表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第一章《Utopia》
50/167

触れる心

 青白い効果光の海の中で、五感の接続が順番に行われていく。身も凍るような冷気が急激に服の中に侵入し、思わず身をすくめた。



 転移先は俺達の宿泊する部屋。一度ベッドで眠っているためチェックポイントとして追加されたのだった。接続が完了した視覚で目線を下げると、窓から差し込む青白い町灯りに照らされた彼女が、目を開けて仰向けに横たわっていた。



 白いシーツに包まれた体を少し動かして、ハルカはこちらを向いた。俺はその視線に射貫かれ、いったい俺は彼女に何を言いたかったのか、その全てを忘れた。



「お帰りなさい」



 か細く、しかし透き通るような声だった。目を覚ましはしたものの、ハルカはひどく衰弱しているように見えた。



「……ただいま」



 それきり、沈黙が室内を圧した。俺が言葉を探して視線を右往左往させる間にも、ハルカがじっとこちらを見つめ続けている気配を感じる。



 何を言えばいい。俺は彼女に何を言いたい。俺は謝りたいのか。ハルカを傷つけてしまったこと、逃げるように故郷に帰ってしまったこと。



 ──ハルカをまた一人にするかもしれないような戦いをしてしまったこと。



「お、俺……」



 寝ているハルカに、縋るように手を伸ばしかけて、その手はビクリと引っ込んだ。よりにもよって彼女を燃やしてしまった俺に、どうして彼女に触れる資格があるだろう。



「……俺、ほんとに、救えない馬鹿野郎でさ……ハルカのこと護るとか言いながら傷つけて、それに怯えて逃げて、死ぬかもしれないような無茶をして……そのくせ、結局帰ってきちまった」



 両拳でズボンの生地を握りしめて振り絞る俺の目から、こらえようもなく涙が次々滴り落ちた。俺はなんて弱虫なのだろう。



「本当に、失敗ばっかりのダメダメ野郎で。けど、それでも、俺は……お前の隣にいたいって思っちゃうんだ」



 嗚咽が漏れかけてそれを無理矢理飲み下す。頭を下げた理由は、単に泣き顔を見られたくなかったからだろう。



「お願いします……俺を許してください……! 俺に、もう一度……ハルカを護る資格をください……!」



 俺にはもうハルカしかいない。弟も母も親友も俺の元から消えてしまった。否──俺が彼らを遠ざけたのだ。



 共にいながらシュンを死なせ、彼に救われた何よりも尊いはずの命を安売りするような旅に出た。行くなと泣く母を無視し、ケントを斬り捨てた。



 そんな俺がようやく見つけ出した護るべき人間を、俺はまたしても傷つけた。殺してしまうところだった。本当に救えない。失う度に学んでいたつもりが、俺は結局同じ過ちを繰り返そうとしている。



 でも、最後にもう一度だけ──俺にチャンスをくれないか。



「誰がいつ死ぬかも分からないような世界なんだ。俺にはハルカ、君しかいないんだ。どうか、俺に護らせれくれ……」



 全身に無数の穴が空いているかのように、身体に力が入らない。全てを吐き出した俺は、ふらりと前に体勢を崩した。ぼやけた視界が急速に上方向へぶれたかと思うと、そのまま前のめりに倒れ込む。



「──護らなくてもいいよ」



 囁かれたのは俺の耳元だった。清廉な花のような香りが、ふわりと拡散する。



「今度は、私が護ってあげるんだから」



 ハルカが、俺を抱き留めてくれていた。



 ハルカの髪が顔を擽っている。その気になればまた燃やしてしまえるような至近距離に、愛しい彼女がいる。



 どうして。俺は君を燃やしたのに。どうして、平気な顔して俺に触れていられるんだ。



「どうし……」



 顔を離して尋ねようとした俺を抱くハルカの腕にしっかりと力が込められた。柔らかく締め付けられる感触を覚える間もなく、ハルカの微笑みが拡大されて。




 ──唇と唇が触れた。




 全身が麻痺した。自然に目が見張られ、文字通り目と鼻の先にあるハルカの、目を閉じて長い睫毛を震わせた、途方も無く美しい顔を網膜に映す。



 腹の上の方に溜まっていたヘドロのような重い感覚が、溶けて蒸発するようにしてゆっくりと消えていく。俺の背に手を回す力を強め、ハルカは更に唇を押しつけてくる。俺は退くことも進むこともできなかった。



