懐かしの
ハルカは以前契約していた宿屋にトーリを案内し、同じ部屋がまだ空いていたためそこに新規で一泊契約した。
二部屋別々に借りることも考えたが、トーリがそれでは護衛の意味がないと主張し、それもそうだと思い一室に二人で宿泊することに。
彼は入り口にもたれ掛かって寝ると言うので恐縮しながらもそれに甘えた。
思った以上に疲れていて、入浴を終えてベッドに沈み込むとすぐに眠気が忍び寄ってきた。消灯し、入り口のトーリと目をつむったまま会話する。
「何から何まで、ほんとにありがとう。でもそうまでしてもらっちゃ悪いっていうか、むしろトーリ君にベッド使って欲しいぐらいなんだけど」
「別にどんな寝方したって、この世界じゃ体痛めたりしねえから平気。俺はSPが回復しさえすればいい。それに、バットマンはこの場所だって多分分かってるんだ。動きを止める夜は特に警戒しとかなきゃな」
まあ、まだ追っ手が来てない時点でバットマンの多忙さが知れるようなものだけどな。トーリの言葉にハルカも頷く。
バットマンはハルカの目にもとても忙しそうに映った。城にいないことの方が多いし、常に何かに追われている雰囲気は察せていた。
捻出した僅かな余暇の時間をハルカの面会に当てることだけが不自然だったが。
「多分ベテルギウスを使ってきてるだろうけど、奴ら世界中に散らばってやがるからな。位置情報を逐一知らせるまでもなく、見つかるのは時間の問題だろう」
「ベテルギウスって一応同盟関係にあるんでしょ? 万が一の時、戦って大丈夫なの?」
「おいおい、俺はもうバットマンに喧嘩売っちまってんだぞ?」
毒気なく笑うトーリ。なるほどその通りだ。
「明日も早い。そろそろ寝ろよ」
言われたとき、丁度ハルカは眠りの世界に落ちる寸前だった。
「おやすみ」とむにゃむにゃ呟いて、ハルカは意識をゆっくり沈ませていった。
「……おやすみ。瑞季」
*
成り行きでとある少女の逃亡を助けて最初の夜が明けた。幸い、昨夜は寝込みを襲われるようなことは無かった。
俺は目を覚ますと同時に立ち上がって大きく伸びをした。キューブに入って移動することが多い俺は、比較的どんな体勢でも熟睡できる。だがやはりなんとなく、起きてみると体が凝り固まっているような気がする。もちろん気のせいでしかないのだが。
「おはようトーリ君」
まだ朝日が昇ったばかりの早い時分だというのに、俺を道連れにした少女はしっかり目を覚ましてベッドの端に腰掛けていた。
窓から漏れる柔らかな早朝の光を受ける少女のあまりの美しさに言葉を失いかける。見れば見るほど、ハルカは瑞季に生き写しだ。
「はよ。早起きなんて感心じゃないか」
「いつ襲われるかも分からないのにぐっすり眠れないよ。夜何回か起きた。浅い眠り繰り返して今に至るって感じ」
むしろ少しでも眠れるだけこの女は逞しいと言える。中身まで瑞季にそっくりだ。
「さて……俺はSPほぼフル回復したし、いつでも出発できるぞ。どうする?」
「え、もう出発するの?」
意外な返事だった。俺がそれを意外と感じたのは、きっとハルカを無意識に瑞季として接していたからかもしれない。
瑞季は良い意味でせっかちで、何か目的があれば寝る暇も食べる暇もとにかく一刻も惜しんで突き進むような奴だった。付き合わされるこっちの身が持たないほどで。
だから俺はきっと勝手に期待していた。ハルカが俺を強引に引っ張ってくれるのを。かつて瑞季がそうしたように。
「トーリ君。私達、昨日の夜から何かとても大切なことを忘れているわ」
ハルカは真面目な顔で俺を見つめた。
「なんだよ、大切なことって」
「ご飯よ! ご、は、ん!」
身を乗り出して両拳を固めて主張するハルカはまるで子どものようだ。姿と仕草は瑞季なのに、どこか違う。レガリアへ辿り着くという最重要目的を差し置いて食事を提案するなんて瑞季じゃない。
「食べないとスタミナゲージも短くなる一方! 腹が減っては戦はできぬ! てかもうお腹減って死にそう!」
というわけで、ご飯食べましょう。急に笑顔を作ったハルカに俺は気づけば頷いていた。
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スパイスの風味とマイルドな油のコクが口の中で弾け合って、俺の脳を痺れさせていた。素直な情動現象が俺の右手を引っ切り無しに動かし続け、瞬く間に目の前の大皿が空になる。
