3-2 産学連携の話
講義が終わり、聴講生が出て行く中を僕らは講壇へと向かった。
「森脇先生、サイベストの橋ノ井です」
一切の躊躇もなく、橋ノ井さんは森脇教授に話しかけた。相変わらずの行動力である。
「……ああ、西村さんからご連絡いただいた方ですね」
森脇教授は一瞬、考える様子を見せてから応えた。
「突然押しかけてしまいすみません。こちらはMKラボの方々です。人工知能デバイスの開発をしている……」
「どうも初めまして」
「初めましてー」
橋ノ井さんからの紹介を引き取って挨拶をした僕らに対し、森脇教授はああどうも、と言いながら講義に使った資料をまとめていた。
「今日の知性の話、興味深かったです。うちの研究も引き合いに出していただいちゃって」
僕はコミュニケーションを取ろうと努めた。しかし、「所詮ただのアルゴリズム」と言われたことについて、反発心が言葉に籠ってしまったような気がする。
「岩井さん、でしたか。あなたのとこの所長さん」
「あ、ご存知ですか?」
「なにかとユニークな方ですからね。もちろん、研究内容にもちゃんと注目していますよ」
「……ありがとうございます」
色々な意味で、さすがうちの所長である。
「それで、森脇先生にアドバイスなどいただければと思い、ご挨拶に伺わせていただいたんです」
「それはいいが……役立つ話など出来るかどうか」
そう言いながらも、森脇教授は堂々とした様子で歩き出し、僕らを研究室へと案内した。
森脇教授の研究室は同じ棟の上階にあるようだ。講義室の並んでいた先ほどの階とは打って変わって薄暗く、埃っぽい廊下を抜け、隅の部屋のドアを開けて森脇教授は僕らを招き入れた。
研究室に入ると、不意に動いたものがあった。手前に置かれたソファから黒っぽいものが立ち上がり、こちらへと振り向く。
「お疲れさまです、先生」
「ああ、そういえば今日は君も来る日だったか」
「毎週木曜日の講義の日は来ていますけどね」
親指で眼鏡を直しながらそう言ったその若い男を見て、僕はつい、あっ、と声を上げた。先ほど、講義室の壁際に立っていたその男――思ったよりも大きい声が出てしまった僕の驚きの声を、その男は全く無視した。
「……そちらは橋ノ井さんですね。初めましてになりますかね」
「以前、会議の場でお顔だけは拝見しておりますよ、木崎さん」
木崎、と呼ばれた男はそれに応えず、またも親指で眼鏡を直して目線を外した。
「雅代さん、お知り合いなんですかー?」
いつの間にか橋ノ井さんを下の名前で呼んでいる那穂が、能天気に口を挟んだ。
「こちら、サイベストの経営企画室の木崎さん。木崎さん、こちらの方々は……」
「MKラボの方ですね」
木崎は初めてこちらに向きなおり、手を差し出して握手を求めてきた。
「名刺は持たない主義なのでこちらで失礼します。よろしく。あ、そちらの名刺も不要です」
面識のない相手にいきなり素姓を知られているのに面食らったまま、相手のペースで話を進められ、僕はその握手に応じるのが精一杯だった。
「鹿島です。どうもですー」
那穂がいる場で、相手が礼儀にうるさいタイプでなさそうなのは救いだったかもしれない。木崎は那穂とも握手をかわした後、こちらに向き直った。
「そうですか……森脇先生に相談に来られましたか。いや、いい選択だと思います」
なにも言っていないのに、木崎は完全にこちらの考えを見通している様子だ。
「面白い研究になりそうですね。製品への応用とマネタイズの話もいずれ相談したい」
「それはもうぜひ」
笑顔で答える橋ノ井さんから、木崎は森脇教授へと視線の先を変える。
「今日は失礼します。書面の方は置いておきましたので、目を通しておいてください。またご連絡いたします」
「ああ、わかった」
木崎は森脇教授の返事を待たず、踵を返してさっさと部屋を出て行った。
「いわゆる産学連携というやつでしてね。まだサイベスト社内でも公になっていない案件のはずだ」
森脇教授はデスクの上の書類をブックエンドに放り込みながら言った。
「あ、『マゴスエンジン』に関することではないんですか?」
