摩天楼の迷宮攻略組の崩壊
俺の叫びはいかにも遅すぎた。だがどちらにしても、スズを気にしながら二体を相手にしていたキースにこれ以上の余裕は一切無かったに違いない。
伏せろ、その警告にほとんど返事をすることもままならないまま、キースは禍々しい威圧感を纏って突撃したナニカによって鞠みたいに跳ね飛ばされた。
「な……」
「キースッ!!?」
ダンとカレルが目を剥いてキースの名を呼ぶ。キースは潰れた悲鳴を絞り出しながら泥濘んだ大地を二転三転し、泥水を跳ね上げながら滑走。
やがてボロ雑巾のような変わり果てた姿で停止した先には、待ち構えたように大量の亡霊騎士。表情のないはずの甲がにんまりと笑んだように錯覚し、背筋に極寒の電流が走る。
無機質な鈍色の光を放って、両手剣が次々に振りかぶられる。キースは大ダメージの激痛からか声もなく痙攣するだけで、回避どころか立ち上がることすらできない。
「や……やめ──」
やめてくれ、の一言さえ言葉にならないほどに硬直した体を、無理矢理一歩動かした時、剣は一斉に振り下ろされた。
「やめろぉぉぉぉぉォォォッ!!!」
ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ──振り下ろしては振り上げ、また振り下ろされる鋼鉄の剣。キースの肉声とは思えない酷たらしい絶叫に、思わず胃の中身が逆流しそうになる。
悲鳴に近い雄叫びを上げながら俺は無謀な突進をしかけ、キースを取り囲む亡霊の内一体の首を切り飛ばした、直後──その足下で一つの命が砕け散った。有って当然のものが突如無くなった、その喪失感に精神が崩れる音を聞いた。
キースが、死んだ。
カレル班の中でも最も騒がしい男だったキース。毎晩ハルカの話を根掘り葉掘り聞いてきては、心から羨ましげなリアクションをくれたキース。
彼曰く『ネコちゃんTシャツ』という、間抜けなネコのイラストが描かれたダサいTシャツを色違いで何着も持っていたキース。やかましいけどムードメーカーで、憎めない男だった、キースは、もうこの世にいない。
ここまで苦楽を共にした仲間の突然すぎる死に、ひたすら頭が散らかって整理がつかない。だが付き合いの浅い俺なんかよりも、この現実を到底受け止められない人物がいた。
その内の一人は今、普段の木訥なイメージからは想像もつかない狂気的なガラガラ声で喚いていた。ダンである。俺は彼を今すぐ止めねばならなかった。
「……よくも……よくもぉォッ……!!!」
愛用武器のメイスを握りしめてダンが殺気立った目を向けるのは、突如この戦場に乱入しキースを跳ね飛ばした存在。
そいつはその巨体からもその凶悪なビジュアルからも、紛れもなくこの階層のヌシと断じて間違いなかった。
紫色の濃霧の中、目の前に立ちはだかる化け物の姿に畏怖の念さえ抱いてしまう。そいつは一言で表現するなら──死神、だった。
体長は三メートルと少し。一つ下のニワトリの半分程で、ヌシにしてはかなり小柄な方だ。だが一メートル近く上空を浮遊しているためかなり見上げる格好になる。
ベテルギウスを連想させる、漆黒のボロローブをその身に纏い、フードマントの奥の顔は灰で汚れたような色をしたがしゃ髑髏。血塗れの眼球がグルグル動いて目下のダンをぴたりと捉えた。
骨の手で握られた、身の丈に迫るサイズの大鎌を怪しげに回して振り上げる。ダンが辛抱堪らなくなったように咆哮し、真っ向から跳躍した。
「よせ!!」
俺だけでなく、カレルも焦点の定まっていない目で叫んでいた。ダンは四人の中では一番冷静な男だったが、激情に流されたにしてもあまりに直線的すぎる。
死神型のヌシは今度こそ見間違いではない、狡猾に髑髏の口角を上げると、ダンの全力のスキル攻撃の出鼻を鎌で弾き、あっさりとキャンセルさせた。
ただのモンスターの挙動では有り得ない、計算された一撃。
「くそ、くそ、クソォォォォォォォォッ!!!!」
空中で無防備にきりもみ回転するダンの体に、一閃、死を告げる鎌が通過した。断末魔も掠れて舞うダンを、俺は【二段ジャンプ】を使用して空中で受け止めた。
「ダン! しっかりしろ、ダン!」
「……あぁ、セツナ…………俺……俺、死にたく……な──」
氷柱が砕け散る音を最期に、俺の腕の中の重みと温もりが永遠に消えた。
一撃。たったの一撃で。
亡霊騎士の攻撃をいくらかもらっていたとしても、ダンのライフはまだ十分以上に残されていた。危険域にも達していないHPが一度の基本攻撃で全損するなど、MMORPGのシステムバランスを保つ上で決してあってはならないこと。
