1-3 部外者の怪談話
――君の意思を見せて――
「……意思、か」
先ほどの那穂の、夢の話。彼女には元々、少し不思議なところがあった。霊感、とまでは言い過ぎだろうが、直観的に本質を突くような鋭いところがある。
僕は『ターミナル』の画面を眺めた。コーヒーを淹れに席を立つ前と、何も変わらず入力待ちの表示をし続けている。当たり前だ、なにもしていないんだから。
でも僕はその様子に、なんとなく興が削がれたような気分になった。
左手にコーヒーカップを持ったまま、片手で何気なく『ターミナル』に入力をする。さっき那穂と真田が言ってた話。最近話題の、なんだったか――
『神城峠かみしろとうげの幽霊』
”このワードについて、ネットワークで情報を検索しますか?”
『ターミナル』からの問いに、Yes、と入力すると、関連する記事がいくつか表示された。その内のひとつをタップして読んでみる。
内容としては、よくある「峠の怪談」といった風情のものだ。ここから北東、三笠山にある通称「神城峠」で車を運転していると、寒気を感じ、ルームミラーを覗くと後部座席に見知らぬ女がいて――
僕はウィンドウを閉じた。この怪談は地元では有名で、僕もよく知っている話だった。それより、もうひとつ。那穂が言っていた話。あれはなんだったか――そう、あれだ。最近話題の――僕は『ターミナル』に文字を入力する。
『幽霊アカウント』
”この単語について、ネットワークで情報を検索しますか?”
『ターミナル』が気を利かせてくれる。Yes、と入力して数秒後、『ターミナル』が結果を表示した。
”マゴスエンジンのコンテクスト検索によれば、一般的な意味の他、特定の事項に関する記事が多いようです。”
マゴスエンジン――このラボの親会社・サイベスト社が運営するインターネット検索エンジンの、抽象コンテクスト検索システムは優秀だ。『ターミナル』と同様に、検索キーワードに抽象概念を紐づけ、またWebサイト内で検索ワードの登場する文脈を分析することで、よりユーザーの意図するところに近い結果を返すアルゴリズムである。
『特定の事項とは?』
僕は続けてそうフリック入力をしてみた。
”この事項に関する52件の記事、およびその他の関連情報を検出しました。”
「結構あるんだ……有名な話なんだな」
僕は思わずつぶやいた。続けてターミナルは、その記事をビューアーに展開して表示してくれる。
ディスプレイを覗き込み、そのニュースブログの記事を見る。最近はメディアにニュースが載るよりも、SNS上での話題が「まとめ記事」として、ブログやキュレーションメディアに掲載される方が早い。
記事のタイトルは――
”「幽霊だけどなにか質問ある?」――SNSに現れた幽霊アカウントの正体とは!?”
事件の舞台となっているのは、「なうたいむ」という短文投稿型の半匿名SNSのようだ。アルバイトが食材で悪ふざけをした写真を投稿し、それが広まって炎上したり、有名人が不用意な書き込みをして炎上したりといったことが、昨今はよくニュースになっている。そこに、奇妙な書き込みが現れている、というのがこの話題の概要だった。
記事の中では、「幽霊アカウント」についてのあらましが簡単に説明されている。それによれば、特定の条件下でのみ、その「幽霊アカウント」は現れるのだという。
#アプライズのコミュタグ内にのみ現れる、奇妙な書き込みが話題になり始める。拡散元は不明だが、ある時期から同時多発的に報告がされている模様。
↓
書き込み主は、ユーザーID「naquaniss」。しかし、検索をしてみると、このユーザーIDは存在しないことになっている。
↓
「naquaniss」で新規ユーザー登録をしようとすると、「このユーザーIDは使用できません」と表示されて登録が弾かれる。
↓
書き込みからユーザー情報ページを見ることは可能。しかし、プロフィールなどは全て空白のままで、過去の書き込み件数も0件となっている。登録日時は「1900年1月1日」――
「コミュタグ」というのは、ユーザー同士が特定の話題についてやり取りするための機能のことだ。例えば、ワールドカップの日本代表戦についての話題なら「#W杯日本代表」といったキーワードでユーザーが自由にコミュタグを作り、誰でも話題に参加することができる。
電子機器メーカー・アプライズ社の新商品の話題がやり取りされる「#アプライズ」のコミュタグは、「なうたいむ」内でも人気が高かった。確か最近では、アプライズ社のスマートフォン「MagicTab」シリーズの新製品情報が流出したということで盛り上がっていたはずだ。その中に現れた、ユーザー情報の存在しないアカウントによる書き込み、というのは、いかにも都市伝説になりやすそうな題材だが――
「釣りじゃないのかなぁ? 当該のアカウントはもう削除されて見れません、とかってオチで……」
「あたしもそうかと思ったんだけどね。でもそれが、案外そうでもないみたいで」
独り言のつもりが、背後から突然返ってきた言葉に、僕は驚いて椅子から飛び上がった。
「おっす。おつかれさん」
「……美凪か。あーびっくりした……」
いつの間にか僕の背後にいた古賀こが美凪みなぎが、ウェーブのかかった長い髪を揺らし、笑った。
「あははは! いやー、仕事サボってるみたいだったからさー」
「『ターミナル』の検証中だよ。誰がサボってるか」
