トモヤの実力
その速度は殆ど俺と同等だった。巨大な鈍色の斬馬刀が唸りを上げて横薙ぎに振り下ろされる。
ザガンのトモヤは動かない。反応できていないのか──
他ならぬ俺の生存のために、トモヤを助けるべきか否かを逡巡した直後だった。
「救えねえバカだ」
瞬き一つの間に、俺の目の前で信じがたいことが起きた。
爆発じみた大地の破砕音と共に大量の石つぶてが宙を舞う。経過は全く目で追えなかったが、今俺の目の前にある光景は──トモヤの真下で、斬馬刀使いの頭が地面にめり込んでいる様だった。
トモヤは足を開いて腰を落とし、大きな拳を固く握っていた。身長はそれほど高いわけでもないのにとてもデカい手だ。よく見れば体格もかなりがっしりしている。
「素手……!?」
声を失うとはこのことをいうのだろうか。
斬馬刀の巨大なリーチ相手に、どうやったら無傷のまま素手で相手の頭を殴り飛ばせる。
白目を剥いたまま横向きに頭を埋め込んでいる茶髪のベテルギウスのこめかみには、拳の痕をくっきりかたどったような赤いエフェクトが描かれている。HPはもうあるのかないのか分からない量だ。
「バカが……」
ゲイルが後方で吐き捨てた。奴は、トモヤという男の恐ろしさをよく存じていたらしい。
拳を解いたトモヤは顔を上げた。渾身の一撃の反動でなのか、フードがずり落ちその素顔を見ることが叶った。
若い。やはりまだ十代だ。ツーブロックにした黒の短髪に凛々しい眉。つり目気味の大きな目の中の瞳は鷹の眼のような金色。高校生のような溌剌とした雰囲気はしかし皆無で、異様に大人びて見える。
「俺を殺せば全て無かったことになるって? どこまでバカなんだ。俺が死ねばカルマが黙ってねえぞ。ソーマとカルマ、怖さで言えばどっちもどっちじゃねえか?」
なあ、と屋根の上にいるゲイルにトモヤは同意を求める。ゲイルは唇を噛んで舌を打った。
「まあ……お前らが束でかかってきて、本当に俺が殺せたらの話だけどな」
「調子に乗るなよトモヤ。ザガンの戦闘員なんてまともなのはお前とカルマを入れてもたった四人じゃねえか。ベテルギウスを敵に回して本当に困るのは、ウチじゃなくてザガンの方だろ」
「うるせえなあ。だから荒事は抜きにして、早く帰れって言ってんだろ。ここで白目剥いてる彼も、ちゃんと生かしてやったんだからよ」
一撃でここまでのダメージ量をたたき出しただけでも驚愕だというのに、トモヤはこれを加減した攻撃だと言ったのだ。あわや刀を取り落としかけるほど、動揺した。
俺の仇は、いったいどれだけ遠いところにいるのだろう。
「……退くぞお前ら」
ゲイルが唸るように言う。他の二人も異論はないようで、悔しげに首肯した。トモヤは満足そうに少しだけ微笑む。
「よし。じゃあこいつ持って帰れよ。頭部に強烈な打撃を加えたから《気絶》状態になってるが……アイテムで起こしてやれ」
「いや、その必要はねえ」
ゲイルは拳銃を握る手を素早く動かした。何か言う間もなかった。
乾いた銃声と共に、トモヤの足下で弾丸が弾けた。気絶した仲間に与えられた凶弾の威力は、斬馬刀使いをこの世から消却するのに余りあった。
悲鳴もなく、空虚な破砕音と共に灰色の街に黒い微粒子が撒き散らされた。トモヤは眉根を潜めて舌を打つ。
「下衆が。仲間殺しは大罪じゃなかったのか?」
「そんな雑魚が仲間なもんかよ。ガリバーはシャビと同じくそのガキに殺された。それが真実だ」
肩を西洋人のように竦め、ゲイルは反吐が出るような台詞を臆面もなく吐く。
「おいおい、そんな醜態をソーマに報告するのか? お前ら死ぬぞ」
「トモヤ、お前もまだまだソーマ様について理解が足りねえな。ソーマ様は不甲斐ない俺達への殺意なんかより、シャビとガリバー二人を殺した子供──このガキに興味を持つさ。こいつとソーマ様は初対面でもないしな」
トモヤの表情に、俺に対する興味の色が挿したのが分かった。
「へえ……ソーマと会ったことがあるのか。そいつは災難だったな坊主」
年など二つくらいしか変わらないであろうトモヤは、人の良い近所の兄さんのような顔で俺に言葉を投げてきた。
俺の中で、何かがついに爆発した。全てを貯め込みすぎた結果だろう。
「……ふざけんなよ、お前ら……! さっきから聞いてりゃあ好き勝手言いやがって!!」
トモヤが眉をつり上げる。俺は構わず感情のままに口を動かした。
「一番ムカつくのはお前だザガン! 俺を助けたつもりかよ!? お前は殺されかけた命を救った英雄の気分なのかよ!? お笑いだな! お前らがシステムを書き換えなければ、こんなクズ共が粋がってのさばることもなければ、俺が殺されかけることも……母さん、街の皆が死ぬことだって……」
「坊主」
「死ぬことだって無かったんだッ!!! 正義の味方面してんじゃねえぞ……! 何が成し遂げたい悲願だ……いったいどんな大義で、人を殺せるって言うんだッ! どんなご大層な理由があって俺から弟と母さんを奪えたんだよ!!」
