到着
*
目を覚ますと、鎖でグルグル巻きに拘束されていた。
「……ん、うんん…………………………うん!!!?」
寝ぼけまなこを擦ろうとして、手がビタ一センチ動かないことに気づいた。そうしてよくよく全身を見てみるとこの有様である。
無骨な鉄柱に両手首を回して括られ、その上から全身をグルグル巻き。随分と念入りなことだ。
「あ、トーリ君!! 目が覚めたんだね!」
半醒の頭に響く女の声。かと思えば目の前に美しい顔が現れた。駆け寄ってきたハルカは、髪型を以前の赤いロングストレートに戻している。
「ごめん……さんざん説得したんだけど、念のためってことで。色々疑いとか誤解とか晴れたら、きちんと解放されるからね! 恐らく、たぶん…………きっと」
「観測が希望的すぎないか!?」
そもそもここはどこだ。辺りに目を配る。無機質なオフィスのような小部屋。家具の類いはほとんど無く、部屋には俺とハルカ──と、あと一人。
「目が覚めたみたいだね」
頭にタオルを巻いた、三十路前後と思われる男性の研究員。見覚えのある顔だ。襲撃時、ほんの少しだけ交戦した記憶がある。
というのも、当時の俺とアルカディア研究員とでは実力差が明らかだったからだ。
「僕はヒロキ。君はザガンの……トーリ君だね。こっちが掴んでる情報に寄れば、危険人物四人の内の一人だ」
ザガンメンバーの内主だった戦闘要員は四人。その事実は既に筒抜けらしい。厳密に言うならば飛び抜けて戦闘に長けたメンバーがもう一人いるにはいるが、奴は呆れた気分屋で勝手に世界中を放浪している。ベテルギウスにさえほとんど認知されていないほどだ。
「ここ……なんか雰囲気に憶えがあると思ったら。アルカディアの総本山か」
浮遊要塞レガリア。大仰な名前だがその名に恥じぬスケールの特大ギルドハウスである。
襲撃の日、攻め込む敵本拠地の巨大さを前に実は怖じ気づいたのが正直なところ。
「俺をどうするつもりですか? ヒロキさん」
「年は二十もいかないぐらいなのに、えらく肝が据わってるんだね。まあ、小心者にここの襲撃なんて思いつかないか」
「いや、小心者ですよ俺は。今だってあんたの隠してるつもりの殺気が怖くて仕方ない」
ヒロキは口元だけで小さく笑った。
「結論から言うと、僕に、いや、僕達アルカディアに君を殺すつもりはない。なんせ可愛い後輩の置き土産なものでね。これから存分に働いてもらう」
半ば予想はしていたが、無意識にため息を吐いていた。理屈はそうであれ、この男個人としては明らかに目が笑っていなかった。
「せいぜい背後からの攻撃に気をつけるんだね」
「……肝に銘じておきます」
苦笑した俺の鎖にヒロキが触れると、開錠を想起させる小気味良い金属音を伴って鎖が緩み、音を立てて床にずり落ちた。伸びをしながら立ち上がる。
それにしても体が軽い。まるで睡眠薬を大量に飲んで無理矢理爆睡したように不自然なほど疲れが取れている。頭が少し痛むのは寝過ぎたからだろうか。
「……そういや俺、お前に……」
覚束ない記憶を辿っていくとどうにもハルカに後ろからサクッとやられたようなイメージを思い出した。ハルカは両手をばたばたさせて「わーーーー!」と大声を出し、俺の口を塞いだ。
「な、なんのことかな!? 気のせい気のせい!」
「そうか……? てか、お前どうやってソーマから逃げ……」
「ヒロキさん! 彼をとりあえず私の部屋に連れて行きますね! 色々聞きたいこともあるので!」
ヒロキが目を丸くするのを余所にハルカは俺の手を勢い良く引っ張り、引きずるどころかほぼぶん投げるような勢いで部屋から飛び出した。
わけも分からずされるがままにしていると、ハルカはいくつかの廊下を曲がって一室に飛び込んだ。
「……ふう。これでゆっくりお話しできるね」
「う、腕がもげるかと思った……」
ハルカはシーツの整えられたベッドに腰掛け、俺は促されるままに座椅子の上にあぐらをかいた。
「あのね。私達が助かったのは一人の研究員さんのお陰なの。ヒロキさんは、その人の死をまだ受け入れられないでいる。だから、あの人の前でソーマの名前を出すのをやめて」
事情を少しだけ知った俺が感じたのは途方も無い罪悪感だった。未だのうのうと息をしているこの体が酷く傲慢に思える。
人を殺せる世界を創るからには、一番に自分が殺される覚悟を決めていた。だからハルカのために永久にスキルを使い続け、無限の苦しみを受けることに迷いなど無かった。
