トワイライト
*
この世界で立ち会った死は、これで何度目だったろう。
神々しい光が腕の中で爆発して。ほんのついさっきまでアンナだった存在が、眩い無数の欠片に変わる。それは触れた先から消える粉雪のようで、もうアンナだった頃の情報は何一つ蓄積していない。
「……アンナ」
砕ける瞬間の爆風で髪の毛がバサバサかき乱されるのにも構わず、俺は自分の唇にそっと触れた。喉が詰まり、鼻の奥がツンとして、そうして抑えようもなく両目から涙が次々に滴った。
死んだ瞬間、その人間のいた痕跡は綺麗さっぱり消えてなくなる。けれど──
虚空を抱きしめる腕の中には温もりが。唇には湿り気が。そして耳には、まだ彼女の唄が。
俺は黒とピンクの欠片が舞い踊る世界の至る所に、まだ微かにアンナの残り香を感じ取ることができる。
──ごめん。
最期に笑って欲しかった。だからあの時は、この言葉を伝えることができなかった。
「ごめん……!」
涙と鼻水で、きっと今俺はひどい顔をしているのだろう。
この腕にアンナを抱きながら、失われていく最期の唄を聴いているだけで、彼女の気持ちが、過去の記憶が、怒濤の勢いで俺の心の中に雪崩れ込んできた。
それが俺に、一生埋め合わせのきかない罪の意識を刻んだのだ。
『君、私と来ない?』
始まりはそう。いきなり旅に誘われた。
『君のことを唄わせて』
英雄だなんて呼ばれて。当時は恐縮と疑問しか無かった。
『……ありがと。嬉しい』
暁の湖で見せてくれたあの表情も。
『ちょっと、しっかり思い出しなさいよ! セツナのことだから、どうせ会ったこと忘れてるんでしょ!?』
ソーヤのことを思い出せない俺に、すごく怒ったのも。全部、全部、本当は──今更気づいたって遅すぎるのに。
アンナがまとわりついてくることについて、俺は途方もない幸運が降ってきた程度にしか思っていなかった。
それが今になって、彼女の言葉や行動、表情の一つ一つが胸に突き刺さる。
──あの! 名前、教えて!
アンナの唄に溶かされて、俺は確かに思い出した。セントタウンを出発した日の夜、俺は一人の女の子を助けた。当時の俺は、きっとザガンのことしか頭に無かったのだろうけれど。
アンナはあの日から、ずっと俺を好きでいてくれたのだ。
初めてあの唄を聴いたときから、俺は自然に歌詞の中の人物を俺と重ねていた。
だがまさか、俺のために作ってくれた唄だったなんて──込み上げる熱い思いが、全て涙に昇華して頬を伝う。
己の半身を奪われるような喪失感が、寒気となって胸の中で疼いた。目を閉じれば何度だって浮かぶアンナの笑顔。もう二度と見ることはできない。
その時、背後で声帯の壊れた醜い高笑いが轟いた。
『ギ、ギヒ、ギヒヒヒャハハハハハハハハッ!!!!』
死神が両手を広げて嗤っていた。骨の髄までアンナの唄に溺れた死神は、アンナをその手で殺したことで《戦意喪失》状態になっていたはず。
そこまでが【ロストソング】の効力なのに……まさかもう、回復したのか。
『ギヒャハ、ギヒャハハハハハハハ、ギヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ──…………ハ?』
神経を逆撫でする大音量の笑い声は、金属質な高音によって突如凍り付いた。振り返るまでもなく、肌を突き刺す冷気が後方から押し寄せてくる。
絶対零度の殺気迸る後方に視線を向ければ、一メートル以上ものサイズを誇る氷の槍が死神を背後から貫いていた。
「…………何が……可笑しいんですか……?」
どこまでも冷たく、そしていつもからは想像もできないほど湿った声。純白の霜をベールのように周囲に纏ったソラが、真っ赤に泣き腫らした目で死神を睨み付けていた。
「何が可笑しいんですか!!!!」
両手を構えると、ソラの頭上に出現するのは無数の氷槍。ソラとは思えない声量の、悲鳴に近い絶叫が一気に気温の下がった沼地にこだまする。
夥しい数の槍が一斉に矛先を揃え、弾丸の如く死神に襲いかかった。
横殴りの槍の大群が為す術無い死神の巨体に叩き込まれていく様子は、まるで恨みの数だけ、遺族が仇を刺すような。
悲惨な断末魔を上げながら泥の上に這いつくばった死神の背中に、容赦なく軌道を変え追尾する氷の槍が躍りかかる。
一束の槍が突き刺さる度、磔にされた哀れな死神の目玉が血を吐くような声と共に飛び出し、生気を失っていくが、惨い光景だとは思わなかった。
残りほんの僅かだった死神のHPが全て食い破られても、しばらく氷の嵐は降り止まなかった。それを無感動に見つめていると、なんだか力が抜けて、俺はその場に崩れ落ちた。
俺達は勝った……のか?
