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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第二章《Lost》
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摩天楼の迷宮第一層



 摩天楼の迷宮第一層は、鬱蒼と茂る樹海と湖が全域の八割を占める美しいフィールドだった。



 層ごとに存在するヌシを倒すことができれば一つ上の層へ上がる仕組み。全百層あるこの巨大迷宮を完全攻略コンプリートするには、つまり百体のヌシを屠ればいい。



 よって俺達がするべきことはたったの二つ。一つ目にヌシの捜索。二つ目にヌシの討伐だ。俺達はフィールドの美しさへの感動もそこそこに、セツナ班、カレル班、ジン班で散開してヌシの捜索にあたった。



「にしてもバカみたいに広いわねー……」



 捜索を開始してから既に五時間が経過していた。層を重ねるごとにフィールドの規模は大きくなると聞いていたが、一層の時点からいきなりセントタウン全域に迫る総面積だ。これから先が思いやられる。



 なぜ総面積が正確に分かるのか。それは俺がカレル、そしてジンと定期的に合流し、マップの共有を繰り返してきたからだ。



 以前デザーティアの家でワタルが俺にしてくれたように、マッピングが完了した部分の情報はフレンド間で共有できるのである。



 方角を決めて散開し、半時間おきに集合。敵を見つけたら《狼煙玉》という宝玉アイテムを用いて合流を図ることになっている。



 地面に叩き付けた地点から、フレンド内にだけ視認可能な煙が上がるという効果を持った、宝玉系アイテムの中で最も廉価で低ランクな割に便利なアイテムだ。



 俺達はこの迷宮に乗り込む際、アイテムを全て没収されている。ならばなぜ、最低ランクとは言え希少な宝玉アイテムを持っているのか。それはウチのソーヤの偉大な功績による。



 ソーヤのジョブは《サバイバー》。彼は薬草や石ころなど価値の低いものを原料に、ポーションや宝玉などの価値の高いものを創り出すことができるのだ。



 常時発動型パッシブジョブスキル、【調合の専門家】によって。



 初期ジョブ《ハンター》は、二つ目のジョブスキルに【調合入門】というのがあった。"調合"とは二つのアイテムを合成して一つの新しいアイテムを創造する技術のことで、その系統のジョブスキルを持つ者のみが行使できる力だ。



 サバイバーはどうやら、ハンターから派生した中位の非戦闘職種のようである。



 狼煙玉はこの樹海で採取した《ネバネバ草》と《石ころ》を調合して創った《宝玉の原石》と、同じく調合で拵えてもらった虫取りアミでとっ捕まえた《ケムリゼミ》という蝉とを更に調合してようやく一つが完成した。



 このように、金さえあれば欲しいだけ買える狼煙玉も一から創ればこれだけの労力がいる。アイテムの持ち込みができないこんな迷宮でなければほとんど魅力の無い不人気ジョブだろう。



