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夕刻の遭遇


「ふぅー」


 張り詰めていた肺の空気を、緊張と共に吐き出す。


 そして、最後の一つは、百鬼。


 それは限界を超えて暴れ狂う自我無き暴走。かつて怖死に止めを刺した後、意識を失った後、その百鬼の状態になったと聞かされた。


 四肢もがれようとも暴れ続ける百鬼。俺がいまこうして居られるのは、暴走の最中に仮面を引き剥がされたからだ。他人の意志で百鬼を終わらせるには、それしかないと凛は言う。


 人智を越えた力を振るいながら暴れ狂う人一人。それを傷付けまいとしつつ身体を拘束し、仮面を引き剥がすのはきっと途轍もなく難しいことだっただろう。


 現に、俺にその記憶はないが、俺は合多謙二を全力で攻撃し、多少の手傷を負わせていたらしい。初対面の時に彼が不機嫌だったのは、そのためだった。


「どうだ? 試験って奴の合否は」

「試験ってほど大層なものじゃあないんだがな。まぁ、合否で言えば合格さ。明日からは普通の生活に戻ってもいい」

「よし、これでやっと自分のベッドで眠れる」


 この一週間、俺は学校どころか家にすら足を踏み入れていない。ずっとあの神社の本殿で缶詰になって訓練をしていたからだ。


 なぜ、敵か味方かもあやふやな俺に、二人は稽古を付けてくれたのか。


 それは簡単に言えば、一度でも妖怪の類いに出遭った者は、その後も出遭いやすくなるからに他ならない。


 新しく覚えた言葉がやけに耳につくようになる現象と同じことだ。


 人は常に関心ある物事を優先し、無駄な情報を認識すらせず処理してしまう。ゆえに、自分が知らないことは意識的に知ろうとするまで記憶にすら残り辛い。


 だが、逆を言えばそれは知ってしまえば、存在を確信してしまえば、それがいかなるモノであろうと認識出来てしまうということ。


 だからこそ、怖死や妖怪というバケモノの存在を明確に認識してしまった俺は、今度もバケモノの類いと出遭ってしまう運命にある。


 それ故の訓練。この試験。


 たった今、日常生活に戻ってもある程度の自衛が出来ると看做された。合格を言い渡された。これでようやく、缶詰生活から脱却できたという訳だ。


「久々の学校だ。登校日をこれほど待ち遠しいと思う日がくるとはな。――あぁ、そうそう。本当に大丈夫なのか? 単位とか出席日数とか」

「その辺のことは心配しなくてもいいさ。日雲空は一日も欠かさず双海高校に登校し、きっちりと門限を守って帰宅している――ってことになってる。抜かりはないぜ」

「それを聞いて安心した。警察沙汰や留年の危機なんてのは、まっぴら御免だからな」

 隠蔽工作。と言っては物騒だが、それくらい大仰なことをしてくれていたらしい。


 ごく普通の学生が七日間も姿を消せば騒ぎになる。だから、そうならないよう手を打った。


何をどうすれば俺が登校したり、帰宅したりしたことになるのか。それは定かじゃあないけれど、とにかく、日常生活に支障がないようで何よりだ。


「それじゃあこの後は――」

「そうだな、今日はもう帰って良い。初陣、ご苦労様」

「あぁ!」


 その言葉を最期にして俺の初陣は幕を閉じる。


 そして夜明けがやって来た。



 鳴り響く鐘の音が、授業の終わりを告げる。


 待ちかねたようにクラスメイト達は席を立つ。教師の声など聞こえていないかのように。


「おう、空。飯にしよ……なんだ? まだ書いてたのか」

「あぁ、こいつを終わらせたら全部片付けるよ」


 そう告げると、友達の啓太は「ふーん」とだけ言って、前の空席に腰掛ける。


「んあ? なんだその字? つーか、なんで左手?」


 なかなか要領を得ない疑問の連続だったが、そう言われても仕様がない。


 俺はいま不慣れな左手でペンを持ち、黒板の文字をノートに写しているのだから。


「あれ? お前って左利きだったっけ? 違うよな」

「あぁ、違うな」

「じゃあなんで?」


 理由を言えば、それは右腕が自分の物ではないからだ。


 この義手は、常識では考えられないほど高性能だ。


 触った感触も、痛みもある。傷がつけば血も流れる。カサブタが出来て、治りもする。元の右腕と瓜二つで、左腕と比べても遜色ない。


 だが、それでも違う。


 義手は義手で、別物なのだ。どれだけ本物に近くとも、それは偽物だ。


 理緒の腕を信用していない、という話ではない。これはもっと、人間としての根本的な問題なのだと思う。


