乱闘
そこからは一瞬だった。観客達が一斉に立ち上がり、我先にと津波のようにアンナの元へ押し寄せたのだ。握手やサインを求める者達だろうが、思わず圧倒されるほどの勢いだ。
「……すごかったね」
瞬く間にアンナが見えなくなってしまうと、ハルカは呆けているセツナに声をかけた。彼は目尻にたまった液体を拭って頷く。
「ああ。ますますファンになった」
ハルカもできればアンナと握手を交わし、一言だけでもこの感動を伝えたい想いだったが、この肉の防壁が相手では致し方ない。セツナの機嫌もバッチリ直ったことであるし、宿に帰ろうと腰を上げた。
その時、どうにも穏やかではない男の胴間声が酒場中に響き渡った。
「えぇ、いいじゃんか! なにも今すぐ出発するわけじゃないんだろ!?」
見れば、観客の中でも頭一つ抜き出ている、体格の良い大男が何か騒いでいる。店の真ん中で大騒ぎしていた者達の一人だ。
「ちょっと、アンナさん困ってるじゃないですか」
「そうだ、いきなり可哀想だろ!」
近くにいた人々が口々にアンナを庇い立て、我先にと盾になる。どうやらアンナがあの厄介者達に絡まれてしまったらしい。
「邪魔だっつーのよ」
悲鳴が空間を切り裂いた。アンナを庇おうとした人々が男の腕の一振りでドミノ倒しのように突き飛ばされたのである。どうにもまずい傾向だ。
筋力値の高い者は、力の加減を間違えればそれだけで思わぬ事故を生む。ハルカも、少し苛立ちを感じたりすれば湯呑みを無意識に砕いてしまったりする。
男も予想以上に体勢を崩した人々に一瞬驚いた様子だったが、むしろ力の差に気分を良くしたようでさらに人ごみを蹴散らしていく。蜘蛛の子を散らすようにして開けた視界で、残されたアンナを男は見下ろしていた。
「だからさ、ちょっと一緒にお話ししたいって言ってるだけじゃん」
「そそ。アンナちゃんと楽しくお酒が飲みたいなってだけ!」
仲間達も加わり完全に取り囲まれたアンナ。彼女は困ったように頭をかいている。
そうとう酒が入っている男達は相変わらずの節操の無さを発揮してかなり強引にアンナを誘うが、アンナはファンを大事に思うあまりか強く言えないでいるようだ。ハルカが見かねて口を出しかけた、その時。
「いい加減にしろ」
まあ、アンナのピンチに黙っていないとは思っていたが。案の定セツナが出てきてしまった。
「脳みそを向こうの世界に忘れてきたわけじゃないんなら、ほんの少しでいいから考えろ。多くの犠牲の上に今ここに生きている俺達がどう生きるべきか。何を為すとか何に貢献するとか別にいい。ただ、頼むから生き恥晒すなよ」
母の死を乗り越えて、復讐心の沼からさえも這い出そうとしている彼の前に、こんなタイミングでハルカはこの男達に現れて欲しくなかった。せっかく全てを飲み込もうとしているのに、否でも応でもセツナは家族の仇を連想してしまう。
セツナはこの世界を愛している。彼はきっと、人々にこの世界でただ、真っ当に幸せに生きて欲しいのだ。この世界で、あまつさえこの世界のシステムを逆手に取ったような卑怯を働かれるのが、彼はきっと一番許せない。
こわごわ行方を見守るハルカをよそに、男達はしばらく目を丸くした後豪快に笑い飛ばした。
「可愛い彼女の前でカッコ付けてるとこ悪いけどさぁ、やめといた方がいいぜ! 俺達は毎晩フィールドで狩りしてんだ。こないだは3メートルもあるイノシシをぶっ殺してやった」
「その通り。俺はなぁ坊主、この世界を自分達の土俵だと思って図に乗るガキを見ると向かっ腹が立つんだよッ!」
そう叫ぶなり、大男が腰の曲刀を引き抜いた。人の命を奪いうる凶器の鈍い光に、群衆達が音のない悲鳴を上げる。
「……ここで武器を抜くことがどういうことか、分かってんのかよ」
「あん?」
やばい──セツナの血も凍るような声を聞いて咄嗟に手を伸ばしたが遅かった。
椅子を蹴飛ばしたのを合図に両者に殺伐とした空気が走った。室内の走りにくい空間をものともせず、セツナは先ほど剣を抜いた山賊風の大男に肉薄する。まさに瞬く間だった。
半ば防衛的に振るわれた剣戟をいとも容易くかいくぐり、セツナは空いた鳩尾に拳をめり込ませた。恐らく加減したのだろう一撃に男は呻き声を上げて倒れる。
仲間の男達は驚愕の声もそこそこに、化け物を見るような目をセツナに向け次々と抜剣するが、素人同然の構えで向けられた剣はカタカタと震える。
「ここで武器を抜いちまったら……ベテルギウスの思う壺だろ……」
やるせない声で呟き、セツナは男の一人に歩み寄った。悲鳴を上げて男が剣を振り下ろす。鈍色の刃が脳天に迫る。
セツナの右腕が高速で閃いた。男が剣を握る右手首を素早く掴み、動きを止めたかと思うとそのまま握り潰した。
絶叫する男の腹部を蹴り飛ばしたセツナは、恐慌したもう一人が背後から短剣を抜いて迫るのを察知していた。くるり、と緩やかに身体を半回転させ、セツナの背中を刺そうと突進した男の首元に左腕を伸ばす。
ラリアットが、男の方から突っ込んでくる形で決まった。背中から思い切り床に落ちた男の短剣を人のいないところに蹴り飛ばす。
「……まだやるか?」
顔を残党に向けたセツナのその暗い瞳には、蒼い光がチラチラと燃えていた。残った男達は悪態を吐きながらやられた仲間達を担ぎ、慌ただしく去って行った。
おお、というどよめきと歓声の中、セツナは突き飛ばされて呻いている、アンナを守ろうとした男達に歩み寄り、手を貸した。気まずそうに礼を言う彼らを照れたようにあしらいながら、今度はアンナの元へ。
「え、えーと、お騒がせしました。お怪我ございませんか」
「うん……ありがと」
頭を下げつつ顔だけ上げてセツナを見上げ礼を言うアンナに、セツナはしどろもどろだ。ハルカは慌てて駆け寄る。
「ちょっとセツナ、やり過ぎだよ」
小さな声で小突く。セツナは拗ねたように小さな声で返した。
「ちゃんと加減したよ。あのままじゃ下手すりゃ人が死んでたんだぞ」
確かに、あの男が我武者羅に剣を振っていれば、レベル1のプレイヤーは掠っただけで看過できないダメージを受けただろう。
「それに、許せなかった。街中で抜刀が許可されたからって、ホントに抜くやつがいるなんて。ベテルギウスが作ったシステムにあやかるなんて、もう二度と御免だ」
「だから……刀を抜かなかったの?」
セツナなら、【峰打ち】という殺さずのスキルを使えば全員を一撃で再起不能にできた。あの時のセツナの怒り具合を思えばむしろそうするものとばかりハルカは思っていた。
「それもある」とぶっきらぼうに答えたセツナの体は、少し震えていた。
忘れそうだが、どんなに強くとも、こんな刀を腰に差していようとも、彼はまだたった十六の少年なのだ。仇でもない人を斬るなんて、どれほど恐ろしいことか。
だからこそ、簡単に剣を抜いた彼らが理解できないのだろう。
「人を……殺したこともないくせに」
最後に、セツナが去った男達に向けて吐いた消えるようなか細い声が、ハルカの胸を痛く締め付けた。




