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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第一章《Utopia》
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仮想世界の真実

 結局、俺はハルカの後を追うことにした。難しいことではない、フレンド追跡機能を使えば良いのだ。



 しかし、マップを開いたとき既に俺とハルカのフレンド契約は抹消されていた。同時に、ハルカがパーティーを抜けたというメッセージが視界右上に表示された。



 俺は猛烈に自分を罵倒した。数分とはいえ迷ってしまった俺に腹が立った。迷うことなんて何もなかったのに。



 ハルカに消えて欲しくないなら、俺は後を追うしかないのだから。



 店の外へ飛び出した俺はそのまま大きく跳躍して建物の屋根に飛び移った。ブーツが分厚い雪を踏みしめる。そのまま、屋根伝いに全力で走りながら俺はハルカの影を捜した。



 メルティオールはとてつもなく広大だ。そう遠くへは行っていないはずだと分かっていても捜索は難航した。何より、夜が更けていくにつれ雪と闇で視界がどんどん悪くなる。



「くそっ、ふざけんなよ……! ハルカ、お前何勝手に一人で抱えてんだ!」



 彼女の抱える闇をまだまだ軽視していた、自分自身への怒りだったかもしれない。六時を回り、気象設定が吹雪になる。



 気づけば完全に人影が途絶えていた。みな、午後六時から吹雪くという予報を見て既に暖かいホームへ帰ったのだろう。この世界での天気予報は、当然だが百発百中である。



 だがハルカが宿屋に帰っているとは思えない。



 ハルカがどこかで凍えているのに、帰ることなんてできるはずがない。



「ハルカァァァッ!!」



 声の限り叫んだ。俺の声は夜の街に良く響いたが、返答はない。



 極寒の中ホットポーション無しで走り回った代償なのか、俺のスタミナゲージの最大値が見る見る減少していく。やがて足の回転が悪くなり、視界がぼやけて白一色になる。



 滑りやすい屋根の上を、俺のブーツがついに空回りした。頭と肘とすねに順番に強い衝撃が走ったあと、俺は地面へ落下した。柔らかい雪の上に落ちた。



 運動が停止してようやく、身を切るような寒さが体の芯まで浸食していることに気付いた。震えが止まらない。歯がガチガチと音を立てる。



 それでも、何かに駆り立てられるままに俺は両手を地面に付けて力を込めた。



「……あ」



 顔を上げた俺は、遠くに美しい光の柱が聳え立っているのを見た。ハルカの無邪気な声が脳内で響く。




 街の真ん中にはね、でっかいモミの木があるんだよ!




 ──それは、まさしく、巨大なクリスマスツリー。



 遠方に聳え立つ巨影は光の帯を三重のタスキのように巻き付けて、星を散りばめたような燐光を纏って燦然と輝いていた。頂点で輝く星形のオブジェクトが、吹雪の中しかと俺にその輝きを届ける。



 全世界の人類が無作為抽出されて暮らすこの世界で、クリスマスツリーとは本来存在してはいけないものだ。日本は多神教として有名で宗教においては寛容だが、世界には数え切れない思想が蔓延っている。



 だが、そんな野暮なことを、果たしてこのツリーに指を差して喚くような輩がいるだろうか。それほどまでに光の大木は美しかった。



 そして──莫大なレベル補正で超強化された俺の目は、その木の下で膝を抱えて大雪を凌いでいる彼女を確かに見つけた。



「ハルカ!」



 光芒が雨のように降る木の下で、俺はハルカと再会した。再会などと言うにはあまりに短い別離期間だったが、俺は彼女を見つけるまでにかなり長い旅をしてきたような感覚を覚えていた。



「……風邪ひくぞ。帰ろう」



 ハルカは、丸めた膝に自分の額を押しつけて震えていた。美しい深紅の髪の毛が彼岸花のように広がっている。俺はハルカの隣に腰掛け、野宿用の毛布を具現化して俺とハルカ二人をすっぽり覆うようにかけた。



 ハルカは拒まなかったが、ほんの少しだけ俺と距離を空け直した。



「……ごめん。少し一人にして。ちゃんと、後で話すから」



 絞り出すような声。弱い自分がここを立ち去ろうとする。しかし俺は、全てに逃げてもここで逃げるわけにはいかないと思った。



「いや、ここにいる。ずっと黙ってるから。それならいいか」



 ハルカからの返答はなかったが、その沈黙と、彼女の方がここを立ち去らないことを俺はイエスの意とした。高級品の毛布はその豊富な体温調節ボーナス値によって、俺達二人の冷え切った体を徐々に温めていく。



