再会
俺は一瞬、何を言っているのだと思った。増えているならともかく、敵が減っていることになんの不都合があるのだろう、と。
しかしそれはよくよく考えれば奇妙な現象である。この村への出入り口はさっき俺達が入ってきた門だけであり、周囲は巨大な山に囲まれている。村人ならまだしも、ベテルギウスがわざわざ門を使わずにこの村から脱出する必要性は全くない。
可能性があるとしたら転移をしたのかもしれないということぐらいか。だがどちらにせよ、好機であるには間違いない。ハルカは何に怯えているのだろうか。
「何人に減ったんだ?」
「最初は、たぶん五十近くはいたの。でも、今は……」
ハルカの声は、か細い。華奢な身体が小刻みに震えている。
「今は、たったの一人……」
耳を疑った。一人減った、ではなく、ハルカは今、一人を残して全員が消えた、と言ったのか。
明らかな異常事態だった。思えば夜の静寂を縫ってほのかに届いていた騒音も完全に途絶えている。
反射的に、俺は旅館の方角を見た。その、刹那だった。
「い──ッ!!?」
目の前で、五十メートル先に聳える、城の如き威を放っていた巨大な建造物が轟音と共に倒壊した。まるで見えない巨大な刃で切り刻まれたように、無数の亀裂を走らせて崩れ落ちた。
「あそこに行っちゃダメッ!! あそこに、ヤバい奴がい──」
理性が、ハルカの言葉を待たず全て吹き飛んだ。言われなくとももう感じ取れる。あの方角から寸分狂わず俺達目がけて放出された、どす黒く濃密な殺気。
ベテルギウスをたった一人で壊滅させただけに留まらず、それと敵対する俺達にまで明確な殺意を向けるとはどういう了見なのか。俺はただ、その圧倒的な存在がこの場に来ることをひたすらに恐れた。冗談ではない、ここにはハルカもアンナもいるのだ。
俺は突風が吹いたかのように後ろに飛ばされそうになるのに抗い、逃げ出そうとする弱い心に逆らい、その存在目がけて大地を蹴った。
「セツナやめてッ!!!」
後ろから響いたハルカの叫び声を引き離すほどの速度で俺は疾走した。巨大旅館の瓦礫の最後が地面に着くよりも、俺がそこに着く方が早かった。
そいつは、瓦礫の山の頂上にいた。砂塵に包まれた空気を切り裂く、肌を刺すような殺気を纏い、俯いて木片に腰掛ける男。
その服装は、意外にもベテルギウスのものだった。黒いボロボロのローブを纏ったそいつは、フードに隠れて素顔は見えない。
ただ──そいつが瓦礫に突き刺して杖のように体重を預けている得物は、血に濡れたような真っ赤な刀身を持つ、日本刀。俺と同じ、武器。
「……何者だ、お前」
至る所に浮かぶ光球、レガシーの放つ朧気な光が硝煙を白っぽく染める。百は下らない数だ、あの数と同じだけの人間がここで死んだのだ。ベテルギウスだけでは数が合わない。ジグの母親を含む、囚われていた女性たちもこの男は纏めて殺してしまったというのか。
同じベテルギウスがどうして仲間を皆殺しにしたのか、俺には到底理解及ばない。だが、目の前で俯く男の不気味さを見ると、それくらい平気でやりそうに思えてくる。
