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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第一章《Utopia》
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ユートピアオンライン

 星屑のような無数の燐光が、閉じた瞼の向こう側でチクチクと目を刺激する。



 生まれ変わり、むしろ転生と言い換えても良いが、自分の存在が一新されたような爽快感に包まれて俺は目を閉じたままのそりと上体を起こした。



 爽やかな風が正面から顔に直撃し、髪をかき乱した。うっ、と顔をしかめてから、俺はゆっくり目を開けた。



 途端、網膜いっぱいに飛び込んできた膨大な情報が俺の頭を完全に覚醒させた。この感動を俺は一生忘れないだろうと確信する。



「ここが……仮想世界」



 一言で言って、途方も無く美しい世界だった。まるで世界そのものが光を放つかのように、眩く、輝いていた。



 見上げれば天空をすっぽり覆う蒼穹が視界いっぱいを埋め尽くし、見下ろせば建ち並ぶ古風な街並みが時代を超えた美の興趣をしきりに訴えてくる。



 余りの眩しさに俺は一度目を伏せ、自分の体を確認した。



 鏡は無いので分からないが、見下ろした感じこの体は間違いなく俺のものだ。十六年間俺が操り続けてきた全身と寸分の違いも無い。ただ、服装だけは向こうと随分異なっていたが。



 手を握ったり、首を鳴らしたり。体を動かすのに一切の不自由もラグも存在しない。いやむしろ、慢性的な肩こりや寝不足の気だるさが解消され、より自由になったとさえ言えるほどだ。



 ここが仮想空間だなんて信じられない。ましてや、今ここにいる俺がポリゴンで構成された仮初めの存在アバターで、本体は次元さえ違う空間で寝転がっているだなんて。



 俺が座っていたのは、背後半周を鬱蒼とした森に囲まれた小高い丘だった。ここがスタート地点であると主張するように後ろは分厚い森が壁となって立ち塞がり、反面、前方は俺を祝福するかの如く濃密な美で埋め尽くされている。



 なんともファンタジーな風景だった。俺の拙い感覚的には、王様が支配していたような時代の街並みと形容できる。そしてこの光景には、どこか見覚えがあった。



 猥雑に建ち並ぶ赤レンガや木造の家屋の間を、石畳のストリートが俺から見て真っ正面に貫く。その先には巨大な噴水。ストリートの両脇には活気溢れる露天がいらかを争っている。どういうわけか賑やかな客呼びの声が微かにここまで届くのだが、店員型のNPCだろうか。



 そしてもっとも俺を驚かせたのは、俺の目を通して擬似的に伝えられている、この景色の解像度だった。最新鋭のグラフィック技術も裸足で逃げ出す最高画質。まさに、現実にモノを見ているかのように感じられる。



 いても立ってもいられない、そんな衝動に駆られた。



 俺は歓声を上げて全力ダッシュを開始した。丘をブレーキ知らずの無謀とも言える速度で駆け下り、勢いそのままに頭から柔らかい芝生に滑り込む。



 顔を擦り剥いた痛みは、どこか遠くの出来事のように感じた。麻酔の上から受けたかのような鈍い痛み。これがこの世界の痛覚仕様なのだろう。



 自分の奇っ怪な行動と高揚感が合わさって思わず、ヒヒヒヒ、と妙な笑いが漏れた。状況的に考えても俺が一番乗りなようなので堪える必要も無く、俺は芝生絨毯に寝転がってしばらく笑い続けた。



 俺の服装は、一見して狩人然としたコスチュームだった。



 ズボンは酷く色落ちした青いダメージジーンズに、茶色いレザーのブーツとベルト。額にはゴーグルのようなものが装着され、上半身は薄手の黒いインナーに重々しい鎖帷子くさりかたびら、その上からベージュの上着を着用し、腰の右側に革製の鞘と簡素なナイフが装備されている。



 俺は感動に震えていた。この景色も、この装備も、強烈な既視感がある。忘れもしない、六年前、父がくれたゲームの中で、俺はこの世界を見たことがある。



 父は以前、演説の中で語っていた。本来なら製品化し、満を持して世に出そうとしていたこの世界。ゲームとして売りに出すなら、タイトルは決まっていて--《ユートピア・オンライン》。



