決着
俺を爆心地として放たれた蒼いエネルギーは、シャビを丸ごと飲み込んだ、かに見えた。
「……っと、危ねえ。へへっ、その炎ようやく出す気になったかよ」
爆風に身を任せるように大きく後退したシャビは、ローブが焦げ付いて黒い煙を上げているのも構わず、顎を上向け剣を肩に担ぎ、余裕綽々の笑みを浮かべ俺を見下していた。
バカにしているとしか思えない隙だらけの状態。俺がこの程度の距離を、一体どれほど時間をかけて詰めるものだと思っているのだろう。俺は立ち上がり、刀を一度切り払ってゆらりと脱力する。
かつて無いほどに漲る底無しの力。俺にはもうシャビへの殺意しか存在しない。思考を捨てた代わりに得たのは、ずっと奥底に眠っていた闘争本能だった。
──地を蹴るのとシャビの体を通過するのはほぼ同時だった。
「──は……っ?」
間抜けな声の直後、シャビはがらがら声で絶叫した。その隙をつこうと即座に振り向き追撃するも、辛うじて鋼鉄剣に阻まれる。
しかし頭を使うことを止めた俺は、逆説的だが普段の倍を軽く上回る速度で次の挙動に移っていた。脳にまでの道程を省いた脊髄反射がそれを可能にしている。
全身の炎を力任せに放出。カッ、という音と共に眩い閃光が瞬く。
次いで轟音を上げて全方位に爆発的に広がった蒼がシャビを飲み込み、肌と髪を焼いて吹き飛ばした。
流石の防御力ステータスと反射神経でシャビの体勢は僅かに崩れたという程度だったが、それで十分だった。
「ァァァァァァァァァァアアッ!!!!」
絶叫し、俺は増幅した超身体能力にかまけた滅茶苦茶の乱打を敢行した。シャビは熱と斬撃による痛みに耐えながら剣を高速で振るうが、俺の攻撃速度はさっきまでとはギアが数段違う。
シャビの防御を追い越した斬撃が一つ、二つとシャビを切り裂く。シャビの目の色が変わり余裕は一切排除され、更に剣を操る速度が速くなるがまだ俺の方が速い。
いったいこいつのレベルはいくつだったのだろう。そう思えるほどにHPの減少は非常に遅々と進まなかった。アリシアの忠告通り、敵は皆、俺よりかなりステータスを誇るらしい。
だが一撃ごとに、僅かだが確実に減っている。減るのならばそれで十分だ。
俺の、一つ一つは浅いながらも渾身の斬撃が十発ほどシャビを食い破ったところで、ついにシャビのバーの色が黄色に変わった。
それを今、確認する余裕がシャビにあるとは思えなかったが、彼の表情に明確な恐怖の色が挿した。
恐らくこの世界で初めて味わったであろう、死に対する恐怖。耐性の皆無な彼のその恐怖の表情はとても見ていられないほどに悲惨だった。
瞳孔が開き、ほうれい線が浮かび上がるほど肌はくしゃくしゃになった。叫びは叫びになっておらず、掠れた空気の漏れる音となって虚しく響くのみだ。
だが。良くも悪くもこいつが生きてきた世界は常人とはかけ離れている。そんなシャビが、まさか恐怖だけで果てるはずがなかった。
「ガ、キ、がぁ……ッ!」
無我夢中だった俺も、その地獄の底から響くような声に一瞬身震いした。血走った瞳孔が恨みがましく俺をギョロリと見据える。
声帯を引き裂かんばかりの嗄れ声でシャビは絶叫した。
「【スターダスト・レイン】ッ!!」
そのタフさにかまけて防御を捨て、俺の攻撃を全てその身に受けながらシャビはスキル発動の構えをとった。鋼鉄剣が大きく引き戻され、どす黒い赤の閃光を迸らせる。
その無防備な体に叩き込もうと刀を振り上げながら、俺は考えた。
大技発動前の、このタメ時間中に俺がシャビのHPを全て喰らい尽くすのが早いか、それともシャビが、その大技で俺を蜂の巣にするのが早いか。
攻撃を中断し、距離を取ることも受け身の構えを整えることもきっとできた。だが考えることを捨てた俺に、選ぶ選択肢など無かった。
「【鳳仙花】ぁッ!!」
俺は生きたいのではない。この男を、母の仇を殺したいのだから。俺は半歩も引くことなく真っ向から突撃した。
「ァァァァァアッ!!」
「クソがぁぁぁぁァァァアッ!!!」
同時に咆哮し、また動いたのも同時だった。俺の刀もシャビのエストックも、その刀身が放つエフェクトは強烈な深紅の光。
両者のスキルはどんな偶然か、ほぼ精密に鏡合わせの軌道を描いた。得物と得物が衝突。飛び散る火花。腕に伝う電流じみた衝撃。素早く引き戻しての追撃も、まるで武器同士が引き寄せ合うようにぶつかって目前で拮抗する。
「あぁ!?」
「ざっけんな……!」
三発目、四発目。徐々にアクセラレートする剣戟は全てお互いの体に命中する前に、お互いの武器に阻まれる。
シャビ──こいつ、やっぱり強い。
攻撃系スキルのアクションの始終にプレイヤーが意思を差し挟む余地は僅かだ。言い換えれば、スキルは自分の意思によって少しだけコントロールできるということ。
例えば垂直振り下ろしを斜め切り下ろしに変更したり。突進系のスキルに若干だがブレーキ、もしくは更なるアクセルをかけたり。
