表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

夕闇の白雷


「そら、よっと」


 腕を失い、鮮血を撒き散らしながら怯んだバケモノ。その隙をつくように間合いに踏み込んだ彼女は、草鞋の底で無防備に晒された腹部を蹴る。


 普通なら、人の蹴りが通用するとは思えない。だが、それでも彼女の足はバケモノの内部にまで食い込み、その巨体が宙に浮く。人の身でありながら、人成らざる脚力をもって、彼女はバケモノを蹴り飛ばした。


「じゃあな、しっかり護ってくれよ」


 数十メートル先を転がりながら停止するバケモノに対し、彼女はそう俺に告げて跳躍する。

 跳び上がり、空中で振り上げられた彼女の刀は水を纏い、天に逆巻く激流の刀身と化け。天高く伸びたそれを、叩き付けるように振り下ろす。


 対して、バケモノも体勢を崩しながらも大口を開く。それは摂食のためではなく。街灯の明かりを、星の輝きを、月の光を圧縮したかのような光弾を精製するため。


 放たれ、そして振り下ろされた二つは激突し、轟音を伴い共に爆ぜる。


「な、んなんだ……いったい」


 アリエナイことには、慣れているつもりだった。


 人に見えないモノ。人に見えてはいけないモノ。


 それらが常日頃から目に入る生活を十余年送ってきた。それが日常と呼べるほどに、見慣れていたはずだった。けれど、それでもいま目の前で起こっていることに理解が追いつかない。


「――いや」


 だが、これで助かった。


 あの女は恐らく味方。すくなくとも敵じゃあない。あのバケモノと互角以上に渡り合ってもいる。断続的に鳴り響く轟音や爆音の中、彼女はすべての攻撃をしのぎ、捌き、確実にバケモノを切り崩している。


 ふと、小脇に抱えた子供をみる。


 意識を失ってはいるが、息はしていた。きちんと生きていた。一先ずの安心を得て、深く息を吐く。なんとかなった。助けられた。


 そう、安堵したのも束の間。


「ねぇ」


 声がした気がした。


 轟く爆音の中、破壊音の中、それでも鮮明に、内側に響くように、それは聞こえた。


 誰の声かは、不思議と迷わなかった。子供でも、母親でも、仮面の女でもない、少女。死に装束のような真っ白な着物を身に纏う彼女。心に確信めいたものを抱きながら視線を子供から正面へと移す。


 思うのは、やっぱりな、だった。


 バケモノと女。繰り広げられる死闘を背景に、少女は立つ。ゆっくりと指を差す。その指先は俺自身を指し示しているように思えたが、しかし数秒と経たないうちに真意に気が付く。


 少女が指差しているのは俺ではない。


 俺の後ろにいるナニか。


 脳裏を過ぎる最悪の推測に、どうか思い過ごしであってくれと祈りながら振り返る。


「――もう……一体」


 視線の先、暗闇の中に蠢くモノがいた。


 それはゆっくりと歩を進め、街灯の下へと躍り出る。


 その姿形は、異形。バケモノは、二体いた。


「お――」


 叫ぼうとした。助けを求めようとした。


 だが、その声は届かない。爆音に、破壊音に遮られ、掻き消される。幾ら叫んでも、声を枯らしても、バケモノの放つ音圧にすべてを相殺された。


「くそッ、どうすりゃあいいッ」


 打つ手立てがない。


 近付いてくるバケモノを前に、掃いて捨てるほど思考を積み重ねてみても、行き着く先はすべて等しくそれだった。


 だが、それでも、この子供だけは。


「……いいぜ、上等じゃあねぇか」


 そっと子供を地面に寝かせ、バケモノに立ちはだかる。


「やってやるよ、このバケモノがッ」


 きっと、俺は死ぬだろう。


 殺されて、食われるに違いない。


 だから、どうか頼む。


 名前も知らないが、バケモノに勝てるのはあんただけなんだ。


 だから、どうか、俺が食われているうちに、気が付いてくれ。


 そして、願わくば、仇を取ってくれると嬉しい。


 覚悟を決め、走り出した時にはすでに自身の生を諦めていた。自ら捨てたと言ってもいい。すべては他を生かすため。すこしでも子供の生存率を上げるため、自らが餌となることを選らんだ。


