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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第一章《Utopia》
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親友

 浜辺から上がり、緩やかな上り坂を歩くこと数分。薄闇に馴れてきた俺達の目に、集落の灯りが明滅する複数の光点が映った。



「見えた。あそこだよ」



 オレンジ色の灯火が小作りな木製の門の上部に灯り、俺達を歓迎するように燃えていた。門戸に彫られた文字は使用言語を日本語に設定している俺の目には、《キノ村》と読める。



 昼はあれほど暑かったのに、今の気温はかなり低めだ。身体が濡れていることもあり体感気温は初冬に匹敵する。



 凍える濡れ鼠の俺は、門の向こう側、巨大な建物の煙突から吹き出す白い煙を見てなんだかほっこりした気分になった。あれがアンナの言っていた、温泉付きの上等宿だろう。



 全身が温泉を求めている。熱い湯船につま先を浸す瞬間を思い描いて無意識に早まる歩幅。



 それを、横からハルカが遮った。



「止まって」



 鋭い矢のような声。一番後方をついてきていたはずのハルカが追いつき、片手一本で俺達を制したのだ。



「どうし……」



「静かに」



 事情を聞こうにもこう返されて俺は黙るしかない。どうにも雰囲気が穏やかではないが、何事だろうか。



「……くそ、もっと早くに気付いていれば」



 ハルカが呻く。そして素早く虚空に指を這わせたかと思うと、即座に愛剣を出現させがっちりと掴み、毅然と叫んだ。



「隠れてないで出てきなさい。私には、あなた達全員が見えてるわ」



 反応はない。響くのはただ、爽やかな潮風が草木を優しく撫でる音のみだ。



 しかし。



 くつくつ、と、笑いを堪えるような音が次第に俺の耳に届くようになってきた。



 ──何か、いる……。



 それもかなりの数だ。



「ちぇ。もうちょっとで完全に囲めてたんだけどなぁ」



 すぐ近くの茂みから一人。



「なんでバレたんだろ? カムフラボーナスの高い装備で揃えたぜ?」



 俺達が潜る予定だった門の支柱の陰から二人。



「なんでもいいよ。それより見ろよあの子、俺知ってるぜ。テレビとかに出てる子だ。可愛いなぁ」



 俺達の右手側、茂る林の木の上から続々と。



 全員、黒いボロを羽織った装束。闇と同化する不気味な人影は、よく目を凝らさないと見失ってしまいそうだ。



 そう。その黒装束。その纏う悪辣なオーラ。俺の認識に合致するこの男達の正体はただ一つ。



「ベテルギウス……!?」



「へえ知ってんだぁ。最近の子供は命知らずだよねぇ。こんな時に呑気に湖でバカンスなんてさッ!!」



 一番近くにいた背の低い痩せた男が、ぎらつく両刃の短剣を腰から引き抜いていきなり突進してきた。狙いは俺。咄嗟に腰に手を当てて、血の気が引いた。



 俺は今、海水ズボン姿。武器を装備していな──



「セツナに寄らないで」



 一条の赤い閃光。俺にはそれしか見えなかった。



 闇を切り裂く紅の光芒が、凄まじい速度で肉薄していた男の首筋を横合いから貫いた。イギッ、と怪鳥じみた声を漏らした男のフードの奥の顔は、間抜けに白目を剥いた。直後──



 男は無数の黒い破片となって砕け散った。ハルカのなんらかの刺突系単発スキル一発で的確に急所を貫かれ、死んだのだ。己が生み出したシステムに男は殺されたのだ。



 たった今、俺と、アンナの目の前で人を殺したというのに、ハルカは少しも狼狽えない。むしろ極限まで凍えきった目を細め、硬直したベテルギウス達をぐるりと一瞥する。



 捜している。俺は直感した。ハルカは今、邂逅を切望した仇敵を捜している。



「へ、へへ……あのバカ油断しやがって」



 黄緑色の粘液が刃に付着した大きな片手斧の腹をぺちぺちと撫でながら、大柄なベテルギウスがハルカに向かって歩み寄る。



 ハルカはその男に向き直り、背筋を伸ばしたまま剣を握る右手首を内側に捻る。右足を少しだけ前に伸ばし、柄頭が胸に触れるぐらい近く引きつける。



 剣先を真っ直ぐ男の眉間に据えるその威風堂々たる姿は、凄腕のフェンサー、もしくは気高き聖騎士のようだ。



 豹変したハルカの姿に、俺はただショックを受けていた。今彼女は、俺のことさえ見えていないような気がしたからだ。俺の傍に居ることを優先したいと言ってくれたのに、やはり抑え込んだ憎しみの心は正直なのか。