 十分。二十分。一言も言葉を交わさないまま時は雪のように積み重なっていった。吹雪はやがて収まり、しんしんと微細な粉雪が降る程度にまで天候は落ち着いた。



「…………ねえ、キスして」



 傍らで囁かれたその声に、俺は大きく動揺した。振り向くとハルカは、先程空けた僅かな距離を縮めて俺に縋るような瞳を向けていた。



 その綺麗なダークグレーの瞳に、吸い込まれるように引き寄せられる。



 もはやなんの遠慮もいらないはずだった。他ならぬ彼女の方から、俺が今最もしたいことの申し出があったのだから。



 だが、目を半分閉じて顎を僅かに上げたハルカに少しだけ顔を近づけたとき、俺は硬直した。



『こんな欺瞞ばかりの世界でそんなの、気にする方がどうかしてるわよ』



 ハルカはあの時、確かにこう言ったのだ。間接キスなんて所詮はアバターの疑似唾液付着情報が交換されただけの事象であると、それはそういう意味だ。



 この世界でラブだのロマンスだのというのがくだらないと、ハルカはそう言っている。



 ならば今のこの申し出は──そこまで悟って、俺は胸を氷の杭で貫かれたような痛みを覚えた。涙も出ないほどのやるせなさ。ただただ隠しきれないショックを受ける。



 ハルカは証明しようとしているのだ。俺の考えより自分の考えの方が正しいと。即ち、この世界は愛すべきものではなく憎むべきものだと。



 この世界にある事象全ては幻で、偽りで、だから俺とのキスだって雪の一粒が唇に触れたようなもの。何も感じないのだと証明したいのだ。



 ハルカは俺のことなど、復讐に都合の良い仲間だとしか思っていない。



 分かりきっていたことだったが、同じ布団で並んで眠ったり、これからも一緒にいたいと言われたり、雪の街をわざわざ私服でデートしたり……そして、キスをしてくれとせがまれた。



 シュンを護れなかった痛みとは異なるが、それに等しいダメージを俺は受けた。俺は顔を離して、ハルカの華奢な肩に手をかけた。



「俺は…………お前が好きだ、ハルカ」



 だからも、けれどもない。俺が伝えたいのはそれが全てだったから。この言葉に続きはない。



 もしかしたらそれは建前で、それ以上の文字数は今の俺にはとても発し切れなかっただけかもしれない。たった一言に、一体どれほどのエネルギーを消費したのだろうか。



 ハルカが目を僅かに広げた。彼女の口から何か言葉を聞くのが怖くて、俺は立ち上がった。



 ハルカとの旅はここで終わりだ。俺はそう決めた。エンケの気持ちが痛いほどよく分かった。



 報われない思いを抱えたまま、ハルカと旅を共にするなんてどうしてできるだろう。俺が意固地なプライドを捨ててソロプレイヤーを卒業した理由は、ただ彼女を愛していたからだった。



「さよなら。ハルカ」



 雪の止んだ街を、俺はハルカに背を向けて歩き出した。これからどうしようか。ここに滞在していればザガンに高確率でかち合えるという話ではあったが、ここにいてはどうしてもハルカのことを引きずり続けてしまう。また、宛てのない旅に出る方が良いだろうか。



「待って!」



 背後から予想外の声が聞こえたのはその時だった。俺は思わず足を止めたが、振り返ることはできなかった。どうやら俺は予想以上に、傷付いているようだ。



 だが、再び歩き出そうとした俺はまたしても否応なく足を止めることになる。



 背中に、軽い衝撃。ハルカは俺にすがり付くようにして俺を引き留めたのだ。困惑し、動揺し、一言も声を出すことができない。



「私……私ね…………」



 ハルカは泣いていた。今、ハルカは必死で俺に何かを伝えようとしている。俺はそれをどうしても無碍にすることはできなかった。何時間でも、こうして待ち続けることさえできそうだった。



 何故ならハルカは、去ろうとする俺を引き留めてくれたのだから。



 どれだけ待ったろうか。ハルカの震えが握られたコート越しに伝わってくる。ハルカの選んでくれたコートが、ハルカが何度も口を開いては閉じ、決意しては挫ける様を痛いほどに伝えてくれる。



 そしてとうとう、彼女の口からそれは告白された。



「私……ザガンに…………乱暴、されたの……!!」



 この時俺の胸に去来したのは、燃えるような憤りだった。あれほど強い女性だったハルカをここまで弱らせた、泣かせたその男を、地の果てまでも追いかけ回して斬り殺したい衝動に襲われる。