文字通り新品そのものになった真っ白な大皿を前に合唱した俺の瞳は不覚にも潤んでいた。こんな美味いものは初めて食った。これはもはや食べ物と形容すべきではない。
「神だ……俺は今神を食った……」
「大げさ」
隣でハルカがカルボナーラを食べながら苦笑している。カウンターの向こう側では、神を作った割烹着姿の男が本当に嬉しそうに顔をほころばせている。
「いやぁ、カレーチャーハンの男受けは尋常じゃないね。ヒントをくれた彼には感謝しなきゃ」
「今度はセツナと私の親友も連れてまた来ますね」
ハルカは目に見えて上機嫌だった。馴染みのある人物との再会は、長い軟禁生活から逃れ日常に帰ることができつつあることを実感させてくれたらしい。
「はーっ、食った食った! エネルギーフル回復!」
全身から力が漲るようだ。数値的に回復しているだけの状態とは明らかに何かが違う。
「にしてもハルカ、意外だったぞ。俺はてっきりすぐにでも出発したいもんかと」
「当然その気持ちは強いわ。けど、以前それで痛い目見てるからね。食事と睡眠はしっかり取ってから動く。これこの世界での鉄則だって教えてくれた人がいた」
「それもセツナか?」
「……なんで分かったの?」
「ハルカの知人の名前をそれぐらいしか知らないだけだ」
上手くはぐらかしたが、実際ハルカの顔を見ていればこの程度分からない方がおかしい。セツナという男の話をするときだけ露骨に明るい顔をしやがって。
色んな人間から飛び出すセツナという名前。神の名に相応しい料理を考案し、トモヤやソーマほどの男の関心を買い、バットマンに主人公と称される男。そしてハルカの心を射止めた男。
いったいどんな人間なのだろうか。これは純粋な興味だ。
「ごちそうさまでした。じゃあ今度こそ出発しましょうか」
完食したハルカはフォークとスプーンを皿に置いて合唱すると、口の周りをペロッと舐めてそう言った。
ヨシシゲという店主に深くお礼を言って勘定を済ませた俺達は、あえて人通りの多い大通りを歩いた。木を隠すなら森の中というわけだ。
だが、それは完全に裏目に出たのだった。
ハルカに道の端側を歩かせてそれとなく庇ってはいたが、やはりこの女の髪の色はいかにも目立つ。ただでさえふざけた容姿をしているのだから群衆の注目を集めるのに時間はかからなかった。
百発百中で人が振り返る。二度見どころの騒ぎではない。足を止め、中には引き返して何やらわいわいと盛り上がる連中もいる。
とうとう辛抱たまらなくなって、俺はハルカを喫茶店と宿屋の間に生まれた路地に連れ込んだ。入り口をキューブで塞いでおく。
短い悲鳴を上げたハルカを一応自分の身体で隠すように位置取った。幸い、ザガンのローブは路地の闇に良く溶け込む。
「な、なに?」
「とぼけやがって。自分がどれだけ派手な容姿をしてるかそろそろ自覚しろ」
ハルカは目をまん丸にして二、三回瞬かせた後、何が可笑しいのか声を上げて笑い出した。
「それ、トーリ君が言うんだ!」
「はあ?」
「なんでもないですよーだ。まったく、私だけのせいにしないでよね。ただでさえそんなローブ姿で」
言われて思い直すと、確かに群衆の半分はハルカではなく俺に何やら好奇の目を向けていた気がする。
「そ、そんなにださいかな、これ」
皆で相談し合って作ったローブだ。体温調節ボーナスに加えカムフラージュ数値が高いという優れもの。学園祭でクラスのオリジナルTシャツを作ったような気分だった。気に入ってたのに……。
「いや、ここ昔ベテルギウスに襲われてるから、黒ローブに敏感なの。怪しまれないようにフード下ろしてるのも逆効果ね。目立つ髪色。派手な容姿。人のこと言える筋合いじゃないと思うけど!」
「お前と一緒にするな! ああクソ分かったよ、脱げば良いんだろ脱げば!」
俺はローブに手を触れて武装解除した。中は寝間着同然だったのでストレージを吟味して適当に組み合わせを見繕う。
私服装備と戦闘装備を重ね合わせ、冬のどこかの大学キャンパスを覗けば掃いて捨てるほどいるような無難な服装にコーディネートした。これで文句有るまい。
「さあ今度はハルカの番だ、ついてこい!」
「え、ちょっと」
