6-2 支援の話
「研究の支援にあたって、条件がございます」
サイベスト社の、その福原という男は言った。
私と先生は身構えていた。なにを条件として出されるか――タダより高いものはない、ってよく言うじゃないか。
「ひとつは、あなた方の研究成果を弊社が一定期間、独占的に利用することをご承諾ください」
私と先生は顔を見合わせた。先生は頷き、福原に向かって言った。
「当然の権利だと思います」
「詳細な条件はまた、書面を交わしたいと思いますが」
福原は口元を歪ませて頷いた。笑ったつもりなのだろうが、私にはそれが、ひどく不快なものに見えた。
「もうひとつの条件ですが、これは条件というか、提案ですな」
「どのようなことでしょう?」
福原は口元を歪ませたまま、言葉を継いだ。
「弊社の研究員とエンジニアを、こちらの研究に参加させていただきたい」
私は先生の顔を見た。あれほど、研究への参加者を厳しく選考していた先生はしかし、無表情に頷いた。
「……わかりました。この話、受けさせていただきます」
先生がその時、どんな気持ちでそう言ったのか、私にはわからない。
広かった研究所に人が増え、手狭にはなったが、賑やかになった。
サイベストから参加した人たちは優秀で、人当たりもよく、仕事はやりやすかった。先生も時には笑顔を見せながら、さらに研究に打ち込んでいるように見えた。問題はなかったと思う。
サイベスト社はうわさ通りの太っ腹で、予算に苦労することはなくなった。以前に比べれば天国のような環境だ。人手も増えて、研究は見違えるように進展をし始めた。
『マゴス』はネット上での人間の行動をシミュレートし、与えられた問いに対して理想的に振る舞うだけでなく、ネットを辿って自発的に情報や流行、最近の潮流を学習し、それを自ら分類して知識と行動規範を増やしていくようになっていった。
しかし、その行動規範の根本は、元々私たちが情報として与えたものだし、度々調整することが必要でもある。AI自身の自発的な意思という困難な問題は依然として、大きな壁だった。
でもそれは、とても刺激的な壁だ。
「君の意思を見せて……そうすれば、世界を見せてやる……」
私と先生は研究に没頭した。
そして、森脇先生は『マゴス』のプロトタイプと共に、「神たる大衆の子」の論文を発表した。
意識の問題は解決しないまでも、その内容は画期的で、学会でも話題の的となった。ただ、抒情的に過ぎるそのタイトルと内容で、話題ばかりが先行しているきらいもあった。それでも、その成果は充分に未来を感じさせるものだったし、研究所も盛り上がっていた。
ある日のこと、サイベスト社の福原が研究室にやってきた。
片隅の簡素な応接スペースで、私と先生が福原に応対した。
「検索エンジン、ですか……」
福原からの話を聞き、先生は眉間に皺を寄せていた。
「『マゴス』によるコンテクスト判断とコンテンツ評価、そして『ユーザー目線』のシミュレートは、ネットの世界を一変させます。人々はより良い情報を得やすくなり、ついでにSEOと称してコピペサイトを量産するような俗悪な企業を一掃するんですよ。ネットは、いや、文明は確実に、一段階上に進むことができる。社会的な貢献度も高い、大変実用的な開発になります」
にやにやとしながら捲し立てる福原と先生とを、私は交互に見ていた。
「しかし、それではこちらの研究の進捗が……」
「それについては、もちろん考慮いたしますので。こちらを優先していただければ、契約の期間や予算についても、もちろん調整します」
「ですが、この研究所の目的は……」
福原の顔が、にやついたまま歪んだ。
「ここの予算を出しているのは、まぁうちなわけでしてね。研究に実用性がないとなれば、考え直さなくてはならないかもしれない」
「……」
福原の歪んだ口元が、元に戻った。
「いいじゃないですか! ね、こう、片手間にちょちょっと、やってくれれば、ね」
先生は黙っていた。私も黙っていた。
それから、研究は一時中断し、サイベストから入った研究員とエンジニアは人工知能検索エンジンの方へかかりっきりになった。
「これはこれで、やり甲斐もある」
先生はそんな風に言っていたが、その横顔はどこか寂し気だった。
私はその傍らで、細々と例の自発的意識の研究を続けていたが、度々飛んでくる研究員からの質問などに追われ、あまり捗らなかった。
ほどなくして、人工知能が「良し悪し」を自発的に学習し、サイト評価を行うインターネット検索システム『マゴスエンジン』は完成しようとしていた。
そのころ、再び福原がやってきた。
今度は私は参加しなかった。先生と福原とで、なにごとか話していたようだった。
その頃から、先生はほとんど研究に関わらなくなっていった。
* * *
『マゴスエンジン』のβテストが始まった日、私は先生と食事に出かけた。
「やはり、自発的な意識は、肉体に依存するものだと思うかね?」
赤ワインを傾けながら、先生が言った。
「生物の本能は、肉体の維持と子孫を残すためにあります。概念を統計的に理解は出来ても、言わば『生きる意思』というものだけを人工的に創り出すのは難しいのかもしれません」
先生とこうして論を交わすのは久しぶりだった。
「AIは情報からルールを学習し、また新たなルールを創り出しさえしますが、ルールから逸脱することはできません」
「そういうプログラムを与えればいいさ」
「……茶化さないでください」
「ルールを効率化したり、指示通りに逸脱するのでなく、ルールを『超越』するという行為を、人はクリエイティブだと評する。それは本能の産物だ」
先生はグラスを置き、目の前の料理にナイフを入れた。
「生物は自分の子孫を残そうとする。しかし、ある程度知能が発達し、世界を広く理解するようになった生物は、自分の遺伝子に拘らず、同種の別個体が反映するために自分の命を使うことがある。人間が自分の『作品』や『業績』を世に残そうとするのは、本質的には性欲と変わらないのだ。例え無駄に見えてもな」
ソースをたっぷりとつけた肉片を眺めながら言うその姿は、自分自身に言い聞かせているかのようでもあった。
「だったら、例えば……」
私は皿の上の肉料理を見ながら、言った。
「AIに『死』を与えれば、意思を持つことができるのでしょうか」
「AIにも死や外敵が存在しないわけではない」
先生はつけあわせの海藻サラダをフォークで掬った。
「私たちがデリートキーを押せば、それでチョン、だ」
「問題は、それを知っているかどうかです。概念としてでなく、痛みなどによる『恐怖』のセンサーが……」
先生はフォークを置いた。料理はまだ半分ほども残っていた。
「必要なのは、肉体か……」
ナイフで切り刻まれた肉の塊を見ながら、先生は呟いた。