 拳を握る。


 地面を蹴る。


 せめて一矢報い、殴ってやろうと握り締めた拳は、しかし振りかぶることもなく。足が宙に浮かぶほどの衝撃に身を攫われ、宙を舞う。重力に引かれて地面に叩き付けられ、肺の中身をすべてぶちまけて仰ぐ夜空は、胸くそが悪いほど綺麗に写る。


 それが、死に際だとわかっていたから。


 だが、それもすぐに見えなくなる。綺麗な夜空が一転して、バケモノに埋め尽くされた。


「ぐ――アアアアアアアアアアアアアアアアッ」


 ぐしゃりと、潰れる。自分の一部が、右腕が。


 皮膚が割け、骨が砕け、関節が崩れ、腱が千切れ、腕が潰れる。


 全身を駆け巡る激痛に、それでも耐えて目を見開く。今まさに大口を開き、俺を食おうとするバケモノを睨み付ける。


「かん……たんにッ――食われてたまるかッ!」


 一矢報いる。そのためだけに残った左手で握り込む。それはペン。不精してポケットに入れたままにしてあったそれの先を、バケモノの目玉に突き立てる。


「■■■■■■■■■■■ッ!?」

「ハッ! ざまあみろッ」


 いくらバケモノでも目玉を串刺しにされれば痛がるらしい。


 悲鳴を上げて仰け反るように怯んだバケモノは、しかし、その直後に拳を握り締めた。怯んだのは一瞬、声音を悲鳴から怒号へと変え、それは憎しみを込めて振り下ろされる。


 その直後、俺の視界は真っ黒に暗転した。



「ねぇ」


 気が付くと、何もない部屋にいた。


 床も、壁も、天井も真っ白で、それ以外に何もない空間。その中心にいつの間にか立っていた。


 理解しがたい状況を前にして困惑していると、背後に気配を感じて振り返る。すると、またしてもあの少女と再会を果たした。


「……よう、ここが天国って奴か? それとも」

「どっちでもないよ。ここはあなたのなか」


 初めて交わす少女との会話は、しかし意味不明なものとなった。


「言っている意味がわからないんだが」

「心域。自己領域。心象風景。深淵。納得できる言葉を当てはめればいい。どれを選んでも現実は変わらないから」

「……つまり、心の中ってことか?」

「そう」


 心の中。まともな精神状態なら、到底信じられない話だが、どうやらまともじゃあなくなったらしい。何故だか彼女の言葉が真実のように思えてならない。それに驚くほどすんなりと納得している自分がいる。


 ここは己の内側なのだと、根拠なく確信していた。


「けど、まぁそれにしては」


 殺風景な場所だ。何もないじゃあないか。


 心の中ってのは、もっとごちゃごちゃしているモノだと思っていたんだがな。


「それで? どうやったら此処を出られるんだ?」

「出る? 此処を出てどうするの?」

「どうするって、そりゃあ――」


 そう言われて、気が付く。思い出す。


 俺はバケモノに潰されたのだと。此処が何処だろうと、俺はもう何も出来ない。生きていようが死んでいようが、もう身体は動かない。今頃、外――というのも可笑しいが、外はどうなっているのだろうか。


 仮面の女は二体目に気が付いただろうか。あの子供は助かっただろうか。


「あの子を助けたい?」


 見透かしたかのように、少女は言う。


「そりゃあな、助けたいさ。そのために命まで張ったんだ」


 結局、ほとんど何も出来ずに終わってしまったが。


「まだ終わってない」


 少女は告げる。


 ここより外のことを。


「外の時間は限りなく遅く、緩やかに進んでいる。振り下ろされた拳はまだ届いていない。今ならまだ間に合う」


 少女が口にした、間に合うという言葉には、確信があるように受け取れた。


 それがすでに決定された未来であるかのように、語られているとさえ思う。


 少女の言葉と声には、それだけの魔力があった。自分でも可笑しいと思うほどに、俺は少女のことを信じ切っている。


「……どうすればいい?」

「必要なのは決意と覚悟」

「決意と覚悟?」

「そう。失う決意と、失ったまま生きる覚悟」


 同時に、少女が視界の外にある何かを指差す。


 その先にあるもの。指し示されたのは、この空間に浮かぶ一つの輪郭だ。それには目も鼻も口もなく、背景の壁と同化し、描かれた線だと一瞬思い違うほどの純白に染まっていた。


 だが、たしかにそこにある。


 一つの、一枚の仮面が。


「これは、あの時の――」


 あの女のもっていた仮面と同じものか?