付いてこいと言いつつ結局手を引っ張って強引に歩かせ、俺はとある場所に向かった。
そして三十分後。俺の隣を歩く少女は狙い通り変身を遂げていた。
「我ながらナイスな出来だ。完全に俺達、どこにでもいる平々凡々なカップルだぜ」
「そうかしら……トーリ君の変身が自分に甘すぎる気がするんだけど」
ふて腐れて大股で歩くハルカの髪の色は、さっき放り込んだ美容院で真っ黒に染めてもらった。ついでに髪型も肩にかかる程度のショートヘアに。
分厚い白セーターと紺色のロングスカート、極めつけの伊達メガネと顔の下半分を隠すまでグルグル巻きにした赤いマフラー。
これだけしてもまだ隠しきれない美貌には脱帽するほかないが、どうにかこうにかやぼったい文学少女に見えなくもないハルカが完成した。
「あんたはそれぐらいして丁度いいんだよ」
言いながら俺は必死に動揺を隠していた。いったいどういった悪戯だ。
黒髪のショートカットにして美容院から仏頂面で出てきたハルカは、冗談でも大げさでもなく俺の知る「花宮 瑞季」そのものだった。似ている、なんて生易しいものでは既にない。赤い髪はその確信を得きらないように働くジャマーだった。
「恨んでやる……トーリ君の髪も寝てる間に真っ黒にしてやる……そしてパンチパーマ当てて全部脱色して最後に丸坊主にしてやる……」
「色々と無駄な時間を過ごす気なのはよく分かった。ほら、そうこうしてる間にようやくゴールだ」
変装の甲斐あり、俺達は派手な注目を得ることなく三つの主街区を渡りきり、とうとうメルティオールの南門を視界に捉えた。
「門を越えたらその装備は外して良いからさ。念のため髪だけはそのままで頼む」
「やっと抜けたのね……ここから先は空飛んでいけるんでしょ?」
「ああ。さすがに五大都市の真上を通過するのは危ない橋すぎるからな」
それに、あの城からレガリアを目指すならメルティオールは必ず通過しなければならない。
この街は転移で先回りしたベテルギウス達がうようよ目を光らせているのだ。俺の能力を知る奴らにとって、空は最大の警戒ポイントである。
ハルカの言っていた通り、ベテルギウスはこの街にいるだけで過剰に目立つようだった。
案の定メルティオールの街中には多くのベテルギウスがいたが、あのボロローブ姿を見ると群衆が分かりやすく騒いでくれるので、変装のお陰もあり、それに紛れてやり過ごすことはさほど難しくなかった。
そんな時だった。
「っ!? トーリ君、止まって!」
何かに気づいたハルカがオレの腕を突然すごい力で引っ張って引き戻した。
「なんだ、何が見えた」
前を向いたまま問う。
「見えたわけじゃないの。門の裏。あいつが……いる」
「あいつ?」
ハルカの身体は微かに震えていた。
「……ケント」
「なに!?」
ベテルギウスのナンバー2。ソーマを覗けば、追っ手の中で最も警戒すべき人物だ。
ベテルギウスの下っ端が馬鹿正直に街中に散って血眼になっている中、自分は俺達が確実に通過するはずの南門を張っている辺りがいやらしい。いかにもケントだ。
「どうしてケントって分かった?」
「私のジョブスキル。あんな不気味な気配あいつしか知らないわ」
「そうか。便利なの持ってるじゃん」
まあ、それはお互い様だけど。俺の呟きにハルカは首を傾げた。
「人気のない所に行こう」
「え、まさかここから飛ぶ気? 無茶だよ、ケントが上を警戒してないわけないよ。トーリ君の能力は把握されてるんでしょ?」
「いいから行くぞ。俺に任せとけ、後で説明する。他のベテルギウスに見つからないように気を付けろ」
はぐれないように手を掴んで、一際大きな群衆の波に飛び込んだ。流れに乗りながら少しずつ進行方向を調節し、上手く脇道に入ることに成功する。
「展開」
オリジナルスキル発動。俺とハルカ二人を包み込んだキューブは俺の指示に従って上昇を開始した。今度は前よりサイズに余裕もある。
「こんなに人がたくさんいるところで……目立っちゃうよ!」
「だから心配すんなって。──"陽炎"」
奥の手を発動した俺はキューブを操作。群衆のすぐ上を滑るようにして南門を目指した。
ハルカは俺のコートの裾を強く握って不安そうに下を見下ろしている。暖かそうな装備に身を包んだ人の群れはすぐ上を通過する俺達に気づくことなく眼下を流れていく。