 やがて顔が離れて、ハルカが照れたようにはにかんだ。途端、俺はようやく顔面を炙られたような熱に襲われた。「な、ななな」と、壊れたロボットのような声が喉の奥から漏れる。



「私、セツナのこと、好きです」



 ──ああ。



 過ちばかり繰り返してきた俺に、こんな幸せが許されてもいいのだろうか。把握より先に、俺の胸に得体の知れない感情が去来した。



『こんな欺瞞ばかりの世界でそんなの、気にする方がどうかしてるわよ』



 彼女の言葉が脳裏を過ぎる。ハルカはこの世界で、恋や愛なんてくだらないと言っていた。



 そっと、彼女の唇が触れた唇に指で触れる。



「目を覚ましてみたらセツナがいなくて。出て行っちゃったのかと思って。もう二度と会えないのかもって不安になって。そうしたら、そうしたらね……」



 俺の胸に手を伸ばして、インナーをぎゅっと掴むハルカ。泣き笑いの表情、初めて見る表情。その場に縫い止められたみたいに俺は動けなくなる。



「私、君のことが好きなんだって……ああ、好きになるってこういうことだったなぁって……」



 そのまま俺に抱きついてきた。真っ暗な室内に色とりどりの光が満ちた。俺の胸に頬をすり寄せる。これじゃあ心臓の音が丸聞こえだ。



「いつからだったんだろうね。私、いつからセツナに惹かれてたんだろう。着る服に迷ったり、君の意外な一面を一つ見つける度に楽しくなったり。朝、初めて見た君の寝顔に胸がきゅんってなったり」



 ハルカは今朝、アラームに気づき、俺より早く目覚めていたのだ。それを知って熱いものがこみ上げる。



「寝ている君は、いつもからは想像できないくらい、普通のカワイイ男の子だったよ。それにね、私君と一緒に寝て、初めて夢を見なかったの。それまでは毎日のように見てた悪夢……カイジに襲われる夢。……バカだね、私。私、とっくにセツナに恋してたんだね」



 凍結した頭とは正反対に、胸は、本能は何よりも熱く脈打っていた。思考を追い越して体が動いて、ハルカの小さな頭に額を押し付ける。ハルカが、ゆっくりと顔をもたげた。額と額がくっついて、鼻と鼻が触れて、そうして今度は俺から口づけた。



 お互い、正しいやり方なんて分からない。ただずっと、隙間なく、唇を合わせ続けるだけのキスだった。ずっとこうしていたい。ステータス補正により長時間無呼吸でいても平気な俺達は、それにかまけて数分間はそうしていた。



 やがてどちらからともなく顔が離れた。彼女はその愛おしい顔いっぱいに悔しそうな笑みを浮かべて言った。



「バカなこと、言っちゃったね……私、こんなに幸せなのに。もう今更強がれないや」



「この世界が、偽物だって言ったこと?」



「うん。あれ、撤回する。だって私はこの世界で、君を好きになっちゃったんだから」



 迸る愛しさに言葉を失った。枷の外れた愛はもう抑え込む必要がない。俺達はもう一度固く抱き合い、何度でも何度でも口づけを交わした。



 俺はきっと、そうすることで何かを必死に忘れようとしていた。



 だが、どれだけ幸せな色で上から塗り潰しても、真っ黒なそいつは決して俺を逃がしてはくれなかった。



 ──お前は人殺しだ。



 シャビの嗄れ声が内側から鼓膜を貫いた。ハルカの温もりを腕の中に感じながら目を閉じていた俺は、途端に寒さを思い出す。



 そうだ。俺は今日、人殺しになったのだ。混乱と幸福で都合良く忘れようとしたって、べったりと塗りたくられた漆黒は決して消えない。



「……セツナ、震えてる」



 ハルカが俺を見上げていた。この存在だけはなんとしても奪われまいと、俺は抱き締める力を強くする。



「あぁ、大丈夫だ……暖炉の火、付けるのすっかり忘れてたな。寒いはずだ」



 なんとかぎこちない笑顔を作って、俺はハルカを離して暖炉に向かった。暖炉の中をタップすると薪の残量が空中に表示される。まだ十分あることを確認して点火ボタンに触れると、規則正しく並べられた薪にどこからともなくオレンジ色の炎が点り、ごうごうと燃えだした。