 疑問を胸に抱きながらも、この手はそっと仮面に伸びる。


「後悔するかも知れないよ」


 その手を、しかし静止するかのように少女は言葉を発した。


「その仮面を――人蝕ひとはみの仮面を手にしたら、もう後戻りは出来ない」

「……でも、これがないと死ぬんだろ?」

「このまま死ねていれば。いつかそう思う日が来るかも知れない。そう言ってるの」


 このまま死ねていれば、か。


「俺を生かしたいのか、死なせたいのか、どっちなんだ?」

「どっちでもない。ここに私の意志はない、あるのはあなたの意志だけ。何を成し、何を成さないのか。決定権は常に、あなただけにある」


 そう言って、少女は問う。


「さぁ、選んで。このまま瞼を下ろすか。足掻いてみるか」


 答えは、決まり切っていた。


「足掻いてやるさ。そっちのほうが色んなものを拾えそうだ」


 伸ばした指先は、そして仮面に触れる。



 星を掴むようにして伸ばした手は、バケモノの拳を受け止めた。


 防がれたことに、拳が命にまで届かなかったことに、バケモノは困惑し驚愕しているかのように、小さく声を漏らす。そして、次の瞬間に、それは再び悲鳴へと変貌する。


 宵闇を裂くが如く、迸る白雷。爆発による音圧を真っ向から劈くほどの轟音。腕を伝い、手の平から放たれたそれは、容易にバケモノの剛腕を黒く白く、灰色に染め上げ、消し炭にした。


 自らの片腕を、潰れた右腕を失うことで、俺は白雷を身に纏った。


「■■■■■■■ッ」


 腕が灰と化したバケモノは、悲鳴を上げつつもその場から即座に後退する。


 跳び退き、距離が開く。


 同時に、声が響く。


「なんだ、今のは」


 声の主は、仮面の女。


 その戸惑うような声音は、彼女が感じた現状の不可解さを物語っていた。


 疑念と困惑が入り交じる視線。それは仮面の女から、そしてバケモノからも向けられる。その最中、中央にて立つ。片腕の重みを無くし、何処からともなく現れた仮面を被り、ゆっくりとアスファルトを踏み締めた。


「仮面――それを何処でッ!?」


 その問いに、答える術がなかった。


 目も鼻も口もない、仮面。見えなければ、喋れもしない。だが、それでも現状のすべてを把握することが出来ていた。ゆえに、纏う。白雷を、稲妻を、身体に纏いて地を駆ける。瞬間、今まで立っていた場所にバケモノの拳が振り下ろされる。


 回避と反撃。


 バケモノの一撃を容易く回避し、懐に踏み込んで反撃を放つ。


 指先に、手の平に、帯びる白雷は肉体の限界を超えて馳せ、バケモノの腹部をかすめ取るように焼き払う。


 肉を抉り、傷を焼く。


 痛みの根を奥深くまで伸ばした雷撃は、バケモノの神経を冒し、脳の機能を麻痺させる。結果、腕が消し炭になるよりも、より深刻なダメージとなり、バケモノはその巨体を支えきれずに膝をつく。


 そして押さえ付けるように、バケモノの頭を踏みつけた。


 伸ばす手はバケモノの目に向かい、突き刺さったままのペンを引き抜く。赤く、血に染まったそれを天に掲げ、脳内に浮かぶ一つの名を命と共に告げる。


「――」


 瞬間、雲一つない夜空に雷鳴が轟いた。


 掲げるは剣。覆うは仮面。


 薄く白く伸びる刃。赤く、黒く、そして白く、染まる面。


 雷を受け、依り代のペンは刀となり、未完の仮面は完成する。


 刀と仮面。二つを得、一つを失い。天を突いた鋒を、真下のバケモノに突き立てる。刀身は抵抗なく頭蓋を裂いて脳に達し、下顎から突き抜ける。バケモノは、断末魔の一つもなく、雷鳴とは対極に沈むかのような静寂の中、絶命した。


 その様をしかと開けた視界に焼き付け、心は込み上げてくる名状しがたい何かを吐き出す。


「□□□□□□□□□□□□□□□□□□ッ!!」


 その声音はバケモノによく似ていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