エリオット
エリオットの部屋にて、俺達攻略パーティーのメンバー五名は背の高い円卓を取り囲んで丸くなっていた。
立ったまま、手には琥珀色のワインが注がれたグラスを持っている。エリオットはどうやら通らしく上等そうな葡萄酒で、ソラはオレンジジュースだ。
「ほらセツナ、乾杯の音頭よろしく!」
「は、俺? ええと……じゃあ、攻略パーティーの結成と、平和な世界のために」
「なにそれくっさーい!!」
アンナと俺のこんなやりとりはもはや日常茶飯事になっている。ソラが真顔、ソーヤが苦笑いの中、エリオットだけが微笑んでこう提案した。
「あ、なら乾杯の前にパーティー契約をしておこうよ。結成を祝すなら、結成しとかなきゃ」
なるほどそれもそうだ。俺は随分久しぶりとなる操作を行った。メニューを開いて指定の項目を選択していく。
俺が親となりパーティー募集を行うと、周辺のプレイヤーは俺にパーティー参加の申請を行うことができるようになる。間もなく、《Eliot》《Sawyer》《ANNA》《Sola》の名義で申請メッセージが届いた。全てを承認し、ついでにアンナ以外にはフレンド申請を送っておく。
こうしてパーティーが結成された。アンナは「どうせならギルド作っても良かったんじゃない?」ともっともなことを言ったが、それは明日出発するまででいいだろう。手続きが割と面倒なのである。
「じゃ、改めまして……」
エリオットがにっこり笑ってグラスを持ち上げた。俺に視線を投げてきたので、俺はヤケクソで言った。
「……パーティー結成と、平和な世界のために! 乾杯!」
グラスが小気味良い音を立ててぶつかった。皆一口呷る。
舌が痺れた。
「……?」
現状の認識が遅れた。咄嗟に口の中の液体を吐き出そうとしたが遅かった。手からグラスが滑り落ち、フローリングの上で粉々になった。
「な……なんの、つも……」
舌が回らない。俺は床に顔を付けて這いつくばっていた。視線の先では同じように床に転がるソーヤ、ソラ、アンナ。
「エリ、オット……お前、なに、者だ……」
全て言い終わる前に、頭を万力のような力で踏み潰された。
「ガッ…………!」
ライフは減らない。俺達はパーティー関係にあるからである。しかし頭を押し潰されるような継続的な不快感はしっかりと感じる。
「思ったより長くかかって疲れたぜ。善人の演技はよ」
氷のように冷たい声が頭上から降り注ぐ。今すぐにでも飛び退って体勢を立て直したいのに、どれだけ力を込めようとも指一本さえ動かない。
「とあるルートから手に入れた最強設定の麻痺毒だ。自然回復力にもよるが、小一時間は動けないぜ。まあ、回復アイテムを使われたらそれまでなんだけどさぁ」
使われる心配が無いから言える種明かしだ。パーティーメンバー全員が同時に麻痺に陥るというこの超特殊な状況において、回復してくれる仲間はいない。
「俺が何者かって、聞いたよな? ヒヒッ、教えてやるよヒーロー様。俺はベテルギウスの幹部、エリオットだ」
戦慄が走った。ベテルギウス──遙か遠くの鬼ヶ島にいるはずの、最終ターゲットであるはずの存在がどうして今本拠地にいる。
「お宅のリーダーは大馬鹿かよ? 志願兵なんてあんだけ公に募っちまったら、俺みたいなスパイが紛れ込むのも簡単に決まってんじゃん」
「ベテル、ギウス……てめぇ……」
まずい。本能が警笛を鳴らした。この一ヶ月死ぬ気で押し殺していた感情が、漏れ出てしまう。
「てめぇ……っ!! ハルカを……ハルカを返せゲス野郎が!!」
「あぁん? ハルカ? ……あぁ、ザガンが保護してる例の女か。くそ、あいつらあんな上タマ独占しやがって」
虫酸が走る。全神経が怒りで熱っぽくなる。システム的麻痺さえ打ち破る勢いで、体に力が漲ってくる。
やっぱり無理だ。これから更に三年間もハルカと会えないなんて、そんなこと。絶対に絶対に耐えられるはずがなかった。
「今……今、いくから……待って」
「おっと」
乗せられた足ごと押し退けて立ち上がろうとした俺を、エリオットが全体重をかけて再び押し潰した。あっさりと麻痺の硬直が舞い戻る。
「さて、とりあえずお前以外はさっさと殺しちまわねえとな。一応、不測の事態に備えてパーティー契約してたが、お前らあっさり飲むんだもんよ、拍子抜けだ」
俺は踏み潰され固定された視界をなんとか動かして皆を探した。アンナ、ソラ、ソーヤそれぞれが俺に震える視線を向けている。
