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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第二章《Lost》
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トーリ/池沢 灯梨

 桜満開。涼しさの中に仄かな甘い香りを含んだ春風が窓から教室に侵入してくる小春日和。



 都市開発の目覚ましい現代、俺達日本人が愛でることを許された数少ない植物の一つが桜である。



 じいさんばあさんは随分緑が減ったとこぼしているが、校門の前で力強く咲き誇る桜並木を見れば、これで十分立派じゃないかと思ってしまうのが本音で。



 そもそも、十五の俺にかつての緑の量なんて知るはずもなく。年寄り連中に聞かれたら膝詰めで説教だろうが、俺はこの春風に十分風流を感じてしまうのだった。



 左耳に装着したオレンジ色のワイヤレスイヤホンから流れるのは、俺達の年代で今爆発的に売れている現役中学生シンガー『ANNA』が今月頭に出した新曲『春風』。



 春は節目で、新たなるスタートライン。ポップでどこか麗らかなリズムと、デビュー二年目のANNAの書くありのままの初々しい歌詞が、どうやら俺を感傷的にした犯人らしい。



 俺も今日から高校生二年目。現在は電子黒板をモニターとし、校長室の椅子に偉そうに座る校長の長ったらしい始業の挨拶がデカめの音声で垂れ流されている。



 どうせなら両耳をイヤホンで塞いでしまいたいところだが、校則上許されているのは片耳のみだ。



 通知音を聞き取ることも通話も、授業でたまに使用する場合も、いずれにしろ片耳あれば事足りるからである。ので、俺は右耳を指で塞いでANNAの歌声に集中していたところだ。



 と、ようやく校長が話を締めたと見えて、学友達が気怠げに伸びをしたり首を鳴らしたりとガサゴソし始めた。



 間もなく電子黒板が暗転、沈黙する。俺は再生していた曲を止め、椅子の背もたれに体を預けた。



「ふぃー。長かったなークソ校長の話。誰だよ始業式なんて考えた奴」



 隣の席で本を読んでいた、去年に引き続き同じクラスの八代やしろ 孔明こうめいに話しかける。



 未だに紙媒体の本を好んで読んでいる彼はかなり物好きな部類に入るだろう。孔明は本を閉じてこちらを振り向くと苦笑した。



「昔は全校生徒、集まって立ち聞きだったらしいしね。案外その内無くなるんじゃないかな」



「そうしよーぜ。そうしたら学生は本を読む時間が増える、その方がよっぽど有益だっつの」



「灯梨は本なんて読まないだろう?」



「細かいこと言うなよ」



 その時、教室の自動ドアが滑らかに開いた。



 入ってきたのは一組の男女。男はスーツ姿で、そして女子の方は見慣れない制服を着ていた。だがブレザーとネクタイの色、スカートの柄など、俺達の制服にとても趣向が似ている。



 スーツの良く似合う男性は俺達の新しい担任なのだとすぐに分かった。顔もかなり整っている方だ。例えばここが共学制の学校なら、男女両方が違う意味で歓声を上げたことだろう。



 しかし生憎ここは全席野郎の男子高。俺達は全員もれなく、その少女に釘付けになった。



 可愛い。いやそんな表現はあまりに生温いほどに、その少女はとてつもなく可憐だった。中学校以来にこの距離で女子という生物を見たから目がおかしくなったのだろうか。



「初めまして皆さん。今日から君達の担任をします、冬真とうまです。早速ですが君達の新しい仲間を紹介します」



 黒髪を少しの整髪剤でぱっちり整えた爽やかな若担任。新任教師の挨拶で見覚えがあったから今年この学校に来た先生だろう。彼の紹介で一歩前に出た女子生徒。



 今思い出した。この学校が近々共学制になるので、試験的に何人か女子生徒が転入するとかなんとか校長が冬休み前、終業の挨拶で言っていたような──



花宮はなみや 瑞季みずきです。これからよろしくお願いします!」



 みずきという名前の男友達が一人いたが、女子の名前というだけで明らかに響きが違った。これから同じクラスの仲間になる美少女の登場に、俺達のテンションは最高潮というか壊れる寸前だった。



