4-3 事情聴取の話
煙のかかったような意識の底から、なにかに呼ばれて目が覚める。
薄暗く淀んだ部屋の中に、窓を叩く雨の音が規則的に響いていた。靄のかかる意識の中にありながら、僕は自分を呼んだそのなにかが、枕元に置いた携帯のメール着信音だということに気がつく。
手を伸ばし、スマホを取る。時間は14時。届いたメールに目を通し、そのまま僕はもう一度眠りに落ちた。
* * *
仄暗い靄の中に、光が渦巻くようにして波打っている。その光の中心から、呻くような振動が響いていた。その振動にあわせ、光はまるでそれ自体が意思を持っているかのように蠢く。
僕はその光に近づき、その奥に手を伸ばす――呻くような振動はますます大きくなった。僕の動きに呼応するかのように、光の渦は広がる。
振動の呻きはなにか、明確な意図をもっていた。形をなし、言葉となり、語りかける。
君の意思を、見せて――
* * *
視界が光で満たされ、僕の意識は部屋の中に引き戻された。枕元で携帯が、バイブレーションの低い音と共に着信音を鳴らしている。雨は上がったようで、窓からは陽が差し込んでいた。僕は携帯を手に取り、耳に当てた。
「……もしもし」
「どうも、お疲れ様です。木崎ですが」
「……はい」
「今回のことは、大変なことになってしまいまして。お察しいたします」
「……あ、はい、いえ、こちらこそ……」
そこまで話してようやく僕は、「木崎」というのが誰だったかを思い出した。城北大学の森脇教授の研究室で会った、サイベスト経営企画室の若い男だ。
「警察からもいろいろ聴取を受けているとは思いますが、こちらでも状況を把握したいので、お手数ですが今から社の方にこれませんか?」
もっともだ。橋ノ井さんはサイベストの社員として、うちのラボと関わっていたのだから。
「今からですか?」
「急で申し訳ないが、こちらとしても対応を後手にするわけにもいかないもので」
なるほど――つまり、警察やマスコミに対しての公式見解をどうするか、ということだろう。
僕は昼間の所長の話を思い出した。組織というのはプログラムであり、優れたプログラムはバグに対して対処がし易い構造になっている。
僕は時間を確認した。15時半を過ぎたところだ。シャワーを浴びて、サイベストに着くのが17時ってところか。一人の人間が死んだという事件に対し、あまりに事務的な木崎の対応に反発こそ感じたものの、状況を把握したいのは僕も同じだ。
「わかりました。今から出ますので、お待ちいただけますか?」
「承知しました」
僕は電話を切り、大きくひとつ伸びをしてシャワーを浴びに向かった。
「わざわざお越しいただいてありがとうございます」
広い会議室に、木崎は一人で待っていた。
「いえ、遅くなってすいません」
コの字型に並べられた長机の角、木崎から90度の位置に僕は座った。
「しかし、驚きました。橋ノ井さんが亡くなったということもですが、その第一発見者があなただとは」
「……それは僕も同じです」
橋ノ井さんの遺体を見つけたときの光景が脳裏に蘇る。もう落ち着いてはいたが、下腹部から嫌なものがこみ上げる感じは拭えない。
「なにしろ急なことだったので……取り急ぎ、今後のことを考えなくてはいけませんので」
「大変ですね」
飽くまでも事務的に話を進める木崎に、皮肉のつもりで僕は言った。
「確かに大変です。サイベストに来たばかりとはいえ、橋ノ井さんはいくつもの案件を抱えていましたから」
淡々と木崎は答える。不思議と僕はその態度に、反発を感じなかった。もちろん好感を持ったというわけでもない。あまりにも人間味のないその様子は、まるで『ターミナル』のレスポンスを思い起こさせる。
「今、それぞれの案件の状況を確認しているところです。MKラボの監査担当もそのひとつなのですが」
「……ええ」
そういえば、橋ノ井さんがラボの担当についたのはつい最近のことだったのだ。既に遠い昔のことのように思える。
「とりあえず、MKラボの監査担当は私が引継ぎます」
「……え?」
「それにあたって、いくつか確認したいことがありまして……」
木崎は冷酷とも言える態度で事務的な話を進めていった。一通り確認を終えると、ちょっと失礼、と言って木崎は席を立ち、会議室を出て行った。
僕は会議室に取り残され、一息ついた。木崎の冷酷な態度に僕は、反感を覚えるというよりもむしろ、拍子抜けした気分だった。警察で受けた取り調べと似たようなものを想像していたために、身構えていたというのもある。
それにしても――人が一人死んだという状況でも日常は日常として、そのまま動いていくのだということが、改めて実感として残った。そういうものなのだろう、と頭では納得しようとする。
もやもやとしてまとまらない気持ちから逃げるように、僕は携帯を取り出した。見ると、メールの着信がある。美凪からだ。
* * *
件名:さっきの件
本文:
今から社長に会ってくるー さっきの件はなんとかうまく誤魔化してみるよ
* * *
「さっきの件……ってなんだっけ?」
そこでふと僕は、今朝方のメールのことを思い出した。 布団の中で目を通した覚えはあるが、よく考えると内容を憶えていない。確かあれは美凪からのメールだった気がする。僕は過去の既読メールを開き、昼間の美凪のメールを開いた。
* * *
件名:まだ寝てる?
