魔の十三層
状況を飲み込むのにいくらか時間を要した。覚束ない視界を少しでも鮮明にしようと目をこらして周囲を探る。誰の姿も見当たらない──
「誰か! 聞こえるか! 聞こえたら返事してくれ!」
俺の声は、開けた沼地では無情にもほとんど響かなかった。パニックに陥りかけた俺は同時にあることを閃いた。
はやる指使いでメニュー画面からマップを開き、フレンド追跡機能を発動。数秒のサーチングの末、俺の周囲一メートル以外は未踏を示すモヤで埋め尽くされたマップの至る所に、フレンドを示す光点が灯った。その元気な点滅に俺は心から安堵する。
どうやら、これは──
「全員バラバラに転送されたみたいだな……」
これまでは転移陣に乗って移動した先には必ず全員が集合したものだった。この十三層だけが特別な仕様だとは考えにくい。
恐らくここから先は毎回、スタート地点が一人一人ランダムに決定される。ここに来て難易度が更に一段上がったということだ。
「クソ親父……帰ったら絶対一発殴る」
まったく、制作者の性格の悪さがにじみ出る迷宮構造だ。帰還後の父の処遇について本気で検討しながら、俺は最寄りの光点めがけて駆け出した。名前を確認したところ『Carrel』──カレルだった。
「カレル! こっちだ!」
「セツナか!? おい、こっちこっち!」
走りにくい湿った地面の上を転ばないように駆け足で走ること数秒、俺はカレルと対面を果たした。一人仲間の無事な顔を見ただけでも無性に安心感が湧いてくる。
「スズ達を見なかったか!? これどうなってんだよ一体!?」
「落ち着けただの仕様だ。全員別々の場所に転送されちまったらしい。マップを見てみろ、全員無事だ」
「お……お、本当だ……よかったぁ」
さっきまで俺もよっぽど狼狽えていたくせに落ち着けとはよく言ったものだ、と自分に苦笑する。胸をなで下ろしたカレルの肩を叩いて俺は言った。
「ひとまず合流が最優先だ。狼煙玉は……この霧じゃ無意味だな。ちょっと手間だが全員にメッセージを──」
突如響き渡った甲高い女の悲鳴が、俺とカレルを同時に硬直させた。
「この声……」
俺がカレルと目を合わせると、カレルは血の気の引いた顔で脱兎のごとく駆け出した。俺も慌てて後を追う。
「スズだ! スズ、スズどこだ!?」
「待てカレル! こんな足場と視界でそんなにスピード出したら……」
「んな悠長なこと……言ってる場合か!」
カレルは全力疾走を続けながら腰の青竜刀に手をかけた。大振りの曲刀が目映いブルーの光を放つ。
「【ヘヴィ・カトラス】!」
抜きざまに放たれた神速の一振りは巨大な衝撃波を生み出した。形容するならそう、螺旋状に回転しながら猛烈な勢いで突き進む斬撃の大砲。
それは進行方向の木々や岩などの障害物どころか、毒気色の瘴気や泥濘んだ地面もろとも吹き飛ばし更地に変えてしまった。
とてつもない威力である。これまで一度も使ったところを見たことがないが、どうやら切り札級の大技らしい。
敵に当てるわけでもなく、ただ最速でスズの元へ向かうためだけにそんな技を──カレルのぐんぐん小さくなっていく背中を、俺は見直すような心持ちで必死に追いかけた。
やがて、遠目にフレンドプレイヤーを示す青色のタグが浮き上がった。ネームも『Suzu』で間違いない。
スズの姿が鮮明になる。鬼気迫る表情で固く自身の武器である大斧を握りしめているその様子に、自然と足が速まる。
「スズ!」
現場に滑り込んだ俺達が見たのは有り得ない光景だった。安堵したカレルの喉の奥から、一転絶望の音が漏れる。
「な……んじゃこりゃ……」
開けた湿地のフィールドで、スズは大量のモンスターに囲まれていたのだ。ヌシ以外Mobは存在しないはず──そう口にしかけてその無意義さにめまいがした。
