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リアル・プレイング・ゲーム  作者: 旭 晴人
第一章《Utopia》
15/167

決別2

──────────────────

────────────────



 まだ日も昇らない暁の空は、うっすら東側が白んで幻想的に透き通っている。



 世界は昨日までと絶望的に変わってしまったのに、自室の窓からそれを見上げていると、それでもこの世界は美しい、と思えてしまう。



 時刻は午前4時43分。さすがに母も、泣き疲れて浅い眠りについている頃だろう。



「……ごめん、母さん。やっぱり行くよ」



 一晩悩み明かして、俺は旅に出る決断をした。この広大な大陸のどこかに必ずいる弟の仇を見つける、という宛のない旅。



 日頃自分に自信の持てない俺でも、今回だけは、やってできないはずはないと勝算を見出していた。何故ならこれはゲームで、俺には一般人が持てるはずのない特別な力を三つも持っている。



 それに──尊敬して止まない父のあんな沈んだ声を聞かされては、奮い立たずにいられない。



 ベッドから立ち上がり、メニュー画面から全身武装。俺のアバターが光に包まれ、頭から足の先まで装備が変更されていく。



 はためく黒い、ひざ裏までを隠すロングコート。同じく黒いレギンス。空色のショートブーツ。左腰に、ベルトを通して刀を差す。



 そして左腕には、シュンがずっと愛用していた《イージスの腕輪》が、どこか哀しげに光っている。



 刀と、腕輪と、そして──蒼い炎。この三つが俺の武器。旅をしながらこのゲームのことをもっともっと勉強して、もっともっと強くなって、必ずザガンに辿り着いてやる。



 そして奴らを、殺す。一人残らず。



「行ってきます」



 窓を開けた俺は、一度だけ振り返って小声で母に別れを告げると、二階の部屋から外へと飛び出した。音を立てずに着地し、母に見つかる前に急いでフィールドへと続く門へ向かう。



 ──ピロン。



 角を曲がったところで突然鳴った電子音に、ビクッと肩を跳ね上げて俺は足を止めた。脱出がバレないかと冷や冷やしていたからか、神経が過敏になっていたようだ。



『プレゼントが届いています』



 目の前に展開したウィンドウを見て絶句する。差出人は、母からだった。



 思わず家の方角を振り返ったが、角を曲がったばかりで母のいる場所の姿はもう見えない。こんな時間に、まさかずっと起きていたのか。



「……なんだよ、プレゼントって。絶縁状とかじゃないだろうな……」



 冗談で済まないレベルで、昨夜の口論は初めて経験するものだった。母はあまり感情を表に出さないし、俺も今まで母親相手に本気になったことなどなかったから。



 怖々プレゼントデータを開封すると──ボン、と煙を上げて虚空から二つのアイテムが俺の目の前に現れた。



 サイズは、大きいものとかなり小さいものがある。ゆるやかに落ちてくる、まずは大きいものを咄嗟に片手でキャッチして俺は悲鳴を上げた。



「あっちッ!!!?」



 鍋だった。フタをされていて中身は分からないが、ぐつぐつに煮えている。一度触れてしまうと落下スピードが通常に戻るので、俺はあわや中身をぶちまけてしまいそうなところを間一髪、自分のアイテムボックスに納めることで回避。



