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3-1 人工知能についての講話

「せんぱーい、あっちの方みたいですよ」



 構内の案内板を見ながら、那穂が方向を指し示した。都内の私立大学の中でも、ここ城北大学のキャンパスはなかなかの広さを持っており、目的の教室を見つけるのに骨が折れる。



「学校なんて久しぶりでテンション上がりますね」


「呑気なこといってる間に、もう講義始まるぞ」


「あー、なんかそういうのも久しぶり」



 目的の講義は、その世界では権威であるという森脇という教授によるものだった。先日、無事に提出したレポートを読んだ橋ノ井がその後、「技術畑の偉い人」に話を通したところ、MKラボにぜひ紹介をしたい、ということで、今日の公開講座の後で面会をすることになったのだった。橋ノ井さんは用事があるとかで、講義の後に合流する予定だ。


 どうやら公開講座の開かれる教室は、中庭を挟んで反対側の棟にあるらしい。ふらふらと目移りしながらも先を駆けていく那穂を追うが、身体がだるい。


 あの夜の出来事は、ラボの面々にも結局報告していない。なにしろ荒唐無稽すぎて、自分でも夢を見ていたんじゃないか、という思いがぬぐえずにいたからだ。


 それでもあの後、夜を待っては再現を試みているのだが、結局一度も「幽霊」は現れなかった。おかげで寝不足だし、仕事にも身が入らない。それでも身体を引きずって、中庭を抜けた教室に入ると、すでに講義は始まっていた。


 座席が階段上になっている広い教室に人はまばらで、学生らしいのと、僕らのような一般聴講生らしいのが半々といったところだ。僕らはそそくさと、後ろの方の席に座る。とりあえず、居眠りしないようにはしないと。



「……しかるに、今日の人工知能研究ではこのような、『強いAI』を実現するには至っておりません。最先端の技術によるものでも、特定の処理内容に特化し、入力に対して結果を返す擬似的な知能、すなわち『弱いAI』であります」



 壇上でマイクを持った壮年の男が、淡々とした様子で話をしていた。頭部には白髪が混じってはいるが、身長が高く背筋も伸びており、声も張りがあってよく通る。学者というよりも政治家や実業家といった風情のその男が、どうやら森脇保憲もりわきやすのり教授らしい。



「一方で、昨今の量子コンピューターを利用した情報技術の技術革新には目覚ましいものがあり、最近では民間の企業や研究所でも、従来のアルゴリズム型AIとは一線を画するものが作られつつあります」



 講義の表題には、「世界を構成する知性の構造」とある。人工知能の話題を引き合いに出しているのであれば、僕らとしても興味深い話ではある。



「例えばこの、 サイベスト社が出資する研究所の研究」



 プロジェクターに表示したスライドのページを切り替えながら、森脇教授が言った。



「量子ビットに言葉の意味の揺らぎを格納し、入力情報の曖昧さを保ったまま、文脈によって言葉を臨機応変に処理する――この研究は注目に値するものではあります。しかし、これとてもまだ『強いAI』とは言い難い。コンピューターが自発的に行動するわけではないですからね。所詮はアルゴリズムの延長に過ぎません」


「あ、うちの話ですよ。注目に値する、って」



 那穂は能天気に喜んでいるが、批判的な物言いに僕はムッとしていた。もちろん、言われたことはその通りではあるのだが。



「……では、なにを以てして『知能』と呼ぶことができるのか。ひとつの基準は、『意識』の有無であります。こうなると、『意識とはなにか』という若干哲学的な話になってきてしまいますが……」



 森脇教授は話を続ける。少し、表情を崩したようにも見えた。



「これについては、超心理学、すなわち超能力やオカルトの分野にもヒントがあるのではないかと私は考えていたりするわけですが。胡散臭いと思われがちではありますが、古くはユングやフロイトなども、この分野に傾倒していたことが知られております」


「まぁ、もともとオカルト気味な人たちですけどね彼らは。とはいえ、量子力学の世界で重要な功績を残したパウリも、ユングと共同で研究を残したりしていますし、この時代にはその辺の境界は曖昧だったんですね」



 なんだか、思っていたのとは違う雰囲気だ。確か、量子情報物理学が専門だということだったはずだが、なかなか守備範囲が広い人のようだ。隣では、オカルトと聞いて那穂が目を輝かせていた。



「さて、ユングとパウリが議論を交わしていたのが、シンクロニシティと集合的無意識の問題でありますね。ユングは人間の意識の根本に共通の『元型』を想定しました。これは人類の心の中に、普遍的に存在する象徴的な人間像の類型であり、外的世界に対して自我がどうあるべきか? という際のいわば、テンプレートとして意識に影響を及ぼします」