 炎の勢いが強まり、部屋中を明滅する琥珀色の光が満たしても、俺に植え込まれた得体の知れない寒さは少しも和らぐことがなかった。むしろ、勢い良く燃える炎の中から、狂気的に笑うシャビの顔が見え隠れする。



 動悸はどんどん荒くなり、呼吸は浅く早くなる。たまらなくなって自分の身体を抱くが寒気は増すばかりだ。他ならぬ俺が殺した男の最期の絶叫が耳にこびりついたように離れない。



「セツナ」



 その温もりが背中に触れた瞬間、俺は悪夢から覚めたようにして救い出された。柔らかい感触が背中にもたれ掛かり、しなやかな両手が首の後ろから伸びて俺をやんわりと抱き締める。



 彼女の温もりは、俺が人殺しになったという事実よりも、もっと深い部分で意識的に凍らせていた疼痛を解凍した。堰が切れたように突然涙が溢れだした。セントタウンでは流せなかった、惜別の涙。



「……母さんが」



 声に出すのもほとんど無理そうだった。



「母さんが……あいつらに……!」



 ハルカの漏らした声は、深く深く、傷付いていた。まるで自分の母親が死んだと聞かされたかのように。



「母さん……母さん……! …………畜生……ッ!!」



 あの日。もし俺が母の言葉に反抗せず、少しでも耳を傾けていれば。親友の説得に素直に応じてセントタウンに留まっていれば。今日、奴らを撃退するまではできなくとも母と共に逃げることはできたかもしれない。



 いや、できた。俺とケントがいれば絶対にできたのだ。



 俺はだれの言葉にも耳を貸さず、強くなったと錯覚して思い上がって、ヒロイックに酔っ払って街を飛び出した。なにが孤高のソロプレイヤーだ。一時の激情に流され、こんな数百キロ離れた北国までとうとう歩いてくるなんて、バカ以外の感想が思いつかない。



いざ復讐のチャンスが転がり込んだかと思えば、下っ端1人相手に死にかける体たらく。情けなすぎて笑えてしまう。本当に滑稽ではないか。母やケントの、言った通りになったではないか。



 ……俺は、母にいったいこれまで何をしてあげてきただろう。



 地球の滅亡をニュースで予言された日は母を殴ろうとした。この世界に来てからはほとんどほったらかしで一日中遊び呆けていた。世界が理想郷でなくなってからは、行かないでと泣きつく母にガキのような反抗をして家を飛び出した。



『いつまでもガキ扱いすんなよッ!』『何にも知らねえくせに決めつけんな……ッ!』『止めたきゃ止めろよ……レベル1の腕力でできるもんなら』ーーあの日の口論を思い出して吐きそうになる。たまらず膝をついた。



 俺は何をしていたんだ。何を思い上がっていた。俺は母に、十六年も生きていながらどれだけのものを返した。



 まだ、何も返せていないじゃないか。それでも母には、もう俺しかいなかったというのに。今に気づいたことじゃない。ケントもハルカも言ってくれていた。知らないふりをしていたのだ。



 シャビはなんと言った? 母の死に際の言葉は何だと言った?




母は、最期、俺の名を呼んだのだ!




 こんなどうしようもない俺の名を、呼んでくれた。それなのに……!



「俺は……俺はもう、どうしたって母さんに償いようがない……ッ!」



死んでしまえば終わりなのだ。もう俺は母に詫びることも、償うことも、なにを言葉で、行動で、伝えることも……ーー



「そんなことない」



 どこまでも気丈な声が、俺を呆気なく黙らせた。ハルカは俺の後頭部に額を押し当てて、抱き締める力を強くした。



「私は今でも、この気持ちはお母さんに届いてるって信じてる」



 彼女の言葉は、安っぽいものでは決してなかった。同じ痛みを知るハルカにしか言えない、強くて苦しい、愛に満ちた否定だった。



「セツナ……君のお母さんはきっと、ただ、セツナに元気でいて欲しいと思ってるよ。セツナのしたいことを、ただ応援したいと思ってるよ」



「……まさか」



母とのおそらく最初で最後の喧嘩は、今でも鮮明に思い出せる。凄まじい剣幕だった。本気で呆れていた。本気で、失望していた。今俺があの場所に立つなら、きっと母と全く同じ心境で昔のバカな俺を見下すだろう。