「カイジを出しなさい」



「カイジさん……? てめぇ、カイジさんの知り合いか?」



「一方的に、知ってるだけよ。だってあなた達は……」



 震える唇を噛み締め、その瞳に激情の炎を点しながら、ハルカは凍てつく温度の言葉を呟く。



「傷つけた、殺した人の。ましてやその遺族の顔と名前なんて、いちいち覚えてないんでしょ?」



 ハルカそのものが一本の矢となったかのようだった。



 甲高いサウンドエフェクトを振りまきながら大地を蹴り砕いたハルカは、 紅蓮の光の軌跡を描いて既に大男の背後にいた。突き出した細剣は深紅のエフェクトを帯びて、さながら暗闇で振られるネオン管のよう。ハルカの全身も同様の薄い光に覆われている。



 あれは──【イグナイトドライブ】。エンケが使用していた大技だ。やはりあれはハルカが伝授したものだったのか。しかしエンケのそれと比べるには、あまりに速すぎる突進速度。



 剣の軌道は後から尾を引く効果光を見なければまったく判断できなかった。ハルカにこれほどの力があったなら、なぜあの時砂漠のヌシごときに後れを取ったのだろう。



「カッ……!」



 空気の漏れるような悲鳴を上げて男は散った。ハルカは剣を空中で切り払い、残りの残党達を見渡す。俺は我に返り、急いで登録しているマイセット機能を使い完全武装状態に切り替えた。背中に隠れるアンナを守るように位置取る。



「あ、有り得ねえ……お前ら、俺達がレベルいくつだと思ってんだよ……!」



「こいつら、下っ端ばかりみたいね。拍子抜けだわ」



「あ、ああ……そうだな」



 傍らで紅いオーラを纏い佇む少女が、俺は俺達を囲む男達より余程恐ろしかった。



「ハルカ……落ち着くんだ。さっさと転移で帰っちまおうぜ。それともこいつら全員、本当に皆殺しにしないと腹の虫が治まらないのか?」



 とても正気とは思えない少女に必死で投げかけた言葉に、ハルカは二秒ほど思考したようだった。



「治まらない」



 そして、ハルカは叫びながら突進してきた一人のベテルギウスを強いて見もせずに斬り捨てた。



 当然のことだが、斬られる痛みというのは人間がとても耐えられたものではない。それは一滴の血さえ流れることのない世界であろうと変わらない。



 切り裂かれた男は鼓膜をガンガン震わせるような金切り声で絶叫した。瞳孔が開ききり口を酸欠の金魚のようにぱくぱくさせながら、尻餅をついた状態で両手足をばたばたさせる。



 それら全てが、生への執着の表れだ。見るに堪えない醜態をさらしてハルカを見上げる男の目が、次の瞬間真円に見開かれる。



 ハルカの剣が振り落ちて、切っ先が腹に突き立ったのだ。大量の赤い欠片が弾け飛ぶ。



 「グボォ……ッ!」と、痛々しくむせ込んだ男の口からも同様の欠片が吐き出された。



 直後──爆音と共に闇が弾けた。爆竹を破裂させたような音。一瞬だけ闇夜を照らした閃光は、男の腹に刺さった剣先から迸ったように見えた。



 腹を内部から焼かれた男は目の黒い部分を白濁させて声にならない音を漏らしたかと思うと、呆気なく砕け散った。既に総崩れ間際のベテルギウス達が発狂しながらハルカに殺到していくが、俺は一歩も動けないでいた。



