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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第一章《Utopia》
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ケント

 空はどんどんと色を濃紺に染めていく。しばらくは雑草の芝に横たわって呑気に星を見上げていたものの、次第に焦りと不安を感じてきた俺はさっさとこの森を脱出することにした。



 星を眺めているこの時間も悪くはなかったが、いかんせん疲労が著しい。HPゲージの減少に比例して擬似的疲労を感じる仕様なのかと思っていたが、レベルアップの恩恵によってHPがフル回復した今もそれが続いているとなると、これは現実の俺が感じている心労なのか。



 ともかく、今別のアクティブモンスターに見つかったらたまったものではない。闇に染まった死の森に明かりの類いは存在せず、いかにも"出そう"な雰囲気である。



 シュンにコールして話しながら森を歩けば、少しは気も紛れるかもしれない。そう思いメインパネルを開きかけた、その時に事件は起きた。




 背後。そう遠くない距離で、聞き覚えのあるうなり声。



「……」



 俺の背筋を冷たい汗が伝った。どうやらあのクマ野郎は、一匹限定のボスなんかでは無かったらしい。



 辟易して振り返ると、闇を穿つように浮かび上がる光点が、十、いや、二十はある。



 鋭い獣の瞳だった。見覚えのあるそれは間違いなく、俺が相当苦労して倒したあのクマモンスターのそれ。目が二十ということは、十匹も。



 片頬を引きつらせた顔の上を滝のように冷や汗が流れ、回れ右をして全速力で逃げ出した直後に背後でガキンと歯が空を切る音が聞こえた。



 全力。文字通り全ての力を捻り出した全力疾走で俺はクマ共から逃走をはかった。



 五十メートル走の記録を伸ばすには、背後で何か恐ろしいものが迫っているのを想像すると良いと聞いたことがあるなぁ、とふと思い出す。想像どころか、俺は怪物十匹を相手取って実際に必死の遁走をしているのだ。



 だからなのか分からないが、俺は自分の出している速度があまりに速すぎることに違和感を感じていた。



 かつて無い向かい風。下り坂を自転車で走っているかのようだ。その上、格段に上がっている足の回転速度のリズムが、何故だか妙にしっくりくる。まるで染み付いたみたいに。



 木々の生い茂る、本来なら走りにくいことこの上ないだろうこの地形でも、俺は小回りを利かせてすいすい走ることができていた。すごく、すごく気持ち良い。



 これがレベルアップによるステータスの上昇の恩恵であるとすれば末恐ろしい。俺は特段足の速い男ではなかったはずだが。こうなるとシュンなんかはいつか山でも砕きそうだ。



 しかし。それほどの超スピードでも、まだまだヤツらの方が速かった。



 余裕を見つけて背後を振り返るが、全員しつこく追走してきている。速度だけ見ればあちらが速いが、俺の方が小回りが利く分すぐには捕まらない。だがそれも時間の問題だ。



 手早くマップを表示し現在位置を確認した俺は、このまま出口まで逃げ切ることは不可能と判断した。もうすぐ行きに通りがかったモンスターの縄張りに差し掛かる、そうなれば事は更に厄介になるだろう。



 一体でもモンスターにターゲットされている状態だと、通常のモンスターもアクティブ化して襲いかかってきてしまうからだ。



「ついてねえ……せっかく大金ゲットしたのに半額没収コースかよ」



 さっきクマ公一匹倒して得た金、この世界でいうところの《ルビー》は6,500R。相場が分からないので実際のところ何とも言えないが、仮に円と同じくらいだとするならば中々の額である。中古ソフトを三つ買ってお釣りが来るな、と考えてしまった自分は我ながら救えない。



 三度後ろを振り返ると、クマ共も憤懣やるかたなしといった様子だ。仲間をやられたことに怒っているのか、ダメージなど与えていないのに全員例の怒り状態である。本当に芸の細かいゲームだ。



