プロローグ
かつて滅び行く地球から人類を救った英雄であり、そして今、最後の希望として人々から絶大な支持を得ているアルカディア──そんな天下のゲーム会社の社員会議とは思えないほど、こじんまりした会議室だった。
十畳程度の殺風景なオフィス風の部屋。机には白衣姿の男達が四方を囲むようにして座っている。議長と、一番下っ端の席だけが空席だった。
「シンジさんとワタルがいないと、いやに静かですね」
ワタル亡き今、この中で一番年少となってしまったヒロキはそう言って苦笑した。
「じきにうるさくなるさ。あの男がようやく全員を集める気になったんだからな。遅刻癖は相変わらずだが」
向かいに座る男が返事を寄越す。声こそ透き通るような甘い質をしているが、その外見は灰色のマフラーで目以外をぐるぐる巻きに覆っているという凄まじく不気味なものだった。
彼の人柄を長い付き合いで承知しているヒロキはもう不審がったりはしないのだが、素顔を見たいという欲求だけは膨らむばかりだ。
「久し振りに会いましたけど元気でしたかシュウさん? シンジさんにこき使われすぎてぶっ倒れるのはもう勘弁してくださいよ」
「確かに少しばかり多忙だったが、体調は問題ない。それに今が踏ん張りどころだろう。無事俺達のユートピア・オンラインを取り戻したら、暇すぎるぐらいの暇が待ってるんだから」
「……たぶん、世界が元に戻ったら戻ったで、シンジさんはあれこれシュウさんに押しつけると思いますよ」
シンジの奴隷、の名をほしいままにしている不憫な副社長を哀れみの目で見つめるヒロキ。一方左隣の席では豪快ないびきが響いていた。
剣山のようにそそり立った銀髪。机に突っ伏して眠っている大男は、むしろ起きているときの方が珍しい。
「ヤマトさんの過眠症、この世界に来ても治らないとは思いませんでしたね」
「起こせるのはシンジだけだ。アイツが来たら起きるだろ」
奴隷だが、シンジのことを呼び捨て、もしくはアイツなどと呼んでしまう人間も社内ではこのシュウだけである。聞くところによると彼らは学生時代からの友人らしい。
それが健全な友人関係なのかははなはだ疑問だが、そうするとシュウの年齢も四十を超えることになる。余計に素顔が気になるではないか。
いつ隙を見て剥ぎ取ってやろうかとヒロキが企んでいると、複数の足音が近づいてきて部屋の扉が開いた。
「待たせたな」
入室したシンジのその声があまりに真剣で、かつ追い込まれたものだったので、ヒロキは遅いですよと茶化すのを思い留まった。
彼の隣には赤毛の少女が遠慮がちに立っていて、ヒロキと目が合うとぺこりと会釈をした。出会ってからそこそこ日が経つが、何度見ても見とれてしまうほど美しい少女だ。
ほぼ同時というところでヤマトが無事に目を覚ます。
議長席にシンジが、そして本来ワタルが座っていた、シュウの隣の空席に赤毛の少女ハルカが座った。
「急に集めて悪いな。さっそく本題に入るが……まず、ようやく例のアレが完成した」
シンジの報告にヒロキは思わずどよめいた。ザガンとベテルギウスに世界を乗っ取られてから今日まで、暇さえあれば部屋に閉じこもり没頭していた、この世界を取り戻すための武器作り──その武器がもう完成したという。
「予定より随分早いじゃないですか。さすがですね」
「まあ、俺だからな」
真顔で言い放つシンジは今日も平常運転だ。
「さて、これで残す仕事はあと一つ。バットマンの捕縛だ。これさえ成せば世界を取り戻せる」
シンジの口ぶりはやはり上手い。バットマンの捕縛、それが不可能に近いからアルカディアは崖っぷちなのに、シンジはあたかもこちらが王手をかけているかのように言う。
「そのために邪魔になってくるのがベテルギウスというわけだよな。頼まれてたデータが纏まったから報告しよう」
シュウが信じられないスピードで手首を振ると、ヒロキ達に文書データが添付されたメッセージが送られてきた。ウィンドウを操作する速度でシュウに勝るものは恐らくこの世界にいないだろう。
データを開く。内容はベテルギウスの全貌を丸裸にしたような出来のレポートだった。展開したレポート用紙に目を通しながら、シュウの口頭説明に耳を傾けた。
「昨日現在、ベテルギウスの総人数は三四五人。内レベル50以下の下っ端が七十名ほど。上は頂点に鬼神のソーマ。レベルは少なくとも200以上なのは間違いない」
バットマンを狙う上で恐らく最大の障害となるのがこのソーマという男だ。それにしてもレベル200以上? サービス開始からまだほんの四、五ヶ月程度だというのに、その数値はあまりに異常だ。
まさかラスボスのアノンを一人で何度も倒してる、なんてお化けみたいなレベリングをしているわけじゃああるまいし。
ヒロキのレベルは現在133。ヤマトはもっとあるだろうが、シュウは確か60程度だ。彼は背負う雑務が多すぎてレベリングなどしている暇が殆ど無いのである。