 今のハルカに、護りたいという感情はどうしたって浮かんでこなかったのだ。俺はひたすら怖かった。この恐ろしい少女がなんなのか。ただ、俺にすがり付いて震えるアンナのために気丈でいなければならないと言い聞かせた。



 まさしく悪鬼羅刹の暴力。氷でできた修羅の如く、ハルカは次々とベテルギウスを食い散らかしていった。どこまでも淡々と。



 男達の力量は、傍目から見てシャビよりかなり劣る、といった感じだった。しかしそれはどちらかと言えばシャビの戦闘センスが抜きんでていたからであり、数値的なレベルで言えばさほど奴と差はないはず。



 それはつまり、一人一人が自分より高レベルの相手であるということ。それらが死に物狂いで殺到してくるのを、かすり傷一つおうことなくハルカは斬り捨てていくのだ。有り得ない、何者なのだ彼女は。



 身体能力が常より格段に上昇しているのは一目瞭然だった。しかもそれは──俺がオリジナルスキルの蒼炎を発動した時と同等、いやそれ以上の爆発力で上昇している。



 何かが乗り移ったかのような大量殺戮はたった数十秒で終結した。最後の一人の初太刀を躱して懐に潜り込んだハルカの拳が大柄なベテルギウスの腹部にめり込んだ。



「カハ……ッ!」



 白目を剥いて吹き飛びかけた男のローブのたるんだ襟元をハルカは左手で掴んでいた。勢い良くすっ飛んでいく予定の巨体をがっしりと引き留め、そのまま引き寄せる。そして右手で握った剣を逆手に握り直し、柄頭を向かってくる男の額に叩き込んだ。形容しがたい破壊音が場を圧する。



 頭部への強烈な打撃属性の一撃によって男は《気絶》状態へと陥り、その場に崩れ落ちる。ハルカは剣を腰に納めると──ゆらりと、糸が切れたように体勢を崩した。



 それは、今まさにハルカに乗り移った悪魔が飛び出したように俺には感じた。反射的に地を蹴り、ハルカを抱き留める。



「おいハルカ!」



 水着の上から淡い水色のパーカーを一枚羽織っただけの彼女の全身は汗でぐっしょりで、かなりの熱を持っていた。そして、今まで呼吸を忘れていたかのようにハルカは激しく喘いでいた。



 過呼吸に近いほどの荒い呼吸を数十秒ほど繰り返している間、俺はハルカのまなじりに溜まった液体を指で拭ってやった。HPゲージは満タンだが、あれほどの動きを長時間繰り返したのだ、確実にオーバーワーク。



「はぁ……はぁ…………セツナ……!」



 しなやかな両手が伸びてきて、ぎゅう、と俺の首に回された。ハルカは酷く震えていた。



 赤い光片が血の雨のように舞い散る闇の中で、俺はハルカを強く抱いた。先程までの彼女が嘘であるかのように、ハルカはハルカに戻ってくれていた。



「……よく、頑張ったな」



 それ以外なんと声をかけていいか分からなかった。



「ごめんね……私……!」



 ハルカは泣いていた。



「謝らなくていい……。そんなすぐに割り切れたら苦労はしないさ」



 ハルカはカイジに襲われた過去を持っている。そして先程、男達がハルカとアンナに向けた目はきっとハルカにその過去を強烈に思い起こさせたろう。あの時の屈辱を鮮明に。



 俺のために復讐をやめると言ってくれた彼女の言葉に一切の偽りがなかろうとも、いざ奴らを目の前にして、更に刃を向けられてまで堪え忍ぶことなど無理に決まっている。



「それにしても、なんでベテルギウスの大群がこんなとこに……」



 殺してやりたいほど憎い相手だとしても、実際にこの手でその命を奪って何も感じないはずがない。俺でさえシャビを殺したときは妙な虚脱感に襲われたのだ。ハルカが今どれだけ動揺しているかは計り知れない。



 俺は努めてハルカにそのことを考えさせないように話題を変えた。



「俺達を待ち伏せしてた感じだったよな。いや、むしろ……」



 この闇の中にいるからなのか、俺は八方から粘着質な視線が送られているような錯覚を感じていた。



 考えてみれば、奴らは何も復讐に燃えるプレイヤーから逃げているわけではない。そんな物好きのことなど認識しているはずもなく、好き勝手に各地で暴れ回っているはず。



 ならばこのキノ村は──ベテルギウスの縄張り?



