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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第二章《Lost》
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鬼神のソーマ

 血の気が引くとはこのことだ。気を失いかけているトーリの体を無意識に強く抱く。確かにそこにいたはずのケントが消えた、それだけでえも言われぬ戦慄が走る。



 一瞬遅れて、発動したのは【シックスセンス】。身の危険を感じると反射的にこれを発動してしまうのは、復讐の旅、そして逃亡の旅の中で染み付いた習慣、クセのようなものだ。



 索敵範囲が波紋状に広がっていく。心臓を鷲掴みにされたような恐怖がハルカを貫いたのは、丁度十メートルほど広げたところだった。



 反応は背後。振り返らなければいけない。だがどうしたって振り返ることが出来ない。なんだこの、ふざけた圧力の塊は。



 ハルカはここがゲームの中であることを忘れた。自分が超人の範疇にあることも綺麗さっぱり忘却した。



 か弱い、生身の自分に回帰して、それでも今背後に立っている存在を何かに例えることが出来ない。



 狼? 獅子? それどころではない。とんでもない。生身の人間として向き合ったとしても、ハルカはこれほどの圧力を受けてしまう存在を知らない。地球における生物にはとても例えられない底の無い恐怖。



「驚きました。ケントが負かされるほどの相手が私以外にいるなんて」



 琴線を震わせるような美声だったが、それが返って恐ろしさを加速させる。ハルカはゆっくりと、ゆっくりと振り返った。



 新雪を思わせる純白の髪と、それに溶け込むほど白い肌。筋の通った鼻梁。桜色の唇。儚げな長い睫毛の下──そこだけが獰猛な獣のそれ。狂気的に広がった深紅の瞳。



 目を閉じれば息を呑むほどの美青年。だが目を開ければ彼は鎌を持たない死神だ。もしくは血に飢えた鬼神と言ったところ。



「ソー……マ」



 初対面だったが、それしか考えられなかった。



「こんにちはハルカさん。鬼ヶ島からはるばるここまで逃げるなんて素晴らしい胆力だ。城に帰ったら是非彼との旅先の話を聞きたいですね。ゆっくり紅茶でも飲みながら」



 穏やかに笑う彼の肩にはケントが眠ったままぶら下がっている。ソーマから殺気は感じない。敵意すらも。



 その上でこれほどの圧力──戦意が湧く方がどうかしている。



 震える四肢を叱りつけて、ハルカはトーリを下ろして背後に寝かせた。そして剣を抜き、腰を落として構える。



 ソーマは笑顔を崩さない。ただ、色を少しだけ困り顔に変えて。



「ケントを負かした方だ。是非手合わせしたいところですが……バットマンさんに、傷一つ付けるなと言われています。私、一つだけどうしても苦手なものがあるんですよね」



 ケントの頬をぺちぺち叩き、起きないと分かるや肩をすくめて笑う。



「手加減です」



 必死で頭を前向きに働かせる。上等、ソーマはハルカを傷つけられない。ならば彼は一方的に打たれるがままだ。



「【ヒプノショック・ボム】!」



 愛剣の刀身に必殺の──いや、必睡の切り札が装填される。青白くゆらゆら発光する炎のようなエフェクトを帯びた剣を胸の前で構えると、ソーマが興味を示したように眉を動かした。



 弾丸を発射するタイプのウェポンズスキルは、詠唱と同時に装填され、任意のタイミングで引き金を引くところまでで発動となるメカニズムだ。



 一太刀。一太刀でも浴びせることができれば。いかにソーマでもシステムによって強制的に眠らされる、その力に抗うことなどできるはずが無い。



「ケントはそれにやられたんですね。私には"すきる"とかいうものの強力さを熱心に説いていたくせに、まったく……情けない」



 そう言って、おもむろにソーマはケントを肩からおろすと──



「っ!!?」



 その横腹を躊躇無く蹴り飛ばした。弧を描いた左脚の軌跡はほとんど目で追えなかっただけでなく、クリーンヒットを受けたケントは一瞬のタメの後大砲の如く吹き飛ばされた。



 到達したビルの壁を突き破り奥に消えたケントは、その後も砂煙を拡大させながら幾重も破壊音を連ならせ、恐らく十を超えるビル群を貫通してようやく止まったようだった。



 間もなく地響きを立ててビル群が次々と軒並み倒壊し、膨大な量の砂塵が巻き起こる。



「こ……殺したの……?」



「あれで死ぬようなら私の目が曇っていたということでしょう。……おーいケント、目が覚めましたか!」



 しばらくして、苦しげにむせ返りながらもケントが返事をする声がかすかに届いた。



「まあ、ちょっと強めに蹴ったのでしばらくは戦えないと思いますがね。やはり手加減は難しい。……さて、どこからでもどうぞ?」



 ソーマが両手を広げた。



 絶望に飲まれないように自分を鼓舞し続けながら、あるいは現実の救いようのなさから目を背けながら、再確認する。



 この状況から逃れる方法は一つ。ソーマに一太刀浴びせること。そこから先の方針も考えるべき事項が山ほどありそうだ。



 例えば、仮にソーマを眠らせることができ、ソーマにやられた激痛で動くこともままならないはずのケントも再び眠らせたとして、その二人をどうするか。



 トーリは動かせない。しばらくはハルカが寝ずの番を引き受け、ケントと、ケント以上に昏睡からの回復が早いであろうソーマに継続的な昏睡の処方を施していくのは大前提。それも長期に渡れば限界が見えてくるだろう。