 俺達の大歓声に瑞季は引いた様子もなく、むしろ本当におかしそうに笑っていた。



 彼女の笑顔に俺は文字通り心を奪われた。恐らくこの時点で、二年二組全員が花宮瑞季に恋をした。



 瑞季が二組に、そして俺達の学校全域に馴染むのに時間はかからなかった。日頃の授業や行事を重ねるごとに、彼女はその存在感をいかんなく発揮したのである。



「やったー! 孔明に勝ったー!!!」



「バカな……この僕が学年二位だなんて……」



 ──成績超優秀。



『花宮さん、速い、速すぎる!! 陸上部の男子連中をごぼう抜き! あ、あ、そして今、ゴーーーール!!! クラス対抗リレーは大逆転で二年二組の優勝ーーーー!!!!』



「わーい!」



 ──運動神経抜群。



「本当にまだどこの事務所にも入ってないの? だったらぜひウチに来てくれないか。君ならANNAにも負けないトップスターになれる!」



「あはは……今は学校生活が楽しいので。すみませーん」



 ──呆れるくらいに容姿端麗。



 まさしく絵に描いたような才色兼備、瑞季は完璧超人だった。そのくせそれを一切鼻にかけない明るい性格。



 スペック的にはかなり高嶺の花だが、距離を感じさせない人当たりの良さのためか瑞季はとにかくモテた。



 何を隠そう俺も密かに瑞季に思いを寄せていたが、ちぎっては投げというペースで玉砕した屍が積み重なっていく内に自信を無くし、ついに打ち明けられないでいた。



 瑞季は色恋沙汰にはとことん鈍感だったから、あいつは男を作ることに関心がないのだというのが当初は専らの噂だった。しかし、今年もあと一月という時分、俺達の間を一つのニュースが駆け巡った。



 どうにも、瑞季には好きな男がいるらしい──



 ここまで長く付き合ってくると、瑞季への憧れはいつしか友人として大切だという感情に変わっていた。



 だから瑞季が誰かに恋をする、その感覚がどうしてもピンと来なく、その噂は俄に信じがたいものだった。



 そこで。俺は瑞季を丸一日、徹頭徹尾観察してみようという呆れた考えに至ったのである。



 そんなわけで翌日。朝から観察を続けたが、瑞季が誰かに熱い視線を送る様子などもちろん拝めず、やはり恋する乙女なんて柄じゃない。



 なんとか尻尾を掴もうと凝視しすぎたか、何度も怪訝そうな視線を返された。



 最初は「ん、私の顔になんかついてる?」程度だった反応も、放課後が近づき空も暗くなってくる頃には凍てつくようなジト目で睨まれるようになった。



 やはり、こいつに思い人なんているはずがない──そう観察を諦めかけた時だ。俺はあることに気づいた。



「……孔明。そういや瑞季のやつ、えらくあいつに懐いてるよな」



「え、あいつって?」



「あいつだよ。──冬真」



 時限はLHR。教卓のパネルを操作して、俺達に学級便りのデータを配布しているのが、ここの担任もかなり板についてきた冬真。



 俺達は親しみ半分、軽視半分で冬真と基本呼び捨てにしていたが、そういえば瑞季だけは先生と呼んでいた。



 もしやと思って視線を斜め前の席にいる瑞季に向けると、学級便りを見るために下に向けられて然るべきはずの目が真っ直ぐ冬真に据えられている。



 大きな目から注がれる視線は、いつもの瑞季より温度が高いような気がした。



 ──瑞季の思い人って…………ええええええ!?