 この世界では、公共のアイテムや一部のアイテムを除き、納める、と念じれば、触れたものをマイストレージに格納することが可能である。



「あっぶねぇ……で、もう一つはコレなんだ……?」



 鍋も大概分からないが、今俺の手のひらに落ちたこの小さな物体は余計に分からない。



 豆だ。金色の、ソラマメのようなサイズの豆。食べるとたちまち傷が全快するとか、そういう類の回復アイテムだろうか。



 だが、解説文を開いて読んでみると『NPCショップで高く売れる』とのこと。なるほど売却アイテムのようだ。食べなくて良かった。



「……鍋は弁当で、豆がお小遣いってことか? なんだよそれ」



 思わず笑ってしまう。上から真っ黒に塗りつぶされていた心に小さな穴が空いて、そこから泉が湧くように、僅かながら温かい気持ちが満ちていく。



 同封されるメッセージの画面は白紙なので、応援なんて真っ直ぐな感情ではなさそうだ。母はもっともっと複雑な思いを抱えている。それを白紙が雄弁に語っているようだった。



 それでも嬉しい。誰かに、確かに見送られた旅立ちであることが。



「……行くか」



 剥がれかけた黒い感情が、出発の意思と共に再び俺をゆっくりと覆っていくようだった。



 もう、当分帰ることはないだろう故郷の街並みをなぞりながら、俺は規則的に足を動かし続けた。



 居住区を抜け、坂を下って露店街に入る。NPCによる客引きの声はいつも通りだが、それ以外に人の気配はない。



 NPCは俺を認識して声をかけてはくれても、俺がここを捨てて旅に出ることに気づくことも、ましてや俺を止めてくれることも当然ない。全てを素通りして、とうとう噴水広場を越えた。



 荘厳な音を立てて流れ落ちる水の音を背に、俺はあれから初めて立ち止まった。もう門は目の前。まさかこんな時間に出発して人に出会うなんて思わなかった。



 それも、よりにもよって。



「ケント。どうしたんだよそんなところに座り込んで。風邪引くぞ」



 固く閉ざされた門扉の前に、どっかと腰を下ろして座る金髪の少年。親友だ。顔を上げて俺と目が合っても、ケントは表情を変えなかった。俺がここに来ると予期してきたと、言わんばかりだ。



「……やぁ、君にしては随分早起きだね。セツナ」



 ゆらりと立ち上がったケントの顔色が悪い。足もふらついている。寝ずの門番をしていたのか。勘のいい友である。



「シュンは……死んだの?」



「……あぁ。通知が届いたのか」



 なんの目的があるのか定かではないが、ザガンの書き換えでプレイヤーの死はフレンドにメッセージによる通知で知らされる仕様になっている。昨晩シンジの放送で明らかにされた。



 俺はシュンの死の瞬間、武器を抜いていたので通知が届かなかったようだ。納めたときに届いたはずだが、放心のあまりシンジが言うまで気づかなかった。



 ケントは俺の肯定に言葉をなくし、何か俺に向かって最適な一言を探す素振りを見せた。俺は構わずケントを素通りしようとして──すっ、と伸ばされた腕に行く手を遮られる。



「どこに行くつもりだよ。まさか……あいつらを探しに行くなんて言わないよね」



「お前は止めると思ったから、黙って出ようとしたんだ」



「当たり前だろ! 君にはあんなに素敵なお母さんがいるじゃないか! あの人を置いて旅に出るなんて……」



 お前まで、復讐を否定するのか? シュンを殺されて奴らが憎くないのか?



 分からない。結局のところ、俺には理解できなかったのだ。母やケントの気持ちが。シュンを奪われてなお、指を咥えて縮こまって生きることを選択する気持ちが、どうしても理解できなかったのだ。



「なあ……ケント、お前も来いよ。二人であいつの仇を討とう。お前言ったよな、旅に出たいって。昨日のことだよ。ケントと二人なら、母さんも少しは気が変わるかもしれないし、旅だってきっと辛いことばかりじゃない」



 ケントは泣きそうな表情になって、俺の至って大真面目な提案をじっと吟味しているようだった。やがて。



「……無理だよ。この際話しておくけど、僕の命は僕だけのものじゃないんだ。みすみす捨てるようなことはできない」



「どういうことだよ」



 真意を測りかねる俺に、ケントは衝撃の告白をした。



「僕は、抽選に外れたんだ。どこかの家に配送中のハードを盗んで、家族も全員置いてたった一人でこの世界にログインした。救えないやつさ」



 その告白は、ケントの家族に一度も会ったことがないこと、親の許可を取るのも難しそうな長旅の提案を簡単にしてきたこと──そして、感情的になってまで俺に母の元へ留まれと諭したこと、全てを腑に落とさせた。