「俺達の方が、まんまと足を踏み入れちまったってことか」



 ハルカを抱き起こして立たせる。ハルカは不安そうに俺の服の裾を握っていた。華奢な身体はまだ震えている。自分の手の平を、恐ろしいものを見るような目で見つめている。



「……とりあえず、この男に色々聞いてみようか」



 俺が目で示したのは、地面に突っ伏す大男。ハルカが気絶させたベテルギウスだ。



「アンナ、大丈夫か?」



 つとめて気軽に俺はアンナに呼びかけた。アンナの方を振り向くと、彼女は震える身体を両手で抱いてぎこちなく笑っていた。俺に縋るような瞳を向ける。



「ごめん、ちょっと……ちょっとだけ、休憩」



 あれだけの黒ずくめに突然囲まれただけでも相当な恐怖であったに違いない。それを、それぞれから狂気的な悪意を向けられ、それに留まらず大量に目の前で人が死んだ。死にたくないと金切り声を上げながら散っていった。



「今の人達だれ……? ねえ、ハルカ……?」



 アンナは、ハルカに見たことのない瞳を向ける。得体の知れない異物を見るような目。



「ハルカ、分かってるの? 今、ハルカ、人を殺したんだよ……!?」



 ハルカは明確に刺された顔をした。



「……そうね」



「そうねって……何考えてるの!? これはゲームじゃないんだよ!?」



「そんなこと分かってるわよッ!!」



 びくりとアンナの肩が震えた。俺はとても見ていられなかったが、何一つ、口にする言葉が思いつかない。



 二人の仲の良さはよく知っていた。三人で集まるときもどちらかと言えば俺は蚊帳の外で、年の頃が近い女子と楽しげに絡むハルカの様子を物珍しい気持ちで眺めたものだった。



 ここに滞在している間アンナがとった宿に、ハルカが泊まりにいくこともあった。今日はアンナの家に泊まるから、と枕を抱えて言うハルカは本当に楽しそうに笑うのだ。この世界で女友達ができたのは初めてだったという。



 アンナもまた、俺にことあるごとに「ハルカほどいい子はいない」と言ってくるほどにハルカのことを気に入っていたようで、ハルカをからかうのが生きがいなんだと冗談めかしてよく言っていた。



 そんな二人がこんな顔をして向かい合うことに、どうしようもないほど胸が締め付けられる。



 ハルカが自分達のことをアンナに伝えなかったのは、他ならぬ、こうなることを恐れたからだった。



「ハルカ……何か理由があるんでしょ? 全部話してよ、このままじゃ私……怖いよ」



 震えるアンナの潤む瞳を見て、ハルカが唇を噛んだ。一歩足を前に踏み出しかけて、それを思い留まったように戻す。



 本当は、すぐにでも駆け寄って抱き合いたいに違いないだろうに。それを自重するのは、怯えられていると自覚しているからなのか。それとも、その資格は人殺しの自分にはない──そう思っているからなのか。



「……アンナ、あのね」



 ハルカは俺から離れてアンナに正面を向けると、切なげに微笑んだ。



「私、こいつらの仲間に襲われて……お母さんを、殺されて。それ以来、そいつに復讐するためだけに旅に出たんだ。色々あって、復讐はもうやめるって決めてたんだけど……だめだね、いざ会ってみると意識全部ぶっ飛んじゃった」



