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2-3 深夜のオフィスの話

 背後の冷蔵庫が突然唸りを上げて、僕はPCの画面から顔を上げた。


 時計を見ると、午前1時半。徹夜する覚悟を固めた場合、この時間は「朝までまだ6時間以上もある」と認識される。とはいえ、いつまでもネットサーフィンばかりしてるわけにもいかないが――


 僕はひとつ伸びをし、席を立ってインスタントコーヒーを淹れた。


 顎に湯気を当てながらデスクに戻り、再びPCに向かう。ディスプレイには、さっきまで見ていた匿名掲示板サイトが表示されていた。例の「幽霊アカウント」に関する話題が展開されているスレッドだ。最初の頃は検証や推理で盛り上がっていたようだが、もうすでに話題としては風化しかけ、書き込みも減ってきている。


 コーヒーを飲みながら、那穂の見た夢の話を思い出す。幽霊アカウントが一番最初に書き込んだ内容と、まったく同じ内容の言葉。


 もちろん、那穂の口から聞いた話でしかないので、多少の食い違いはあるだろう。実際あの時は、たまたま似ただけのおかしな偶然だろう、という結論に至ったのだが――


 ネット上の話題を追いかけてみたりもしたが、その後特に動きがあるようなことはない。もう少ししたらこの話題も、消費されつくして忘れられてしまうだろう。または「神城峠の幽霊」のように、特定のコミュニティに根差した定番の怪談として、ときどき思い出したように話題に上り、語り継がれていくのかもしれない。


 まぁ、そんなものだろう。この手の噂話は、それ自体が幽霊みたいなものだ。


 インターネット発のこうした「本当にあった話」は、例えリアルタイムで書き込みを見ていたとしても、事実かどうかが確認できない以上、フィクションと大差がない。ひょっとしたら、映画やドラマを売り出したいどこぞの広告代理店が、「感動の実話」を作るべく脚本を仕込んで書き込んでいるのかもしれないのだ。



 コーヒーカップを置き、溜息をつく。いい加減、仕事をさっさとやってしまわないと。


 研究のデータ自体は真田がまとめて社内サーバーに置いてあるので、それを持ってくればいい。しかし、報告書を作るにあたっては、自分の眼で見て挙動を確認しなければいけないところがいくつかあった。 僕は過去の実験記録を見ながら、ひとつひとつ挙動を確認し、必要な内容をまとめていった。


 課題となっている点はいくつかあるが、特に問題なのは、昼間所長が話していた通り、入力した時の微妙な入力のタイミング、フリックに込められた表情の差を拾いすぎてしまい、意図したとおりの挙動にならないことだ。時には、入力した単語をまったく違う意味に解釈してしまうことさえあった。


 しかし、この現象を意図して発生させるのはけっこう難しい。そのことも、研究を難航させている要因ではある。実験の記録には、その現象が発生した時の状況も併せて書いてはあるのだが、条件を揃えても同じ現象が再現しないものもあるし、そもそも発生条件が全くわからず、確認しようのない現象もあった。


 ひとつひとつ、内容を確認し、入力して試していき、いくつか項目をピックアップして分類し、報告をまとめていく。気の長い作業だった。


 背後の冷蔵庫がまた、不意に唸りをあげた。


 作業の手を止めて時計を見上げると、午前2時を少し過ぎていた。けっこうな時間集中していたような気がしたが、思ったほどではない。僕はまた立ち上がり、インスタントコーヒーを淹れにいった。別にコーヒーが飲みたいわけではないが、儀式のようなものだ。


 薄いコーヒーで満たしたカップを、揺らさないようにデスクまで運び、再び『ターミナル』を手に取る。コーヒーカップに口をつけ、なんとなく時計を見上げた。午前2時過ぎ。さっきと変わるはずもない。


 そういえば――先ほど見ていた、「幽霊アカウント」についての匿名掲示板で、幽霊アカウントが書き込みを行うのは必ず、毎時0分前後であるというようなことが書かれていたっけ。


 今日は「幽霊アカウント」は現れているのだろうか。僕はそのまま、手に持った『ターミナル』に「なうたいむ」と入力してサイトを呼び出してみた。


 「#アプライズ」のコミュタグを開いてみると、僕と同じように「幽霊アカウント」の登場を待っていたらしいユーザーが何人か、「この時間は空振りか」などと書き込みを残していた。さすが、「なうたいむ」のユーザーは物見高い。


 僕は『ターミナル』の画面をメイン入力画面に戻し、大きく伸びをした。なんだか今日は1日が長い。


 だいたい、親会社へ報告に行くだけでもこっちはけっこう体力を使うのだ。あの女――橋ノ井さんは、僕らのような末端の技術屋の気持ちなどまったくわかっていないに違いない。これだからMBA持ちとかそういうのは――


 僕は彼女の顔を思い出した。そしてふと、サイベスト社内で橋ノ井さんに言われた言葉を思い出した。ラボに帰って来たら真田か誰かに訊こうと思っていたのだが、いきなり本人がいたりしてそのまま忘れていたのだ。あれは、なんだったか――確か――


