スロウ
「まったく、何でお前はいつもそうなんだ」
「はあ、すいません」
俺の一日は、先輩の大きなため息から始まった
先輩はかれこれ十分前からずっと怒っている
きっと俺が棚卸しの時間を間違えたからだ
あ、そういえばポテトチップス新発売のやつまだ食べてないや、よし帰りに買って帰ろう
社員割引を使えば確か三十パーセントくらい安くなるはずだし、取り置きしとけば売り切れることもない
それが、俺がコンビニでバイトを始めた理由
「〜‥っておい、ちゃんと話聞いてんのか!」
「そういえば先輩、中国の孔子って身長二メートルもあったらしいですよ」
「‥俺はお前のそういう脈絡のないところが嫌いだ」
呼び出したのは先輩のはずだったのに
「お前邪魔だからレジ番でもしてろ」と言われて、俺はレジの前に追いやられた
先輩はきっとこれから俺が間違えた棚卸しをやり直すんだと思う
朝のラッシュが過ぎたコンビニは、どこか雑然としていて妙に静かだ
お弁当コーナーだけがやけに空っぽで、今日もお弁当は完売したのだと知る
みんなお弁当を作るのがそんなに嫌なのかそれともコンビニ弁当愛好家がこの地区ではすごく多いのか、朝にお弁当が売り切れないことはめったにない
俺もいつか食べてみようと思っているけどいつも取り置きし忘れて、お昼は梅昆布おにぎりで我慢している
ポテトチップスはそんなことがないように今のうちに取っておかないと
先輩がダンボールから何かを取り出す音がする
聞こえるのはそのガサガサという音だけ、あとは何も聞こえない
ふと、レジの横に置いてある中華まん用の保温器が目に入った
肉まんカレーまんあたりならまだ分かるけど、ピザまんとかチョコまんなんて物は一体何がしたいのか分からない
ピザはピザ、チョコはチョコで良いじゃないか
むしろ中華まんになってしまった今、それはピザやチョコの原型を留めていない気がする
これを商品化した奴に中華まんの定義を問いたい、それはもう小一時間ほど問いつめてやりたい
お前は中華まんを一体何だと思っているのかと、お前のせいで中華まんの質が
「すいません、チョコまんください」
気づいたらレジの前に女の子が立っていた
女子高生だろうか、制服に青いマフラーを巻いている
「チョコまん一つですね、百五十円になります」
俺は保温器から茶色い形のチョコまんを一つ取り出して専用の袋に突っ込む
良かったなチョコまん、もし世界に客が俺しかいなかったらお前は確実に売れ残ってたぞ
「お兄さんさ、チョコまん好き?」
「はい?」
「だから、チョコまん好き?」
女子高生は俺が差し出した袋を受け取りながらそう言った
何で突然見ず知らずの高校生にそんなことを聞かれなきゃならんのだ、何の権限があってお前は俺に聞いてるのだ
だけど俺は思い出した、今は接客中お客様は神様です
「いや、別に‥あまり好きじゃないッス」
「やっぱりね、そういう顔してるもん」
女子高生はそれから
「おいしいのにー」と歌うようにそう言ってコンビニを出ていった
‥何だったんだ今のは、チョコまんの妖精が俺に文句でも言いにきたのか
女子高生が出ていってからお昼になるまで、客は本当にまばらにしか来なかった
いつか潰れるぞ、このコンビニ
そうなると俺は無職になるんだけど、まあそれは明日明後日の話じゃないし今は気にすることでもないから別に良いや
その代わりお昼はこれでもかというくらい混んでいた混んでいる時の先輩は機嫌が悪いし、何より人使いがそれはもうかなり荒い
「ぼーっとすんな、ちゃんと働け!」と五回以上言われても俺の動きは変わらなかった
だって俺の中ではこれが最高速度ギネス記録級なんだ
チョコまんの妖精もとい女子高生は、その日の夕方またやって来た
青いマフラーに付いていた雪が店内に入ってすぐ透明になる
「チョコまんください」
「チョコまん一つですね、百五十円になります」
一日にあの得体の知れないものを二つも食うのかこの女は
これは本気でチョコまんの妖精かも分からんね
「お兄さんさ、チョコまん嫌いなんでしょ?」
袋を手渡すと同時にまた同じ質問をされた
いや、今度は確認とでもいうべきか
「、はあ」
「どうせ食べたことないんでしょ?食べてみなよ」
女子高生はそう言って俺がさっき包んだ袋を俺に突き返した
「は?」
自分が食べるために買ったんじゃないのか、それとも俺をただからかっているだけなのか
どちらか判断がつかないままチョコまんの入った袋を受け取ると、女子高生は
「おごってあげる」と笑ってコンビニから出ていった
女子高生に奢られる俺、しかも中身はチョコまん
そのまま保温器に戻しても良かったんだけど、もう料金払っちゃったし何よりわざわざ奢ってもらったものだから袋から取り出して一口食べてみる
あ、意外とおいしい
「何バイト中に勝手に物食ってんだ!」
ちょうど奥から出てきた先輩に頭を叩かれたけど、俺はチョコまんを食べるのを止めなかった
女子高生の姿はもう見えない、これからもきっとこのコンビニにはもう来ない、そんな気がする
今日も平和な一日だった
スロウ
(やさしく過ぎていく、)