 補助系のアイテムから回復アイテムまで周辺の素材から創り出してくれるサバイバーソーヤの存在は、今この状況だからこそとてつもなく重宝している。



 五時間というヌシ捜索時間は、実は使えそうな素材を片っ端から採取していた際の時間が大半を占めていた。



 準備はし過ぎるぐらいで丁度いい。極論、ハイポーションのストックが九十九個あればどんな巨大なモンスターも時間をかけて倒すことができる。



 一撃で俺達のHPを全て抉ってくるようなふざけた設定のモンスターがいたとしたら、そいつは例外だが。



 実際の狩りとゲームの最大の相違点こそがアイテムである。この世界には転移玉を筆頭に魔法のような力を持つアイテムが多く存在する。



 アイテム持ち込み禁止の迷宮なら、調合という手段でアイテムを確保することで難易度を大幅に下げることができるはずだ。



 半時間ごとの合流の際のマップ共有で、素材集めに邁進していた俺達の班は当然ほとんどマッピングの成果がなく、特にジンの班から軽蔑の視線と悪態を受けるのが続いた。



 ソーヤは俺以上にいたたまれない顔で俯いていたが、六回目の合流で狼煙玉を含むいくつかの必需アイテムを両班に突きつけてやったときのドヤ顔は忘れられない。



 ジン達ゴロツキメンバーは礼も言わずに掠め取っていったが明らかにソーヤの能力に驚いていたし、カレル達キラキラメンバーは大げさにソーヤをもてはやした。



 そこからは俺達も本格的な捜索に乗り出し、ついに最後の共有で全域のマッピングが完了した。



 それでも見つからなかったということは、どこかにヌシの隠れ家があるか、ヌシが常に移動しているか。



 全域が明るみに出たマップを見ながら呻くようにアンナが呟いたのが先ほどの台詞だ。



「このエリアのどこかにいるヌシを見つける……か。こりゃあ捜すだけで重労働じゃん?」



 例の如くさっさと消えてしまったジン班とは違い、依然集合場所に留まっていたカレル班の猫目の少年──確かキースという名だった……はずだ──が笑う。楽しそうだなぁこいつらはいつも。



「ところでさ、あんたらMobには遭遇したか? 俺達こんだけ歩き回ってるのに一度も見かけねえんだよな」



 カレルの言葉にソラが首を振る。Mobとは即ちフィールドに散らばる普通のモンスターのことだ。



「見てないです。たぶん他のダンジョンと一緒。ヌシ以外のモンスターはいないんだと思います」



 そういえば、砂漠の迷宮もヌシ以外は一匹もいなかった。ダンジョンとはどうやらそういう場所らしい。



「……だとすれば、やっぱりヌシにはヌシの拠点みたいなのがあるのか? 俺の攻略した砂漠のダンジョンはそうだったんだが」



「とも限らないですね。私は二つダンジョンを攻略したことありますけど、一つは風景に擬態してあちこち隠れ回るカメレオンみたいなヌシで、もう一つは空を飛び回る巨大虫のヌシでした」



「いやー、ソラちゃんの経歴についていつかじっくり話を聞いてみたい気分だよー」



 アンナが引きつった笑い声を上げる。それには激しく同感だ。この少女の知識量は尋常じゃない。



「じゃあ、やっぱ虱潰しに探し続けるしかないみたいだな。……そういや、この中に索敵系のスキルを使える人とかいないのか?」



 敵の位置を探る系統のスキル。代表格はハルカの【シックスセンス】だろう。



 皆がばつの悪い笑いと共に首を振る中、一人が何か思いだしたように声を上げた。



「そういえば、私、使えます」



 ソラだ。カレル組が盛大にずっこける。



「ハハハハハ! ミステリアスかと思ったらド天然じゃねーか! やっべー超面白-! 最初から使ってくれよ-!」



 嫌み一つ無く笑うカレル達はやはり俗に言う「イイやつら」だ。これがジン達ならぼろくそに詰られたことだろう。



「ご、ごめんなさい」



 珍しく殊勝に頭を下げるソラの顔はよく見ると真っ赤だ。機械のような少女だと思っていたが可愛いところもあるじゃないか。



 居心地悪そうに俯きながらソラは俺達の輪から抜け、数歩歩いてから顔を上げた。華奢な右手をすっと胸の前に伸ばし──



「おいで、《ミュー》」



 鈴の音を思わせるいかにも幼さの残る少女らしい声で、何者かの名を呼んだ。アンナがはっと息を呑む。



 それに呼応したかのように、ソラの伸ばす手の先が光り輝く。その既視感に俺もアンナに遅れて目を見張った。この感じ、アンナがフォルテを召還するときと同じだ。



 果たして、モノクロの色彩を持つ光の中から奇妙な生物が姿を現した。それはいくつかの異形に目をつぶれば、愛らしい女の子の形をしていた。



 烏の羽を連想する艶やかな黒髪ショートボブに、音符型のピンクのヘアピン。色白どころではない真っ白の肌。



 いたずらっほいつぶらな黒い瞳がきらりと光り、ソラに向かって小さな口が笑った。



「やっほーソラ。あたしの力を借りたいって?」



「うん。よろしくミュー」



 ミューと呼ばれた高飛車な女の子は、比喩でなく宙に浮いていた。小さな背中から5センチほど空けた距離にクリアグレーに発光する輪っかが浮かんでおり、緩やかに明滅するそれが、どうにも少女のホバリングを可能にしている神秘的な何かであるように感じさせる。



