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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第二章《Lost》
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怪物

 戦わなくちゃ。戦わなくちゃ。戦わなくちゃ──



 意思とは裏腹に、踏ん張っていた四肢の力が抜けた。その場にへたり込み、俯き、予備の武器を用意する気すら起きず、ハルカは完全に戦意を喪失した。



「いやぁ、久方ぶりに血の湧くような熱い戦いでした。壊してしまった武器のことは許していただきたい、あまりに余裕が無かったもので」



 一定して敵意を微塵も感じさせないソーマの物腰。しかしハルカは、確かにあの一瞬感じたのだ。



 ソーマにあの一撃を突き込む刹那。確かにソーマから放たれた殺気を。あの一瞬、気温が氷点下まで下がったのかと本気で錯覚した。



 勝てない。万に一つも有り得ない。この男はまだてんで底を見せていないのだ。



「さて、それじゃハルカさん。バットマンさんからの頼みなので……すみませんが連れて帰りますね」



 一歩、歩み寄るソーマの靴が砂利を鳴らす。ハルカは顔を上げた。穏やかなソーマの顔を睨み上げようとしたが、瞳が勝手に潤んだ。



 いやだ。あんなところに戻されたくない。もう少し、もう少しでセツナやアンナに会えたのに。本当に、あと少しで……



「さあ、ハルカさん」



 もう一歩歩み寄ってソーマが差し伸べた──その手が一つの半透明な立方体に囲われた。



「ん?」



 ビシビシビシビシ──重複するキューブ展開の効果音。ソーマの右手を這うようにして小さめのキューブが次々にソーマを固定していく。



 肘、二の腕、肩まで上ったかと思うと瞬く間に全身にびっしりキューブが乱立し、無数の立方体がさながら引っ付き虫の如くソーマを覆い尽くした。



「させる、かよ……! ハルカは渡さねえ……」



 息も絶え絶えのトーリが、覚束ない足取りでハルカとソーマの間に割って入った。ハルカをその背に隠し、ソーマの鼻先に棍棒を突きつける。



「体中の関節を、固定した……動けねえだろ」



「人間にこんなに関節ありませんよ」



 キューブに顔を囲われたまま苦笑するソーマ。確かに必要以上の数だが、あれだけの箇所を固定されては身動きなど取れるはずがない。



 物体をすっぽり包むのではなく、物体の一部分を囲うことによってキューブはその物体を、有り体に言えば"挟む"ことができるらしい。



 だが、そんな反則級の切り札、ノーリスクなはずがない。恐らくとてつもない量のSPを消費するはずだ。



 なんて、無茶を。



 トーリのSPは、少なくともさっき確認した時点では間違いなく底をついていた。だが今、トーリの頭上に確認できる青いバーの総量は全体の三割ほど残っている。



 それを確認した瞬間、ハルカは胸に大きな棘が食い込むような痛みを感じた。



 トーリは一度、無理矢理回復アイテムでSPを全快させまでして、この秘技を行使しハルカを救おうとしてくれたのだ。



 ただでさえ気を失いかけるほどの状態だったのに、どんな精神力があればそんなことができるのだろう。



 例えるなら風邪をこじらせたとき。口の中に溜まった唾液を飲み込もうとしても、全身が衰弱しているあまり飲み込めないといったことがある。あれに近い。



 SPの過剰消費で消耗した体は、その疲労に比例して本能的にスキル発動を拒む力が強くなる。本来そこまで消耗するほど切羽詰まり、強力なスキルを連発する事態なんてほとんどないはずなのだ。



 ユートピア・オンラインの特徴の一つはスキルの魅力の高さだ。たった一発で勝利を確約するほど強力なスキルだって枚挙に暇が無いし、演出も派手で何より種類が莫大だ。



 その連発を許してしまえば、対応してモンスターのスペックを跳ね上げなければならず、それでなくても対人戦の質に深刻なインフレを起こす。



 それを防ぐための措置として、連発、及びSPの過剰な消費は身体的苦痛を伴うという設定が施されている。



 体を直に動かす楽しみを確立させたまま、ここぞという時の切り札としてスキルの価値を定めるための仕様でもあるのだ。それはこの世界がただの楽しいアクションRPGの世界で無くなった現在でも変わらない。