俺はダンの成れの果てが降り注ぐ上空から、先ほどダンを、そしてキースを殺したヌシ目がけて殺気を放った。潤みそうになる両眼で睨み据えると、死神は挑戦的に笑って鎌を回す。
こいつは強い。途轍もなく。俺の【狩人の知識】でもレベルが測定できないのだ。測定の限界値は自分のレベルプラス20までだから──こいつのレベルは確定で三桁。
有り得ない。たった一層下のニワトリが73だったんだぞ。バラバラのスタート地点といいこの大量の亡霊騎士といい、この階層は何かが確実におかしい。
初めて、俺を明確な死への不安が襲った。それまで、レベルでも装備でも全員の中でトップを行っていた俺は、どちらかといえば仲間の死を恐れ、フォローに回っていた。
けれども、今俺は真に恐怖している。俺自身が純粋に敗北し、この身を打ち砕かれるその瞬間に。
眼下ではカレルと、ようやく痛みから回復したらしいスズが必死に騎士との戦いを繰り広げていたが、二人の動きには全く覇気が感じられない。親しい人間が相次いで、目の前で砕け散っては無理もない。
これ以上生きる意味も、生き残れるかどうかの希望も見失ってしまいそうになる。俺は数瞬の逡巡の後、死神を無視して再び亡霊騎士の包囲網に飛び込んだ。
カレルの背後で剣を振りかぶった甲冑の頭を踏みつけるようにして着地する。
「カレル、スズ、とにかくここから脱出するぞ!」
「セツナ……」
「なんて顔してんだよ……! 自分を責めてるつもりなら逃げた後に好きなだけ殴ってやる、今は逃げることだけ考えろ!」
怒鳴りつつ、俺は残りのSPを全て使い果たすつもりで【分身の術】を発動した。結果、残りのポイントで生成できたのは二十五体。
包囲網の中と外の至る所から点在的に煙が上がり、そこから俺とうり二つの分身が姿を現す。
途端、流石に過剰に使いすぎたか、一気にフルマラソン完走もかくやという疲労感に襲われた。ぜぇぜぇと情けなく荒れる呼吸を、努めて落ち着かせる。
一瞬がやけに長く感じた。闇色の辻風を巻き起こし、肌が痛くなる殺気を纏って突っ込んでくる必殺の鎌。それはカレルの防御をたやすく弾き飛ばし、そして彼の喉を貫くだろう。
俺は吹けば飛んでいきそうな意識を意地でも手放さないようにしながら、カレルの背後から刀を出して青竜刀に合わせた。そして固く目を閉じる。
だが、俺を襲ったのは、覚悟していたより遙かに柔らかい衝撃だった。
横合いからの衝撃に弱り切っていた俺はあっさりと尻餅をついて倒れた。何事かと目を開け、その光景を見上げる。隣ではカレルも同じようにへたりこんでいた。
「スズ……?」
カレルの喉から漏れたのは、絶対に受け入れないという拒絶だった。救いようのない現実に向けた、せめてもの抵抗だった。
舞い散る深紅の花弁。目の前では、身長の倍近い鎌に胸を貫かれて磔にされた──スズが、笑っていた。
鎌の先をたどっていけば、浮遊する死神の真っ赤な邪眼が、「次こそはお前らだ」と言いたげに俺とカレルを睥睨している。
痛みに怯えていたはずのスズに救われた俺達は、滑稽にも口を開けてスズの微笑みを見上げることしかできない。
「スズ…………スズ…………お前、なに、やって…………」
「やっと……役に立てた……だから、こんなの……痛くないよ……?」
無情にも勢いよく引き抜かれた鎌に、大量の赤片を撒き散らしながらスズの華奢な身体が大きく仰け反る。膝をつきながら、スズは最後の力を振り絞ってカレルの方向に倒れ込んだ。
放心したカレルの腕に抱き留められたスズのHPバーは、既に消滅していた。全身が薄く透き通り始め、間もなく全身を包む光の明度が限りなく増していく。スズは「いったぁ……」と嘯いて笑いながら、カレルの首に両腕を回した。
「ずっと……言えなかった、ことがあるの」
どこか軟派な印象のあったスズは、とても真っ直ぐな女の子の顔をしていた。
「カレル……あんたのこと、大好きよ」
あの世へ連れ去ろうとするシステムに全力で抗うように重ねられた唇は、一秒と待たず無数の光る羽へと果ててカレルの周囲を舞った。
さっきまで確かにそこにあった女の子の温もりを確かめるべく虚空を抱きしめるカレルは、その腕を虚しく空ぶらせ、喉が裂けんばかりに哭いた。今際の、スズの幸せそうな顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。