どうする。どうする。どうすればこの状況を打開できる。戦うことはおろかアイテムの使用さえ満足にできないこの状況で、どうすれば皆を助けられる。
「……あぁ、そうだ。パーティーから抜ける前に、せっかくだからちょっと楽しませてもらおぉ」
紳士的な態度は見る影もなく、エリオットは下品な笑みを浮かべていた。何を思いついたか、俺を踏みつけていた足をどけてアンナの方向へ向かっていく。アンナはその気配に気づいて明確な恐怖の表情になった。
「お、い……やめろ……」
「何命令してんの、お前。黙ってそこに転がってろガキ」
吐き捨てて遠ざかっていく背中は今にも小躍りしそうなのが伝わってくるようだ。これから、奴は抵抗できないアンナに何をするつもりなのか。そんなの想像もしたくない。
「やだ……やだよ、来ないで……」
息が詰まった。アンナのこんなに怯えた声は、あの日ハルカが目の前で人を殺した時ぶりに聞く。いや、あの時よりも更に弱々しくて、誰かに縋るような。
「フォルテ! 助けて!」
アンナの叫びに呼応して、光と共に金色の幼竜が現れた。アンナを守るようにすぐ傍で旋回する勇敢な生物に対し、エリオットは臆す素振りも見せない。
「バカなのか? ご自慢の使い魔ちゃんは、俺をパーティーメンバーだと認識してるみたいだぜ?」
言葉通りだった。フォルテは「助けて」という命令に従いアンナを守ろうとしているものの、アンナを脅かす敵を認識できていない。パーティーメンバーが抱える悪意にまで、プログラミングされたモンスターであるフォルテは敏感になれないのだ。
「よう、役立たずのドラゴンちゃん。そこでゆっくり見てろ、お前の主人が乱れていくのをよ」
乾いた声で笑って、エリオットはフォルテを軽く押し退けてアンナの元に跪いた。焦らす趣味はないらしくいきなり無遠慮にアンナの服に腹部から手を入れる。アンナは声も出ない様子で震えていた。
「まさかあんたみたいなスターと遊べるなんて、日頃の行いがいいからだろーなぁ。あー、どうせなら二人きりの時に毒飲ますんだった」
「──フォルテッ!!」
アンナの鋭い叫びに反応したフォルテの口内が、眩い光で満たされた。
「んぁ?」
気怠げに振り返ったエリオットの表情が一変したのは、フォルテが黄金色のブレスを発射した直後だった。
神秘的なエフェクトを纏うブレスは身をすくめたエリオットもろとも、アンナの体を包み込んだ。直後、アンナのHPバーの横で点滅していた麻痺アイコンが綺麗さっぱり消失する。
「……なん、だいったい」
攻撃性のブレスであると勘ぐり身構えていたエリオットは怖々目を開けたところだった。そこに、猛烈な勢いで横合いから迫るのは小さな鉄拳。
「いつまで、触ってん、のっ!!!」
嗚咽を漏らしてエリオットは吹き飛ばされた。家財道具を巻き込みながら壁に激突する。防音設定がマックス値のため、これだけの喧噪でも周囲のプレイヤーが気づいてくれることはないだろう。
ふん、と鼻を鳴らして起き上がったアンナの肩にフォルテが停まった。その首を優しく撫でてから、ゴミでも見るような目でアンナはエリオットを見下していた。
「三秒だけ、油断させるためにお触りを許可してあげたわ。高くつくわよ」
「……なめやがって。状態異常を回復するブレスか」
あっさり立ち上がったエリオットは、いつの間にかその手に得物を握っていた。黒漆の長い柄の先端から三日月型に伸びる鈍色の刃。そのおぞましい凶器は──鎌。
くるくると器用にそれを手の中で回転させながら、エリオットは巨大な鎌をアンナに向けて構えた。しかし、そんなものを向けられているにも関わらずアンナは少しも狼狽えない。
「職業柄、熱心なファンに刃物向けられることもザラだったからかな。なんだろ、全然怖くないや」
どこまで本気で言っているのかは判断できない。アンナは歌手であると同時に一時期女優としても活躍していた。さきほどまでの怯えきったか弱い姿も含めこれら全て、彼女の演技だとしたら素直に舌を巻くしかない。
「致死性の毒でも盛ってればよかったのに、欲が出たのね。後悔しながらお縄につきなさい」
「……笑わせんな」
エリオットが凶悪に笑って右手を振りかざしたかと思うと、俺の視界に映る一つのメッセージが更新された。
Eliotがパーティーを脱退しました──つまり、これを持って俺達は殺し合いの可能な関係になった。背筋に寒気が駆け巡る。
「アンナッ!!」