そして大将であるはずのシンジのレベルは3とか4とか、その辺だ。弱すぎて肩に付いたゴミを取るときでさえ気を遣う。
レベル200オーバーのプレイヤーに、手持ちの戦力で勝つ。どうにかそれを考えようとするが、あらゆる戦略と作戦と装備、アイテムの組み合わせを吟味演算しても活路の一つさえまるで導き出せない。
元来の天才的センスに加え、レベルも150を超えていたワタルでさえソーマには歯が立たなかったのだ。例えばワタルが生きていたとして、ヒロキとヤマトと合わせて三人がかりで挑んだとしてそれでも勝てたかどうか。
少なくとも二人は死ぬだろう。しかも敵はソーマだけではない。三百人を超える敵軍勢の内、数名はヒロキよりもレベルが上なのだ。戦力差は歴然。真っ向勝負の総力戦では敗北が目に見えている。
「ソーマに次ぐ要注意人物を六名ピックアップした。カイジ、ノートン、レイス、コブラ、ベルモント、そしてケントだ」
機械的なシュウの口からケントの名が出た瞬間、ハルカの両肩がぴくりと跳ねる。
「分かる限りのレベルやジョブ、使用する武器や戦闘パターンなどを纏めてある。それぞれのプレイヤーネームの部分をタップをすれば詳細が出るようになっているから各自見ていてくれ」
相変わらず仕事の出来が良すぎて気味が悪いな。褒め言葉のつもりで独り言ちてから、ヒロキは試しにケントの名前をタップしてみた。
途端、レポートに被さるように詳細なデータのウィンドウが展開した。左上にスクリーンショットを切り抜いた顔写真が付いていて、なんだか履歴書みたいである。
盗撮された顔写真は金髪碧眼の美少年だった。これがケント、か。ザガンのナンバー2は案外可愛い顔をしているらしい。
使用武器《刀》、ジョブ不明、仙人系オリジナルスキル所持、レベル140オーバー……などなど、掲載されていたデータは辟易するものばかりだ。
「この情報、ソースはどこです? 信用できるんですか?」
ヒロキの問いに、シュウはマフラーの奥の顔を険しくしてぶっきらぼうに言った。
「提供者は例の、ザガンのトーリだ。シンジが信用していいと言うから、信用していいんだろう」
その名に、ハルカはケント以上の反応を見せた。ヒロキは以前顔を付き合わせた彼を思い出す。
「なるほど、彼か。なら信用できますよ。ね、ハルカちゃん」
「あっ、はい! そりゃあもう、むしろ信用しかないってぐらい!」
居心地悪げだったハルカはしゃきっと背筋を伸ばしてそう言った。その必死さがなんだか可笑しい。アルカディアの研究員に囲まれたこの状況、確かにザガンを擁護したくなる気持ちも分かる。
彼女はザガンを、特にトーリという青年を深く信頼している様子だった。
「憎むべき相手だろうがなんだろうが、使えるものは使わせてもらおう。戦力としてもかなり貴重だ」
シュウが言いながらまた手首を動かすと、何やらもう一通メッセージが送られてきた。添付ファイルを確認すれば今度はザガンについてのレポートである。
「ザガンのトーリは、リーダーのカルマを含む全メンバーのデータを全てこちらに開示してきた。どんな作戦にでも遠慮無く組み込んでくれとのことだ。俺も、ここまでされて疑いたくはないな」
ハルカの顔が目に見えて明るくなる。この通り、シュウの不気味さは本当に見た目だけなのだ。中身は実に紳士的である。
「このレガリアに招待しようとしたんだが、それだけは断固として聞き入れてくれなかった」
「それもそうでしょう。ザガンからしたらこんなとこ、居心地悪くてかないませんよ」
あの日見たトーリの表情は固かった。彼らは多分、自分たちが捨て駒として使われることを望むだろう。対等の同盟関係では恐縮してしまう。
だから危険を顧みず、未だベテルギウスと肩が触れ合う距離に留まり、スパイ行為を引き受けてくれている。
「シュウの報告は以上か。聞いたとおり、これで敵と味方の戦力が大体明らかになった。俺の秘密兵器も完成。あとは、あいつらがいつ帰ってくるかだが……正直待っている時間は無い。──これより最終決戦の作戦会議を始める」
シンジの声に空気がぴしりと張り詰める。
「……ああ、忘れていた」
シンジはすっと手を差し出して、ハルカを示した。
「本日のスペシャルゲストはハルカさんです。ワタルの席が空いてて寂しいからな、これからは会議の度に一人ゲストを用意することにした」
「……あんたって人は」
ヒロキは呆れて嘆息した。最近は多忙のあまりか治っていたかに見えた、何においても遊び心を取り入れないと気が済まない難病──葛城慎司病が再発してしまったようだ。
しかし、これでこそ葛城慎司とも言える。そんなくだらない理由でこの居心地悪い空間に呼び出されたハルカは気の毒だが、ヒロキは楽しかった頃のアルカディアを久し振りに思い出した。