橋ノ井さんが横から言った。そうだ、Web検索システム「マゴスエンジン」の基礎理論はこの森脇教授によるものだと――確か、橋ノ井さんから事前にもらった資料にも書いてあったっけ。
「……あれはもう、私の手を離れていますから。実用的になってしまったものには、あまり興味がなくなってしまう性分でしてね」
森脇教授は自嘲的に言ったが、その目は笑っていなかった。
「すると、そのプロジェクトは『非実用的』なものだと……?」
先ほどから、なんとなく挑戦的な気持ちになってしまっている僕はつい、言わなくてもいいことを言った。森脇教授はこちらを見据え、言葉を返した。
「実用的かどうかを決めるのは、我々研究者の仕事ではない。違うかね?」
答えるその目はどことなく楽しそうにも見えた。
「……実用化などを含めた出口戦略を見据えての研究、というのが最近の潮流ですが」
「もちろんその通りだ。しかし、実用性を盾に研究の可能性を狭めるべきではないと、私は思う。使い道は世の中が決めた方がいい」
僕の返答に、森脇教授は言った。
「うちの所長も、似たようなこと言ってますよねー」
笑う那穂の傍らから、橋ノ井さんが口を挟む。
「しかし例えば、原爆のような発明は? もしそれが、世界を滅ぼし得るような研究だとしても?」
「アルフレッド・ノーベルは非難されるべきだということかね?」
「そうは言いませんが……」
「ある意味では」
森脇教授は椅子にもたれて言った。
「そういった研究に携わることは、科学者の花道だとさえ言える」
「……」
僕はそれに答える言葉を持たなかった。橋ノ井さんは僕と森脇教授とを、交互に身比べていた。
「話が逸れましたな。本題に戻りましょうか。コーヒーでよろしいですかな?」
森脇教授は立ち上がり、コーヒーメイカーへと向かった。
* * *
その後は通り一遍等の説明と、表面的なやり取りで終わった。元々、今日は講義を聞いて挨拶をするだけのつもりだったのだ。森脇教授は、MKラボの研究に関してアドバイスを送ることを快諾してくれた。
「いい人でしたねー、森脇先生」
「そうね、他の研究者から頼りにされることも多いみたいよ」
能天気に感想を漏らした那穂に、橋ノ井さんが答えて言った。
「専門以外の守備範囲も広い上に、それぞれの分野にかなり突っ込んだ話もできるしね。学者畑じゃないところからのファンも多いのよね」
確かに、今日聞いた講義も、オカルトや分析心理学といった話題に科学的な批判を加えつつも、決して馬鹿にせずに考察を加えるユニークなものだった。
物理学の権威でありながら哲学的な視点を持ち、さらに学者然としない、清潔で力強い雰囲気を持った偉丈夫でもある。一般向けの本も幾つか出しており、知名度も高い。ファンが多いというのにも頷ける話だった。
その森脇教授が監修についてくれるとなれば、技術的な側面ではもちろん、例えばビジネスとして製品化をする際の大きな箔にもなる。うちのような小さなラボにはありがたいことだらけの話だ。
「それじゃ、私はこのまま社に戻ります」
中庭を通り抜けたところで、橋ノ井さんが言った。
「あ、橋ノ井さん」
「はい?」
僕は立ち去ろうとする橋ノ井さんに声をかけた。今日はもうひとつ、重要な用事がある。森脇教授に出会うきっかけとなった、僕のレポート。それを書き上げたあの夜の、あの出来事――
「ちょっとお話をしなければいけないことが……例の、『harv』について……」
その言葉を口に出した瞬間、明らかに橋ノ井さんの顔色は変わった。周囲に素早く目を泳がせ、声をいくらか低くする。
「なにか、わかったんですか?」
「いえ、しかし……」
どうにも説明がしにくい。なんと切り出そうかと思っていると、橋ノ井はジェスチャーで次の言葉を静止した。
「その件、今度また改めて聞かせてください。ここではちょっと」
横では、那穂が不思議そうな顔をしていた。僕がなにも言えず、ただ黙っていると、橋ノ井さんはいつもの笑顔に戻り、声のトーンを戻して言った。
「またこちらからご連絡しますね。それじゃ、今日はお疲れ様でした」
それで、僕らは別れてラボへと戻った。