これまでそうだっただけで、今回もそうだとは全く限らない。スタート地点の件が良い例だ。俺は半ば恐慌しながら刀を抜いた。
スズを取り囲むモンスターは、一体一体が全長二メートル近くある武装した甲冑だった。
こいつらは通称《亡霊騎士》──ユートピア本土ではフィールドボス級の凶悪なモンスターである。
ギラギラ光る両手剣と、隙間から中の空洞が窺える鈍色の全身甲冑。ぎこり、ぎこりと壊れたロボットのように動く、その機動力自体はまったく驚異ではないが、こいつらが数多くあるモンスターきっての曲者とされる所以は他にある。
スズのすぐ側には、数体分の甲冑がバラバラに地面に散乱していた。その周囲の地面が抉れていることからも、それが先ほどカレルの飛ばした斬撃によるものだと分かる。
カレルは霧や障害物を吹き飛ばすために使用したスキルだったが、図らずもスズの絶体絶命を間一髪救ったらしい。
「スズ! 良かった……!」
亡霊騎士が振るう剣をその斧でどうにかこうにかいなし続けていた様子のスズに、今のところ目立ったダメージは見当たらなかった。
心から安堵した様子のカレルが、青竜刀を固く握りしめて戦場に躍り出る。手近の一体を力任せに斬り倒し、行く手を阻もうと横合いから立ちはだかった二体の亡霊騎士を──
「邪魔だ」
ぞんざいに吐き捨ててあっさりとぶつ切りにした。積み木が崩れるような音と共に、合計三体の亡霊は甲冑のパーツごとに分かれて散乱した。
「スズ!」
「カレル!」
スズの方も障害となる一体を粉砕してこちらに向かって飛び出し、二人はひしと抱き合った。スズの目からは堪えかねたように滂沱の涙が滴り落ちる。
だが亡霊騎士について予備知識のある俺は、カレルとスズの感動の再会に水を差さずにはいられなかった。
「──二人とも、早くそこから離れろッ!!」
叫び虚しく、カレル達が聞き入れるより早くそれは起こってしまった。
二人によって分解された亡霊騎士の残骸が、突如一斉に音を立てて震動を始めた。錆びた金属の擦れ合う不快音が、不気味な空気のうなりとなって沼地に響く。悪寒を伴った恐怖が足下から這い上ってくる。
まるで見えない糸によって紡ぎ直されるように、甲冑のパーツは空中で組み合わされ再び本来の姿を取り戻した。無骨な両手剣を無感情に握る亡霊騎士として、"再生"したのだ。
再形成された亡霊騎士によって、スズとカレルは奴らの輪の中に囚われた形になった。スズが絶望したように消え入る悲鳴を漏らし、カレルの表情からも笑みが消える。
「二人とも気をつけろ……こいつらは、《不死》だ!」
モンスターの中には、経験値を獲得するための役割を担わないもの──即ち絶対に倒すことができない種が存在する。
そいつらは《アンデット系》とカテゴライズされ、基本的にその存在意義はプレイヤーの障害物という点にある。
倒しても倒しても復活する、それがアンデット系モンスターだ。障害物というのは言わば、主にこういった沼地や廃屋、ゴーストタウン等の、いわゆる不気味仕様のフィールドに出没し、プレイヤーの行く手を永遠に阻む嫌がらせ要因ということ。
こういう類いのMobは基本的に性能としてはかなり弱いのが通例で、数で纏めて襲ってくるのを一度一匹残らず《無力化》状態にしてから、復活するまでのわずかな隙にさっさと突破してしまうのが賢い手だ。
アンデット系種は死なない代わりに、一定ダメージを与えると多少長めのダウン状態になる。亡霊騎士でいう、パーツごとに分解されるあれだ。
それをただのダウンと区別して、《無力化》と呼称するのである。
