表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/25

5-4 捕り物の話

 静かで、落ち着かない。


 よくある表現かもしれないが、今この状況で、落ち着かない原因は他のところにあった。


 歴史の古い街なのだろう。広くはない道路に、錆びたトタン屋根の建物、ビルの灯りではなく街頭に照らされたアスファルトが、月のない夜に黄色く照らし出されている。


 回転灯を消したパトカーと、一般車両が数台、その周りに警察官が、私服で制服で、数人。飽くまでも静かに、各々の職務を遂行していた。


 先日の取調べの際には腹を立てることも多々あったが、改めてこういった現場を目の当たりにすると、彼らのプロフェッショナリズムには舌を巻く。



「随分と寂れた建物だよね」



 傍らにいた美凪が、囁いてきた。


 古い住宅とアパートに挟まれて立つ、コンクリート剥き出しの雑居ビル。それが目標の建物だった。電気屋の看板がついているが、1階のシャッターは開け閉めの気配を失って久しいように見える。


 僕らはそのビルの裏側、だいぶ離れたところに停めた車の中にいた。5階建てほどの高さのそのビルは、周りの建物から頭ひとつ飛びぬけて、すすけたコンクリートの壁をさらしている。



「雰囲気のあるいい建物だな」


「光回線がちゃんと通ってれば不自由はなさそうだけど」



 いつもは泰然としている美凪も、今日ばかりはさすがに落ち着きのない様子だった。


 無理もない。捕り物の現場に立ち会うなんて、一生に一度あるかないかの出来事だ。冗談でも言ってないと身が持たないほどの緊張感だった。


 相手は殺人事件の重要参考人。真田が『なうたいむ』のサーバーにトラップを仕掛け、事件のときと同様にアクセスしてきた犯人がそこにまんまと引っかかった。それを手がかりとして、真田は瞬く間に、アクセス元のIPアドレスを割り出していった。


 そこから先の動きは早かった。通常、インターネットプロバイダは個人情報を開示しないが、刑事事件が絡むとなると話は別だ。警察当局はあっという間に、アクセス元の人物を割り出していた。



「結局、真田君の仕掛けたトラップってなんだったの?」


「『幽霊アカウント』を装って書き込みをしたらしいよ。犯人が思わず改竄したくなるような」


「なんて書いたの?」


「『あの女を切り刻む時、神の意思を感じた。私は完全に正しい道を歩んでいる』……みたいなことらしい」


「なにそれ? そんなのに引っかかったわけ?」



 犯人は自意識が高くうぬぼれの強い人物だろう、というのが、真田や所長の推測するところだった。そういう人物であれば、恐らく「自分に関する間違った記述」を許さないだろう、と踏んでのトラップだ。


 真田が言うには、犯人は事件以降も「なうたいむ」で幽霊アカウントを見ている可能性が高いということだった。だから、引っかかるのは時間の問題だと踏んでいたという。



「それにしたって、なんでそんなに自信を持って仕掛けられるんだろ」


「自分と同じ匂いがするから、だそうだよ。所長も同意してたけどね」


「……それ、納得していいところかな」



 そんな話をしている間も、周囲では静かに、状況が進行していく。しかし、僕らにできるのはただ待つことだけ。



 話題が途切れ、車内に流れるしばしの沈黙――それを破ったのは美凪だった。



「あの日さ……橋ノ井さんはなんで、キミを家に呼んだんだろう?」



 窓越しにビルの様子を眺めたまま、美凪は言った。



「言わなかったっけ。例の『harv』っていうキーワード、あれ、橋ノ井さんから聞いてさ」



 そのことについて、詳しく話すためにあの日、部屋に呼ばれた、とそう話すと、美凪は少し喉を唸らせた。



「それは聞いたけど……でもそんなさ、命が狙われるようなことに、キミを巻き込んだわけでしょ」


「……」



 僕は黙っていた。あの時は思いもしなかったが、確かに、橋ノ井さんは命がけの案件に首を突っ込んでいたことになる。



「……もし、そんな危ないことなんだって、橋ノ井さんが知ってたんだったら、あたし……」



 美凪はその先を言わなかった。ふぅ、と息を吐き出し、シートに身体を預ける。


 その時、窓の外ではにわかに――しかし、飽くまでも静かに、動きが慌しくなっていた。確保に向かった先でなにか動きがあったのだろうか?