本文:
なうたいむの社長にアポ取れたよ。ただ、どうやって話をしようかと悩み中・・・
橋ノ井さんが殺されたのってやっぱり、例の言葉のせいなのかな? だとしたら、キミがそのこと知ってるって、バレるとやばいのかも。気をつけてね
* * *
「お待たせしました」
メールを見ていたところへ、木崎が戻ってきた。
「とりあえず、大体のところはわかりました。今後のことは改めてそちらに伺って、岩井所長とも相談させてくだい」
「わかりました」
「それで、ここからが本題ですが……」
木崎は調子を変えることなく、続けた。
「橋ノ井さんが亡くなった理由についてです」
来た。
僕は全身の血が一気に凍るような感覚を覚えた。今までの話はやはり、飽くまでも事務的な話に過ぎなかったのだ。当然、サイベストが確認するべき本題はここだろう。
「まず、あなたがあの日、橋ノ井さんの家に行った用件を教えていただけますか?」
警察でも散々訊かれた質問だ。
「仕事関係の……人工知能に関することで、ゆっくり話をしましょうってことになったんです。それで、あの時間に」
「ふん……しかしそれなら別に、昼間オフィスで話せばいいのでは?」
「それは……」
僕は躊躇した。さっきの美凪からのメールが頭をよぎる。
「話している内に意気投合したので、飲みながら話そうってことになって……」
とっさにそう答えた僕に、木崎は眼鏡の奥から鋭い眼光を投げてきた。
「なるほど……まぁ、プライベートなところはあまり立ち入りませんが」
木崎はそれ以上訊かなかった。多少の誤解を受けているような気はする。
「例の『なうたいむ』の書き込みの件もあります。警察の方では行きずりの犯行としてみているようですが」
内心、あの返答でよかったのかどうか、悩んでいる僕の前で、木崎は手に持った書類のページをめくりながら話を続ける。
「殺されたのが彼女でなければならなかった理由……なにか心当たりはありませんか?」
眼鏡の奥で、木崎の目が再び鋭く光ったように見えた。それは疑いの目というよりも、あらゆる嘘や誤魔化しを許すまいという、強烈な意思の表れのように思われた。
「それは……こちらが知りたいところです」
僕は答えた。これは本心だ。
「警察にはなにか?」
「今お話したことと大体同じです」
「そうですか……」
木崎は表情一つ変えずに、何事かメモを取っていた。
橋ノ井さんが殺されなければならなかった理由――例の書き込みが犯人の偽装工作だという仮説が正しいなら、犯人は誰かに罪を着せようとしていることになる。それも、ネットでそれを書き込むようなサイコパスじみた人物に見せかけようと。
と、いうことは――裏を返せばそれは、犯人にはより明確な動機があったということにならないだろうか? そしてそれはつまり――橋ノ井さんには確かに、「殺される理由」があったということになる。
人間が殺されるべき理由――人の死というものが事務的に処理されていくかのようなプロセスを目の当たりにして、僕は胸の中になにか、濁った感情が湧き上がってくるのを感じた。




