4-2 犯行声明の話
[@naquaniss] 2017/07/10 11:24:03
私はこのことを伝えなくてはならない。昨夜、サイベストのあの女の額を割った。あの額から溢れる血こそが、私からのメッセージだ。
* * *
「なんだこれ……?」
それは確かにあの「幽霊アカウント」――「naquaniss」という、「存在しないユーザー」の書き込みだった。その幽霊アカウントが自ら、「サイベストの女を殺した」と言及している?
「犯行声明……ってこと?」
「そういう風に読めますね」
橋ノ井さんを殺した犯人が、「幽霊アカウント」? しかし、この書き込みは――
「さすがにこれは……いたずらじゃねぇのか?」
「しかし、それにしては早過ぎます。ニュースにもなってないはずじゃ……」
「いたずらじゃない」
僕の口から出た言葉に、皆が一斉に振り向いた。そうだ、これはいたずらではない。僕にはわかる。
「どういうこと?」
美凪が怪訝そうな顔を向ける。僕は頭の中を整理しながら、考えを話し始めた。
「この中で、橋ノ井さんが額を割られていたところを見た人は……?」
一瞬、沈黙が流れた後、美凪がはっとした顔で声を上げる。
「それじゃ、まさか……!」
「そうだ、確かに橋ノ井さんは、額を割られ、大量の血を流してその中で死んでいたんだ」
警察から発表もされていないこのタイミングで、殺害の現場を見てきたかのようなこの書き込みが出来るのは――僕か、犯人か、どちらかだけだ。
だが、だとすると幽霊アカウントはやはり幽霊などではなく、人の手によるものだったのか? しかも、これを実行するために事前に仕込まれた? いや、だとしたら、あれは――あの夜、『ターミナル』を通じて接続したあれは――
「でも、こんなことしたらこの人、すぐに捕まっちゃうんじゃないですか?」
「そうね。ただの頭おかしいやつだったのか……」
「いや……」
美凪と那穂が振り向く。
「多分、そういうことじゃない」
「そういうことじゃないって、どういうこと?」
今や僕はほとんど確信していた。こいつはいたずらではないし、捕まりもしないだろう。ひょっとしたら、この事実に気がつけるのは、世界中で僕一人かもしれない。
「本人に訊いてみよう」
「え……本人……って?」
僕は美凪の疑問には応えず、自分のデスクに座った。『ターミナル』を起動する。
「なにするの?」
美凪が横にきて僕のすることを覗き込む。『ターミナル』は起動処理を終えて入力待機画面になった。
”ハロー、マスター。なにかご用ですか?”
いつもと同じ、『ターミナル』からのメッセージ。僕はそれを半ば無視し、「本人」へと語り掛けるためタブレットに指先を走らせた。h、a、r、v、そして、エンター。
一瞬、画面に雫が落ちたような揺らぎ。目の焦点が合わないような、頭がクラクラするあの感覚。簡素なコマンドプロンプト風画面の背景の黒は、カラーコード#000000ではなく、その奥の深い深い暗闇を映し出す。それらが収まった後、『ターミナル』はあれへの接続を完了するメッセージを表示していた。
”君の意思を見せて。そうすれば、世界を見せてやる”
「……! これ……って……!」
美凪が後ろで声を上げた。そうだ、見ればすぐに、これがどれだけ異常なことかわかる。
事態を察して、真田も那穂も岩井所長も集まってきた。そして皆、『ターミナル』を覗き込んで息を飲む。
「お前、これはどういう……」
「この前徹夜した時に、たまたま見つけたんです。多分ですが……真田」
僕は後ろにいた真田に画面を示し、言った。
「教えてくれ。これはあり得る現象か?」
「いや……『ターミナル』の構成上、あり得ない現象です」
「やっぱりそうか……それじゃあ」
僕は『ターミナル』を睨みつけた。
「これはやっぱり、『幽霊』だ」
訊かなくてはならない。確かめなくてはいけない。橋ノ井さんを殺したのが、お前なのかどうか――僕は、『ターミナル』の液晶タブレットに、フリック入力で言葉を投げかけていった。
『橋ノ井雅代を、殺したか?』
”私はただ、伝えるだけ”
『やっていない、ということか?』
”私にそんなことはできない”
『なうたいむに犯行声明を書き込んだか?』
”ここから語りかけた声が、どこに届いているかはわからない”
『お前は』
僕はそこで少し躊躇したが、続きを入力する。
『お前は人間か?』
”人間であるつもりだが、そうではないのかもしれない”
もしかして、気づいているのだろうか――続けて僕は入力する。
『お前は幽霊か?』
”わからない”
ラボの面々は、僕と『ターミナル』との対話を、息を呑んで見守っていた。やり取りが途切れたところで、那穂が口を開いた。
「……これが、あの『幽霊アカウント』だってことですか?」
その問いには誰も答えなかった。恐らく、皆が同じ問いを持っていたからだろう。
「それじゃまさか、こいつが橋ノ井さんを殺した犯人だと……?」
「いや」