 ザガンの一員であるトーリがいる手前、これまで頭には浮かんでも実行に移せずじまいだったが──セツナやワタルに連絡を取り、ここまで転移で来てもらうのが最良の策なのではないだろうか。



 ハルカはまだデザーティアに住んでいた頃、あくまで近所付き合いの延長のようなものだったがワタルとフレンド登録を交わしている。



 それほど親しい間柄とは言えないが、ソーマとケントを眠らせて監視していると言えば飛んでくるに違いない。



 アルカディア本部までの残りの道のりを、眠らせた化け物二人抱えたまま消耗したトーリと渡りきるのは不安材料が多すぎる。



 不安と言えば、トーリに対してセツナやワタル、及びアルカディアがどのような処分を検討するのか、それだけが気がかりだ。



 場合によっては事前にトーリだけ逃がす用意が必要だが、なるべくならハルカ自身が弁を尽くして説明し、ザガンとの平和的な交渉を約束させたいところ。



 ……もっとも、それら全ては建前かもしれない。こんな魔王のような男を目の前にしてなお──セツナが迎えに来てくれる、そのことを想像しただけで胸が高鳴る。



「……どうしたんです、来ないんですか?」



 ソーマが痺れを切らしたように首を傾げた。時間にしたら数秒も経っていないはずだったが、ハルカは頭から全ての思考を締め出した。



 いくら手を出してこないことが分かっているとは言え、この状況で獲らぬ鬼神の皮算用はあまりに呑気過ぎると思い直したからだ。



 ソーマに一太刀。今はただそれだけ考えていればいい。



 つか、と一歩目を踏み出したハルカは、覚悟を決めて素早く数歩ソーマに歩み寄った。柄を力強く握り、ソーマの胸の中心目がけて素早く突き込む。



 威力はいらない。ただほんの少し刺さればそれでいい。研ぎ澄まし、無駄を削ぎ落とした初撃は──掠りさえしなかった。



 ソーマの体が高速で"ブレた"。青白い光が尾を引く剣先をじっくり、興味深そうな瞳で見つめながら体を横に向けて躱していた。



 動揺を殺して即座に手首を返して真横に振り抜いた瞬間には、ソーマは一歩分後退した位置に。



「この……!」



 悪態もそこそこに地を蹴って大きく踏み込んだ神速の突きは、首を傾けて避けられた。素早く引き戻し刺す突く切り払うを繰り返すも、ソーマは全て涼しい顔で回避してしまう。



 フェンシングの心得こそ持ち合わせていないハルカだが、復讐だけを原動力に過酷なサバイバルを渡りきって培った我流剣術は、主観を除いても素人離れしているのは間違いない。



 復讐に見切りをつけた今もその腕が錆び付くことはなく、むしろ身体もいつもより軽いぐらいだ。なのに。



 ──なんで……!? 当たってよ、当たってよ一発ぐらい!!



 掠りもしない。これ以上ない余裕を持たせた上でソーマは全ての太刀筋を見切り、正確に回避している。



 子ども扱いどころではない。ハルカとソーマの力量差が文字通り大人と子どもだったとして、大人は子どもがめちゃくちゃに振り回す刃物を一度も掠らずに避けることが可能だろうか。



 不可能だ。腐ってもハルカだってこの世界で上位に位置するステータスを誇るはずで、しかも手数重視の細剣使い。それを、口元に笑みまで浮かべて連続回避?



