6-1 出会いの話
博士課程を終えた後、大学に残って講師をすることが決まっていた私に、森脇先生から突然連絡があったのは、確か年が明けてすぐのころだったと思う。
その人柄と剛腕ぶりを噂にも聞いていた人だったけど、実際に会ったことがあるわけではないから、なんで私に連絡をしてきたのか、わからなかった。
招かれて行った研究室で、椅子ではなくデスクの上に腰かけて、森脇先生は私に言った。
「君の論文を読んだ。共に神を創り上げよう」
そして私は母校の講師を断り、森脇先生が新しく立ち上げた研究所へ参加することになった。
ネットワーク上でのユーザー行動やコンテンツなどのビッグデータから、人格を抽出する――それによって、「神」、すなわち、完全な行動規範を備え、あらゆる知識を包括的・横断的に持ち、尚且つ偏見や認知の偏りとも無縁な「完全人格」を創造する、というのが、森脇先生の研究の骨子だった。
「過去に作られたSNS上の人口知能が、あっと言う間に極右的発言や口汚ないスラングを連発するようになった、という例がありますが……これもそうなるのでは?」
研究に参加する前に、私は先生に尋ねた。
「冗談を理解しない子どもをあんなところに放り込んだら、朱に染まるのも当然だろう」
平然と答える先生が可笑しかった。
「ある行為が冗談かどうかを判断するのには、ある程度の行動規範が必要ですね」
「その通りだ。教養のない者にジョークはわからない」
「神にはジョークのセンスが必要だと?」
「全能の神なら、ジョークくらいは容易いだろう」
先生は終始、大真面目だった。
人手も機材も、資金も不足しがちだった。特に人手に関しては、キワモノと見られがちだった論文と先生のキャラクターゆえに人が寄りつかなかった。それに先生の方でも、積極的に人を入れようとはしなかったから、いつも私たちだけ。増えてもまた、二人に戻る。その繰り返しだった。
そのせいだというわけでもないけれど、研究は難航していた。
先ほどのジョークの話もだけど、なにが良くて、なにが悪いのか――その規範を人工的に作りだすのには、常識という名の膨大なデータが必要になる。それをすべて入力するのなんて、100年かかっても終わる仕事じゃない。
ネットワーク上のユーザー行動ログから、統計的にどのようなものが好まれるのか、傾向を作ることはできた。しかし、それでは不十分だった。
「流行しているものに流されるのは仕方ないし、それ自体は好ましいことだ。ひねくれているよりはな」
「そうですね。問題は、そこに『意思』がないことです」
出来あがったプロトタイプの『マゴス』は、ネットワーク上に散らばるあらゆる知識の特徴を捉え、分類基準を自分で見出して学習し、こちらの問いかけに対してスムーズに答えることができた。
大学入試レベルの問題に回答したり、昨今の潮流にあわせて好ましいこと、好ましくないことを判断したり、または過去に起こった「炎上」の事例と照らし合わせて物事を評価する、ということもできるようになっていた。
「それだけでも中々の成果だとは思いますけど……」
私の言葉に先生は首を振った。
「こいつは所詮、『結果』をトレースしたものでしかない。そこには『意思』がない。『意思を持てばこそ、世界はその姿を現す』……そう言ったのは君だろう?」
「それはそうですが……」
「自己の世界認識を持つプログラム」――それが私の研究だった。それは先生の追及するところとも重なるところが多い。
「でも、私の理論は、こうであろうとする『元型』を定義することで、AIが自発的に情報の取捨選択を行う、というところまでです。本能を作りだすというわけではありませんし……」
「肉体を持たないAIは、本能を持つことはできない、と?」
「……少なくとも、人間のものとは異なるはずです」
それは、私たちが何度も繰り返してきた議論でもあった。
ディープラーニングや機械学習、そして量子ビットコンピューターの実用化により、人工知能研究は発展を遂げたが、電気信号からどのようにして主観的意識体験が生み出されるか――いわゆる「意識のハード・プロブレム」については未だ、有効な仮説すら提示されてはいない。
森脇先生は、意識は身体に依存するという論には理解を示しつつ、クラウドに集積された無数の情報をバックグラウンドとした、人間の模倣ではない、コンピューター独自の自発的意識を生み出そうとしていた。
「ネットワークに接続することで、悠久の時を経ることなしに、蓄積された文明のバックグラウンドを横断的に、一気に持つことが出来るんだ。タイムマシン以上の発明だよ」
そんなことを、先生は真顔で言っていた。
「そしてそれを背景として生まれた意識はつまり、個人を超越する世界の意思だ。地球史上において存在しなかったもの、神話の中にしか存在しなかったものだ。人類の歴史を終わらせてしまうことになるかもしれんな」
「人類を滅ぼすのが目的なんですか?」
「そういうわけじゃない。私はただ、可能性の研究をしているだけだ」
「なんでそんな研究を?」
「……実用性がないと?」
研究内容と実用性との葛藤。それは、異端と見られがちだった先生にとって、常に目の前に立ちはだかるものだった。それは、ある種のコンプレックスだったのだと思う。直接的にビジネス転用ができるような研究や、結果の出やすい研究の方が、予算も人も集まりやすい。それなのに、なぜわざわざ雲を掴むような、先の見えない研究に臨むのか。なぜ、キワモノ扱いを受けてまで、そんな研究を続けるのか――
「……決まっている。興味があるから《・・・・・・・》だ」
先生は、私に笑ってみせた。
「お前はどうだ? 興味あるか?」
「……あります」
これは一種の狂気だな、と思った。それまでの人生を勉強に捧げてきた私にとって、それはとても新鮮で、とても心地のいい、狂気。
研究は行き詰まりを見せていたけど、それでも先生と研究して過ごした時間は楽しかった。もしかしたら、行き詰っていたから楽しかったのかもしれない。でも、いよいよ資金繰りに目途がつかなくなった。このままでは研究を打ち切り、そして研究所も閉鎖せざるを得なくなる――そんな恐怖が、日に日に現実的になっていった。
そんな時、サイベスト社から研究支援の申し出があった。