「……あ、あれ……」



 美凪が声を出した。その視線の先は、例のビルの2階辺りに据えられている。



「なに?」


「見えない? ほら、動いてる」



 そう言われて、僕は目を凝らした。月のない夜空は暗かったが、部屋から漏れる灯りに照らされるそれを、よくよく見てみると、ビルの裏側、バルコニーになっている辺りに、なにかの影が動いている。


 周囲の警官たちも、その影に気がついたようだ。早口で指示が飛び交い、幾人かは既に、素早くビルへと向かっていた。その間にも、その影は変わらず動く。


 段々目が慣れてくると、それはやはり、人のようだった。バルコニーを乗り越え、雨どいを伝って地面に降りようとしているようだ。



「あれって……」


「多分、そうだよね」



 口に出して断定することは憚られながらも、その様子を見守る。すると、部屋の窓の方にも人影が現れた。恐らく、玄関から確保に向かった刑事だろう。それに気がついたのか、人影の動きが変わる。


 手足にあたると思われる部位をバタつかせ、遠目からもわかるほどぐらぐらと左右に揺れる。その様子は見るからに危なっかしい。バルコニーの上から別の人影が迫る。瞬間、振り子のように影が弧を描き、そのまま――


 大した高さではないものの、影が落下する瞬間はさすがに息を呑み、派手な音がここまで聞こえてきたような錯覚さえした。さっきまでは速やかながらも静かに動いていた周囲の警官たちの動きが、今は見るからに慌しい。


 僕らはその様子を、なす術もなくただ見守っていた。


   * * *


「重要参考人として連行されたのは富島(とみしま)幸治(こうじ)。フリーのWebデザイナーだっていう触れ込みね」



 僕らがラボに帰って来たのは深夜になってからだった。あの男――富島幸治が連行されてから後、現場検証やら事情聴取やらで長々と付き合わされたのだ。


 真田と所長、那穂はラボで待っていた。慣れない現場の様子に、僕らはへとへとになってはいたが、ラボに全員が揃うと自然と皆が車座になった。



「ふむ……どの辺の仕事をしてたんだろうな?」


「ちゃんと調べてみないとわからないけど……まあ、どうやって食ってるのかわからないタイプが多い界隈ではあるのよねー」


「少なくとも、聞いたことのある名前じゃありませんね」



 もっとも、フリーのWebデザイナーなんて、そうそう名前が表に出るような仕事でもない。世の中には数多くいる職業ではあるだろう。だが、問題はそこじゃない。


 フリーのデザイナーだろうとなんだろうと、問題は――



「それじゃ、その富島さんが――橋ノ井さんを?」



 那穂が自信無さそうに問いかけると、皆無言になった。


 富島が連行された容疑というのは、飽くまでも「犯罪を匂わせる書き込みを行った」という点と、『なうたいむ』のサーバーに不正に侵入したという点に過ぎない。橋ノ井さんを殺害したという直接の証拠が、まだあるわけではないのだ。



「……まぁ、あとは警察の仕事だな。あの犯行声明が橋ノ井さんの事件と関係するものであるか、ってのは当然、捜査の対象になるだろ」


「状況証拠を示して自白を取った後、裏付けの証拠を探す、っていう流れですかね」


「ここまできたら、凶器でもなんでも、すぐに出てくるんじゃないかな」


「それじゃあ……そしたらわかるんですよね!? その……」



 那穂の口調が、普段と違う強いものになっていた。



「なんで、こんなことになったのか……!」



 那穂の問いかけに応える者はいなかった。


 そうだ、どうしてこんなことに――どうして、橋ノ井さんは死ななければならなかったのか。


 誰が、ではない。どうやって、でもない。「なぜ」なのか。


 「真実をつまびらかにしたい」――事件報道において、関係者の談話としてよく発表される言葉だ。自分達が陥った理不尽な状況、犯人が行動した動機、それらが一体、どういった背景のもとに行われたのか。


 理解したから許せるものでもないだろう。だが、だからといって慰謝料をもらって水に流せるようなものでもない。


 それがどういったものであれ、自分たちが巻き込まれた、強い狂気――理解できない、ということは、恐怖だ。事件被害者は犯人ではなく、恐怖と戦わなければならないのだ。理不尽さは「未知」という名の恐怖となって人を縛る。


 だとすれば――



「……ちょっと、どうしたの?」



 無言で立ち上がった僕に、美凪が声をかける。僕はそれには応えず、自分のデスクへと向かう。


 警察が戦えるのは犯人――あの富島とかいう男とだけだ。だが、この事件の「未知」はそこではない。例え犯人の口から全てが語られたとしても、解明されない謎がある。


 犯人自身も知らないその「未知」と、橋ノ井さんが追っていたものと――対峙できるのは、僕だけだ。


 僕は『ターミナル』を起動した。



”ハロー、マスター。なにかご用ですか?”



「……ハロー。だけど、用があるのはお前じゃないんだ」



 全ての始まりとなった、この言葉、この「未知」。僕はゆっくりと、その言葉を『ターミナル』に入力していった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