「あり得ない!」



「速い速い、さすが細剣というのは剣速が侮れないですねえ。これだけ速ければ、不意を突けば確かにケントをやれたかも」



 あろうことか呑気に話しかけてきた。ギョロギョロ動く鮮血色の瞳が完璧に剣先の動きを捉え続けている。ハルカの頭が屈辱でかあっと熱を帯びた。



 絶望的な勝算。覆せない力の差。頭を冷やそうと、無数の現実的な見解が脳裏を過ぎる。──上等。



 諦めるぐらいなら、冷静さなんていらない。余計なことばかり考えるこんな脳なら、いっそ一生熱暴走してろ。



「らぁっ!!」



 一段階上がった刺突が白い髪の毛を掠めた。ソーマの目の色が変わった。



「ほう?」



 感心している風のソーマを黙殺してハルカは更に突き込んだ。高熱を帯びたままの頭で、考えることもなくただ感じるままに突き続けることで、ハルカの太刀筋が純粋に研ぎ澄まされていく。



 頭をクールにするという戦闘の基本を完全に無視したハルカの我武者羅な攻撃は、もはやこの上なく動物的だった。考える前に体が動くのは奇妙な感覚だ。



 これはきっと、目の前のこの男の戦い方に近いのだろう。ハルカはそれを本能で感じていた。



 ビュンビュン音を立てながら空気を切り裂く愛剣は、少しずつソーマの回避に対応していった。



 残像を、服の裾を、そしてとうとう頬を掠めた剣先に灯る蒼い効果光が、共鳴するように強力な光を放つ。



 裂帛の気合いと共に下段を突いたハルカは、跳躍して躱したソーマを睨み上げると砂利を巻き上げながらひび割れた道路の上を駆けた。ソーマの周囲を半周回るようにして背後を取る。



「【ライトニング】!」



 ハルカが弾丸装填系ではなく、刺突系のウェポンズスキルを発動するのは極めて稀なことだった。



 運動神経が優れ、自分の身体を操るセンスに長けているハルカは、基本的に身体が自動で動くスキルを使うよりも好きなように動いた方が応用が利く。



 だがここぞというときはある。例えば今がそうだ。【ライトニング】は威力は低いが手持ちの中で最速の突進攻撃スキルで、当たればほんの一瞬相手を《麻痺》にできる。【ヒプノショック・ボム】と掛け合わせれば無敵に近い優秀な剣技だ。



 電流じみたエフェクトを眩いばかりに発しながら、文字通り光の筋となって愛剣がソーマの背中に迫った。ソーマは目だけをこちらに向けて薄く微笑んでいた。



「面白い。あなたさっきからどんどん加速してませんか?」



 言ってひらりと身を翻した。どんな体の使い方をすれば空中でノーモーションの宙返りができるのか。ハルカの渾身の突進はソーマの背面飛びの真下を虚しくくぐり抜ける。



「くそっ……!」



「──"展開オープン"、"跳弾バウンド"」



 これでも当たらないのか、と絶望しかけたその時、突進行動途中のハルカの進行方向、空中に、突如小振りのキューブが展開した。



 ハッ、とした。スキルモーション終了と同時にハルカは片足を前に出し、突進の勢いそのままにキューブの一面を踏みつけた。ぶにぃ、と、例えるならトランポリンのような感触。



「うわっ!」



 悲鳴こそ漏れたが身体は完璧に反応した。限界まで踏みしだいた後蹴り飛ばすことでハルカは斜め上目がけて猛烈にバウンド。内蔵が締め付けられるような加速感も気にならないほどに高揚していた。



 なぜならバウンドしたその軌道上、ソーマの真上。まるで誂えたようにそこの空間にも同じキューブが固定されていたのだから。



 軽業師の如く身体を反転させたハルカは、頭を真下のソーマへ、足を真上のキューブへ向けた。折り曲げた両足にぴったりキューブが吸い付いて、ぐにぃ、と力を溜め込む。



「決めろハルカ!」



 苦しげだが力強いトーリの叫びに頷いて、ハルカは両足を揃えて真上のキューブを蹴り飛ばした。



 未だ空中にいる、上へ腹を見せている状態のソーマと目が合った。大きく大きく見開かれた真っ赤な瞳。



「【ライトニング】!!」



 到達半ばで更に加速したハルカは、自分自身そのものが落雷となったようにソーマを貫いて地面に墜落した。巻き起こる膨大な砂塵。



 鬼神を道路に張り付けにしたハルカは全身を襲う激烈な衝撃に耐え、引き金を引こうとして──絶句した。



「いひゃあほんほうひ、まひりまひた(いやあ本当に、参りました)」



 風で吹き飛ぶ砂埃。ソーマは麻痺に陥っていなかった。片手一本で道路を握り潰すようにして着地し、ハルカを腹に乗せたまま浮いている。そしてハルカの剣は──ソーマの白い歯と歯の間。



 ──噛んで、防いだ…………!!!!?



「冗談、でしょ……」



 引き金は凍り付いたように動かなかった。その意味をハルカはすぐに悟ることになる。



 パキン、と音を立てて愛剣はソーマの顎に砕かれた。ハルカの剣は死んだのだ。スキルの発動も、ソーマに切り傷一つ追わせることももうできない。



 間もなく、ハルカの手の中で粉々に霧散し、光の欠片に成り果て空へ消えていく剣の最期を呆然と見送った。



 ソーマは少しだけ疲れたように息を吐いて、ハルカを優しく下ろしつつ地に足をつけた。

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