白昼の訓練
「――爪牙集いて敵を討て」
いま詠まれるのは、命。
「混獣」
いま叫ばれるのは、名。
巫覡たる合多謙二は仮面を被り、その身に獣を宿す。
服から露出した部分だけを見ても、その種類は多岐に渡る。獣耳、尻尾、牙、爪、四肢。その何れも、なんらかの動物の特徴を付与されている。その獣の宿る身体から繰り出される一撃は、人を容易く凌駕した。
「あ――っぶねぇ!」
空中。
見下ろすは、つい先ほどまで立っていた場所。ほんの少し前に、蹴った床木。
跳躍の最中、視界に映るのは勢いよく飛び散っていく、床木の残骸だ。重力に逆らって舞い上がる破片の中、その一番深いところに謙二は拳を突き立てていた。
なんの小細工も施されていない、単純な殴打。跳び上がり、加速し、上から下へと殴り付ける動作に、人と獣との力が合わさり、その破壊力は本殿の床木を打ち砕く。
もしあれが当たっていたら、そう思うだけでぞっとしない。
これは戦闘訓練だ。凛の結界で人体に負うダメージはかなり軽減される。
そう理解はしていても、やはり目の前で弾け飛ぶ木片を見ると冷や汗が出る。
「ボサッとしてんじゃねェ!」
空中に逃れたが、安堵はさせて貰えなかった。
謙二は俺の着地を待たず、追撃に打って出る。
獣の脚力をもって跳び上がり、瞬く間に距離を詰められた。
握られる拳と、振り上げられる腕。
その動作を心域によって見切り、纏によって白雷を纏い、なんとか身を捩ることで回避する。
だが、その次の手。
突き上げる拳が空ぶると同時に繰り出された、回し蹴りまでは避けきれず。痛みを覚悟で防御に回る。
「う――ぐッ」
左腕を盾に受けた衝撃は、身体の落下軌道を著しく狂わせる。
それはもはや落下ではなく激突。叩き付けられた身体は幾度も跳ねて転がり、派手な音を鳴らして壁にぶつかった。
「い――ってぇ」
壁に手をついて立ち上がる。
結界で軽減されているとはいえ、やはり痛いものは痛い。
「ほー、やるようになったじゃあねーか。見違えたぜ」
「嫌味か? それは」
「褒めてんだよ。まだまだ素人丸出しだが、一応反撃くらいは入れられるようになった訳だからな」
そう言った謙二は自信の右足を指差す。
そこは白い稽古着が焦げて黒ずんでいる場所。回し蹴りを左腕で受けた際に、逆に白雷を流し込んだ時に出来たものだ。結局、威力の減衰にも繋がらなかったが、反撃と認められる程度には効果があったらしい。
まぁ、それでも獣宿しと結界の前では、少し痺れる程度だろうが。
「おら、構えろよ。まだやれんだろ?」
「当たり前だ。見てろ、今度は一発いいのをくれてやる」
「はっはー、おもしれぇ冗談だッ!」
互いに息を合わせたかのように走り出す。
駆け抜けるたびに踏みつける床木は、だが復元されている。
打ち砕かれた木片は、ゆっくりと時間が巻き戻るように元に戻り。陥没した壁は元の平らな状態に戻される。
破壊と復元。
その両方を交互に繰り返しながら、俺の戦闘訓練は長く続いた。
「――あぁ、くそ。結局、掠っただけか」
訓練の終わりに、そう言葉を吐く。
「頑張ってるみたいじゃあないか、空。謙二あいてに掠りでもしたんだから上出来さ」
「凛。そんな情けない慰めはいらない」
「じゃあ、こうしよう。慰めじゃなくて正当な評価だ」
「止めろよ、よけい虚しくなるだろ」
まぁ、今日まで毎日厳しい訓練を積んできた謙二を相手に、まともな勝負をしようって時点で烏滸がましいにも程があるってものか。
「しっかし、なんで避けるのがあんなに上手いんだ? 謙二の奴は」
心域と纏。
同じ二つの技を使っているのに、こうも差が出るとは。
いや、まぁ、練度と経験の違いと言われれば、所詮それまでなのだけれど。
「回避の成功率か。仮面が仮面だからなぁ。敵に回すと苦労するぜ? あいつは」
「仮面が何か関係があるのか?」
「大ありさ。前に言ったろ? 仮面にも幾つか種類があるって」
「種類? あー……そう言えば。たしか、自然と天候だっけか」
自然と天候。
かなり大雑把な区切りで、この二つに当てはまらないモノもあるが、基本的に仮面はこの二種に別けられる。
「空の天鳴。透華の初霞。私の封火も、自然と天候なら天候に分類される仮面だ」
「雷。霞。雨。まぁ、たしかに――なら、混獣は……自然、だよな? 動物だし」
「あぁ、正解だ。他にも土や植物も自然に含まれるが、まぁそれは置いておくとして」
土や植物、動物は自然。
炎はどっちだ? まぁ、いいか。
「謙二に攻撃が当たらない理由。そいつは至って簡単、あいつ自身が獣になってるからだ」
「……今一、ぴんと来ない」
「なら、こう言おうか。知恵と理性のある獣。それが謙二なんだよ」
理恵と理性を兼ね備えた獣。
「あぁ、そうか。道理で」
その意味をよく考えれば、自ずと答えは導き出される。