気がつけば俺はトモヤにつかつかと接近し、胸ぐらを掴み上げていた。撃たれたももや脇腹に迸る激痛さえも、溢れ出る怒りの前ではどこか遠い世界の出来事のように感じる。
「坊主……すまない」
ブチリと何かが切れる音。握った拳がトモヤを殴り飛ばした。彼は身じろぎ一つせずそれを受け入れた。
尻餅をついたトモヤに馬乗りになり、ローブの胸元を掴み上げて顔を近づける。トモヤは俺を真っ直ぐ見て逸らさない。深い深い、悲しみに満ちた表情。それを決然と引き締めたような表情。
「なに謝ってんだ……なんでお前がそんな顔してんだよ……おい……なんでお前が被害者面なんだよ!」
もう一発。トモヤはまたしても抵抗しなかった。無抵抗で打たれるままでは防御力という数値の恩恵を全く得ることができない。ダメージも、直接脳に届く痛みも跳ね上がるというのに、なぜそうまで力を抜いていられる。
お前がそんなだったら、俺はこの憎しみをどこにぶつけたらいいんだよ。
ザガンもベテルギウスのように、とことんまで性根の腐った下衆であったらどれだけ良かったか。
憎悪の受け口となるだけの存在のお前が、なんでそんな痛い顔をするんだ。
「……俺達は罪深いことをした。お前のように大切な人を喪った人間から向けられる拳と剣を、全て受ける覚悟は初めからできてる。……後悔も何度だってした。悲しみにくれる人々の姿を見る度に、何度も。それでもな」
「黙れ……」
「それでも、俺達はどうしたってやらなきゃ気が済まないことがある。──ある男を、この手で必ず殺すことだ」
瞬間、まるでトモヤの全身から吹き荒んできたかのように、身も凍てつく絶対零度の辻風が俺を直撃した。深い深い黒色をした暴風だった。
鳥肌が体中を這い巡るように立つ。寒気が止まらない。無意識に、胸ぐらを掴んでいた手が緩んだ。
これは、ハルカと出会ったときにも感じた……いや、それより更に強い憎しみの心。
サクヤが言っていた、俺達と、ザガンの目が似ている理由。それはこうも単純だった。
ザガンも俺達と同じなのだ。こいつらにも、いるのだ。──命を投げ打ってでも殺したい存在が。
「この世界に必ず来ているはずのそいつを、俺達は一生かかってでも見つけ出して殺す。そのために俺達は、この世界に死という概念を生み出した。痛覚とかモンスターの強化なんかは、協力を依頼したときに条件として提示されたベテルギウスの希望だ」
頭がまるで沸騰しているみたいに熱い。これは怒りなのか。そんな単純なものではないように思える。
「………………たった一人殺すのに、そのためだけに他全員の命を死神に売ったのかよ……お前らになんの、権利があって!? そいつを見つけてから設定を書き換えることだって……!」
「いや。アルカディア本部のセキュリティは日に日に強化されていて、決断は先延ばしにできなかった。……俺達は、この世界で今もあいつがのうのうと生きてると思うだけで……気が、狂いそうになる」
初めて表情を崩したトモヤの握った拳は震えている。
同じだ。それは俺と同じだ。
俺はその気持ちが、分かるはずだった。
「好きなだけ殴ってくれていい。その刀で斬ってくれてもいい。ただ、俺はまだ死ぬわけにはいかない。俺を殺すつもりなら、悪いが俺はここでお前を気絶させなきなならない」
「……そうかよ」
声は掠れた。頭の中が台風が去ったように散らかって、とても思考が整理できない。
「もういい…………今日は、無理だ……」
俺がどうすべきか。俺はどうしたいのか。それを今理解するのは無理そうだった。
ただ、一つだけ言えることがある。
「俺は……強くなるぞ…………お前らを、その気になれば皆殺しにできる強さが絶対にいるんだ……じゃなきゃ」
何も為せない。何も護れない。今日のように、仇に命を救われるなんて屈辱を味わうことになる。
俺は屋根の上のゲイルを見上げた。死んだ魚の目が凶暴な光を発しながらぎょろりと動いて俺を捉えた。
「おい、おい、おいおいおいおい! 逃げんのかよガキィ!!! そりゃねえぜ!」
ゲイルの両眼が血走り、銃口が俺の方を向く。腰のポーチから素早く白く輝く宝玉を取り出したのを、目敏く察知したようだ。
「今ここでケリつけようぜ! 死ねよクソガキがぁぁ!!」
「転移。メルティオール、ヒイラギの宿」
転移の効果光に包まれた俺に到来した弾丸は目前で弾け飛んだ。転移の詠唱が完了したアバターは、転移完了までの間暫定的な無敵状態になる。
怒り狂うベテルギウスを尻目に、トモヤの方を振り返る。トモヤは複雑そうな表情で俺を見上げていた。
強くなる、という当面の目的がはっきりしたからなのか、無力を知ったからなのか、それまで俺を冷静さから遠ざけていた激烈な感情や屈辱はどこかへ押し込められていた。
最後にゲイルを出し抜いたことで少しばかり気の晴れた俺は、静かに目を閉じる。
今はただ最愛の彼女に会いたかった。光が飽和していき、俺の体は戦場の喧噪から真冬の静寂へと飛翔した。




