ソーマVSワタル
意外そうに、ソーマは目を大きくした。
「バットマンさんのこと、アルカディアはご存じでしたか。……あぁ、なるほど。エリオットはしくじったみたいですね」
ポリポリ、と弱ったように頬を掻く。
「実力はともかく、スパイの適性がありそうだったので期待してたのですが」
「確かに最初は中々吐かなくて手こずったなぁ。それにしても痛くないの? さすが急所は外されたけど、やせ我慢してないで悲鳴の一つでも聞かせて欲しいなぁ」
ぐりっ、と剣がゆっくり引き上げられる。ソーマはそれにも顔色を変えることなく、自分を貫く剣が動く様子を無表情で見つめている。
痛くないはずがない。ソーマのHPはここで初めて目に見えて減少しているのだ。ダメージを受けている以上システムが与える痛覚は容赦しない。
「痛いですよ、そりゃあ。けど痛みなんかで叫んでたら次の攻撃を避けられないじゃないですか。だから弱い者同士のケンカは先に不意打ちした方が勝つんです」
「へぇ……悪かったね、不意打ちしなきゃ勝てない弱者で。でも例えばこういうタイプのオンライン対戦ゲームの場合、世界ランカーの上から百人、その中で搦め手を使わないプレイヤーなんていないんだよね」
ぐりぐり、更に剣が突き上げられる。ソーマのHPが少しずつ、だが確実に減っていく。
「これはケンカじゃない、ゲームだ。その場合弱者はどっちかな」
剣先が急速に競り出てきて、根元部分までがソーマの腹を貫通した。初めてソーマの眉間に一筋の皺が寄る。小さすぎるが確かな苦悶のリアクション。
黄金剣はなおも止まることなく、ゆっくり、ゆっくりと突き上げられていく。このまま心臓部まで到達することができたなら、《コア》と呼ばれるアバター体に設定された弱点部分に攻撃がヒットすることになる。
コアが設定されているのは脳と心臓、人体で言えばその二つの器官があるはずの場所だ。そこに攻撃が入ればほぼ必殺のダメージ量となる。ヘッドショッドシステムに似たこの世界の仕様である。
眩い刃があと数センチでコアに到達するというとき、ソーマが腰の刀を抜いた。だが、背後でしかも自分を貫いている相手に対し、この体勢から有効な攻撃を放つのは至難だろう。いかにもワタルがコアを破壊する方が早い。
「死ね」
ワタルが凍り付くような声音で吐き捨てた。剣が勢い良く差し込まれる。ソーマは刀を手の中で反転させ、逆手に握ると──自分の脇腹目がけて思い切り刀を突き込んだ。
「ぐ、ぉ……っ!!?」
ワタルの剣が止まった。ソーマの腹を貫いた刃はそのままワタルの腹部を貫通していたのだ。
正しく激痛によって全身を硬直させたワタル、その隙にソーマは馬のように後ろのワタルを蹴り飛ばし、黄金剣から解き放たれた。
ソーマの方も額に汗を浮かべながら歯を食いしばり、さすがにやせ我慢も限界を迎えたと見える苦痛の表情だった。
低く呻きながら一思いに腹に刺さった刀を抜き、よろよろと二歩その場でたたらを踏む。
このゲームは道徳的な懸念からか、武器などによる自傷ができない。例え腹を切ろうともHPが減らないのだ。
しかしシステム書き換え以降痛覚レベルが跳ね上がり、痛みだけはしっかりと感じるようになった。なのにソーマはなんの躊躇いもなく……。
「くっ、そ……ここまでイカれてるとは……」
「はぁ……なにがです? 例えば一人に不意打ちで足を掴まれ、もう一人が拳銃を向けてきたとして。つかまれた足を迅速に切り落とす以外に何かいいアイデアがありますか?」
今までどんな世界で生きてきたのか、問い詰めるのも馬鹿らしくなる。命を狙われるのが日常茶飯事の世界に平然と身を起き続けた彼に、ハルカの思う戦闘のセオリーは悉く通じない。
まだ絡みついたままの恐怖を振り払い、失った戦意を無理矢理引き上げてハルカは立ち上がった。ワタルの方を向いてハルカに背を向けていたソーマは、それに目敏く反応する。
「二人がかりですか。ますます面白そうですね」
丁度挟撃の格好である。連携にこそ自信は無いが、ワタルはアルカディアの研究員。この世界での戦闘は彼の専門分野のようなものだ。
ハルカはソーマがワタル一人に集中できないように、気を引く動きをするだけでいい。
そして隙を見て──当てる。必睡のスキルを小声で詠唱し、ハルカの予備の細剣に青白い光が灯った。
発動したのは既にこれで三度目。このスキルは切り札の名に恥じぬSPの消費量を誇る。体の負担を考えても、この一発で最後。
「……ハルカちゃん」
ソーマの向こうから、ワタルの声が聞こえた。話すのはかなり久し振りだ。
「君は逃げなさい。そこで寝ている青年を忘れないように」
「えっ……?」
耳を疑うハルカだが、ワタルに言葉を改めるつもりが無いことは分かる。
「ここは僕一人で十分だ。何もこいつを今ここで殺すことだけが僕達の勝利条件ってわけじゃない。むしろ最も優先したいのは君の安否だ」
バカな。敵の最大戦力とこうして有利な状況で向かい合っている今、最優先は断然ソーマの討伐、それ以外有り得ない。
例えその結果、一人の少女が勇敢な戦死を遂げたとしてもだ。
死にたくない。こんな化け物とあと一秒でも同じ空間に、奴の間合いの中にいたくない。
それでも、セツナが愛してやまないこの世界。心から慕っているアルカディア。それらを救うことができるなら、心からこの命惜しくないとさえハルカは言える。
「戦います! 戦わせてください!」
ワタルは困ったように笑った。
「まったく、頑固さはまったく治ってないじゃん。プライドの高い僕にさ、あんまり皆まで言わせないでよ。……頼むから──どうか無事で」
切実な言葉に奮い立っていた体が竦む。ワタルの表情はまるで泣き笑い。落ち着いているようで余裕はほとんど無かった。
「困るんですよね、バットマンさんとの約束なので」
ソーマが後ろ向きのまま地面を蹴り砕き、ハルカ目がけて接近していた。虚を突かれ固まるハルカに体を反転させたソーマの手が触れる瞬間、痛ましい金属音。ソーマの体は横に流れ飛び、ワタルの汚れ一つ無い白衣の背中がハルカの前に立ちはだかる。
刀で受けた格好で地面を滑ったソーマがワタルを見上げる。ほんの少しだけ苛立たしげに。
「殺すまで通してくれないみたいですね」
「ハルカちゃん。タイロンの南門で待ってれば僕の上司が来るはずだから、その人に本部まで送ってもらって」
ハルカは既にトーリを抱えて一歩後ずさるところだった。巨大な未練を、血涙を流す思いで絶とうともがく。
ここで逃げたら、一生後悔するのが今のうちから既に確信できる。それでも、ワタルはあんな顔であんな声で、こう言ってくれた。
──どうか無事で。
無碍にしていいはずがない。ハルカはワタルに同じ言葉を贈ると背を向け、そして全速力で南を目指した。止まりそうになる足を必死に無心で動かし、ついに一度も振り返らなかった。