 ミューの身長は四十センチほどと、顔の幼さを考慮しても小柄すぎる。服装は鍵盤柄のワンピースだが、それより特筆すべきは全身が淡く発光していることだ。



 神々しいエフェクトに包まれ浮遊する少女に、種族として名前を付けるなら──妖精。それが一番しっくりくる。



 ソラのジョブはフェアリーテイマー、意味を捉えるなら妖精召還士だ。ヒロキやアンナのドラゴンもぶっ飛んでいるがこちらも大概だ。



「その子が、ソラちゃんの使い魔? かわいー!」



「っ! 分かりますか。この愛くるしさ」



「分かりまくるって! わーほっぺプニプニー」



「……アンナさんのとこのフォルテちゃんも、可愛いですよ」



 使い魔を使役する女子二人で盛り上がっているのは良いのだが、そんなことより。アンナに頬をツンツンされて仏頂面の女の子が本当に使い魔──つまりプログラムされた仮想の生物なら、つっこまなければいけないことがあるだろう。



「使い魔が……しゃべった……?」



 耳を疑った俺の呟きをミューは耳ざとく拾った。眉間に小さな皺を寄せて不機嫌な声を投げてくる。



「なんであたしがしゃべっちゃいけないんだよ。あんたやソラはしゃべってるのに」



「い、いや……」



 幼い女の子に当然の権利を主張されているような気分になって俺は言葉を濁した。



 喋るだけならなんてことはない。百年以上前のゲームで既にキャラクターのボイス機能は実装されていた。



 だが、この妖精はアンナや俺と紛いなく会話しているのだ。これは行動パターンのみを記録したアルゴリズムでは対応しようがない。



 恐らく原理としては、昨今の金持ちが所有するお手伝いアンドロイドに近いのだろう。あれは会話できるロボットとして数年前に人気を博した。



 つまりこの妖精には仮想世界用に仕組みを変えた人工知能が搭載されているのだ。



 街のNPCにもかなり簡易的なAIが内蔵されていると聞くが、彼らとの会話は基本的にほぼ成り立たない。



 使い魔は立場上、NPCとは比較にならないほどプレイヤーとの距離が近くなる。フォルテも言葉こそ発さないがアンナの声かけにしっかりと反応をするし、褒めれば喉を鳴らして喜ぶ仕草を見せる。



 妖精はそれを更に親しみやすく創られた、言わば使い魔界のカースト最上位に位置する存在なのだろう。



 ミューと会話するソラの表情は明るい。ミューを可愛いと褒められたときの反応はそれまでの彼女からは想像もつかないほどだった。



 よほどユートピアオンラインの妖精に魅せられたと見えるが……確かにそれは無理もない。



 ここまで感情表現が豊かで知能が高いミューは、とても仮想的に生み出されたデータに過ぎないと思えない。まるで本当に生きていると心から錯覚する。



「妖精はステータスは高くありませんが、強力な魔法を使うんです。ミューは《音妖精》なので音属性の力を操ります。アンナさんのギターでの攻撃も、厳密には音属性に分類されるんじゃないですかね」