 ハルカの目から涙が滴り落ちた。



「無理だよね、友達が人殺しなんて。怖がらせちゃったよね。アンナ……ごめんね、これが私なんだ」



 俺はまだまだ二人の仲を軽視していたのだと気付いた。ハルカの言葉に強ばったアンナの表情は、旅立ちの日に俺が深く傷つけてしまった親友の表情そのものだった。



 それまでの常識から大きく逸脱した世界は、人と人との繋がりを必然的に強固にする。まして理想郷から地獄へと一変した今、他者とは無くてはならない存在。



 ハルカとアンナは、俺では語ることなどできない、俺の知り得ないところで、深い絆で結ばれていたのだ。そう例えば、俺とケントのように。



 親友。それが二人の仲。ハルカはそれを、自ら断ち切ろうとしている。それさえまるで、俺の辿った過ちを繰り返そうとしているかのようだ。



「ずっと、黙っててごめん。アンナだけは失いたくなくて、言えなかった。本当は、ここに転がってるこいつも今すぐ殺したくてたまらない。それくらい、終わってるんだ私」



 自虐的な笑みに、アンナは酷くショックを受けた顔をした。しかしすぐにそれを引き締め、ハルカに一歩歩み寄る。



「ハルカが自分のことどう思ってるのかなんて聞いてない! 私は……! 私は、ハルカにもっと頼って欲しいの!」



 胸に手を当て、美しい透明な涙を浮かべながら、アンナはハルカに訴える。自分にも背負わせて欲しいと。俺はたまらず目を背けた。



 まるであの時のケントと一緒だ。アンナはハルカを理解し、ハルカの敵と闘おうとしている。無条件に、ハルカを大切に思うが故にだ。



 俺はそんなケントを、どうして斬ってしまったんだ。



 こんな馬鹿げたことは今すぐにやめさせなければならない、と切迫する使命感が内側から満たされていく。そして、今すぐにケントの元へ飛んでいき、心から頭を下げたいという思いに支配される。



 復讐の旅に出るという決断も、ケントを斬り捨てたことも、全てがどうしようもなく愚かな過ちだったのだと、俺は母を喪って気付かされたのだ。



「……だめだよ……アンナ……アンナを巻き込めないよ……!」



 ハルカの声が上擦る。違う、と心の俺が囁く。



 親友の裏表のない言葉に寄りかかることは、決して身勝手に甘え、巻き込んだというわけじゃない。



 瞬間、目の前の景色がほんの一瞬だが一変した。闇は明け方の街並みへ、アンナはケントへ、そしてハルカは昔の俺へ。



 対峙する二人の表情は哀しい。見ているだけで胸が張り裂けそうになる。今すぐに声を大にして、過去の俺の過ちを正したい。



 ハルカ、と俺は口にしかけた。しかしそれより早く、アンナが動いた。



 険しい表情でハルカとの距離をずんずん詰める。ハルカは拒むようによろりと後退するも、速度差に押し切られるようにアンナの接近を許した。



 女同士の抱擁は、見ていて柔らかく温かかった。暗闇が一瞬にして晴れたような錯覚を起こす。



「バカ。あんたがなんて言ったって私は勝手に傍に居てやるんだから。ハルカはどうしたいのか言ってごらん? こいつらのことを許せるようになりたいの? それともやっぱりこんな奴ら、皆殺しにしてやりたいの?」



 それこそは、俺が今最もハルカに問いたかったことだった。しかし俺は苦しむ彼女に、結局何も問うことができなかった。言えたのは「よく頑張った」「謝らなくていい」──俺はアンナには敵わないな。



 ハルカは長いこと、声にならない嗚咽を漏らしてアンナに抱かれるがままになっていた。葛藤しているのが見てとれる、苦しい姿だった。



 やがて、ぽつりと。しかしはっきりと。



「……私、アンナと、セツナと、ずっと一緒にいたいよぉ……!」



「うん。私もよ、ハルカ」



「お母さんも、きっと……そっちの方が嬉しいと思うから……! だからアンナ……これからも、ずっと友達で……」



「バカね。最初からそう言ってるでしょ」



 アンナも泣いていた。あの日の俺とは違い、ハルカは正しい選択をすることができたのだ。全てを飲み込んで幸せになる道を選んだ。



 ──ケントは、今頃どうしているのだろうか。



 ハルカのあどけない泣き声とアンナの嬉しそうにあやす声を聴きながら、俺は空に浮かぶ満月を見上げた。

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