「その割には、じっくり読んでるみたいだったけど?」
「……部外者がなんのご用ですか。所長ならいないよ」
「知ってる、昨日朝まで飲んでたから。俊としさんも若くないから、二日酔いもきついんじゃないかな」
彼女――美凪とは、学生時代からの古い友人である。MKラボとはなんの関係もないのだが、たびたび遊びに来ては入り浸っているのだ。
部外者の彼女が勝手にラボに出入りできている状況はコンプライアンス的にどうかと思うのだが、なにしろ所長の俊さん――岩井いわい俊蔵としぞうと飲み仲間な上、親会社のお偉いさんにもやたらと顔が効く。そのため、このラボにはほとんど出入り自由な状態なのである。
「あれー? 美凪さんこんちはー」
「おーう、那穂ちゃんおっす」
「美凪さん、コーヒーでいいですか?」
「あ、真田くん今日は砂糖も入れてー」
しかもやたらと溶け込んでいるという――那穂はともかく、あの真田まで美凪には愛想がいいってのは、一体どうしたものだろう。
「コーヒー飲んだら帰れよ」
「あら、そんなこと言っていいの? 相談に乗ってやろうと思って来たのに」
「相談ってなんの」
「来週、月例の進捗報告でしょ? 大丈夫かなってね」
僕は思わず憮然とした。
親会社であるサイベスト・ホールディングスでの会議出席や報告は僕の仕事だった。岩井所長に言わせれば、「こういう雑務のためにお前を雇った」ということなのだが、この手のコミュニケーションは正直、あまり得意じゃない。
「……部外者に面倒みてもらわなくても大丈夫だよ」
そうでなくても、このコミュニケーションの達人には、学生のころから内心、引け目を感じてもいるのだ。
とはいえ、なにかと立場の弱い小規模なラボにとって、美凪がいろいろとありがたい存在なのは確かだった。顔が広いだけでなく、情報も早く根回しも上手く、世の中の情勢にも詳しい。とかくラボの面子に欠けている社会性というものが、美凪には最高レベルで備わっているのだ。
「そっかー。まぁ、芳しくない進捗をどう報告するかは、君の自由だけどねー」
「く……」
それを言われると弱い。美凪はにやにやしながら、隣のデスクの椅子に座っている。まったく、憎たらしいことこの上なかったが、僕は観念して、美凪に向き直った。
「あのさ……新しい監査の人って、なんか話聞いてる?」
うちのラボを担当する監査役に新しく入った女性が就任した、という通知が、少し前にあったのだ。当然、実際に会うのは今度の月例会が初めて。前の担当だった山本部長は財務出身で、MKラボの研究などわかるはずもなく、報告はほとんどスルー状態だったから良かったのだが――
「橋ノ井さん、だったっけ? アメリカでMBA取って帰国したとかいう……」
そう、新しい担当者は確かそんな名前で、大変な才媛だという話だ。当然、今までのようにはいかないだろう。
別に経理的にやましいところがあるわけではないが、芳しくない進捗に難癖をつけられたら反論のしようがない立場ではある。いつ解散を命じられてもおかしくないプロジェクトだという自覚もあった。せめて会う前に、情報を仕入れておきたいのは人情というものだろう。
「あの人か……」
「……なに? なんか知ってるの?」
美凪が珍しく、忌々しげな声を出したのに、僕は少し驚いた。まさか――その橋ノ井という監査役に、なにか問題が――?
「あたしも会ったことはないんだ。ただ、こないだ打ち合わせに行ったとき、営業部の男の子から聞いた話がね……」
僕は息を呑んだ。MBA持ちの上役が鳴り物入りで就任し、既存のスタッフとの間に軋轢を生むケースは少なくない。
美凪は少し間を置いていたが、やがて口を開き、言葉を継いだ。
「あの人……すごい巨乳らしいの……」
「……」
僕は美凪の顔から少し視線を下に落とし――すぐに元に戻した。なるほど、軋轢が生まれてるのはここだったか。
空気を読まない真田がそこへ、コーヒーを持ってくる。
「どうぞ、美凪さん」
「真田くん、やっぱり上司は巨乳の方がうれしい? 男の子はみんなそうよね? そうなのよね!? よよよ……」
「上司、という括りなら、仕事の進捗をちゃんと管理してくれる人がいいです」
そこはまじめに答えなくてもいいぞ真田。
「なによー、女心がわかってないわねー」
「人の心は観測しようがありませんからね」
「これだから君は! いい? 胸の大きさは客観的な観測が可能でしょ? 性格とか、または主観に依存する顔の造形の美しさよりも確実に、女性にとっての一部の価値を数値化してしまうのよ!」
「なるほど、一理ありますね」
「でしょー? だから、胸のない女はどんなにがんばっても『胸の大きさ』という価値において、胸の大きい女に永遠に勝てないのよ……この残酷な現実に、今までどれだけの女が泣いてきたことか……例の幽霊アカウントだって、そのことを恨んで迷い出ているのかもしれないわ……」
化けて出ている理由を胸の恨みだと思われたら、幽霊も化け甲斐がないだろう。
「あ、そうそう。『幽霊アカウント』よ。さっき見てたでしょ?」
ウソ泣きから立ち直った美凪が、こちらに話を振ってくる。
「さっきちょっと話題になったから」
「あ、美凪さん知ってます!? アツいですよね!」
那穂が目を輝かせて話に入ってくる。
「あれねー、中々いいよね。アツいよね」
そう言いながら、美凪は僕のデスクのPCで勝手に検索を始めた。