 だからこそ、左腕を右腕のように使えるようにしたくなった。


「それは……」


 とは言うものの、馬鹿正直に事実を伝える訳にはいかない。


 伝えたとして、信じて貰えるとも思えない。


「右手と左手、どっちも使えたほうが便利だし」

「だし?」

「格好いいだろ?」

「……ははーん」


 何かを悟ったように、理解したように、啓太の視線が暖かいものに代わった。


 それは昔を懐かしむような、感傷に浸るような、憂いを帯びた眼差し。


 きっと啓太はこう思っているはずだ。これは思春期に有りがちな小さな過ちだ、と。


 実際、そう思わせるように言葉を選んだのだが、いざこう言う視線を送られると予想以上に腹立たしい。


「そうか、そうか。うんうん」

「それ止めろ。なんかムカつくから」


 そう言っても、その眼差しから熱が失せることはなく。


 そんな啓太を見て、ため息と共に説得を諦めた俺は、再び視線をノートに落とす。


 目に写るのは、なんらかの象形文字と見紛うほど酷く歪んだ文字列だ。わかってはいたけれど、右と左でこれほど差が出るとなると先が思いやられる。


 そんな憂鬱をペン先に込め、日直が黒板の文字を消してしまう前に書き写しを終える。出来は酷いが、頑張れば読めないこともない。


 ぱたりとノートを閉じ、机上を真っ平らにした。


「でさ、昨日の話なんだけどさ」

「昨日の? すまん、忘れた」

「んだよ。昨日の今日だぜ? まったく、仕様がねーなー」


 机上の空いたスペースに収まった弁当箱の蓋を開けながら、啓太は昨日のことを語る。俺がいない間に、俺ではない何かと話した内容を。


「あれだよ、クラスの女子で誰が一番モテるか」

「くっだらねぇな、おい」


 予想を遥かに下回る下らない話だった。


「そう言うなよ。いいか? 俺達が制服を着て放課後に女子とデート出来るのは、あとほんの一年とちょっとしかないんだぞ? わかるか? この言葉の重みが」

「俺にはお前の脳内が煩悩に塗れてるってことしかわからねぇ」

「かー! これだから優等生くんは。お前みたいな奴はなー、高校を卒業してから嘆くことになるんだぞ! 制服デート出来ない奴は人生の八割くらい損してるんだからな!」

「残りの二割にどれだけ人生集約させるつもりだよ。荷が重いにも程があるだろ」


 昔から啓太の話はピンと来ない。


「まぁ、それはそれとして、だ。俺的には薙霧なぎりとか、夜薪よまきとか、紫隠しがくれあたりがモテると思うんだよなー。三人とも容姿はずば抜けてるし。ただ男受けしやすい薙霧が頭一つ抜けてるかもな。夜薪は近寄りがたいタイプだし、紫隠は男嫌いっぽいし」

「そうやって品定めするのも良いけど、はやくメシ食えよ。白米が泣いてるぞ」

「つれない奴だな、お前はさー。そんなだから彼女どころか初恋すら出来ないんだぞ」

「そもそも恋愛云々に興味がねーんだよ、俺は。見るからに面倒臭そうだしな」


 愛だの恋だのより、今は食って、寝て、遊んでのほうが楽しい。


 それに怖死や巫覡のこともある。今はそっちのほうで頭がいっぱいだ。とてもじゃあないが、恋愛をする気にはならない。そもそも恋ってものがどう言うものなのかさえ、俺にはわからないことだしな。


「嘆かわしいこったなー。青春真っ盛りの高校生が恋の一つも知らないとは」

「うるせーよ。そんなに急がなくたって、そのうちどうにかなるだろ。適当に恋愛して、結婚して、子供作って育てて、孫の顔みて嬉し泣きだ」

「言うは易く行うは難しって奴だぜ? それ」


 その言葉は、今の俺には突き刺さる。


 などと、そんな下らない話をいつものように交し、気が付けば放課後がやってくる。


 一週間ぶりの学校は、あっという間に過ぎていった。それは単に離れていた時間がそうさせるのか、あるいは俺自身が既に日常に馴染めなくなるほど変化してしまったのか。


 ふと、自分の右手を握り締めた。


「あ、おーい」


 物思いに耽るなか、誰かの声によって我を取り戻す。


 右手の拳から視線を持ち上げ、声のしたほうへと向ける。


 そして、一瞬、目が丸くなるのを自覚した。


 ぎょっとした、と言っても良い。


 なぜなら、そこに立っていたのは、昼休みに話題に出た三人のうちの一人。


「ちょっと私に付き合ってよ。日雲空クン」


 紫隠透華しがくれとうか


 噂をすれば影が差す。とは、昔の人はよくいったものだ。

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