 思わず首を振り回す勢いで二人を交互に見てしまう。確かに冬真は授業も若さを感じさせないほど安定していて分かりやすいし、何よりいかにも誠実そうなオーラがある。



 生徒の相談にも親身になって乗ってくれるとちょっぴり話題だ。ちょっぴりの由縁はひとえにここが男子校だからだろう、哀れ冬真。



 何しろ俺達が上げる教師の話題なんて、今年入った新しい保健室の先生が可愛いとか、今年入った新しい保健室の先生のスカートが短くてエロいとか、今年入った新しい保健室の先生の首筋のほくろがやばいとかそんなことばかりだ。



 そういえば、瑞季もよく放課後冬真のところへ行っている。瑞季は試験的な女子学生だし、ストーカーとかもザラにされてそうだし彼女なりの悩みが多そうなので今まで気にも留めてなかったが、こうして考えるとどうにも足繁く通いすぎのようにも思えてくる。



「そうか……冬真、か」



 なんとなく物寂しい気分になる自分が不思議だったが、学校中の生徒を見渡しても瑞季に相応しそうな男が見つからなかった分、その事実は俺をいやに納得させたのだった。



 と、いうわけで。俺はLHRが終わった放課後、恐らく例によって職員室へ向かおうと荷物を肩にかけた瑞季へ声をかけた。



「瑞季ー」



「んー?」



「お前、冬真に惚れてんの?」



「ばぶっ!!!」



 瑞季はストローで飲んでいた牛乳だか豆乳だかを盛大に俺目がけて吹き出した。汚え!



「ぎゃー! なにすんだお前!」



「と、とととと灯梨の方こそいきなり何言い出すの!?」



 現在、冬真を除く全員がまだ帰り支度の最中で教室にいた。勝手に騒ぎを大きくした瑞季はクラス全員の前で墓穴を掘り続ける。



「べ、別に毎日カウンセリング受けに行ってるのもホントに悩みがあるからだし、全然先生と二人きりになる口実だとか考えてないし、ほ、ほほほ惚れてるとか意味分かんないし!」



