研究員ワタル
案内されたのは、噴水広場を北に越えた先に広がる住宅街の奥の方、ほどよい距離を空けて建ち並ぶ石造りの平屋の一角だった。アリシアに続いて入室した俺は「お邪魔します」とやや遠慮がちに投げかけておく。
「ちょっと待っててね、主人を呼んでくるわ」
あなたー、と奥の方に呼びかけながらアリシアが廊下の奥に消えていく。俺は靴を脱がずに玄関先で待つことにした。
玄関には、先程アリシアが脱いだ赤いハイヒールを含めて三つ靴が並んでいた。一つは男物の革靴。もう一つは小さな黄色い子供靴だ。アリシアはかなり若そうだったが、夫だけでなく子供もいるらしい。
アリシアはまもなく戻ってきた。複雑な微笑を浮かべる彼女の背後には、一人の男性が寄り添っていた。
「お待たせ。主人のワタルよ」
「こんにちは、セツナ君」
ワタルという男を一目見て、俺はあの日ケントと出会った時と同じ衝撃を受けた。
年は二五歳くらいだろうか。白に近い金髪は少し長めで、柔和に細められた金色の目は底抜けに優しそうな印象を受ける。
医者や科学者が着るような上等な白衣を黒スーツの上から羽織った姿は実に精悍でインテリっぽい。そしてかなりの長身だ。百八十センチは超えているだろう。
そう、彼は絶世の美青年だった。白髪も碧眼もシステムカラーで染めているとは思えないほどに様になり、アリシアとのツーショットも実に決まっている。ケントの他にこんな人間離れした容姿をしている者がいるとは思いもしなかった。
「セツナって、いい名前だよね。本名なのかい?」
「ええ。父がつけてくれました」
俺の言葉に、ワタルは何か合点がいったような表情になった。俺の顔をじーっと数秒間凝視し、やがてにっこり笑う。
俺は次の瞬間、アリシアが何故俺をこのワタルという男と会わせたかったのかを悟った。
「やっぱり。特に目元なんかそっくりだ。君があのセツナ君か、会えて本当に嬉しいよ」
「え……?」
「葛城刹那君、だろ? お父さんには、いつもお世話になってます。いや、お世話してますって言った方がいいのかな」
ワタルという男は、父の部下で、アルカディアの研究員だったのだ。
立ち話もなんだから、と中に招かれた。通されたリビングは木張りの床と白い壁に、落ち着いた配色の家財道具が揃えられた清潔感のある部屋だった。
広くはないが、心落ち着く空間が妙に懐かしかった。一週間の野宿生活は思った以上に色々な意味の疲労を蓄積させていたらしい。
ワタルは、父シンジについて実に楽しそうに語ってくれた。一刻も早くザガンについての情報をもらいたいとばかり思っていた俺だったが、その話はどれもユーモラスで、気づけば時間を忘れて談笑していた。
アリシアが出してくれたお茶をお互いに一回おかわりする程度には会話は盛り上がり、一段落したところで俺はようやく切り出した。
「ワタルさん。俺はザガンを追っています。アルカディアは、ザガンについてどこまで掴んでいるんですか」
ワタルは青い瞳に真剣な色を帯びさせしばらく俺を見つめていたが、やがて重々しく口を開いた。
「……君がやろうとしていることは、とても危険なことだ。命を落とす可能性だってある。葛城さんの部下として、僕は君に協力できない」
「……そう、ですよね」
至極まっとうな返答だった。むしろ、すぐにでも父に連絡を取って俺を保護するよう取り計らうかもしれない。そうなれば俺はここを逃げ出す用意がいる。
「ただ……」
「え?」
「僕がここで君に情報を開示しようとしまいと、君の決意は変わらないんだろう? どうせ危険に飛び込むのなら、その危険を少しでも減らしてあげるために、僕は知りうることを全て君に話すべきだ」
にっこり笑うワタル。俺の胸の内を奇妙な感情が満たした。例えるなら、親に隠れて捨て犬を育てているような。楽しくて、スリリングで、くすぐったい感情。
この男は、父に黙って俺に助力してくれるというのだ。これほど嬉しいことはない。
「差し当たって、君のステータスを見せてくれないか。ジョブやスキルも詳しく分かるとなお良い。サポートの仕方も変わってくるからね」
俺は頷き、パネルを可視設定してワタルにも見えるように傍らに移動した。自分のレベル、ステータス、ジョブに武器熟練度。更には会得している全てのスキルを何の躊躇いも無しに開示した。
ワタルは俺のさらけ出したそれらのデータに、純粋に瞠目していた。
それも無理はないように思える。俺のレベルは37。少なくともセントタウンにこれより高いレベルの者はいなかった。
他の都市もほぼ同様であると考えるなら、俺は必然的に全世界トップクラスのレベルを誇るハイプレイヤーということになる。
「レベルも、そうだけど。なんだいこの俊敏性は。あははっ、有り得ないよこの数字!」
傑作だと笑うワタルの言う通り、確かに俺のステータスは、素早さを司るアジリティの数値だけが異常に突出しているのだ。これはレベル1の時からそうで、レベルを上げて行くにつれ余計に顕著になっていった。素早さだけならあのケントさえも余裕で上回っていたほどだ。