俺を応援してくれている、だなんて、あの日の記憶がどうしたってそんな都合のいい解釈をさせてくれない。



 母が最期に叫んだ俺の名前。その続きを聞くことは二度とできない。その先がどんな悪罵であろうと、俺はそれを知ることができない。そうだ。母は、俺を呪いながら死んでいったのではないか。そうに違いない。最期に俺の名を呼んだ理由はもしかすればーー



 留まることを知らない後ろ向きな思考が俺に無限の後悔を強い、溺れるように呼吸が苦しくなる。



「……憶えてる? セツナがくれたあのシチュー、とってもとっても温かかったよ」



 ハルカの囁いた一言は。俺の頭を貫いたかと思うと瞬く間に電流の如く全身を駆け巡った。脳が痺れる。俺が最後に食べた母の手料理の味が、まるで今直接再び味わっているかのように、鮮明に舌の上で広がる。抑えようもなく目の奥が熱く、熱くなる。鼻の奥がツンとして、喉がキュッと締まって、頰がヒクヒクっと震える。



 今、目の前の暖炉が照らす闇の中に見えるようだった。



俺が二階の部屋で旅の支度を進めている間、シュンが死んだその夜に、こんなどうしようもないどら息子のために──泣きながら俺のためにシチューを作る母の姿が。



 言うことを聞かず明日旅立とうとする俺の、止めても止まらない俺の、せめて背中を押すために……。



 美味しかった。あのシチューは、今まで食べた母の料理の中で一番、愛の込められた温かい食事だった。それを俺は、砂漠の迷宮で果たして感じていたか。



 母はあの朝、俺を。ちゃんと送り出してくれていたのか……? 振り返りさえせずに先へ行く俺を……母は、見送ってくれていた……? 母は、ずっと……





母はずっと俺を、あの日からも変わらず──愛してくれていた。




誰の言葉でもない確信が俺の胸に住み着いた時、もう俺が口にできるのはたった二言だった。




「…………ごめんなさい………………ごめんなさい……ごめん、ごめん……ぅぁぁァ…………ッ!!」



 母を呆れ果てさせたと思っていた。失望させたと思い込んでいた。クソだ。本当にクソだ俺は。俺が出発の準備に全員のフレンド登録を削除した理由。逃げ道をなくすため? 皆を巻き込まないため? 顔から火が出そうだ。



俺はただ、母が後ろめたくて。母を初めて怒らせた。初めて裏切った。その後ろめたさが、彼女に繋がりを切られるのではないかという恐怖に変わった。



だから俺は自分から先に切った。ケントについても同じだ。なんて愚かなことを。



そうして俺が母に強いたのは、俺が恐れた悲しみと痛みそのものだった。その罪深さを今更になって噛み締める。母は息子が自分と、金輪際縁を切るつもりだとシステムから通知を受けた時、どう思ったろう。



今、誰よりも俺は自分が憎い。



 せめて伝えたかった。一度も伝えたことがない。真逆の態度ばかり取ってきた。たったこの一言は、もう俺の胸の中にとどめておくことしかできない。








 俺はあなたの子どもに生まれて、本当に幸せでした。




「……ごめんなさい…………………………………………ありが、どう……!!」



 今ならハルカに分かることが、俺にも分かるような気がした。俺はあの人の、子どもなのだから。



 今なら疑わない。母は俺を愛してくれていた。今日、シャビに殺されるその瞬間も、そして、今も。これからもずっとずっとずっとーー



「……ぅぅぁぁぁぁぁぁあ……ッ!!!!」



 抑えられない。後悔と、届けられなかった感謝と愛が溢れ出して高熱の液体に昇華されていく。ボロボロ零れて体から抜け出し、なのにいつまで経っても止まらない。力が入らず泣き崩れる俺に、ハルカがかける言葉に迷うようにぎゅっと後ろから抱き締めてくれた。



 薪を喰らい尽くした炎が少しずつ弱まっても、部屋を支配する闇が次第に濃くなっていっても、背中にあるたった一つの温もりがあれば何も怖くなかった。俺は一晩中、ずっと自分を呪い続け、ずっとずっと、母に謝り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