ベテルギウス達が仲間の死亡通知に気付かなかった謎も解けた。奴らがその時、この男と闘っていたのだとしたら、全員当然武器を抜いていただろう。抜剣状態ではコールもメールもシャットされるから、気付かなくて当然だ。
騒がしかったのは宴会などではなく、血みどろの闘いの最中だったからか。
そいつが、一言、初めて語ったのは、ようやくタグが付き、そいつのプレイヤーネームが白日の下に晒された、その瞬間だった。
「──久しぶりだね」
まるで転移したみたいだった。メルティオールよりもっともっと極寒設定の地帯へ、一瞬にして移動したかのような。
全身の肌に粟が立つ。ざわつく。心が、真夜中の森に突風が吹いたようにざわざわ揺れる。
殺伐とした空気に投じられた一声、懐かしいそれ。
男、いや、少年の頭上に浮かんだ名前。──『Kent』。
ケント。俺の親友。俺が斬り捨てた親友が、刀を持って俺を見下ろしている。いや、見下している。はっきりとした殺意と共に。
「変わってないね、セツナ。当然か、アバターの容姿は固定だから」
フードを下ろしたケントの素顔は、俺同様、あの日から変わらない。懐かしい小麦色の髪が、吹き荒ぶ風に揺れる。黒いローブも一緒に揺れる。
美しかった青い瞳は、完全に光を失っていた。
「誰だ……お前……」
ケントではない。ケントであるはずがない。あいつはいつだってニコニコしてて、俺をからかうのを面白がって、笑えるぐらいに純粋で、真面目で。
「なんだいその顔、超面白い。傑作だよ。"俺"に会えてそんなに嬉しいのか?」
よろりと立ち上がったケントは、刀を引っこ抜いて肩に担いだ。ケントに似つかわしくない、野蛮な笑い声。シャビやゲイルを連想させる耳障りな声。
「俺はね。会えて死ぬほど嬉しいよ」
ケントの死んだ瞳が急激に収縮し、目は大きく吊り上がった。白目の部分は血走り、口は邪悪な、三日月型につり上がる。
「ソーマ様の意向を無視してこんなところで好き放題やってた馬鹿共を、多忙なソーマ様に代わって皆殺しに来たわけだけど。まさか君がいるなんて」
くくくくく、と不気味に笑いながら。ソーマに、ケントは敬称を付けた。服装といい、もう決定的だった。
「なんで、お前、そんなカッコしてんだよ……!? なんでベテルギウスなんかに……シュンを、殺した奴らだぞ……!!」
「はあ? シュンは勝手に自爆しただけだろう? あいつもとんでもない馬鹿野郎だよね。生きてたなら、殺してやりたいくらいなんだけど」
「なんの冗談だよ……笑えねえよ……」
ケントの端正な顔がうんざりと歪められる。
「まだ分かんないの? 今から君はさ、俺に殺されるんだよ」
待ちきれないというように頬を痙攣させながら、ケントは腰を僅かに落とした。
「おい、待っ──」
俺の言葉は、最後まで何一つケントに届いていなかった。
「ハァッ!!!」
狂気に上擦った一声と共に剣戟が降り落ちてきた。辛うじて葉桜で受けたケントの刀が、俺の血を欲するように閃く。二人の間で大量の火花が散る。
──重、すぎるッ!!!
