逃避
取り返しのつかないことをしたと、自覚したのはどれほど後だったろう。
気が付けば、俺は半壊した建物の中に立ち尽くしていた。床がめくれ上がり、壁に焦げ痕がついてところどころ亀裂が走ってはいるが、サクヤの職場は未だに健在といえば健在だった。
当のサクヤ本人も、「いったーい……」と呻きながら起き上がるところだった。ソファもテーブルも盛大に吹き飛ばされ、部屋の隅にまで追いやられていた彼女は埃まみれになったスーツをはたきながら咳き込む。
俺は、砂漠の迷宮で獅子を倒したときとは比較にならない規模の炎を解放した感覚があった。なのに周囲の崩壊具合はそれに比例していない。
答えは簡単なのだった。
「うっ……」
蒼い炎のくすぶる床に、力なく横たわる少女。美しい赤毛は熱で痛み、この日のために用意したのだろう、洒落た衣服もボロボロになってしまっている。
ハルカは瀕死の状態で転がっていた。HPバーも危険域だ。彼女ほどのトッププレイヤーを一撃で危険域に割り込ませる威力の攻撃を、他ならぬ俺が放ったのだという自覚が俺に深い自責の杭を打ち込んだ。
ハルカが身を挺して俺の蒼炎の暴発を押さえ込んでくれなければ、俺はきっとサクヤを殺してしまっていた。
「ハルカッ!!」
なんと愚かしいことをしたのだろう。俺はハルカに駆け寄り、抱き上げた。すぐさまハイポーションを飲ませる。
小振りの瓶に入った褐色の液体を全て飲まねば効果は得られない。激痛と闘いながらハルカはなんとかそれを飲み干してくれた。
システム的には痛みも和らいだはずだが、ハルカの容態は一向に改善しなかった。小刻みに震える身体を自らの手で抱くハルカの心には、深い傷が刻まれてしまったのだと悟った。
俺が、ハルカを傷つけてしまったのだ。一歩間違えばハルカは死んでいた。
「あぁ……ごめん、ハルカ……! ごめんな……!」
仮に俺を止めなくても、あの距離にいたのだから確実にハルカは巻き添えを食っていた。俺はその可能性さえ考慮せずに力を暴走させた。
もはや、ハルカに合わせる顔がない。
ひたすら頭を垂れる俺の、その頭に、ハルカの滑らかで小さな手が乗った。
「大丈夫……私は大丈夫だよ……」
消え入るような声だった。俺の中にはもう、彼女に対する思慕しか存在しなかった。ザガンのことさえどうでも良かった。
「ああ、ごめんな……ゆっくりおやすみ」
ハルカの瞼をそっと手の平で閉じさせ、優しく抱きかかえる。サクヤは俺に複雑そうな視線を向けていた。
「その……ちょっとからかいすぎたわね。ごめんなさい。あなたがザガンを恨んでいることは分かってたのに。でもね、ザガンは」
「もういい……もういいよ」
隣にいるハルカを傷つけてしまうような、そんな復讐心は捨ててしまった方がいい。
すぐには無理かもしれないけど、いつか、ヨシシゲや他のプレイヤーのように、全てを飲み込んで生きていけるようになれたら。
「店、こんなんにしちまって悪かったな。弁償する気はないけど謝っとく」
「いーわよこんなの。ジョブスキル使えば一晩で直せるから。……それより、早くその子を寝かせてあげなさい。早くしないと保安官NPCが来ちゃうわよ」
「ああ……そうだな」
ツリーの下でも世話になった毛布をマテリアル化してハルカに軽く巻き付け、俺はサクヤの店を後にした。
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ハルカは眠った。
暖炉の火が尽きないように見張りながら、俺はハルカの眠るベッドの横に腰掛けて彼女の寝顔を眺めていた。ようやく寝息を立て始めたところで、寝付くまでは魘されたように俺の名を呼んでいた。
雪の止んだ空から降り注ぐ月光が窓から差し込み、ハルカの肌を青く照らす。これほど綺麗な肌も、もしここが現実世界なら今頃重度の火傷でただれていたのだ。
本当に罪深いことをした。俺は何度も歯を食いしばり、自分をひたすらに責め続けた。
時刻は午後九時を回るところだった。ハルカが完全に寝静まったことを確認した俺は、立ち上がり暖炉の火を消すと再びコートを着た。
そしてストレージから、滅多なことでは使わないと決めていた貴重なアイテムをマテリアル化する。電子音と共に具現化し俺の手に収まったのは、美しい純白の宝玉。
転移玉。行き先は故郷、セントタウンだ。
復讐を成し遂げるまで帰らないと決めていた故郷だが、それまで一度も迷わなかった目的を見失いかけた今、これまで抑え込み続けていた母とケントへの思いが溢れ出した。
会いたい。顔を見たい。旅の話をしたい。
おかえりと言って欲しい。よく頑張ったねと言って欲しい。あの日を最後に見ていない笑顔で、俺を暖かく迎えて欲しい。
「転移、セントタウン」
どうせなら街の入り口から家までの道のりをなぞってみたいと思い、転移先をフィールドと街を橋渡しする門前に決めて詠唱した。都市の名称だけを唱えた場合街の入り口に転移する仕様なのだ。
ハルカが目覚めるまでには戻ろう。
ブルーの効果光に包まれながら、俺はもう一度ハルカの寝顔を見下ろした。
光が飽和する直前、ハルカが目を開けた気がした。




