裸のお付き合い
突然だが、ソラは女の子である。
高い戦闘能力と長旅で培った豊富な知識、そして感情の起伏が乏しい表情。確かにそれらの要素のせいで、か弱さや女の子らしさなど欠片も発しない可愛くない体質になってしまったが、生物学上は一応女に分類される。
男がそうでないというわけではないが、女の子であるソラは三年間も過酷なサバイバルを生き抜かねばならないという状況において、一番に懸念したことがあった。
それは入浴である。
「はぁ……生き返るぅ。ソラちゃんいつもありがとぉ……」
溶けて消えそうな締まりのない声。湯船に半分顔を浸してぶくぶくしていたソラは、返事をするべく浮上した。うなじに水気を含んだ髪の毛が絡み付く。
「いえ、アンナさんにはいつもお世話になってますから」
浴槽の縁に両腕を出し、だらーんと全身の力を抜いていたアンナは、ソラの呼びかけにこちらを向いてにっこり笑った。
これだけで写真集の一面を飾れるような絵である。アンナの濡れた髪、光る肌、女性的な曲線美に見惚れながらソラは今更ながらこの状況に緊張するのだった。
木製の、小柄な女二人なら余裕で収容できるサイズの浴槽。それに水を操る妖精と熱魔法を得意とする《サラマンダー》の力を借りて温水を張り、湯気沸き立つ露天風呂を拵えた次第である。
ゴロツキ五名とソーヤが見張りのために散開したのを確認して、ソラは予めそのためにスペースを空けておいた砦の端っこに風呂を用意した。
いつもは毎晩、男性陣が寝静まった夜中に一度アラームをセットして起床し、一人ずつ交代で済ましていたが、「今日は二人で入ろうよ」とアンナが提案してきたのだ。
若干気恥ずかしい気持ちはあったが、一人になると確かに、ソラもスズ達のことを思い出して感傷的になってしまいそうだった。勇気を出して同意し、アンナと二人、一糸まとわぬ姿で同じ湯船に入っている。
覗き防止の見張りをかねてという建前で一人ずつの制度をとったが、ソラが個人的にスズに対して苦手意識があり、彼女もつい昨日まではアンナとさえあまり馴れ合わなかったからという微妙な人間関係が背景にあったのが本音のところ。
この浴槽は第一層のオオサンショウウオを倒した後、ソーヤに詮索するなと前置きして創らせたものである。
既成のアイテムには無いものなので、これは完全なプレイヤーメード品になる。コマンド一つで創造であきるポーションなどと違い、部品を生産してから組み上げる工程が必要になるのだ。
調合の専門家ソーヤと言えどもこんな立派な浴槽を創るのはかなり骨が折れたようだった。
「僕は大工じゃないんだけどな……」とぶつぶつ言いながらも、ほんの十五分足らずで、細部の細工に至るまで一切の妥協がない見事な作品を完成させてしまった。
こんな巨大な桶何に使うのかと聞いてきたので「教えたくないです」と正直に言っておいた。
プレイヤーメードと言えば、全員分の寝間着などもソーヤの作である。男性陣は黒いジャージ。全員お揃いなのはいちいちデザインを変えるとかなり手間だからだそうだ。
スズは女性陣の寝間着についてかなり多く注文を付けたようで、アンナと二人でそれは悪い、ジャージでいいと言ったのだがソーヤは馬鹿正直にスズの要望全てに答えようとして聞かなかった。
見かけによらない職人肌という奴だろう。完成した寝間着はソラなどには身に余るふわっふわの可愛いやつで、今でも着るのにやや抵抗があるのだが……せっかくソーヤが夜なべをして創ってくれたので、あくまで仕方なく着ている。
「僕は仕立屋でもないんだけどな……」と嘯きながらもスズやカレル達の大袈裟な反響に満更でもない様子で、ソラに言わせればもはやこいつは何でも屋である。
料理をするための鍋やランプの類いも含め、攻略組の持つ日用品は100パーセントがメイド・イン・ソーヤだ。戦闘ではさっぱり使えないが、彼がいなければ攻略生活そのものが頓挫していた可能性はもはや否定しようがない。