鉄骨が振ってきたかのような手ごたえだった。俺の踏む地面が陥没し、衝撃が全身を駆け抜ける。受け止めたはずなのに、HPバーが抉れる。
「君さぁ、俺のこと思い切り斬ってくれたよね。あれ、痛かったなぁ」
完全に仰け反りきった体。何一つの動作も許されない硬直時間の中で、ケントの冷たい瞳が俺を捉えた。深紅の刀が握り直され、体を捻って振りかぶられる。
「ケント……なん──」
「うるせえんだよ」
重ねた新聞紙を思い切り引き千切ったような音がした。俺の肩口から腰骨にかけて一文字に走った刀傷が、次の瞬間猛烈な熱を帯びる。熱湯をぶっかけられたかのような熱さと、神経がねじ切られたような衝撃。視界が白熱し、ブツッと、電源を切ったみたいに目の前が真っ暗になった。
「ア…………ッ!!!! ァ、ァァァァァァァァァァァァアッ!!!!!」
完全にブラックアウトした視界の中で俺は絶叫した。憎らしいほどはっきり聞こえる、命の損耗。
どれだけの時間が経ったのだろう。俺は静まりかえった世界で目を開けた。HPバーがほんの1ドット残して消滅している中、うつ伏せに倒れている。目の前に、親友の足が見える。
「【峰打ち】だ。簡単に死なれちゃ詰まらないからね」
虚ろな意識に響く親友の声。手に、足に、まったく力が入らない。
「はあ……早くも戦意喪失か。予想してたけど情けないなぁ」
ケントはもう一度【峰打ち】と呟いた。何か思う前に、投げ出した左手に激痛が走る。
「く……ッ!!」
手の甲に深々と突き刺さる刀。地面と手が縫い止められたような不快感と、変わり果てた親友の姿に吐き気がこみ上げる。HPは、動かない。
「この間ゲイルに聞いたけどさ、セントタウン燃えちゃったらしいね。マキおばさんもうちの奴が殺しちゃったんだろ? 余計なことしてくれるよね、俺が殺したかったのに」
──ドクン。一度だけ不自然に大きく鼓動した心臓。親友に、決して向けてはならない感情が膨張する。
それは蒼炎の引き金を担う感情。
「それじゃ、君に選ばせてやるよ。大好きなパパとさっき一緒にいた女の子二人、どっちを先に殺して欲しい?」
自分の炎が熱いと感じたのは、この炎が俺のモノとなって以来のことだった。俺を爆心地として蒼い炎が猛烈な勢いで拡散した。ケントが口笛のような歓声を上げて大きく後退する。
「へえ、これがソーマ様の言ってた……なるほど確かに綺麗だ。君には似合わないけどね。それぐらい抵抗してくれないと殺し甲斐がない」
凶暴な笑みを浮かべ、いつの間にか俺の手から抜いていた刀を斬り払い、切っ先を俺に向ける。よろりと立ち上がった俺の目から次々に涙が滴り落ちた。
「ケント……」
お前を正気に戻すにはどうしたらいい。その顔ぶん殴れば、少しは頭を冷やすのか?
俺の闘志に呼応するように、周囲でとぐろを巻いていた断罪の炎が一気に勢力を増した。その一部が空を翔る龍の如く細長い形状になり、急速に刀身に絡みつく。
体が恐ろしく軽い。それまで身に纏う程度だった炎は、俺の体躯の倍近く膨張している。
獣のような咆哮が溢れ出し、ケント目がけて全速力で突進した。それは間違いなくこれまでで最速の突進だった。蒼炎発動中はスローモーションのようになるはずの世界が、高速でブレてケントの狼狽した顔を拡大する。
「うっ!!?」
驚愕に目を丸くするケントに、炎刀と化した葉桜が激突した。途方も無く堅い手応え。紙一重というところで、ケントの赤い刀が俺達の間に割り込んでいた。
一瞬遅れて、ケントの背後に聳える瓦礫の山が粉砕した。ケントの背後に突き抜けた突風が木や石や鉄屑の雨を降らせる。
それらは耐久値が底を尽いたのか、空中で粉々に砕けて煌びやかな粒子に変わった。大量のガラス細工を同時に床に落としたような荘厳な音が戦場を駆け抜ける。
戦況は鍔迫り合いにもつれ込む。ケントは大きく仰け反った状態で辛うじて踏みとどまっている。だが、吊り上がった三白眼も邪悪に歪む口元も改める素振りは全くない。
「うぁらッ!」
鍔をケントの刀の鍔の下に潜り込ませ、俺は力任せに上方に弾け上げた。赤い刀が宙を舞った。ケントの笑みが消える。
絶叫し、俺は同じように刀を投げ捨てた。左手でローブの胸元を引っ掴み右拳を固める。そこに収束する大量の蒼炎。
「馬鹿野郎ッ!」
渾身のストレートがケントの左頬に炸裂した。青色の衝撃波が三重の波紋を空中に描き、頬に拳が触れた瞬間大爆発を起こしてケントをすっ飛ばした。