 口々に吼え、涎をまき散らして威嚇する。無駄な抵抗は止めて早く捕まれ、そう言われている気がした。



「くっそ……」



 全力疾走を続けた代償なのか、呼吸と動悸がどんどん荒くなってきた。スタミナの概念も存在するらしい。



 死を悟った俺は、眼前に聳えていた大木めがけて跳躍すると、太い幹を思い切り蹴り飛ばして宙高く舞った。内蔵が浮き上がる不快感と羽が生えたような爽快感を同時に覚える。



 俺の下を勢い余って行き過ぎるクマ達はすぐに急ブレーキをかけ、宙に舞う俺に次々と視線を合わせた。重なり合う咆哮に怖じ気づいた自分を鼓舞するように、俺も吼える。



 空中で体勢を持ち直した俺は、初期装備の頼りないナイフを握りしめて手近の一体めがけて落下した。全身全霊を込めて斬りつけた一撃は、クマを僅かにのけ反らせ、HPを二割ほど減らす。



「グ……ッ!!!」



 直後、左脇腹に凄まじい衝撃が走った。痛みはないが、皮膚を貫通して内臓を揺さぶるような衝撃波が俺を貫く。



 二匹目のクマが振り抜いた太い腕が見事に俺を捉えていた。頭が真っ白になって、視界が急速にぶれる。右側にぶっ飛ばされたことだけは理解できた。



 何やら硬くて丈夫なものに全身を打ち付けて停止した俺はそのまま雑草の生い茂る地面に伏せた。口に入った土の味が苦かった。



 抑えられた痛覚レベルでさえ許容できなかったのか、脇腹がズキズキと鈍く疼く。指に力が入らない。



「くそ……!」



 ゲームをするなら、ゲームオーバーとは最も忌避されるべき事項だ。さすがに俺ももう、現実とゲームの世界を混同するほどハイにはなっていなかったが、心の底から、まだ死にたくないと思っていた。



 アルゴリズムに忠実なクマ達は幸いというべきか瀕死の俺をゆっくりといたぶるようなまねはしないようで、最も近くにいた一匹がこれまで通りの全力の突進攻撃を俺めがけて仕掛けてきた。耳を大地に付けているからか、この状態だと迫り来る敵の圧迫感が直に感じ取れる。



 大地が激しく揺れ、そしてクマと俺との距離は瞬く間に詰められた。



 俺は全身を強ばらせ、その時を待った。目を閉じると鮮明になる自分のライフは残り二割ほどで、レベルアップで多少防御力が上がっているとしてもあの突進を受けては全損必至であると思えた。



 これが消失し、またあの暖かい街で復活する。それもそれでいいか、とも思えてきていた。



 さすがに機械オンチの母も来ているだろうし、もしかしたら父とも顔を合わせられるかもしれない。レベルも一気に上がったし、今度は装備を調えてシュンと一緒にリベンジを……



 いつの間にか、ひどく時間がゆっくり流れていた。目を開けると、まさに手の届く距離にまで迫ったクマの血走った両眼が俺を見下ろしながら爛々と光っている。



 最後の一蹴りでクマは俺に到達するだろう。そして俺は死ぬ。



 いやだ。なおも割り切れない自分が小さく叫んだ。



 これはゲームかもしれない。それでも、俺達がこれから生きる現実だ。



 だから、こんな簡単に死んで、やり直して、また死んで、を繰り返して、あまつさえそれに慣れてしまうようでは決していけない。いやだ。そう叫ぶ声があった。



 俺はこの美しい世界を、現実として生きるのだから。



「──やめろっ!!」



 綺麗な男の声が頭上から降り注いだ。時間の流れが元に戻り、そして、目の前で巨体が吹き飛んだ。



 一瞬の出来事に何が何だか分からない俺の目の前に、一人の少年が着地した。片足を上げた体勢から、蹴り飛ばしたのだと推測できる。冗談じゃない。



 クマの巨体はさすがに漫画のように大木を突き破ったりはしないまでも、鞠みたいに二回バウンドして三メートルは吹き飛ばされた。腹を見せ仰向けに倒れ込んだクマは呻き声を上げてなかなか立たない。



「……シュン……?」



 ファイターの初期装備を身に纏っているために最初こそ見紛うたが、良く見ると弟よりかなり長身だ。俺より十センチは高い。それに、精悍な後ろ姿からはシュンのような幼さは感じない。



「だ、大丈夫ですか?」



 長めの金髪を揺らす男が振り返る。苦笑交じりの混乱した表情ではあったものの、恐ろしく綺麗な少年だった。



 チープな勇者然としたファイター初期装備を身に纏っているというのに、むしろ長旅を経てきた流浪の剣客にさえ見える。二次元的な美しさを備えた金髪碧眼の少年は、服装も相まってまるで漫画の主人公の勇者みたいだった。