「先のコンピューターの話で言いますと、外的世界に対応する自我を現在の『弱いAI』……状況毎にプログラムされたアルゴリズムにあたるとするならば、『強いAI』の実現には、この集合的無意識が必要になるのではないか」



 森脇教授はそこで息を吸い、間を取って話を続ける。



「……つまり、ただ状況に対応するのではなく、『あるべき自己の姿』を想定して行動できることこそが『知性』の条件なのではないかと。集合的無意識は民族や文化、その文明の歴史的な文脈に依存すると考えられますので、すなわち、社会、または文明を持たないコンピューターは知性を持ち得ないということになります」



 思っていたよりも面白い講義だ。眠くならずに済みそうなのは助かる――ひとつ伸びをして、何気なく教室を見回した僕は、ふと、一人の男に気がついた。


 席はたくさん空いているにも関わらず、その男は最後列の後ろの壁際に立っていた。壁にもたれ掛かっているわけでもなく、背筋を伸ばしたまま腕組みをしている。学生やその他の聴講生と明らかに雰囲気が違うのは、仕立ての良さそうなスーツを着込んでいるからだろう。



「さて、オカルトついでに、知性について興味深い説を紹介しましょう。心霊現象についての仮説として、『残留思念』という概念があるのをご存知でしょうか」



 森脇教授の講義は続いている。僕は、壁際の眼鏡の男を気にしつつ意識を講壇へ戻した。



「残留思念……すなわち、人間の思考や意識が、物質に焼きつくようにして残る、というものです。超能力の一種である『サイコメトリー』によって読み取るというのが有名ですが、その他の伝統的な心霊現象、例えば地縛霊や呪いの人形なんてものも、これによって説明できるということになる」


「知ってる! 人間の思念を最もよく伝えるのは水で、だから幽霊は水辺に現れることが多くて……」



 那穂は前のめりになって聞いている。そういえば、そもそもこの娘はなんでここについて来たんだろう?



「人間が死ぬ間際に発する、強い恨みや無念といった思念がその場所に焼きつき、そこを訪れた人はその思念を目にする……これが地縛霊の構造だというわけですが、ある心霊研究グループはこれを、『思念のプログラム』だと仮定しています」


「いわゆる怪談話の類型を見ると、地縛霊というのは自発的な意思を持っていません。訪れた人に対して、特定のパターンで働きかけるだけなんですね。だから、毎回毎回、誰にでも同じことをする。それは執念なんてものの成せる技ではなく、そういうアルゴリズムだから、ということです。これは、先ほど言及した『弱いAI』、つまり、自発的な意思を持たない人工知能に相当することになります」



 幽霊は残留思念のプログラム――僕はその言葉に興味を惹かれた。森脇は話を続けている。



「言われてみれば確かに幽霊というのは、その知性の強度に随分と個体差があるように思えますね。怪談話によっては、その幽霊に(ゆかり)のあるものを示すことで、成仏したり、生前の記憶を取り戻す、というものもあります」


「これは、先ほど説明した『元型』……この場合は『生前の自分自身』になりますが、それを与えることで、一定以上の知性強度を持った幽霊が、プログラムではない自発的な意識を獲得するのかもしれない」


「自発的な意識は、『あるべき自分』を想定することで行動を反省し、改善することができます。生きている人間であれば、如何に強い恨みであろうとそれを忘れることもできるが、実はこれも、『あるべき自分』にとって不要な部分を切り捨てるためだとも言える」



 森脇教授は、微笑を浮かべていた。自嘲的な表情だったかもしれない。



「……まぁ、残留思念というのは全く以てオカルトの領域であり、科学的な立証はほぼ不可能な与太話というのが、一般的な見解ではありましょう。さて、ここからは、量子力学で語られるところの『素粒子の自由意志』という問題について触れてみましょう……」



 講義の内容は、本格的な量子論の内容に入っていった。聞きながら、僕は再び壁際の男に目をやった。が、そこにいたはずの男はいなくなっている。あれ、と思ったその時、ふと視界が暗くなった。目の前をなにかが遮っているようだ。



「だめですよ、授業中によそ見したら」



 目線を上げると、橋ノ井さんの顔があった。相変わらずニコニコと笑いながら、僕の隣に腰を降ろす。目の高さにあった橋ノ井さんの胸がダイナミックに動き、思わず僕は仰け反った。

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