね」
「もう二度と来なくて良いわよ」
「お言葉に甘えて、と言いたいところだけど……そういうわけにもいかないよ」
黒猫はそう言って自力でドアを開けて……
学園長室から去っていった。
マリベルは一人残される。
「……言われなくても、分かっているわよ。あなたは私なんだから……でも、どうすれば良いか……分からないから困っているんじゃない」
マリベルは呟いて……
首から下げた骸骨に触れる。
「復讐に成功した時から時計の針が止まっている……その通りね。……何のために復讐なんて、したんだろう? 失われた時が元に戻るわけでもないのに……あーあ、何の意味もない」
何の意味もない。
意味も無かった。
自分がやった復讐には意味がなかった。
では……
自分が殺した人間は、憎き仇は……
何のために死んだんだろうか?
自分は不幸のまま、何も変わらない。
そして……復讐という名の八つ当たりで、新たに不幸な人間を生産した。
それは……
「……何の意味もない、なら……私の行為はあいつらにも劣るじゃない……」
マリベルは机に拳を叩きつけた。
黒猫さんは普通に良い猫です