 つまりこの世界は、そもそもスキルを乱発する戦闘が想定されていないのだ。それをトーリが心得ていないはずがなく、既にその体で思い知っていることだろう。



 にもかかわらず。彼は、その諸刃の剣を躊躇無く振り回す。ハルカたった一人を守るために。



「どうして……」



 今にも粉々に砕けて消えてしまいそうなほど消耗しているトーリの背中に、ハルカが問いたいことはそれだけだ。



 どうして。決して長い付き合いでもないハルカ一人のために、どうして永遠に全力疾走を続けるような苦痛を進んで受けようとしてくれるのか。



「どうして……トーリ君……」



「……さあな、瑞季に似たお前を、もう二度と泣かせたくない……どうもそれだけじゃねえ気がするな」



 とうとう呼吸音が壊れた笛のようないびつなものになってきたトーリが、それでも確かに力強くそう言った。



 現在トーリにどれだけの仮想的苦痛が施されているのか、ハルカには想像もつかない。ただ、ソーマを拘束しているこのキューブを解除しない限り、トーリの苦痛が少しでも和らぐことは有り得ない。



「ハルカ、今のうちに、こいつ眠らせ……」



「うーん、これ無理矢理いったら痛いでしょうねえ」



「あ……?」



 ソーマの呑気な声に、トーリが訝しげな反応をした。



「ほっ」



 まさしく、これこそ心が砕ける音だ。



 ソーマのかけ声と共に彼が力を込めると、彼の全身が一瞬、急激に膨張バンプアップ



 直後──爆竹を数百個まとめてかち割ったような破裂音を伴って、あれだけあったキューブが全て目の前で張り裂けて消えた。



 トーリは声もなく震えていた。ハルカは絶望するより早く、トーリの挙動を目敏く見据えていた。さっきは決して動かなかった手が動き、予備の武器をすぐさま具現化する。



「こ、の……もう一度──」



「もう、やめて……」



 ソーマに向けて恐らくもう一度キューブを発動しようとしたトーリの背中に、ハルカは気づけば剣を突き込んでいた。



 必睡のスキルをその身に受けたトーリは糸が切れてその場に崩れ落ちる。彼の寝顔があまりに穏やかだったのでハルカは心から安堵した。



「いったぁ……全身の皮膚が剥げたかと思いましたよ」



 両手首をぷらぷら振って顔をしかめているソーマは、ひび割れた道路に顔を埋めて眠りこけているトーリを一瞥すると微笑んだ。



「大したナイトでしたね、彼は」



 その言葉だけでハルカは満足した。トーリは生かされる。それが分かっただけで今は何でも良かった。



 ──ごめん、セツナ……まだ会えそうにないや。



 差し伸べられたソーマの手を取ると、触り心地は信じられないほど硬くてざらついていた。手が、彼の向こうの世界での生き様を語っていた。



 目を閉じた拍子に頬を温かい液体が伝った。何より、ここまでのトーリの献身が水の泡になってしまうことが無念でならなかった。



 ──だが。



「そんな汚れた手で、女の子に触れちゃいけないでしょ」



 救世主は遅れて登場するのだと、ハルカは目の前の異常な光景を目の当たりにして実感していた。



 目の前で直立するソーマ。ハルカの手を離したばかりの格好で硬直している彼の腹部から、斜め上へ突き上げるようにして黄金色の剣先が飛び出している。



 腹を突き破った美しい剣の持ち主はソーマの肩越しから窺える。剣より更に美しい容貌に、冷徹な殺気が隠しきれていない。



「わ、ワタルさん……!?」



 吹き荒れた強風ではためいた白衣と白髪。彼こそは故郷で知り合った美形の若手研究員、ワタルに間違いなかった。



 どうしてここが──そう問いかけて答えのあまりの単純さに気づく。フレンド登録を交わしたハルカの居場所は、ワタルならいつでも追跡できたのだ。



 五大都市には確実にアルカディアもアンテナを張っているし、保安官NPCが出張るような騒ぎが起きているこの都市にハルカのアイコンがあったなら、ベテルギウスの関与が容易に予想できる。



 ハルカがベテルギウスに捕まり監禁されていた事実は、恐らくセツナから伝えられているはずだからだ。



「……お久し振りです、アルカディアの若手エリートさん。女の子一人のために意外と暇なんですね」



 土手っ腹を肉厚の刃が突き破っているというのに、ソーマは軽い口調でワタルに話しかける。だがその顔にもう柔和な微笑みは無い。



 ソーマの言う通り、ハルカはアルカディアからすればベテルギウスの毒牙にかかった数多い一般人、その一人に過ぎない。戦力を動かすわけにはいかない案件だ。



 だからワタルは恐らく独断で、単独で迎えに来てくれたのだ。言葉にならない感謝の気持ちが溢れ出す。



「この娘のために命削ってるバカな弟子がいるんでね。その台詞はおたくのコウモリ男さんにそのままお返しするよ」

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