 アルカディアを除けば世界で唯一、俺だけがプレイしたことのあるオープンワールドアクションRPG、《ユートピア》。そのVRMMO版だ。俺たち人類は、これからこの世界で生きていく。



 世界観を作り変えている暇はなかったから、現実世界での環境とかけ離れた部分は仕様だと思って我慢してくれ、と父は言っていた。俺に言わせれば大歓迎だ。今俺が身にまとっているのは、初期登録の際俺が選んだジョブ、《ハンター》の初期装備。



「すげえ……」



 その言葉は勝手にあふれ出た。ようやっと今俺が存在する世界の偉大さに脳が気づいたのか、わなわなと体が震える。



 六年前、骨の髄まで魅了されたゲームの主人公に、今、俺自身がなっているのだ。



 青空も、大地も、どこまでもどこまでも続いていくかのよう。これが全て人の手によって創り出された仮想の世界か。俺は父を心から尊敬した。尊敬というレベルでは済ませられないほどに。



 会いたい。父に、会って色んな話を聞きたい。久しぶりにそんなことを思った。



 だがまずは、そんなことより目下早急に取りかかりたい事案があった。



「六年ぶりに親父から貰ったゲームだ……!」



 両の拳を握り締めた。全身から無限に力が湧いてくるようである。俺は今、愛してやまないゲームの、中に、いるのだ。体の内側を駆け巡る抗い難い衝動。



 ──遊び尽くしてやる!



***



 俺が実の弟であり、共にこの地を踏むことになった幸運の共有者、葛城 瞬──シュンと合流したのはそれから数分後だった。



 彼がようやく初期設定を終えてここに到着するまでに、俺はいくつかの基本機能を自力で使いこなせるようになっていた。シュンに見せて驚かせてやろうという算段だったのだが、結果、驚かされたのは俺の方だった。



「おーい、兄貴!」



 かなりのハイテンションで丘を駆け下りてきた弟の姿を一目見て、俺は笑みを凍り付かせた。



 赤を基調とした簡素な鎧姿に青いマント。最初に選べる三種類の基本職の一つ、《ファイター》の初期装備であるそれらの奇抜さに驚いたわけでは無い。



「シュンお前、その目……」



 柔らかい茶色の短髪は健在であったが、彼のキラキラ輝く純朴そうな瞳は美しいエメラルド色に染まっていた。それまでは至って普通の黒い瞳だったはずなのに。



「容姿登録の時、髪色と瞳の色は自由に変更できたじゃん? せっかくだし、珍しい色の目にしてみたんだよ」



 カプセルに乗り込んだ時、俺たちはカプセルに自分の容姿をスキャニングされた。緑色の閃光が舐めるように全身を往復したかと思うと、天井のディスプレイに精巧な俺の3Dフィギアが映し出されたのだ。その際、髪色と目の色は好きにいじることができたのである。



「兄貴もなんか色変えたら良かったのに」



「えー……いつでもできるし、今はいいよ」



 俺は気を取り直して、当初の予定通りシュンを驚かせることにした。先手は奪われたが、これには驚くに違いない。



「見てろよシュン! はぁっ!」



 俺はかけ声と共に、右拳を思い切り突き出して開いた。普段なら有り得ない行動と声量だが、俺も大分テンションが上がっているらしい。



 突如、開いた手の平の目の前に奇妙な水色のパネルが展開する。



 正式名称は知らないが、便宜的に名付けるなら《メインメニューウィンドウ》だ。ここからアイテムバックだったりセーブだったりログアウトだったり、さまざまな機能を利用することができる。



 しかし、得意顔の俺とは正反対にシュンの表情は引きつっていた。



「……なにやってんの兄貴」



「え? な、なにって、お前これが見えないのか?」



 パネルを指さすもシュンは首を捻るのみだ。そして直後、俺は失敗を悟った。人のウィンドウが他のプレイヤーに見えて良いはずがない。



 覗き見防止の設定が施されているのが当然。シュンの目には、俺の姿はどのように映ったのだろうか。奇声を発して手の平を突き出す兄をどう思ったろうか。



 結局、誤解を解くのに数分を費やした。シュンにこの機能を教えてやり、彼に実践させることで何とか俺の評価を修復することに成功したのだった。



 さて、若い盛りである男二人が揃ってしまえば多少悪ふざけも過ぎるものである。俺達が最初に興味を示したのは、物騒なことに自らの武器だった。



 俺は刃渡り十五センチ程度の片刃ナイフ。シュンの方は背中に吊された巨大な両手剣だった。



 シュンの大剣は目算で刃渡り一メートルを超えており、重量も相応にあると予想された。しかしシュンは少し苦労する素振りこそ見せたものの見事にそれを背中から引き抜いて見せ、「兄貴避けるなよ」と無茶を言ったかと思うとフルスイングしたではないか。