「……ん、アンナさん。ずっと気になってたんですが、その腕輪」
疲労した全身に染みる熱めの湯に全体重を委ねリラックスしながら、ソラは夢見心地で尋ねた。
ソラの目で指すアンナの左腕には、ついに入浴中でも外さなかった銀色の腕輪が水滴を光らせている。合流した時から、見覚えのあるその装備がセツナではなくアンナの腕にあるのが気になっていた。
アンナは慌ててそれを入浴剤(例によってソーヤ作の天然ものだ)で白く濁った湯の中に突っ込んだが、やがて素直にふにゃっと破顔した。
「えへへ……くれたんだ、セツナが。御守りだって」
「嬉しそうですね」
「うん、嬉しいよ、すごく。……まあ、ぬか喜びなの分かってるんだけどね-!」
恋する乙女の顔である。ソラ自身アンナのことはこの世界で知り合う前からテレビの向こうの住人として知っていた。若者が騒ぐような明るい音楽がソラは苦手だったが、ANNAの歌は好きだった。
そんな彼女も、こんな顔をするんだなぁと感慨深く思う。天下のANNAにこんな顔をさせるセツナの魅力は、確かにソラも分からないでもなかったが。
まだソラには、好きとか恋だとか、よく分からないというのが本音だった。
「二人で入るの初めてだから、ソラちゃん知らないだろうけど。私お風呂入るとき歌っちゃうクセがあるんだー」
手で作った水鉄砲でぴゅっと湯を発射しながらアンナは無邪気に笑った。発射された湯はソラの顔にかかり、ソラは短い悲鳴を上げて湯の中に避難する。
恨みがましい顔をしながら、再び顔を出したとき、アンナの笑顔は弱々しい微笑に変わっていた。その瞳に滲むものがある。
浴槽の縁に後頭部を預けて、目を閉じ、歌姫は歌い出した。
「──きつく抱かれた 濡れた命がまた一つ 大地を紅く 紅く染めて 静かに消える──」
アンナの潤んだ唇から一文字目が飛び出した瞬間に、ソラはここが悪趣味な沼地フィールドであることを忘れた。
なんと綺麗な歌声だろうか。琴の演奏のような美しいソプラノの声質が湿った空気を響かせる。ソラは、かつてのANNAの歌風とは大きく異なるリズムやイメージに、文字通り心を根こそぎ奪われた。
かつてスーパーアーティストだった頃のANNAの書く詩は、ポップとロックの中間といおうか、底無しに元気が出るようなメッセージソングが専らだった。だがこのメロディーは、重々しく、流麗で、湿っぽく、そしてとてもとても……切ない。
「──私の唄が 聞こえますか──」
声量を上げ、目を開けて天を仰いだアンナの瞳から一筋、美しい雫がこぼれ落ちた。アンナはこの唄を、今日死んだ三人のために唄っているのだと悟った。
アンナが唄い終わると、ソラは得体の知れない胸の疼きが収まらないことに動揺した。亡くなった三名はどちらかといえば苦手で、お世辞にも仲良しではなかったのに。
「……この唄って」
「うん。この世界で最初に作った唄だよ」
アンナは肯定した。それまでの現実では体験しようがなかった、改変後のユートピア・オンラインでの一日一日がアンナの作風に大きな影響を与えたのだろう。世界は救いようもなく狂ってしまったけれど、このアンナの唄は今までのどの唄よりも素敵に思えた。
心が安らぎ、死者の魂が鎮まるような神秘的な力が秘められている。スズ達の魂も、きっと救われたに違いない。
「皆のためにもこの階層、絶対クリアしなきゃ。頑張ろうねソラちゃん」
ソラは力強く頷いた。もう誰一人死なせはしない。勿体ない話になるかもしれないが、アンナにもう、この唄を歌わせないようにするのだ。
「アンナさんのことは、私と妖精達で全力で護りますからね」
護る、などとヒロイックなことを口走ったのは誤算だった。柄にもなく、たかが唄の一つに心を動かされた。
言って激しく赤面するソラを、目をまん丸に広げてアンナは見つめていた。 だがやがて向日葵のような笑顔を咲かせ、
「うん、ありがと」
本当に嬉しそうにそう言った。