 だが、芯まで凍り付いた俺の心にケントの告白はどうにも響かなかった。親友が人殺しだろうと犯罪者だろうと俺には何も関係の無いことだ。



「この命は誰かの犠牲の上にある。勝算のない旅に出るなんてできない」



「……交渉決裂か。相変わらずクソみたいに誠実だな」



「君は冷静じゃないよセツナ。君のお父さん達でさえ敵わなかった相手だぞ。僕達だけで何ができるって言うんだよ。そんなことより、君には残された家族がいるんだから──」



 あぁ、分かった。なぜケントのことがイラつくのか。



「お前……まだ俺に勝てる気でいるんだろ」



「え?」



「剣を抜けよ。証明してやる、前の俺とは違うってこと」



 俺とケントを繋ぐ、なにか尊く、大切なものを断ち切るように俺は腰の刀を引き抜いた。ケントが狼狽して2、3歩後ずさる。



「それ……刀」



 ケントを怯ませた快感が、刀の持つ莫大なエネルギーと共に俺の全身を血のように駆け巡る。そうだ。俺は昨日までの俺じゃない。ゲイルに手も足も出ず、シュンの死をどう足掻いても防ぐことができたなかった、無力で無能な俺では既にない。



「な、なに考えてるんだよ。街の中で、そんなもの抜くなんて。正気じゃないよ」



「恐いのか? 俺は恐くないぜ。奴らを殺すんだ。この刀で」



 ケント。お前は俺を見くびっている。だから無謀だと言う。だったら思い知らせてやるまでだ。



 ケントは全く知らない人間を見るような目で俺の顔を見つめていたが、やがて唇を噛み、虚空に指を走らせた。出現した大剣を器用に片手で掴み取り、俺に切っ先を向ける。



 やる気になったか。



「君を止める! 僕は君にまで……死んで欲しくない! だって君は、もう僕の唯一の繋がりなんだから……」



 俺は俯き、刀を一度握り直すと──全力で踏み込んだ1歩でケントを追い抜き、すれ違い様に親友の体を深く深く斬り裂いた。



 走った巨大な刀傷から、噴水のように迸る深紅のダメージエフェクト。仰け反ったケントは掠れた悲鳴と共に背後の俺に向かって手を伸ばし、そしてぐしゃりと崩れ落ちた。



「なら断ち切ってでも先に進む。お前は最高の親友だったよ……母さんを、よろしく頼む」



 振り返らずに俺は門扉に手をかけた。背後では、呻き声を上げてのたうち回り痛みと闘う親友の気配が、徐々に俺の意識から締め出されていく。



 黒いオーラを薄く纏った刀が、小気味良い音を立てて鞘に帰る。【峰打ち】というスキルを付加して斬った。HPは必ず1以上残る。死ぬ心配はない。



 門を潜って馴染みの街を出た俺は、立ち止まり、その場でメニューウィンドウを展開した。背後で、重苦しい音を立てて門扉が閉まる。



 喚びだしたのはフレンド一覧画面。シュンの名が消えた今、一番上は『Kent』、次に『Maki』と続き十数人ほどのプレイヤーネームが並んでいる。



 俺はそれを、一人ずつ順番に、綺麗さっぱり削除した。フレンド0人──正真正銘、孤独なソロプレイヤーだ。



 一瞬、息を吹き返したように俺は不安と後悔を覚えた。もう閉じてしまった門を振り返ると、今すぐにでも門の前で倒れたケントを抱き起こし、心から謝って、母の元に帰り彼女の作る朝ご飯を食べたくなる。



 それら全てを塗り潰す、圧倒的な憎悪。ケントと母の顔は、ソーマとゲイルの顔に上書きされて見えなくなった。心が墨汁に浸したように黒く染まり上がる。



「さぁ……待ってろザガン」



 午前5時を告げる鐘の音が、俺の健闘を祈るように朗らかに鳴り響いた。

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