 ソラは俺達にさらりと解説すると、ミューに目配せした。お願い、と呟いたソラにミューは笑って頷く。



「【トレース・ソナー】」



 ソラの凜とした指示にミューがその両手を自身の尖った耳に当てた。直後、水面に石を投じたような、実体を持たない光る波紋の演出がミューから全方位に向けて放たれた。



 これがソラの言っていた索敵系のスキルのようだ。



 樹海の木々を突き抜けて波紋が見えなくなっても、しばらくミューは無言で耳を澄ましていた。



 勘の良い者はミューに気を遣って静かにしていたが、カレル組の紅一点がどうにもいけない。妖精の登場に未だ興奮が冷めないようで、何やら一人で盛り上がっている。



「おいスズ、静かに」



「ええ、なによー。逆になんで皆黙ってるわけー?」



 カレル組一番の長身、ダンの言葉にも耳を貸さないスズに、カレルが視線で俺達に謝ってきた。



 実際のところ、スズとか言う姦しい女の声はミューに障らなかったようで。間もなくミューはカッと目を開けて叫んだ。



「見つけた!」



「え、なにっ? びっくりした-、何を見つけたって?」



「ちょっと黙ってようかスズ。このお嬢ちゃんがヌシを見つけてくれたみたいだからさ」



 苦笑しながらミューの頭を撫でるカレル。糸目の男前に撫でられてミューは満更でもない様子だ。「もう、だらしない顔」とソラがため息。



「【トレース・ソナー】は周囲のモンスターやプレイヤーを索敵するスキルです。数とサイズぐらいしか分からないんですが……ダンジョンはヌシしかモンスターがいないので、これで十分です」



「おんぱをとばして、音のはね返り具合を聞いて敵をさがすんだぞ!」



 甲高い声で自慢げに解説するミュー。そういう設定のようだ。なるほど音属性っぽい。



「その存在を忘れてたことはさておき、お手柄じゃないかソラ。これならヌシを捜す時間が大幅に減る。三年なんてかけなくてもクリアできるんじゃないか?」



 抗いようもなく高揚していた。一刻も早く俺はこのふざけた迷宮をクリアしなければいけないのだから。



「お役に立てて良かったです。ミュー、ヌシのところへ案内して」



「りょーかい! こっちだよ」



 空中を滑るように飛行しながらミューは鬱蒼と茂る樹海の奥へと消えた。見失わないよう必死で追いかける俺達。光る輪をしょって浮遊する背中を追いかけること、およそ十分。



 唐突に俺達は樹海を抜けた。一気に広がった視界を覆い尽くすのは美しい湖だ。ここは確かカレルの班が一度マッピングしてくれている、フィールドの端だ。



「ここは一度来たぜ。見ての通り行き止まりだ」



「どうやらそうじゃなかったみたいですね」



 カレルの言葉に首を振ったソラが水面に視線を投げる。その視線を追っていくと、俺は恐ろしいものを見つけた。思わず背筋に寒いものが走る。



 魚影──輪郭も曖昧だが、とにかく巨大な魚影が、だだっ広い湖の底を悠々と泳いでいた。カレルが引きつった歓声を上げる。



「うっわ……悪い、見逃してたわ」



「いや。こんだけ樹海全面に押したフィールドで、ヌシが魚だなんて誰も思わないだろう。気づかないのも無理ないよ」



「セツナ……お前やっぱイイやつだなぁ」



 カレルのしみじみした言葉を照れ半分に黙殺し、俺は悪態を吐いた。



「第一層から鬼畜仕様だなクソ親父め。……水中のモンスターと戦う手段は二つしかない。俺達の方から潜っていって水中戦としゃれ込むか、どうにかして向こうさんを地上に引きずり出すか」



「ええ。一応遠距離攻撃で地上からチクチクやる手も無くはないですけど、威力も減じられるしかなり長期戦になるでしょうね。ちなみに水中戦をする気ならお一人でお願いします」



 冷たいソラの言葉は実際正論だ。水中戦なんて言ってみても、その実水の中じゃろくに武器も振れない。無呼吸を続けなければならないからスタミナの消費も地上の比じゃないし、十や二十のレベル差なら余裕でひっくり返る。



 苦笑混じりにソラに補足する。



「だから鬼畜仕様って言ったんだよ、ソラ。アイテム持ち込み不可なのに、いきなりヌシを倒すために釣り竿がいるんだぜ? 調合スキルホルダーのソーヤがいなけりゃ、いきなりお手上げのクソゲーだ」



