追いかけた男
ふっ、と鼻で笑いその猫を追いかけた。端から見たら変なオヤジだと思われているかもしれないが、最近楽しいこともなかったので夢中で走った。
猫は足が早く、距離が離れると立ち止まり、こちらを振り返る。その繰り返しを行っていると、ある場所にたどり着いた。
「遠回りしただけか。」
猫を追って、走って、遠回りして、ただ自宅のマンションに着いた。周りを見ると猫はどこかに消えてしまっていた。なんだが、急に現実に引き戻されてそのまま共用のドアを開けて、階段を上がった。5階建てのマンションの5階に住んでいることを、こんなに後悔したことはない。
「疲れている人の事を考えていないな。エレベーターをつけろ、エレベーターを。」
あまりに疲れて独り言を喋っていた。すると、4階の階段の踊り場にあの猫がいた。その猫を抱えようとしたとき、上から女性の声がしてすぐにその抱えようとした手を戻した。
「ミーちゃん!」
その女性は、猫を抱えあげて「どこいってたの。」と猫に話しかけ、すぐに階段を上がっていった。
「まゆみっ!」
その女性は、振り返り何も言わずに戻っていった。茶髪のボブヘアで、目がすこし離れたタレ目の女性は、5年間付き合った彼女だ。一人暮らしを初めて、2年経つがまさかこのマンションに住んでいるとは知らなかった。世間は、物凄く狭いとこの時感じた。階段を上がり5階の一番端の玄関を開けて、家に入ろうとしたとき、3つ隣の玄関が開いてまゆみが出てきた。まゆみは、こちらに向かって歩いてきて話しかけてきた。
「久しぶりだね。ここに住んでるなんて知らなかった。」
「久しぶり。猫飼ってるんだね。」
「違うよ。あの猫は、野良猫なの。見つけると家に入れてご飯をあげるだけ。」
「そっか。動物飼ったことないって言ってたもんね。」
まゆみは、少し気まずそうに話していた。誰が悪いというわけではないが、別れた理由はまゆみの浮気だったからだ。
「あの人とは、上手くいってるの?」
嫌味とかではなく、純粋に彼女の幸せを思った質問だった。
「あの人ね、結婚してたの。だから、いまは私もあの猫みたいにフラフラしてるのよ。」
彼女は、「あのとき、あのままあなたと…」と言いかけてやめた。すると、彼女の家の玄関が少し開いていたのか、あの猫がまた飛び出していった。
「あっ。」
二人の声が揃ったことに、可笑しくなり目を合わせて笑った。過去に戻ったかのような気分になり、なんの下心もなく彼女を誘った。
「よかったら、家で話さないか。」
「うん。立ち話は疲れちゃった。」
あの猫を追いかけたことによって、いまこの現実がある。猫を追いかけようなんて今後二度と思うことはないだろうが、たまにはそういった気まぐれも必要なのかもしれない。あの猫を追いかけたことは無駄じゃなかったようだ。
飛び出していった猫は、またどこかで誰かのキューピットになっているのかもしれない。