「まさかこんなところで人に出会えるなんて思わなかったなぁ。街にはNPC以外殆どいなかったし、プレイヤーもおじさんおばさんばかりでちょっと話しかけづらかったし」



 年の頃が近そうな俺との出会いは彼としても安心感を覚えたらしく、端正な顔に人懐っこい笑みを浮かべた。俺も思わず破顔する。



 苦労して立ち上がろうとすると、少年にやんわりと制された。



「あ、無理しないで。僕一人で何とかなるよ」



 さらりと主人公みたいな台詞を吐いて見せた。装備も武器も初期のままでこれだけの数を相手取れると正気で言っているのか。



 しかし俺は現に、この目で見ている。この男が巨体を蹴り飛ばすところを。



 そして、本能が感じている。



「少しの間、じっとしててね」



 にっこり笑って、背中に吊された錆び付いた大剣を抜く少年。



 こいつは、それくらいのこと笑顔でやりそうだと。



 少年はあろうことか俺が全力を込めても動かせなかった大剣を軽々と片手で握ると、ふわりと軽く跳んで一番近くのクマを切り裂いた。何重にも重ねた厚紙を破いたような爽快な音が響き渡る。



 動き自体は緩やかだが、武器を振るう速度が何しろ凄まじい。全く目で追えないだけでなく、あれほど早く振ればダメージ量は相当跳ね上がる。例えば、武器がなまくらでも──



 一太刀を浴びたクマはあの時のように喧しい断末魔を上げて粉々に砕け散った。俺は目と口を思い切り開いて、眩い光の中で踊る少年を見つめるのみ。



 一撃。たった一撃で。



 稀にいるのだ、こういう存在は。



 天才に服を着せたような、あるいは、生まれたときから全てを持ってるような。完璧超人主人公野郎は。



 敵は、確かに典型的なパワー型。一撃の威力は高いが隙が大きく、HPの総量はそれほど多くない。だがそれにしても──異常だ。この光景は。



 必殺の威力を誇る少年の剣は、極めて安全かつ迅速に、あっという間に十もの怪物を駆逐し尽くした。先ほどの俺の勝利への感動はなんだったのか、今目の前では先とは比較にならない量の光の粒子が舞い踊り、いつの間にか空に浮かんでいた満月の光を受けて煌めいている。



 そしてその中で一人立つ、ドロップアイテムを確認しているらしき様子の美少年。



 やがて少年は短く息をつくと、俺に歩み寄って手をさしのべてきた。敗北感を気にしないようにしてその手を取ると、実に軽々と持ち上げられる。



「僕の名前は笠原かさはら 賢人けんと……いや、待てよ、ここではプレイヤーネームを名乗った方が良いのかな」



 少年は照れたように頭をかきながら、青い瞳を俺に真っ直ぐ向けた。



「なんか慣れないね、こういうの。えーと、僕、ケント、十六歳。ケントって呼んでね、これからよろしく」



「あー……おう。俺はセツナ。変な名前だけどちゃんと本名だから。歳は同じ十六」



 彼のあまりに落ち着いた雰囲気に、実はかなり年上なのではないかと勘ぐったが、まさかの同い年ということなのでタメ口で自己紹介。



「お互い幸運だったな」



 この世界で誰かと親しくなったとしたら、最初に言いたかったことだった。親が研究員であったことも、もしくは凄まじい倍率の抽選に当たったことも、どちらもとんでもない幸運である。この幸せは、誰かと分かち合いたいと常々思っていた。



 しかしケントは何故だか複雑そうに一瞬だけ表情を歪め、だがすぐに大人の笑顔を見せた。



「ああ、そうだね。ほんと……運が良かった。残念だった人達のためにも、しっかり生きなくちゃ」



「そうだな。……ところでさ」



 かなり不躾なことを早速聞いてみることにした。



「今、その……レベル、どれくらい?」



 正確には、聞きたかったのは今の十匹のクマを倒す前のレベルだ。サービス開始から大体四時間弱が経過しているが、パーティーシステムまで活用している俺が彼にそう後れを取っているとは思えなかった。