 隣で湖を怖々覗き込んでいたソーヤの肩をポンと叩くと、ソーヤは悲鳴と共に飛び上がった。危うく落ちそうになるところを慌てて支える。



「元は死んだら脱出できたわけですからね。ダメ元で水中戦挑んで、負けたらジョブ見直すなりパーティーメンバー加えるなりしてリベンジするんじゃないですか?」



 ソラの言う通りだろう。そのようにして何度も何度も死んでは挑戦して、亀の歩みでシナリオを進めるのがRPGの本来の醍醐味とも言える。



 だがこの迷宮は研究の行き詰まったシンジが息抜きのために創ったもので、詰め込まれた鬱憤の凄まじさたるや。意地でもクリアさせたくないという制作者の黒い感情が伝わってくる。本当に性格の悪い父親を持ったものである。



 ソラはなぜか、少しだけむっとなって付け足した。



「釣り竿なんていりません。ソーヤさんのお手をわずらわせなくたって、ミューがいれば十分です」



 今度はソーヤが弱気な顔立ちを苛立たせて、何か言いたげに口を開いた後ぷんっと顔を背けてしまった。エリオットの一件以来どうにも険悪な二人である。



「皆さん戦闘の準備を。誰かジンさんの班に集合の合図をお願いします。ミュー、やって」



 ミューは一つ頷くと、すいーと水際まで飛んでいった。そして湖の水面にその白い指先をひたす。ソラの唇から力強く冷徹な命令が放たれた。



「【メガ・サウンド・インパクト】」



 鼓膜を破かんばかりの甲高い破裂音が、ミューの指先で弾けて湖全域を駆け抜けた。攻撃対象にない俺達は喧しい程度で済んだが、水中を平和に泳いでいたヌシはたまったものじゃない。



 豪快な水しぶきと共に。十メートルを超える巨体が水面を盛り上がらせて弾け出した。五メートルは舞い上がった巨体は、魚というよりサンショウウオに近いグロテスクな怪物で、気味の悪い悲鳴を上げていた。



 息を呑む間もなく巨大サンショウウオは再び水面に激突し、荘厳な水柱を伴って沈没。かと思うと、強烈な咆哮を上げながら勢い良くこちら目がけて飛び出してきた。



「うおおおでけー!!」



「ちょ、きもいきもいきもいきもい! 無理!!!」



 カレルが歓声を上げ、スズが脱兎の如く逃げ出して木の幹に隠れた。トビウオも驚きの跳躍力で宙を舞ったサンショウウオは、そののっぺりした顔面から俺達のいる地点へ墜落してくる。



「……ははっ」



 全員が回避行動に移り、着地後の隙を狙おうという中、俺だけが動かないでいた。勝手に笑いがこみ上げてくる。



「ちょ、セツナ!?」



 水しぶきの雨を受けて濡れ鼠となったアンナが血相を変えて叫ぶ。同じくびしょ濡れの俺は、もはや俺のみを狙って墜落してくるサンショウウオのアホ面を見上げた。



「あと九十九体か。案外早く会えそうだよ、ハルカ」



 油を撒いたように全身を蒼い炎が包み込んだ。後方からカレル組の泡を食ったような悲鳴が聞こえる。轟々と音を立てて燃えたぎる灼熱の蒼炎は、今や憎しみの感情など糧にしていない。



 復讐をやめると決めた今でも、憎悪を燃やさなくとも蒼炎が発動できる。今までは感情のままに溢れている印象だった炎を、スイッチのオンオフを切り替えるようにして完全に支配できている感覚さえあるのだ。



 ワタルとの修行で俺のオリジナルスキルの扱いを学んだのが大きかった。憎しみの高まりによってのみ俺は今までこの力を行使できていたが、それは俺の"思い込み"だったのだと彼は教えてくれた。