美凪の問いに、僕は口を開いた。
「あの『幽霊アカウント』の方は『あの女の額を割った』と言っている。でもこいつは『そんなことはできない』と言っている」
「そんなの、なんとでも言えるじゃない!」
「ですが、少なくとも、こいつに『そんなことはできない』のは、確かだと思います」
真田が口を開いた。いつもと変わらず冷静なように見えるが、その目は興奮の色を隠そうとしていない。
「どういうこと?」
「多分ですけど、これ、プログラム……みたいなもの、です。キーボードで入力してる時間なしにレスポンスが返ってきてる。まるでいつもの『ターミナル』みたいに」
「どっかの誰かとチャットしてるわけでもないか……もっとも、こいつにそんな機能はついてねぇが……」
所長が真田の隣で腕を組む。
「そうですね。少なくとも……人間じゃありません」
「そんな……」
美凪は蒼ざめた顔をしていたが、真田と岩井所長はかえって活き活きとしているようだ。こういう時は案外、理系人間の方が事実を客観的に受け止められるものだ。
いつの間にか、『ターミナル』の画面からあの「幽霊」はいなくなり、いつもと同じ画面に戻っていた。
僕らはそれを見つめながら、長いこと黙っていた。
「こいつが人間ではないとして、だ」
岩井所長が沈黙を破って言った。
「そうすると、『なうたいむ』の方に書いたやつが、この現象を模倣した、っていうことになるわけか?」
「そうかもしれませんが、しかしそれだと説明がつかないことがあります」
「なんだ?」
僕は一息ついた。色々な物事が、頭の中で渦を巻いているようだ。それをひとつひとつ、慎重に解きほぐすようにして、僕は言う。
「第一に、橋ノ井さんは、今目の前で起こったこの現象のことを……僕に伝えようとした矢先に殺されたんです」
その場にいる皆が息を飲む音が聞こえた。
「だから、『ターミナル』のこの現象が、この件と無関係であるはずがないんです。そして、犯人はなんらかの意図を持って橋ノ井さんを殺害している」
「ただの愉快犯ということもあるぞ」
「その可能性は確かにありますが、それにしちゃ偶然が過ぎる」
岩井所長は黙って聞いていた。僕は口の中で言葉を選びながら、自分の考えを話す。脳が音を立てて回転し、世界がゆっくり動いているように思えた。
「多分、『なうたいむ』に書き込みをした人物は、この現象を人間だと……人を殺すことの出来る人間だと思っている。犯行後の書き込みがそれを物語っています。もしこの現象を実際に目にして模倣しているのなら、ああいう内容にはしないと思うんですね」
「……ふむ」
「でも、犯行声明の書き込みは犯人なんでしょ?」
美凪が横から口をはさんだ。僕は、考えをまとめながら、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「だから……多分犯人はこの現象を、『なうたいむ』で見たんだ」
「……そうか……! あの書き込みだけが、犯人の書き込みだってことか……!」
「アカウントハックってこと……? 偽装工作だと……」
所長と美凪に向かって、僕は自分の考えを説明した。
「犯人は、『なうたいむ』の書き込みをただの悪戯だと思ってる。だから、それをやってる奴に疑いを向けさせる目的で、アカウントをハックしてあの書き込みをした。あの書き込み自体は、人間の手でやるのも不可能ではないと、前に真田も言ったな」
これを疑うことができるのは、『ターミナル』のこの現象を目にした僕らだけだ。
「一見飛躍してるようだけど……状況を整理すると、これが一番自然だと思う」
沈黙が訪れた。
僕自身、100%の自信を持っているわけではないが――しかし、これが一番、筋が通ってすっきりするように思えた。実際のところ、あの『現象』の正体がわからない以上は、どこまでいっても仮説に過ぎないのだが。
ため息と共に沈黙を破ったのは美凪だった。
「……そうだとしても、あの『幽霊アカウント』の中の人が、あの『現象』だとは限らないよね」
美凪は髪をかきあげ、頭をボリボリと掻いた。息を吐き出し、そして僕の方へと――向き直って言った。
「でも、検証する価値はあると思う」
「ですね。どちらにしろ、このよくわからない『現象』については解析しないといけません」
真田の口元も、少し笑っているように見える。
「真田くん、私手伝うよー」
「気持ちだけ受け取ります」
「例の書き込みについても調べられるか?」
「『なうたいむ』の運営会社の社長、私友達だよ。話つけてくる」
真田はデスクに戻り、那穂はそこにくっついていった。美凪はソファに置いたバッグを取って立ち上がり、部屋を出ようとして立ち止まった。僕の方へ振り向き、言う。
「キミはとりあえず、帰って寝なよ。起きてシャワー浴びて、またここに来るまでにきっと、なにかしらわかってるはずだから」
「ありがと。そうするよ」
答えた僕にサムズアップを見せて、美凪はラボを出ていった。