「……どうして、気づかないの?」
解説を求めるように俺を見上げてくるが、生憎今そんな余裕は無い。何とか自力で答えを見つけてくれ。
伸ばしていた指を思い切り縦に向ける。キューブは直角に急上昇。慣性で前のめりになったハルカを支える。メルティオールの玄関口とも言える白い石造りの南門を丸ごと飛び越える。
視界が思い切り広がった。雪を被った森、そこを抜けた先の靄に覆われた湿原地帯までもを薄く望むことができる。あまりの絶景にハルカが思わずと言った感じのため息を漏らした。
感動もそこそこに俺は真下に視線を投げた。すぐに見つけた。門を出たところのすぐ横に、背をもたせかけて佇む金髪のシルエット。ベテルギウスのボロローブ姿。
ケントだ。リラックスしているようで一ミリも油断を感じない。どこぞの王子然とした容貌の奥に暴力的な衝動を感じる。
「っ!」
思わず背筋が凍る。ケントが空を見上げた。刺すような気配が近づいてくる。米粒一つ分の影も見逃すまいとばかりの鋭い視線が這ってきて、そして、目が合った。
見えていない。見えていないと分かっていても首筋に剣を突きつけられたような不快感が拭えない。ハルカが俺の名を叫んで身を堅くした。
永遠にも思える一瞬の後、ケントが視線を流した。硬直が解けてほっと一息つきかけて、慌てて思いとどまる。今息を吐いたら全てが水の泡だ。
「気づかれ……なかった……? なんで? さっきの群衆もケントも、私達のこと見えてなかったみたいに。ねえトーリ君、黙ってないで教えてよ」
なおも解説を求めるハルカに、俺はしかめっ面で自分の真一文字に閉じた口を指さした。今喋れないの、というジェスチャーだ。
「……? 変なの。なんで息止めてるの?」
うるさいハルカを黙らせるべく俺は一気にスピードを上げた。白い帽子を被った針葉樹林の上を滑走し、ケントが完全に見えなくなったところでキューブを解除。
悲鳴を上げかけたハルカの口を押さえて抱きかかえ、木と木の隙間をかいくぐって雪の上に着地した。
「ぶはっ!! ……はぁ、死ぬかと思った」
待ち侘びた仮想酸素を思い切り吸い込む。キンキンに冷えた空気が喉に心地良い。数回喘いだ所でどうにか呼吸が落ち着いた。
「……ちょっと、下ろして」
「え? あぁ、すまん」
抱えたままだったハルカのことを忘れていた。こうして初めて意識してみるとなんだかいい匂いがする。それにかじかんだ手の平に触れる身体が柔らかいし温かい。
ちょっと名残惜しく思いつつも優しく下ろしてやったのに、ハルカはジト目で睨んできた。
「スピード上げるとか解除とか、やる前に言ってよね。そうしたら着地だって自分でできました」
「だから言えなかったんだって。息止めてたから」
「じゃあ息止める理由ぐらいは先に言えるよね?」
「うっ……」
論破されてはぐうの音も出ない。確かにそれぐらいは言うべきだったかもしれない。
「……さっきのはキューブの陽炎モードだ。俺が息を止めてる間、キューブが中身も含めて完全に透明化する。実体が消えるわけじゃないから壁をすり抜けたりとかは無理だけどな」
「なるほど……本当に便利ねぇ、オリジナルスキルって」
「同感だ。ハルカもその内発現するかもよ。オリジナルスキルってのは強い思いが生んだ力らしいぜ」
この世界は人の感情さえ読み取る、という話は今でも信じがたいが、それを利用したシステムも枚挙に暇がない。
俺のオリジナルスキルの解放条件は、曰く『自分の持つ強い思いを、封印しようという心が生んだ抑止の力』だそうだ。
ザガンの誰でもなく俺にこの力が発現したのはシステムの人選ミスである気がする。
俺はあの男を憎む心を、あの頃本当に、ザガンの誰よりも必死で抑えつけようとしていたかどうか今でも自信が持てない。
この力が発現したのは、バットマンにアルカディア襲撃の話を持ちかけられた日の夜だ。
結局バットマンの手を取ってしまった俺に、抑止のためのはずの力を復讐に使うと決めてしまった俺に、この力が与えられる資格は本来ないはずなのだ。
「トーリ君?」
「いや、なんでもない。とにかく急いでここを離れよう」
後ろ向きな思考はハルカの顔を見たら振り払うことができた。もう一度キューブを展開し、俺達は日が高くなりつつある空へ向けて再び舞い上がった。