「ジョブは……え、《シノビ》? このレベルで?」
ワタルの言い分は分かる。シノビはハンターの上位職の一つだが、解放条件の一つに『《刀》を所持していること』というのがある。つまり本来なら超の付く激レア職業なのだ。
その刀がまた問題児だ。刀という武器種は、このユートピアにたった三振りしか設定されていないユニークウェポンである。
ユニークウェポンとは、同じ名を持つ武器が二つ以上は存在しない武器のことを指す。例えば俺の持っていた短剣──《ベアズクロウ》はグランドベアを倒せば低確率でドロップするため同じ武器を持つプレイヤーは他にも多くいるだろう。
しかし、スミス職が打った武器や一部のドロップ武器、及びイベントミッションの報酬などは同じ武器がこの世に二つと存在しない。それがユニークウェポンである。
刀はその中でも別格で、存在自体が世界にたったの三振りしかないのだ。世界中のプレイヤーが何万人も同時にプレイするオンラインゲームにおいてやり過ぎとも言える希少設定。
その中の一振りを親のコネで入手してしまっている俺はなんだかとても罪深いような気がしないこともない。刀の入手先を問い詰められたので正直に父の名を出すと簡単に納得してくれた。
だがそんな刀を更に差し置いて、何よりワタルを驚愕させたのは俺が《オリジナルスキル》の所持者だったことだった。
オリジナルスキル。特定の条件を満たすことで獲得できる、プレイヤーに宿る異能力のことである。その効果は他のスキルとは桁違いだがSP消費量はその分凄まじい。俺もこの存在を知ったのは実際に会得してからのことだ。
──【断罪の蒼炎】、それがその力の名前。大層な固有名だが確かに威力も半端ではない。
「オリジナルスキルホルダーがもう一般プレイヤーから出たなんて、まったく寝耳に水だよ……セツナ君、これもシンジさんから?」
「いえ、これは自分で発現しました」
俺の言葉に、ワタルは俺を労るような表情を見せた。彼はこの力が発現する条件について良く存じているらしい。
俺のこの力についての詳しい話は、発現したその夜(眠ったのは確か明け方近かったが)夢に現れた精霊型のNPCから聞かされた。
オリジナルスキルは、プレイヤーの強い"思いの力"が具現化したもの。彼女の言葉はアバウトだったが、読み取れるのは解放条件はプレイヤーの心理状態にあるということ。
俺はそれがずっと疑問だった。いかにこの世界を統治するコアプログラムが万能でも、人の心を読み取ることなんて可能なのだろうか。
せっかく目の前に研究員がいることなので、俺は聞いてみることにした。
俺の唐突な問いにワタルは驚いたように目を丸くしていたが、やがてそれはそれは花が咲くような笑顔を見せた。何をそんなに喜ぶことがあるのだろう。
「セツナ君は、この世界に来て泣いたことはあるかい?」
言ってすぐに、ワタルは自分がいかに無遠慮な発言をしたかどうか自覚したらしく、「あ、ごめん、そんなつもりじゃないんだ」と慌てて謝った。
俺は、たくさん泣いた。シュンが死んだときも、母と別れたときも、ケントを斬ったときも、そしてここに来るまでにも。一人で寝袋に潜り込むと、静寂の中自分の孤独を痛感し、勝手に涙が溢れ出すのだ。
「……あります、たくさん。でも気にしないでください、俺は大丈夫ですから」
ワタルは所在なさげに視線を彷徨わせ、「僕が言いたかったのは」と釈明を始めた。
「涙を流すというのは一種の反射現象だ。誰も、泣こうと思って泣くわけじゃない。名女優なら話は別だがね。涙は、脳が悲しみや、あるいは喜びといった感情を感知して溢れるものなんだ。君は、この世界で体を思うように動かせる原理はどうなっているのか知ってるかい?」
当然知るわけがない。ワタルは簡単に説明してくれた。
つまりは脳が発する命令をこちらの電気信号に変換して、アバターの動きに連動させているらしい。俺の右手を動かそうとすると現実の肉体の右手はぴくりともしないが、アバターの右手は思い通りに動くという仕組みだ。
だが、そうなるとこの世界で涙が出る説明はつかない。悲しくて涙を流すとき、ワタルの言う通り俺達の脳は泣くように涙腺に命令しているわけではない。つまり、この世界で涙を流しているということそのものが、システムがプレイヤーの感情を読み取っていることの証明なのだ。
「やっぱり、葛城さんの息子だね。とても優秀な頭脳をしてるみたいだ」
ワタルの説明を待つまでもなく答えを出した俺に、ワタルは満足げに頷いた。俺はそんなことより、人の心さえ機械が理解してしまう時代が来たことに震えていた。
そして、次のワタルの言葉には余計に驚かされた。ワタルが嬉しそうにしていた理由も分かった。
「人の感情を認知できるようなシステムを考案したのは、僕なんだ」