「そいつ、有り得ないくらい、強くて、私……私、手も足も出なくて……! 麻痺ナイフで刺されて……色んなとこ、触られたり……服も破られて、それで……」



 揺り戻ってきた恐怖と憎悪に苛まれるハルカを、今すぐに抱き締めたかった。だが今の俺には、ひたすら黙って背中を貸すのが精一杯だった。



 その時、ハルカはまだ本当にただの女の子だったのだ。どれだけの恐怖。どれだけの痛み。どれだけの絶望。俺には到底計り知れない。



「お母さんが、助けてくれたの……お母さんが、慣れない剣を握って、不意打ちで、私が転移できるだけの時間を稼いでくれたの……っ! …………でも」



 俺のコートを握り締めるハルカの手に凄まじい力が込められる。歯を食いしばるような壮絶な音が聞こえた。



「……転移で帰った家でいくら待ってもお母さんは帰ってこなかったッ!!! お母さんは、私のせいで殺されたのッ!!!!」



 俺は何一つかける言葉が見つけられない自らの貧弱さを呪った。



「何時間シャワーを浴びても……あいつの臭いはこびりついてとれなかった……! ファーストキス、大事にしてたのに……あんなやつに、無理矢理奪われて……だから……」



 だから、ハルカはこの世界の全てを偽物だと決め込んで。汚されたことも、痛めつけられたことも、全てただの電気信号による錯覚だと自分に言い聞かせて。



「だから、私……私……この世界を愛せるとは思えない……っ!」



 その言葉は太い槍のように俺に突き刺さったが、全てを聞いた今、俺にそれを否定することなどできるはずが無かった。



 そうすることでハルカが少しでも楽になれるなら。俺はそれを否定してはいけない。



 ──その筈だったのに。



「そんなこと、そんな悲しいこと……言わないでくれよ」



 気づけば俺はそう言っていた。ハルカがぴくりと反応する気配がした。



「俺はハルカが好きだって、言ったよな。俺が好きになったハルカは、この声で、この匂いで、この柔らかさで、今、ここにいるハルカなんだ」



 そう。俺はこの世界でハルカに出会ったのだ。本物のハルカとは顔を合わせたことがないし、俺も本物の俺を見てもらっていない。一度も会ったことがない女性を愛してしまったのは、よく考えればとてつもないことなのだ。



 それができてしまうのがこの世界なのだ。チャット上で知り合うのでも、ビデオ電話で話すのでも人は恋をすることができる。ましてやこの世界では、俺はハルカに触れることができる。



 この世界は今や、俺達の暮らす現実そのものなのだ。俺のこの気持ちが偽物だなんて、ここにいるハルカが偽物だなんて、そんな悲しいこと──言わないでくれよ。



「元を辿れば匂いも触感も、ただの電気信号なのかもしれないけどさ。俺の気持ちは本物だ。心だけは電気信号なんかじゃ作れないんだよ」



 俺はゆっくり後ろを振り返った。泣き腫らした目でハルカは俺を見つめる。



 ──やっぱり。



 俺はお前が好きだ、ハルカ。どうしようもないほどに。



「もちろん好きなのはそこだけじゃないんだぞ。ハルカの、料理が得意なところとか、逞しいところとか、ときおり素直になるところとかも。全部大好きだ。それは本物のハルカだろ」



 ハルカの頬が震える。瞳が揺れる。そうして静かに嗚咽を漏らした。



 告白に対する返事もくれないままのハルカは、それでも確かに救われたように泣き続ける。俺はもう、彼女の元を去ろうとは思えなかった。



 ハルカは身を切るより辛い過去を俺に明かしてまで、致命的な誤解を解こうとしてくれたのだ。だから。



「俺、待つよ。ハルカが返事できるようになるまで待つから」



 ハルカはまだ、この世界で誰かを好きになることに抵抗を感じているだろう。けれどハルカは俺を引き留めてくれた。過去を明かしてくれた。今の俺にはそれだけで十分なのだった。



 いくらでも待つ。ハルカの気持ちの整理がついて、俺の気持ちと向き合えるようになるまで。そしてその答えを聞くまでは、絶対に離れない。



 いや、俺はそんなに良い性格はしていないな。思わず頬が緩んだ。



 俺は──



「ハルカが俺を好きになるまで、待つよ」



 ハルカは余計に困惑したように泣き出してしまったが、これくらいの意地悪は許されるだろう。俺だって結構傷付いたんだ。



「さ、帰ろうぜ」



 ハルカが泣き止むのを待ってからそう言うと、ハルカは下を向いたままこくんと頷いた。



「と、言いたいところだけどな」



「……え?」



 ハルカが顔を上げる。



「これから、不動産屋に行くぞ。俺達で家を買うんだ」

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