 当然俺は情けない悲鳴を上げて飛び退いた。剣は空を切り、シュンはフルスイングの反動で「おわっ!」と呻きながら前につんのめって倒れた。



「いってて……避けるなよって言っただろー」



「冗談じゃないぜ……」



 シュンは県大会優勝を決めるほどの空手家である。二つ年下の十四歳であるが上背は俺と殆ど変わらず、筋肉の付き方は俺より明らかに良い。



 あれほど重そうな剣を振り回せることからも、この世界でのシュンは現実と少なくとも同等の力を発揮しているように思える。



 アバターの筋力や瞬発力なんかもこの世界では数字一つに依存するのだろうから、あの剣を振り回せる程度の筋力が初期能力として割り当てられているのかも。



 そう思い、俺はシュンにこう提案した。



「その剣、貸して」



 現実の俺の虚弱な肉体では当然無理でも、今ならシュンに振れて俺に振れない道理はない。



「え? いいけど……俺に向けたりするなよ、危ないから」



「よく言えたなそれ」



 シュンは剣を地面に軽く突き刺してその場を譲った。俺はうきうきと心躍らせながらそこに駆け寄り、垂直にそそり立つ剣の柄に両手をかける。



 そして、思い切り力を込めて引き抜──



「ふんぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ!!!」



 抜けなかった。



 なにこれ超重い。シュンは最初こそ俺の奇っ怪な行動に目を丸くしていたものの、俺が単に剣が抜けないだけだと察するや否や腹を抱えて笑い始めた。今すぐ斬りかかりたい。



「お、おかしい……。これじゃまんま現実の俺の筋力じゃないか……」



 現実の身体機能を忠実に再現することは、よく考えればあのカプセルなら難しくないかもしれない。筋肉量、脈拍や呼吸回数を測定して概算するだけでもそこそこの精度になりそうだ。



 ならば俺のジョブ選択は正しかったと言える。剣が振れないファイターなんて役立たずも良いところだ。



 希望を捨てるには早い。このゲームはレベル制のRPG。つまりレベルを上げていけば、筋力などの値は上昇していく可能性が高い。



 いずれはジャンプで屋根に飛び乗ったりなんて超人的なパフォーマンスができるようになるのだろうか。そう思うと高揚せずにはいられない。



 現実の肉体レベルによってシュンと差が付けられてしまったのは痛いが、ゲームの知識なら断然俺が上。現実では一度も勝てなかったシュンにケンカで勝てる日も近いかもしれない。



 そのためにも、まずはレベルを上げないことには始まらない。モンスター、つまり経験値の恩恵を得られる敵が存在するはずだから、まずはそいつを探そう。



 六年前の記憶が正しければ、街の外に出ればスライムなり小動物なりの初級モンスターが現れるはず。というわけで俺が今からすべきことは、街の外に出る門を目指すことだ。



 そこまで意志を固めたところで、俺は「待てよ」と思い直す。



 ここでシュンを置いて単身狩りに向かった方が、シュンとの差を縮められるに決まっている。ゲームとは無縁のシュンは恐らく何をすれば良いかも分かっていないはず。



 しかし……。



 俺は、不思議そうな顔をしている逞しい肉体の弟の全身と、ひょろひょろした生っ白い俺の体を交互に見つめた。



「よし、シュン、ついてこい」



「え?」



 やっぱり兄として、弟を放っておくわけにはいかないからな。



***



 俺達は十数分ほどかけてストリートを縦断しきり、記憶を頼りに、フィールドへと続く大きな木製の門へを探し当てた。そこからついにフィールドへと足を踏み出したのだが……



 フィールドでのモンスターとの戦闘は、はっきり言って思い出したくない。



 最初にエンカウントしたモンスターは小型の猿だった。桃色の毛並みに悪魔のような醜悪な顔。問題は、あまりに見た目が怖すぎたことだった。



 ギョロリと飛び出した緑色の目玉は血走り爛々と妖しく光り、不格好な牙が生え揃った口からは青紫色の舌がはみ出す始末。おまけによだれまで垂らしている。見覚えのあるモンスターだったが、PCゲーム版ではもうちょっと可愛らしかったような気がする。