だが俺は、その命をあろうことか、俺に全てを奪われたはずの研究員に救われ、そして──その人は俺のせいで命を落としてしまった。
ヒロキの殺気を思い出す。俺はあの時、殺されておくべきだった。温厚そうに見えた彼のあの殺気と凶器を、全てこの身に受ける義務が俺にはあったはずだった。
「バカなこと考えてるんでしょうけど、そんなのダメだよ。私も、ヒロキさん達もそれを絶対に許さない。死んだその人のために、私達はこの世界を取り戻さなきゃいけないんだよ」
ハルカが少しだけ声のトーンを落として続けた。
「ねえ。前の答え、今ここで聞かせて。復讐をやめて私と友達になってくれるかどうか。私はその人に報いるために戦うって決めた。だから……」
ハルカが手を差し伸べてくる。滑らかで白い手。
「この手を取ってくれるなら、君はザガンの敵になる。スパイとしてにしろアルカディアの戦闘員としてにしろ、彼らを騙し、彼らを裏切るのが君の義務になる。アルカディアがそう命じれば、君はかつての仲間を……殺さなければいけなくなる」
ハルカは泣いていた。それでも声だけは力強かった。
「もしこの手を拒むなら、ここで私を殺すしかない。何故なら私が君を殺すから」
絶句した俺に対し、ハルカは泣き笑いの表情になった。
「……そう言いたいところだけど、私はトーリ君を殺せない。だって君はもう私の中じゃ友達だもの。助けてくれた大恩もある。だから、もしこの手を拒むなら、こっそり君をここから逃がしてあげる」
全てを言い終えたハルカの伸ばす手を、俺はじっと見つめることしかできなかった。ハルカの譲歩が、余計に俺を葛藤させる。
この手を取りたい。そうすることで俺は少しだけ楽になれる。世界を地獄に変えた最低の悪役から一転、俺は世界を救いへと導くヒーローだと錯覚できる。
俺のために死んだ研究員に報いるためという大義の下、全身を蝕むような罪悪感からも解放される。そして、ハルカと同じ方向を向いて戦うことができる。
「……悪い、ハルカ」
それでもここで、ハルカの手を取るわけにはいかなかった。何故ならそれは、あまりに楽な道だから。
「お前は俺にこう言ってくれたよな。『ここより大変かもしれないけど、もっともっと、明るい場所に行こう』って。俺にとってそこはここじゃない」
俺は伸ばしかけた手を下ろした。ハルカはまだ、下ろさない。
「俺は復讐をやめる。けどここにはいられない。ザガンの皆のところに戻って、皆を説得して、皆で罪を少しずつ償って生きる。そのために、俺達はベテルギウスと戦うよ」
「それじゃあ、アルカディアは君達も狙うよ」
「元からそうだ。アルカディアの怒りも憎しみも俺達は受けて当然なんだ。俺だけそっち側にはいけない。それらを全部受けて、まだ俺達が生きていられたら。俺はあいつらと一緒に、大変だけど今より明るい場所に行ける気がする」
それこそが償うということだ。きっとハルカの手を取っても、俺は楽にはなれても救われない。
それに、コーメイと共にバットマンを出し抜いた一件で、ベテルギウスとの関係がどうなっているかも分からない今、俺はあいつらのことが何より気がかりだ。
「ありがとうハルカ。この選択ができたのはお前のお陰だ」
瑞季を俺達から奪ったあいつのことは今でも絶対に許せない。それでもこれは封印しなければならないのだ。俺が俺であるために。
かつて封印できず、犯してしまった途方も無い罪の分は、他ならぬアルカディアによって救われたこの命でもって少しずつ返済する。
不思議だ。一番辛い選択のはずなのに。復讐も断念し、ハルカとも離ればなれ。アルカディアからはこれからも命を狙われる。一番頭の悪い、不都合な選択のはずなのに。
たぶん一番、この選択をした今が気分が軽い。
「……そっか」
ハルカは残念そうだったが、嬉しそうでもあった。その表情を見れただけでも、復讐をやめる決断に自信が持てた。
「逃げる前に、ハルカ。お前には話しておきたい」
「なに?」
「聞きたくなければ、やめるけど。ハルカに聞いて欲しいんだ。俺の……憎んだ男の話。ハルカに聞いてもらえれば、なんか、整理できる気がするんだ」
ハルカは少し時間をかけて、ゆっくり頷いた。居住まいを正したハルカに、俺は心の中で感謝の気持ちを告げる。
ありがとう。俺は、お前に本当に救われた。
「俺達の憎んだ男は、かつて俺達の担任だった──」