虚ろな意識の中で、ゆっくり現実を噛み締める。この勝利のために一体幾つ、大切なモノを失った?
シュンの時も、母の時も、ハルカの時も。俺は何かを失う度に自分の無力を呪ってきた。そして今、俺を守るためにアンナは死んだ。
『セツナ──この世界を照らしてね』
それなのに、なぜだろう。無限の後悔と懺悔の感情に押し潰されそうになりながらも、胸の中心に住み着いた確かな温もりが、内側から重圧に対抗してくれているような気がするのだ。
多分、それこそが、アンナが俺に注いでくれた愛だ。幾度となく与えてくれた自信だ。こんな俺でも、アンナは英雄と呼んでくれたではないか。
ここで自責の念に潰れ、泣き寝入りでもしようものなら、きっとあの世から檄が飛んでくる。
「セツナ……」
カレルが、筆舌に尽くしがたい声で呼びかけながら俺に駆け寄ってくる気配を感じる。
立て。立てるだろう。ここで立てなければ、それはここまで支えてくれたアンナへの侮辱だ。
気がつけば、俺は立ち上がっていた。驚くべきことに真っ直ぐ前を向いている。視線の先には、魔方陣の放つ巨大な光の柱が聳え立っていた。
「……セツナ、お前……」
潤んだ目を見開いて俺を見つめるカレルは何か言いたげだ。つい昨日大切な仲間を一度に亡くした彼は、俺の痛みに強く感情移入したに違いない。
「ありがとう、カレル。俺なら大丈夫だ」
「大丈夫……なわけ、ねえだろ…………? 泣いてんじゃねえかセツナぁ……!」
「お前だって泣いてる。……ソーヤ。アンナと、スズ達の墓を作ってやりたい。できればこんな寂しいとこじゃなくて。頼めるか? カレルはジンを起こしてきてくれ」
口を閉じれば嗚咽が漏れそうだった。何かに突き動かされるままに指示を出す俺に、ゆらりと小さな影が歩み寄った。
「なんで、そんなに……あなたは強くあれるんですか……!?」
ソラだった。真っ白な猫妖精が傍らで行方を見守る中、彼女はぎりっと歯を食いしばる。
「アンナさんはあなたを助けるために死んだんですよ!? なのに、もう……もうお墓の段取りですか!?」
ソラのぶつけてくれる怒りが、今は何より救いだった。俺は自分を憎んではならないから、誰かにぼろぼろに罵倒されていると気持ちが楽になるのだ。
「ソラ。変わったよな」
「な、にが、ですかっ!」
「いや。ただ、すごく嬉しいだけだよ。そんなにまでアンナを慕ってくれてありがとう。アンナのために泣いてくれて、ありがとう」
ソラは顔を真っ赤にして、澄んだ青い瞳で俺を思い切り睨み付けた。豪快に鼻をすすると大股で俺に接近し、つかみかかる。
「アンナさんは私なんかより、あなたに悲しんでもらうのが一番、いっちばん嬉しいんです!! アンナさんがあなたの話をするとき、どんな顔をしてたか、あなたは知らないから……っ!!」
仮面が剥がれる前に俺はソラの後頭部を掴んで強引に胸に押しつけた。顔がしわしわになる瞬間なんて見られたくない。
じんわり熱くなるシャツが、そのままソラの心の温度のように思えた。
「……最期。アンナが最期に見せてくれたあの笑顔だけで、こっちはいっぱいいっぱいだって」
あの時アンナにキスをしたこと、後悔していない。アンナが俺に向かって手を伸ばし、不安そうに泣いたあの瞬間。スズの死に顔を思い出して。
体が勝手に動いたのだ。ただあの顔が見たかった。
──セツナ……大好き。
砕け散る直前のアンナの笑顔が脳裏に咲いて、花火みたいに消えた。一度は無理矢理押し固めていた涙が、ソラの熱に溶かされて再び溢れ出す。
だめだ。
嗚咽が漏れ出し、毅然と引き締めていたはずの頬がヒクヒク痙攣し、全身がこらえようもなく震える。
「なにっ、するん……!」
全力で俺から離れようとしたソラが、それを感じ取った瞬間ぴたりと抵抗を止めた。気を遣ってか、俺の顔を見上げることはせず、もう一度胸に顔を埋める。
声を上げて泣いた。ソラの小さな小さな体に支えられて、ガキみたいに泣き叫んだ。やがて顎の下から、聞いたことのないソラの泣き声が響いてきて俺の声と重なった。
それにより恥じらいを無くしたお互いが、余計に声量を大きくして泣き喚く。これほど前向きに泣けたのは多分生まれて初めてで。ハルカに励まされ、母の死を乗り越えた夜もここまで気分は軽くなかった。
アンナと、そしてシュンから始まる全ての経験が俺を強くしてくれたのだという実感に包まれながら、いつまでもいつまでも泣き続けた。