 街を出た俺達は一分もせずにそいつに遭遇した。門を出た先は平和そうな小道で、呑気に歩いていたらいきなり横の茂みから飛び出してきたのだ。



 シュンは反射的に身構えたが、俺は情けないことに腰を抜かした。結局、シュンが見事なキレの上段回し蹴りで猿を仕留める様子を眺めることしかできなかった。ていうか大剣使わないのかよ。



 驚くべきはシュンの攻撃力である。いくら初級モンスターとは言え武器も使わず一撃で倒せる相手ではあるまい。シュンの初期値が異常に高いのだ。



 更に驚くべきは、武器の攻撃以外でも敵にダメージを与えられるシステムだ。二度目に例のピンク猿に襲われた際、試しに石を投げつけてみたら微量ながら猿の頭上に浮かぶHPバーが減少した。



 これほど自由度の高いシステムは従来のMMOでもお目にかかったことが無い。道ばたに落ちている石から傍らを流れる小川の水の一滴に至るまでアイテム扱いされているのだ。一体どれほどのデータ総量だろうか。



 と、二匹目をシュンが今度は下段蹴りからの正拳突きで倒した頃には流石に俺もモンスターの醜さに慣れ、三度目の襲撃は俺がナイフで大した苦労をすることもなく倒すことができた。



 しかし、武器を使ったのに俺は猿を倒すまでに三回も刺しては抜いてを繰り返した。これではいかに敵が気持ち悪いと言っても心が痛んで仕方がない。



 そんなわけで序盤は弟に大半の経験値をくれてやる羽目になり、差は縮まるどころか広がる一方だった。俺がようやくレベル2に上がったとき、シュンはそろそろ4になるとご満悦だった。



 シュンはゲームという馴染みの無い文化にハマってしまったようだった。元々、食べ物や漫画の好みも似ている兄弟だった。



 こうなってしまえば手が付けられない。俺はシュンを負かすという野望に早々に見切りを付け、この逞しい弟を頼れる仲間とすることにした。



 そこでシュンに提案したのがパーティー契約である。



 パーティーとは言わばプレイヤー同士の暫定的な協力関係のことで、組めばメンバーが得た経験値やドロップアイテムをシステムが自動的に、メンバー全員に公平に分配してくれる。あまりレベル差があると組めないのだが、1レベル差の俺達の場合は全く問題ない。



 明らかに俺得な提案だったがシュンは快く承諾した。彼は頭が悪い、そして人が良すぎるのだ。



 そんなわけでそこから先は、ちょっと自己嫌悪に陥るくらいに巧く事が運んだ。手分けして経験値を集めようと俺が提案しシュンと別れ、シュンが見えなくなったところで俺は木の幹に背を預けて腰を下ろした。



 経験値はシュンが勝手に集めてくれる。俺はひとまずこのゲームの勉強をしようと考えた。



 数分後、彼が景気良く送ってくれる経験値のお陰でレベルが3に上がったことを、脳内に響くファンファーレと全身から発される青いライトエフェクトが知らせてくれた。



 さすがに申し訳なくなり、分かったことがあればアイツにも教えてやろうということになった。



 十分近く、ヘルプや装備説明画面を中心にひたすらにウィンドウを開き続けて俺は情報を脳に叩き込んだ。六年前にプレイしたPC版の知識とすり合わせ、VRMMOならではの仕様変更を把握していく。



「……なるほど。こいつは奥が深いな」



 自由度の高さに比例してシビアになる戦闘システム。フィールドマップの全域の広さを見るだけでもこの世界のスケールのでかさが分かる。



 ジョブやスキルも頭が痛くなるほど種類が豊富そうだ。解放条件も多岐に渡るだろう。



「……さてと、シュンにばっか働かせても悪いからなぁ」



 粗方知りたいことを吸収した俺は、よっこらせと立ち上がった。

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