 しかし俺が知らないだけで、俺の知っているRPGで言えば《金属スライム》のような、簡単に経験値を獲得できるおいしいモンスターの存在があったりするのかもしれない。そういう意味でも聞いておきたかったのだ。



「えーと、今すっごく上がってしまったんだけど……18、だね」



「上がる前は……?」



「ピンク色の猿とこの森にいたヘビを二匹倒しただけだから、3くらいだったかな」



 絶句した。レベル3と言えば俺がクマを倒したレベルと一緒である。そのレベルであの巨体を蹴飛ばし、なまくら剣で一撃必殺。



 俺の仮説は二つあった。一つはこの少年が何らかの方法でかなり大量の経験値を既に稼いでおり、高いレベルに到達している可能性。



 そしてもう一つが的中だった。つまりこの男は、現実世界でとんでもない身体能力を誇るアスリート体質だったということだろう。細身だが無駄のない筋肉に覆われた体格を見るに、武道でもやっていそうだ。



 レベル18。1上がるごとにレベルは上がりにくくなる仕様のようだが、今ケントの腕力はどれくらいなのだろう。



「この森の近くにいたNPCが繰り返し同じ事を言ってたんだけど、満月の夜には恐ろしいクマモンスターが大量発生するって。一匹倒すごとに大金が手に入るとか言ってたけど、今思えばあれはイベントのフラグだったみたいだね」



「お、ケントって意外にゲームとか詳しいんだな。うーん、俺はそのNPCとは話してないけど、ケントの言うとおりならこのゲームは、誰か一人がフラグを立てれば全プレイヤー共通のイベントとして発生するっぽいな」



 システムに規定された行動のみを繰り返す、人の意思の介在しないアバターを《NPCノンプレイヤーキャラクター》と呼ぶ。俺やシュンも街の外に出るまでに何人か、主に武具屋や道具屋の店主といった職種のNPCと出会ったが、あれこそ現代科学の結晶だ。



 もはや同じ人間としか思えない、皺やうぶ毛まで完全再現の緻密なグラフィックデザイン。違和感のない、人間味溢れる言葉遣い、抑揚、訛り具合。見分け方を理解するまでは本当にプレイヤーとの区別が付かなかった。



 ちなみに見分け方は簡単だ。モンスター同様にタブを付ける、つまり視線を一定時間合わせてターゲットすることでその存在の詳細が表示される仕組みだ。ケントにタブを付けると彼のプレイヤーネームが表示され、NPC相手なら《村人A》などと表示される。



 とりあえず夜も深くなってきているということで、俺達は出口目指して歩き始めた。



 俺達はすぐに打ち解けた。出身地、部活動、好きなゲームの話。ケントはさすがに俺ほどではないがゲーム好きのようで、ゲームの話題では大いに盛り上がった。



 あと少しで出口というところで、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。マップを表示すると、真っ直ぐこちらに向かってくる光点がある。



「あ、兄貴っ! 探したぜもう!」



 出口方面の茂みから、緑色の瞳になった弟がかなり疲労困憊の様子で現れた。一気に安堵し脱力する弟を見て少しばかり申し訳ない気持ちになる。



「コールしたり、メッセージ飛ばしたりすれば良かったんじゃないのか?」



「兄貴と一緒にするなよ、俺がそんな機能使いこなせるわけないだろ?」



 息を切らして俯いていたシュンが不満顔で顔を上げる。そして、ケントの存在に気づいたようで目を丸くした。



「あれ、プレイヤー? 俺達の他にももう来てるんだ」



 こんばんは、という爽やかで可愛らしいシュンの挨拶に、ケントもこんばんはと爽やかに返す。



「フィールドはともかく、セントタウンにはもう結構な数が集まってると思うよ」



「セントタウン?」



「始まりの街の名前だよ」



 シュンはそんなことも知らなかったのか。ということは、母さんにもまだ何の連絡も入れてないよな。



 途端に俺は母の鬼の形相を想像し、身震いした。すぐにでも帰らなくてはならなくなった。



「ケントは大丈夫か? 家族は心配してるんじゃないか」



「あー……いや、僕は大丈夫だよ」



「そうか?」



 ほどなくして俺達は森を抜けた。セントタウンへと帰還した俺達はフレンド登録を交わし、明日もどこか探検に行くことを約束し別れた。



 俺とシュンはその後、合流した母にこっぴどく叱られてしまったわけだが。

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