 俺はこれまで憎悪の対象にない敵を相手に蒼炎を発動できなかった。心のどこかで、自分の力に怯えていた。それほどまでに常軌を逸した火力なのである。



 ジョブスキルの仕様もそうだが、誤発を避けるためにも「心から発動しようと思」わなければオリジナルスキルは発動しないようになっているらしい。



 憎くもない相手に、こんな強力すぎる力を心から使いたいと思えない。それがエンケとの対戦時などに蒼炎を発動できなかった理由だ。



 逆に俺が蒼炎を使えたのは、死んでも何も思わない相手。むしろ殺してしまいたいほど憎い相手。だから俺は、憎悪こそがこの力の引き金なのだと思い込んでいた。



 だが実際、俺は砂漠のヌシを相手に炎を発動した。あの時はハルカを痛めつけられたことに怒ったというのもあるが、憎しみというにはどうにも違う気がする。



 人ではなく、単なるデータ集合体としてのモンスター相手なら、傷つけることを恐れることなく俺はこの力を使役できると気づいた。ワタルに気づかされたと言った方が的確かもしれないが。



 このスキルの引き金はイメージと意思だ。ケントとの一戦。あの時は悪くない感じだった。絵を描くような感覚で、炎に命令を与えるイメージ。ワタルとの修行を頭の中でおさらいする。



 ごわっ、と更に火力を上げた炎が天を突く勢いで燃え上がった。──いい感じだ。



 ふぐるるるう、と頭上のサンショウウオが喉を震わして威嚇する。もう着弾まで数刻の猶予もない。鼻を突く異臭を纏って重量級の圧迫感が迫る。



 空が完全に覆い隠され、視界はサンショウウオのぬめった巨体のみに支配される。



 いい加減苛ついていたんだ。俺は出せうる最短タイムで迷宮を突破していきたいのに、協調性のない奴は多いしソラは肝心なことを忘れるし、何より、俺の中の冷静な部分がこの迷宮を「慎重に」攻略しようとするのが気に入らない。



 ちんたら素材を集めて、ソーヤに調合してもらって全員分のポーションのストックを作り上げるのに何時間かけてるんだよ。狼煙玉なんて後でいいだろ。



 理性に抑えられ続けていたが、本心ではそう思っていた。その癖それを提案したのは他ならぬ俺なのだ。それが最善だと、分かっているからそう言った。



 こんなことなら一人で来るんだった。仲間なんて足枷にしかならない。孤独でも何でもいいから。自分だけの命ならなんてことない、顧みずにひたすら走り続けられるのに。



 上っ面は慎重なリーダーでありながら、本心では仲間達を足手纏いにしか感じていなかった。



 だが、ソーヤの調合スキル。ソラの索敵スキル。ミューの音属性。そしてアンナという心の支え。



 これがないと俺はたったの第一層も突破できなかったのだと、ヌシが湖の中にいたと知ってようやく悟ることができた。



 得体の知れない高揚感。俺の仲間はちゃんと強い。俺の仲間は、俺が必死に慎重になって、必死に守るに値する。だから。



 これが笑わずにいられるか? ハルカ、俺は今初めて希望を見たんだ。本当に本気で、この迷宮を完全攻略できるんじゃないか。予感というより確信に近い希望が。



 高揚感に身を委ね、炎が更に爆発的に規模を上げる。蒼い火の玉に包まれた体は、体重が無いみたいに軽かった。



 地響き。巻き起こる粉塵。俺を圧殺するべく着弾したサンショウウオの巨体は、既に真っ二つに割れて大地に横たわっている。まもなく粉々に砕けて空気中を漂う粒子へと果てた。



 さすがに一層はこんなものか。



「弱いな。次だ」



 イメージを切断して刀を鞘に納めると、俺を包む炎は煙のようにかき消えた。第一層クリアを祝福するファンファーレとメッセージが現れた後、ヌシのいた地点には次なる層へと俺達を誘う、紫色に光り輝く魔方陣が出現していた。

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