6-3 ひとりの話
そして、森脇先生は研究所を去った。
先生が去ったあと、私がその研究室のリーダーになったわけではない。新しい所長はサイベストからやってきた。どこかの大学で教授をやっていた男だと言うが、控えめに言って無能な男だった。
それでも、研究室は活発に活動を行っていった。エンジニアたちは優秀で、次々とサイベストの新しいサービスを生みだしていった。
私はその片隅で、自分の研究を続けていた。
いい身分だと思うだろうか? 私もそう思おうとした。だけど、日に日に自分の心が腐っていくのが、自分でもよくわかった。
自分も研究所を辞めよう――どこかの大学に講師の口はあるだろうか。それとも、他の研究所がいいだろうか。
先生に連絡を取ったら、また一緒に研究が出来るだろうか――しかし、私からの連絡に先生は返信をくれなかった。
その後、そんな環境でありながらも、私の研究が一定の成果を結んだ。
AIに「元型」を与えることで、情報の取捨選択を行わせる、つまりAIに疑似的な「性格」を付与する。
ある人間の行動をその「元型」としてエミュレートすることによって、AIが「好き嫌い」を判断するようになったのだ。
これが成功したのは、私の恩師・岩井先生もその基礎理論に関わった、量子ビットの中に「ゆらぎ」を格納して人間の感情の動きを記録する技術――そう、あなたがたが『ターミナル』と呼ぶあれにも使われている――を採用したことが大きい。
エミュレートする感情は大雑把なものだったが、それでも、研究所はその成果に湧いた。その中で私は、「ああ、これでやっと辞められる」と、そんなことを考えていた。
でも結局、それは叶わなかったんだ。福原がまた、研究所を訪れたから。
「私が……主任研究員ですか?」
目の前に提示された書類には、破格の報酬が記されている。以前会った時とはまるで違う態度の福原が、下から見上げるような目線を送ってきた。
「北田さん……いや、北田先生の研究に、弊社は大変注目しておりまして、ええ、今回のプロジェクトにですね、ぜひ主任として参加していただきたく……」
ああ、そうなのか、と思った。そうして、あのプロジェクトに私は参加した。自分がAIになったように、ただ機械的に、日々が過ぎていった。
* * *
プロジェクトは、ネットワーク上で活動が可能な仮想人格AIの開発だった。
これまでのAIと違う点は、人間からの入力に対して受け答えを行うだけでなく、SNS等で人間に話しかけたりもする、という点だ。ブログのコメント欄に書きこみを行うこともできる。
その基本構造として、私の開発した「人間の好みをエミュレートするAI」が使われた。エミュレートするのは、研究中にサンプルとして使っていたもの――つまり、私の性格だ。
私は、完成したプロトタイプ――私の性格をエミュレートしたそのAIを、こう名付けた――『harv』と。そしてそれはいつしか、プロジェクトの代名詞のようになっていった。
『マゴス』が大衆の子であり神であることを望まれたのに対し、『harv』は私個人の子であり、人間であることを望まれたものだ。「作品」を作り業績を後世に残そうとするのは、人間の生殖本能だと先生は言ったけど、一人で自分の分身を残したところで、なにも楽しくはない。
虚しい気持ちを抱えて送る毎日とは裏腹に、プロジェクトは順調だった。
たまに、福原から指示が降りてきた。
「『harv』の性格を自由に調整するプログラムを作ってくれ」
「『harv』以外の人格サンプルを作りたい。サンプリングを気軽にできるシステムは出来ないか」
「うちのエンジニアに人格のサンプリングの仕方を仕込んでくれ」
どれも無理だと断った。私の性格傾向をエミュレートするのだって、試行錯誤を経てかなりの手間と時間がかかっているのだ。解明できていない部分も多い。いずれは出来るようにするつもりだとは言ったものの、そう簡単にできるものではない。
福原は、何度もそんな指示を持ってきた。そして私が断るたびに不機嫌になり、次第に焦り始めた。
――様子がおかしい。そう思い始めた。
プロジェクトには、妙な噂がつきまとい始めた。
資金の出所がわからない、上層部から直接指示が降っていて、役員でさえ触れることができない、といったものだ。
それがどうやら、社外からなにかの力が働いているのではないか、ということだった。同僚たちと親しいわけではなかった私の耳にさえ、そんな噂が入って来ていたのだから、よっぽどだったのだろう。
そしてそれは、私の感じた違和感へと、結びつかずにはいられなかった。
そもそも、このプロジェクトの目的は一体、なんなのか。
企業がAI研究に投資するのは、将来性を見越してのことだろう。さすがに大企業だと思う。だが――それにしては焦り過ぎてはいないか。研究の成果をなにかに活かそう、という態度ではなく、なんらかの明確な作為を感じずにはいられない。しかもそれに、外部からの力も加わっているとなれば尚更だ。
確かに『harv』はその時すでに、ネット上であればAIと見破られることがないほどの完成度に達していた。しかし、だからと言って、これがなんの役に立つのだろうか。あれほど実用性にこだわっていたのに。
「そんなことを気にする必要はありませんよ」
私の疑問に、福原はそう答えた。
「しかし、目的がわからなければ……」
福原はめんどくさそうな顔をしたが、私は反論を続けた。
「明確な目的を持った『道具』を作るためには、完成形をイメージする必要があります。このプロジェクトは既にそういう段階です。意図しない挙動をするものが出来ても困るわけでしょう?」
その時私はもう、「興味があるから」という理由で研究を進めることができなくなっていたんだろう。
福原は困った顔をしながら、ひと言だけ口を開いた。
「この国の未来のため、ですよ、北田先生」
その言葉に、私ははっきりと嫌悪感を抱いた。目の前の脂ぎった男に、レイプされたような気分だった。