スキルを発動すると見えない力に体を動かされる感覚があるが、それに無理矢理抵抗すれば、僅かにしろ軌道を変えたり、テンポをずらしたりすることが可能なのだ。
この技術は恐らくほぼ全員が感覚で理解していることだが、こと対人戦において有効な駆け引きの要因になることは言うまでもない。
俺の【鳳仙花】もシャビの【スターダスト・レイン】も超連撃のラッシュ技だった。それを俺達は、この連続攻撃の軌道を微細にコントロールすることで、お互いの攻撃を跳ね返しているのだ。
シャビが手首を捻って突き込む刺突に合わせ、水平斬りのタイミングに僅かにブレーキをかけて俺が応戦し弾き返したかと思えば、次の刹那には俺の切り下ろしをシャビの超反射により軌道を変えた突きが跳ね返す。
とてつもないことだ。俺は無限に湧いてくる憎悪の中で確かに高揚していた。こんな、こんな高度な戦いは初めてだった。
一撃一撃がお互い致命傷になり得る。集中力の維持にはその分だけ精神を摩耗した。俺は蒼炎のアシストである程度スローに感じる時間だが、シャビはそんな俺に独力でついてきている。
刃同士が悲鳴のような金属音を上げて交錯する度、数え切れないほどの火花が目前でフラッシュし、両者の必死な顔を照らした。五十近い連撃が終わるのに、時間にしたら十秒もなかったろう。
そして、軍配は、シャビに上がった。
なんということもない、シャビの【スターダスト・レイン】の方が連撃数が俺のより二つ多かったのだ。最後の二連撃が俺の下腹部と胸の中心を貫き、内臓に松明を押し当てたような激痛が走る。
「ヴゥ……ッ!!」
視界が白熱した。俺は恐らく一瞬白目を剥いて、そして、笑った。
無理矢理目を押し広げる。大技の後の比較的長い硬直時間──シャビのその二秒ほどの隙を突ける存在は本来ここにはいない。
唯一の存在である俺は逆に超ダメージによる硬直時間で動けないからだ。
だが、"俺"なら他にもいる。
「は、ハハ、カハハハハハッ!! 俺の……勝──」
勝利に陶酔し口角を苦しげに上げたシャビを、頭上から五条の黒い矢が撃ち抜いた。
それまで待機を命じていた五体の分身が、上空から隙だらけのシャビ目がけて殺到したのだ。
でシステムという名の死神に抗おうとしている様子が滑稽で痛快でたまらなかったからだ。
「そのシステムを作ったのは、お前だろ」
ザガンをこの手で殺すときが来たら絶対に言ってやろうと思っていた、この言葉も言えた。
何より、こんな下っ端一人相手に俺は百パーセントを遙かに上回る実力を出し切らねばならなかった。一人さえ倒せずに俺はくたばるのだ、という覚悟さえ強いられていたから、爪痕を残せただけでも満足なのだった。
心残りがあるとすれば──
俺はいじらしく緩やかに減っていくHPゲージを意識の内で感じながら、まだこの街か、それともどこかで生きているかもしれない親友の顔を思い出した。
砂漠の街で、必死でこの現状と闘いながら俺の健闘を祈っているアルカディア研究員を思った。
そして。
雪の降る街で、傷付き眠っている最愛の人を想った。
彼ら、彼女にもう一度会えないのが、少しだけ……いや、本当に悔しい。
HPゲージが残り数ミリとなり、それでも当然のごとく止まらない。足下を冷気が包む。俺は少しだけ怖くなって、全身に力を込めた。
体を爆熱で焼かれる痛みはどんなだろうか。
しかし、立ち上る灰色の煙の向こう、どこまでも広がる満天の星空を見上げて俺は肩の力を抜いた。
シュンと、母が微笑んでそこにいた。俺は決して、ひとりぼっちの場所に行くわけではないのだ。
もうよかった。二人はきっと俺を労ってくれるだろうと思った。よく頑張ったねと言って、熱く抱き締めてくれるだろうと。
それならもう、あの二人のところに行けるならもう、もういい。もうそれでいい。
全身の感覚が希薄になり、血液の巡りが凍結し、冷気が全身にまで浸食した。目を閉じる。シュンの声が聞こえるようだ。何を言っているのか分からないが、そう急かすなよ。
すぐに行くから。寂しかったよな。また、遊ぼうな。今度はいつまでも、いつまでも一緒だから。
赤いバーが、消滅する──刹那。
『死ぬな、兄貴!』
彼の叫びがどこからか、遠く、しかし切実に脳を揺らした。凍てつく身体の、俺の左上腕部だけが熱いほどの温かさを帯びた。
固有スキル【イージスの加護】認証。シュンが遺した力が、俺に生きろと言っていた。
バーの減少は、残っているのかいないのか分からないほど、小さな赤い点を一粒残して止まった。俺は目を開ける。眩い色彩の乱舞が飛び込んできた。目に大量の液体がたまっていたようだ。
「まだ……もう少し、頑張れって言うんだな」
死ぬのはいつでもできるもんな。生きられなかったお前の分も、俺には生きてくれって、そう言うんだな。
「分かったよ、シュン」
上体を起こし、空を見上げて俺は一つ頷いた。最期まで死にたくねえと叫びながらすぐ傍で粉々に砕け散った命が、シュンと同じところに行っていないことを願いながら。




