5-5 当事者の話
h、a、r、v――「harv」。
入力した瞬間、画面が揺らいだ。目の焦点がボヤけるような感覚を経て、深い深い暗闇のような、真っ黒な画面が映し出される。そして、『ターミナル』からの返答――
”君の意思を見せて。そうすれば、世界を見せてやる”
集まった皆が画面を覗きこんでいる。皆、なにも言わない。いや、言っているのかもしれないが、僕の耳には届いていなかった。今はただ、こいつを――真実を、こいつに問いかけることだけが、僕の仕事だ。
真実を、問う。
「幽霊」であるお前に――
そう、お前は――
お前の名は――
僕はフリックで、それを入力していく。
きただ――北田、けい――恵。
エンター。
再び、画面が揺らいだ。
黒いままの画面が、色づいたようにも思われた。
もしかしたらそれは、『ターミナル』が見せた表情だったのかもしれない。いずれにしろ、それは単なる機械の画面であることを超え、なんらかの意識を持ったように――少なくとも、その時の僕には思えたのだ。
そして、『ターミナル』はぽつり、ぽつりと語り始めた。
それはでたらめな文字列のように見えた。
アルファベットや数字、記号などがランダムに並んだテキスト。それが不規則なリズムで表示されていく。その様子がまるで、不規則な情報を言葉にして語る人間のように――
「……どういうこと?」
美凪が目を見開いている。その横で真田は、この現象を一瞬たりとも見逃すまいとするように、画面に喰い入っていた。那穂も、微動だにせずに画面を見つめている。
「いや、それよりも……」
所長は僕の方を見つめていた。
「なぜ……北田の名を?」
「……それが、幽霊の正体だからです」
美凪も真田も、こちらに目を向けた。
「正体ってどういうこと!? 北田って……?」
「……所長の元教え子、そして、『マゴスエンジン』の開発者のひとりだ」
「……それが、なんで!?」
「マゴスエンジンの疑似人格システムの開発中、北田はなんらかの理由で死んだ。自殺だということになっているが……」
僕はそこで息を継いだ。
「もしそれが自殺ではなく……例えば、殺されたのだとすれば……」
「……!」
美凪が息を呑む。
「……もし、強い恨みを残して亡くなったのだとすれば。その思念が『マゴス』のサーバーの中に残っているのだとすれば……」
『ターミナル』がそこに接続したとは――考えられないだろうか?
『ターミナル』は、人間の感情を情報として取り扱うためのシステムだ。それが、あの「harv」というキーワードを媒介として、『マゴス』に閉じ込められた北田の思念へのアクセスを可能にした、と考えるのは――飛躍しすぎだろうか?
『ターミナル』の画面は相変わらず、不規則にテキストを表示していた。
「それじゃつまり……その北田さんが殺された理由が、橋ノ井さんにも関係あると……?」
呟くように真田が言った。
「……それを、知らなくてはいけないんだ。一体なにがあったのか? 橋ノ井さんはなぜ、殺されなければならなかったのか?」
そして――『harv』とは、なにか。
「……私は……私は……」
――突然、那穂が呻くように言葉を漏らした。
驚いて那穂の方を見る。那穂はずっと、『ターミナル』の画面内の、不規則にテキストが表示されていく様を見つめていたのだ。
「那穂……?」
声をかけようとして顔を覗きこんだ瞬間、事態の異様さに気がついた。那穂の眼の光――その表情は虚ろだったが、それは明らかに、那穂のものでなく――
「……そうだ、あの日私は……」
その声は那穂のものだったが、口調は那穂のものではない。
「……私は……伝えなくては……」
那穂は、ゆっくりとこちらに向き直った。その表情には確かな人の意思が感じられた。しかし、それは人の意思であっても那穂の意思ではなく――そう、それは――
「……北田……か?」
静観していた岩井所長が、不意に言った。那穂は顔を上げ、所長を見た。
「……岩井先生、お久しぶりです」
一瞬、その表情が微笑んだように、僕には見えた。
「どう……いう……」
美凪が絶句している。
「幽霊……ですか?」
真田が問いかけた。那穂は――北田は、困ったような顔を見せた。それは、那穂だったら見せたことのない表情だ。
「私が幽霊なのかどうか……私にもわかりません。ですが……間違いなく、私は北田恵であり、明確な意思を持ってここにいます」
口調ははっきりとして、言葉は明瞭だった。那穂の頭が、僕らをゆっくりと見回す。
「さあ……それで、あなたがたの意思は……?」
僕は口を開いた。
「北田さん、教えていただけますか……あなたが伝えようとしていた……真実を」
北田はこちらを見返して言った。
「……私が伝えられるのは、私のことだけ。真実はあなた達次第です」
そして、那穂は――北田恵は、静かに語り始めた。