「顔赤ぇ……」



 俺の呆れ声に瑞季は悲鳴を上げて両頬を手で押さえる。こんな瑞季は初めて見るのだった。



 瑞季をこんなにさせる冬真が、きっと俺は羨ましかったんだ。



  俺達のクラスは瑞季以外全員男。しかも無駄に暑苦しい学生ノリの馬鹿が見事に揃っていた。一見大人しい孔明も実は内にやんちゃな心を秘めている。



 分かりやすすぎる瑞季に、男子連中の心境はどうやらほぼ俺と同じようだった。



 例え憧れる気持ちがあったとしても、それより先に大事な大事な仲間である瑞季が冬真を好きになったことは、なんだか寂しいものの本当に嬉しいことで。



 そして同時に、瑞季は俺たちにとってめちゃくちゃ面白いオモチャになったのである。悪戯心を刺激されたバカ共(俺を含む)が、ニヤニヤ笑いながら瑞季を取り囲む。



「いいですな、青春ですなー」



「瑞季にも春が来たか-」



「ねえねえ瑞季さん、冬真のどの辺で発情しちゃうんですか? あの長い指? それとも意外としっかりした胸板? もしかして白い肌に浮かぶ血管だったりして……」



 瑞季に過去告白し勇敢に散っていた者達もクラスには大勢いたのだが、瑞季の人柄に助けられる形で誰一つ気まずい思いを抱えないまま友人として付き合うことができていた。



 ので、瑞季を過激にからかう輪にはクラス全員が当然のように加わった。



 玉砕した彼らでさえも、瑞季が誰かを好きになったことを本心から祝福し、自分のことのように喜んで、そして面白がっていた。



「そ、そんなんじゃないっての! ちょっと、おい、囲むな! その顔やめろおおおお!」



──────────────────

──────────────



「だー、どっと疲れが……」



 部活に勉強に遊びに、三々五々散っていった野郎共。残された俺と瑞季は徒歩にて帰路についていた。



 瑞季はだらんと両手を垂らして猫背になり、今にも溶け出しそうなだらしのない顔をしている。



 徒歩と言えども、果たして電動ミニ車輪が靴底に装備されたシューズでの帰宅をそう言えるかどうかは疑問だが。



 数年前に大手スポーツメーカーが発売を開始したこの靴は、主に学生を中心にウケ、今では全国学生過半数の普及率を誇っている。



 体重を爪先部分にかけるとスイッチオン。平常で立つとスイッチオフ。基本的に登り坂でも無い限り、一度オンである程度勢いをつければしばらくオフの状態で走行可能だ。



 アスファルトの上を滑り歩く俺達を、随分短くなった昼の終わりを告げるオレンジ色が照らす。



「空、綺麗だな」



「そうねー。ねえ灯梨、星空って見てみたくない?」



 唐突な言葉に、そうだなと唸る。俺達の世代は星空というものを知らない。目覚ましい都市開発のしわ寄せが大気に現れた結果である。



 今や田舎でもほとんど見られないらしく、これに関して言えば祖父母どころか両親の世代からもため息が絶えない。



「星空を犠牲にこうしてアスファルトを滑ってると思うと複雑なもんだな。便利になるのも良いことばかりじゃないってことか」



「北極とかなら見れるのかなぁ。ねぇ、卒業旅行で行こうよ! 北極!」



「はぁ?」



 行動力の塊な瑞季らしい、素っ頓狂な提案だった。思わず吹き出す。



「そんな金ねえよばーか。……まあ、いつかな」



「いつかっていつ?」



「大人になって、金稼いで……金が貯まったらだよ。十年後とか、二十年後とか」



 それまで俺達全員、仲良くいよう。そういう意味で言ったのだが、瑞季は不満そうだった。



「そんなの遅いよ。なんなら今から行きたい」



「今からぁ?」



「そう、この靴で北極まで! あ、そうだ! 星を見たいなら北極なんて行かずに、宇宙に行けばいいんだよ!」



 今度こそ、耐えかねて俺は腹を抱えた。ひーひー言うまで大笑いする俺に瑞季が頬を膨らます。



「笑うことないでしょ! もういい決めた。私絶対、死ぬまでに宇宙に行ってやる!」



 やめろ、腹が死ぬ。ツボに入ってしまったらしく一向に笑いの波が収まらない俺に、瑞季は不機嫌そうにぷいっと顔を背けて靴を加速させた。



「ひぃ、ひぃ……あ、待てって。……ぷっ、くはははは!!」



「だから笑うなー!!」



 瑞季も笑っていた。俺は瑞季に並ぶべく爪先に体重をかける。オレンジ色の逆光で陰る瑞季の背中が近づいていく。



 やはり、俺はこの女が好きなのだ。下校は俺が唯一瑞季を独占できる時間だった。今日に限って、いや、たぶん今日だからこそ俺は自分の気持ちを思い出す。



「なー、瑞季。お前、冬真に告ったりしねーの?」



 俺の口から出たのは愛の告白ではなく、瑞季の背中を押す言葉だった。当然だ。瑞季の気持ちは俺にない。俺が欲しいのは、他でもなく瑞季の幸せだ。



 瑞季は振り返らずに、不自然に明るい声で言った。



「無理だよー!」



 背中との距離がゆっくり縮まっていく。



「んなことねえだろ。まあ教師と生徒? ってのがネックかもしれねえけど、お前ほどいい女なんてそういないだろ。冬真も満更でもないに決まってるって」



 口説きではなく応援が目的なら、こんなにも素直な言葉を口にすることは簡単なのだ。



「だから無理だってー。ほら、年の差もあるしさー」



 またしても瑞季は振り返らなかった。



「なんだよ、似合わねえネガティブ発動しやがって。今は十六と二十三でも、例えばお前が二十五になってみろ。冬真は三十二歳だ。全然おかしくない。こないだニュースでアイドルが十五歳差婚して──」



「灯梨には分かんないよ!!」



 追いつきかけた背中が震えているのに気づいたのは、瑞季に怒鳴られた後だった。思わず車輪を寝かせて急停止する。



 瑞季は緩やかに半周旋回してこちらを向いた。紺色に浸食され始めたオレンジが、瑞季の泣き顔を仄かに照らしていた。



「ごめん……分かるわけないよね。何も、話してないもんね。あはっ、ごめんね!」



「瑞季……その」



「謝らないで。謝るのは私の方。……明日も、一緒に帰ろ。その時、全部話す」



 俺は馬鹿正直に頷いて、瑞季の少し後ろをついてそのまま帰った。少しだけぎこちなくなったものの普通に軽口を叩き合い、俺の家の前で別れた。



 最後に交わした言葉はまた明日、だったと思う。





 その次の日瑞季は死んだ。

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