痺れる舌を動かしてなんとか口にしたが、麻痺の影響でろれつが上手く回らない。俺の声はひどく滑稽な音になっていた。これ以上の文字数はとても伝えられそうにない。
逃げろ。逃げて誰かを呼んでこい。そしてアンナは隠れてろ。お前の敵う相手じゃないだろう。
言いたい言葉を何一つ言えずに、動くこともできずに俺はただ蹲りながら発狂した。アンナは彼女の武器であるギターを構えていた。
「そんなハイカラな武器で俺が殺せるか!?」
長いリーチを誇る鎌が弧を描いて横合いから薙ぎ払われた。アンナ目がけて吸い込まれていった切っ先は、直前で何者かに阻まれる。フォルテの頑強な額だ。
「てめ、邪魔すんのかよ……」
「【ミュージック・ゴークレイジー】」
小さな唇を開いて宣言された曲名。掻き鳴らされたギターの奏でる旋律は、聴いていてリラックスするようなものではとてもなかった。
美しいようで、もの凄く醜い壮絶な音楽。不協和音、そして黒板を思い切り引っ掻いたような不快な音の乱舞。
俺達にとってみれば、ただアンナの音楽そのものに対してそう感じるだけだが──攻撃性のスキルとしてこれを受けているエリオットはそれどころではないようだった。
「がぁ……っ!? なん、だ、これは……!」
たまらず両耳を塞いで蹲ってしまっていた。恐ろしいことに、エリオットのHPバーの横には、《盲目》状態を示す黒い霧のイメージと《混乱》状態を示す赤い二重丸のアイコンが点滅していた。
状態異常を、付加するスキル。今エリオットの視界は黒い磨りガラスを押し当てられたような覚束ないものになっているはずだ。更に混乱状態のため、右手を動かそうとしたら左足が動く、など運動命令回路そのものを掻き乱されている。
この二つの状態異常は、絶対的硬直の麻痺に次ぐ凶悪なものとして格付けされている。麻痺は効果時間が短い分、付加できる武器やスキルは意外とありふれているが、レアな混乱と盲目をしかも同時に付加できるスキルなんてなかなかお目にかかれない。
「くっ、そ、この音……止めろォォォォォォッ!!!」
エリオットは両手をついて四つん這いになり、我武者羅に地面を蹴ることで混乱状態での突進を可能にした。よくこの極限状態で機転を利かせたと言うべきか、満足に武器も振るえないのに無謀なことをしたと言うべきか。
突進の途中でエリオットはフォルテの助走を付けた頭突きによってまたしても吹き飛ばされた。フォルテはしゅるりと優雅に旋回し、鱗粉さながらの光る粒子を振りまきながら舌を出した。
可愛らしい攻撃モーションとは裏腹に恐ろしい威力だ。それに、武器での攻撃を生身で受け止めるほどの鱗の堅さ。ドラゴンは口の中以外切断武器が効かないと言われるほど、外皮が堅牢であることで有名な幻獣である。
「くっ、そ……汚えぞっ……」
ギコ、ギコと不自然な動きでアンナに近づくエリオットの様子はいっそ滑稽なほどだ。そしてアンナはまるでエリオットそのものが見えていないかのように、演奏にただひたすらに集中している。
美しい、と思った。光る汗を迸らせて熱烈な演奏を続けるアンナに、俺はただ見入った。エリオットの周囲をぐるぐる飛び回って挑発するフォルテと、フォルテに陽動の全てを委ねて、一対一の戦闘にも関わらず隙だらけの演奏を晒し続けるアンナ。
一人と一匹は、明らかにレベル差のあるはずのベテルギウス幹部を相手に完全に主導権を握っていた。
苛立ちの絶頂に達したと思しきエリオットが絶叫して鎌を振り回し始めた。鎌を持つ右手を動かすにはどこを動かす命令を出せば良いのか、文字通り混乱状態の中で見つけ出したらしい。
しかし、ひらりひらりと身軽な動きで飛び回るフォルテには掠りもしない。掠ったとしても、フォルテの鱗の前ではほとんど効果がないだろう。
神竜。圧倒的な防御力と回復ブレス、そして高い飛行能力が特徴の最上位使い魔。スキル発動中隙だらけになってしまうアンナと組むには最高の盾職として働いている。
こんな戦い方もあるのか。頭の中を掻き乱されるような音楽は、スキルとしての効果を受けなくても聴いているだけで冷静さから遠ざかる。混乱と盲目の中、攻撃のほとんど効かない小さな獣に目の前をぶんぶん飛び回られればそれは発狂ものだ。
エリオットのHPはまだ一割も減っていない。それなのに、エリオットの今の様子はどうだろう。明らかに、明らかに敗北の瀬戸際ではないか。
「アンナ……」
強くなりたいと言っていた彼女は、俺の知らないところでこんなにも強くなっていたのだ。