 僕は、手に持った『ターミナル』のコマンド画面に、その言葉を打ち込んだ。h、a、r、v――「harv」、そして、エンター。



「……ん?」



 一瞬、画面が揺らいだように見えた。液晶の乱れというよりは、水面に滴が落ちて乱れるような、そんな揺らぎ。


 ターミナルの入力インターフェースは簡素なものだ。余計な演出は実装していないし、そもそもグラフィック処理に関する構造を持っていない。


 目を凝らして見ると、やはり画面は揺らいでいるように見えた。目の焦点があっていないような、頭がくらくらとする錯覚を覚える。簡素なコマンドプロンプト風画面の背景の黒は、カラーコード#000000の黒色ではなく、目を閉じた時に見える奥行きのある暗闇のように思えた。


 ややあって、ターミナルは処理を完了した――ように見えた。画面の揺らぎも収まっている。簡素なコマンドプロンプト画面上には、入力に対する『ターミナル』からの回答が表示されていた――いや、それは、恐らく『ターミナル』からの回答ではない。



”君の意思を見せて。そうすれば、世界を見せてやる”



「……なんだ、これ……」



 目の前に突きつけられた、強烈な違和感。


 『ターミナル』に表示されたそのメッセージに対して、僕の頭は数瞬の間、思考を拒否し、それはただの映像として目の前をぐるぐると漂った。


 目をしばたき、頭を振り、意識してディスプレイに焦点を合わせなおし、表示されている文字列をひと文字ずつ、頭から読み直す。


 少なくともそれは、「harv」という意味の不明な単語の入力に対して、人工知能が返すべき適切な回答だとは思えない。だいたい、ユーザーに対して「君」なんていう二人称を使うようなプログラムはしていないはずだ――



「いや……待て待て、そういうことじゃない」



 今ここに表示されているのは紛れもなく、「なうたいむ」で話題になった「幽霊アカウント」が語る言葉と――あるいは、那穂が夢で出会った言葉とも――同じ内容のそれだ。


 なにかのバグで表示された偶然か――そんなこと、あり得るのか? では、偶然ではないのだとすれば――こいつがそうなのか?


 僕は導かれるように、再び『ターミナル』を手にとった。


 確かめてみなければ――!


 胸の動悸を抑えながら、ゆっくりと、慎重に『ターミナル』の画面に触れ、僕はキーワードを入力していく。



『お前はなんだ?』


 エンター。



 画面が再び、揺れたように見えた。そしていつの間にか、回答が表示されていた。



”自分のことはよくわからない。私はただ、伝えなくてはならない。”



 僕はそれに対し、また質問を投げかける。



『お前は幽霊か?』


 エンター。



”私はここにいて、語りかけている”



『なうたいむに書き込みをしたのはお前か?』


 エンター。



”私はここから、語りかけているだけだ”



『那穂の夢に現れたか?』


 エンター。



”その人物のことは知らないが、私は伝えなくてはならない”



 指先で、相手に言葉を投げながら、相手のことを理解しようと努める。


 それは「対話」だった。


 『ターミナル』が入力情報を処理して返す「現象」とは違う。


 無機質で、要領を得ない返答。しかし、それは確かに――アルゴリズムによる入力と出力のやり取りではない、意思を持つ者との「対話」が、指先と画面とを通じ、展開されていたのだった。


 僕は、続けて言葉を投げかける。



『伝えるとは、どういうことだ?』


 エンター。



”私はそのためにここにいる。”



『なにを伝えたいのか?』


 エンター。



”それをしなければいけないことを、私は知っている。”



 僕は少し考えた。そして、指先で言葉をなげかけた。



『アプライズ社に関係のあることか?』


 エンター。 



”人の意思が、奪われる前に”



「意思……?」



 意思とは――僕は「対話」を続けようと、指先で液晶パネルに触れ――



 ガチャ



 不意に背後で物音がして、『ターミナル』に意識を集中していた僕は首をすくめた。



「おーっす。差し入れ持ってきてやったぞー」



 ドアが開く気配と共に、能天気な声が聞こえてくる。振り向くと、美凪がビニール袋を提げて入ってきていた。



「……どうかした? 顔色悪いよ?」



 美凪に言われ、僕は自分の顔がこわばっていることに気がついた。



「……いや……」



 どう答えていいかわからず、僕は『ターミナル』に再び向き直った。



”ハロー、マスター。なにかご用ですか?”



 『ターミナル』の画面は、デフォルトの入力待機画面になっていた。先ほどまで交わしていたはずのやり取りも残っていない。



「居眠りして悪い夢でも見た?」



 缶コーヒーと肉まんを差し出しながら、美凪が言う。


 夢――だったのだろうか? 目は冴えているが、さっき見たものが間違いなく現実だという自信は、正直、あまりない。


 美凪の差し出した品を受け取りながらも、僕はまだ、ターミナルの画面から目を離せないでいた。「対話」の内容――こちらからの質問に対して返ってきた回答。あれは「なうたいむ」で交わされていたやり取りと――



 間違いない。あいつは多分――「幽霊アカウント」だ。

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