力で劣る人間が、他の動物との生存競争に勝利できたのは、知恵と理性があるからだ。それはつまり、裏を返せば、ほかの動物がそれらを有した場合、人間は何一つ勝てなくなってしまうと言うこと。
貧弱だが知恵のある人間。強靱だが知恵のない獣。
その二つを掛け合わせたのが、仮面を被った合多謙二という存在。
「つまり、あれか。野生の勘とか、嗅覚とか、聴覚とか、人間より優れた部分で攻撃を予測してるってことだろ? それに心域まで。そりゃ当たらねーぜ、攻撃なんて」
「まぁ、真っ向勝負の肉弾戦で謙二に勝てる奴はそうはいないだろうさ」
そう言葉を句切り、凛は言う。
「だから、それ以外で勝負すればいいだろ」
それ以外。
「空、あんたの仮面は天候系だ。言ってる意味がわかるか?」
「……あぁ、なんとなくだが、理解したよ」
凛は水を。透華は霞を。自在に操り、戦っている。
雷。白雷。たぶん、凛が言っていたのは、この能力を上手く使えと言うこと。纏で身体能力を強化するだけでなく、もっと別な攻撃の手段があるはずだ。それを、もっとよく考えなくっちゃあな。
「なんの話だ?」
そう話し込んでいると、境内にある手水舎から謙二が帰ってくる。
首に掛かったタオルと、髪が濡れていることから、頭から水を被ったのだと予想がつく。
本来なら参拝者が身を清めるための場所であって、汗を流すところではないのだけれど。まぁ、この神社には奉る神様がいない空っぽな所らしいので、罰当たりなことをしても問題ないらしい。
と、言うか。そもそも本殿の中で物を壊しながら訓練している俺が言えたことでもないか。
「随分と水浴びが長ーなって話だよ」
「水浴びって言うんじゃねぇ。ったく、これだから」
首に掛けていたタオルを手に取り、謙二は荒く自分の髪を拭く。
その頭のうえに、水浴びと茶化した理由が二つ生えている。
つまりは、獣耳。
謙二の獣宿しは、仮面を外した後もしばらく残り続けるのだった。
「人と獣の融合。頭のそれは、そのちょっとした弊害って所だな」
俺に続いて凛も茶化すように言う。
「ちょっと所じゃねーよ。こいつの所為でかなり迷惑してんだ。この状態を人に見られたが最後、俺は社会的に終わるんだからな」
「いいじゃん。案外、受け入れられるかもよ。かーわーいーいーって」
「お前、明日の訓練はマジに覚悟しとけよ」
獰猛な獣のような気迫を発しながら睨まれる。
明日は今日よりももっとキツい訓練になりそうだった。
「あぁ、そういや理緒んとこから式神が来てたぞ。ほれ」
ぽいと投げられて落ちたのは、四角い石で構成された小さな人形だ。
人形、と言う意味では間違いはないのだが、見た目は西洋ファンタジーによく登場するようなデザインをしている。所謂、ゴーレムと呼ばれる類い。
小さなそれは見事に着地すると、よたよたとこちらに歩み寄ってくる。かと思えば、俺達を通り過ぎて壁の手前で停止した。
「なに? あれ」
「まぁ、見てなって」
視線をまたミニゴーレムに向ける。
すると、ちょうどそのタイミングで音声と共に、映像が本殿の壁に映写された。
「やっほー。理緒ちゃんだよー」
第一声から、気の抜ける挨拶だった。
「空くん、空くん。私の作った右腕の調子はどう? 今度、経過観察の意味も含めてメンテナンスするから、時間が空いたら工房のほうに寄ってねー。場所は覚えてる? 忘れたなら凛に聞いて、迷子にならずに来るんだよー。じゃ、そう言うことでー」
その言葉を最後に映像と音声はプッツリと途切れる。
それだけを伝えに、わざわざゴーレムを?
「理緒って携帯とか持ってないのか?」
「曰く、他人が作ったカラクリは信用ならない、だそうだ」
「そいつはまた」
難儀な性格をしているな。
「ん? あれ、いま迷子にって言ったか? 一人で行けってか、あの工房に」
「なんだ? 辿り着けねーってのか」
「いや、そうじゃあなくてだな。仮にも女の家に男が一人でいくのは」
家というか、不気味な工房なんだけれど。
「んー、それもそうか。いや、でもまぁ、大丈夫だろ。なぁ、謙二」
「理緒だしな、大丈夫だろ」
二人の中のいったい何が、そう言わしめるのか。
「それに、だ。もしあの工房の中で不審な動きをみせたら――」
そう言う凛の言葉を遮るように、音を鳴らしてゴーレムが再起動する。
「ついしーん。このゴーレムは機密保持のため、このメッセージが終わった後に自爆しまーす。さんっ、にぃ、いち! ぼーん!」
ぼーん。そんな気の抜けた合図と共に、ミニゴーレムは自爆する。
その威力たるや、真下の床木が砕けるほど。少々、しゃれにならない威力が出ていた。
「……あぁなる」
「うん、理解した」
あの工房の中で、不審または不審と思われるような行動は、決してしないと誓ったのだった。