だが、そのアンデット系モンスターの中で、亡霊騎士は運営の設計ミスだと囁かれるほど性能が高い。しかも俺の【狩人の知識】で測定したこいつらのレベルは一体が60もある。
俺の現在のレベルは80だが、目算で三十は下らないこの数が相手では流石に分が悪すぎる。びっしり視界を埋め尽くす甲冑姿に、えも言われぬ寒気を覚える。
一点突破で道を開いて離脱する他ないが、ここを切り抜けたとしてもこんな濃霧の中では安全な場所などあってないようなものだ。
分析すればするほど芳しくない状況。一瞬でも気を抜けば冷静さを吹き飛ばしてパニックに陥ってしまいそうになる。俺は力強く悪態を吐くことで努めて気持ちを持ち続けながら指示を飛ばした。
「カレル、スズ、とにかく落ち着いて一体一体崩していけ! こっちで道を作るから、ある程度拓けたら俺の方まで全力で走れ! 多少ダメージ受けてでも脱出を優せ──」
無我夢中で叫んでいたせいか、何が起きたのか理解するまで時間がかかった。胸部に、抉るような鋭い激痛。まるで胸を何か巨大な刃物が貫通したような……
「……あ……ア……ッ!!!」
胸部に視線を下ろした途端激痛が何十倍にも加速した。全細胞が大音量の警笛を鳴らす。
背中から突き立ち俺の胸を貫通していたのは鈍く光る肉厚の刃。抗いようのない異物感に堪らず噎せ込むと、喉の奥から大量の赤片が迸った。
クリーンヒットをその身に受けたのは、思えば随分久方ぶりだった。これほど救いようのない痛みだったか、と脂汗を額に浮かべながら無理矢理笑って首をかしげる。
ストライダーのジョブスキル【鷹の眼】発動。眼を閉じると鳥観図を見ているような俯瞰景色に切り替わる。
濃い霧の中間もなく俺の後頭部を見つけると、すぐに俺を背後から突き刺している存在が分かった。カレル達を取り囲んでいるのと同じ亡霊騎士だった。
心の底から絶望する。見渡した限り、亡霊騎士達のもう一周分の輪が俺も含めて全員を取り囲んでいたのだ。これでは敵の総数はほとんど五十近い。
「セツナ!」
糸目を見開いてカレルが恐慌した。俺は心配無用を伝えるべく、死んだ方がマシとも思える激痛に耐え無理矢理前に倒れ込んだ。刺し込まれていた剣が抜けるが、その際のあまりの痛みに意識が白濁する。
「大、丈夫だ……もうこんなヘマはしない……」
覚束ない意識をより合わせてHPを確認すると、まだ七割近くも残っていた。アンデット系の攻撃力は高くないし、レベル差がある分クリーンヒットでもダメージはそこまで乗らなかったようだ。
剣が抜けても未だにガンガン疼くこの激痛だけはそれに全く比例しないようだが。俺は刀を地面に刺して体重を預けると、振り絞るようにして蒼炎を発動した。
振り返ると、俺を刺した畜生が追撃とばかりにゆっくり振りかぶっていた剣が振り下ろされるところだった。
「ど……けぇっ!!!」
それを力任せに真横から迎撃すると、悲惨な大音響と共に亡霊騎士の両手剣は根元からポッキリ折れて宙を舞い、泥濘んだ地に突き立った。
亡霊騎士の武器は、その錆びた見た目からも判断できるように耐久力がかなり低めに設定されている。大振りの攻撃に合わせてタイミングよく腹の部分をたたっ切ればこのように破壊が可能だ。
亡霊騎士は剣を用いての攻撃パターンが全てなので、こうしてしまえば不死でも死んでいるのとほぼ変わらない。
刃の無い剣で馬鹿正直に俺に斬りかかってきた哀れな亡霊を、俺は雑に蹴り飛ばすともう背後から迫っていた剣を間一髪はじき返した。
その隙を目ざとく突いて、三体の亡霊騎士が距離を詰めていた。同時並行で振るわれた一撃は垂直振り下ろしと横薙ぎと斜め切り下ろし。嫌味なほどに連携がとれてやがる。
「ちっ!」
咄嗟に僅かにだけ跳躍し、体を全力で捻って斜め切り下ろしと横薙ぎを回避。空中で無防備となった俺に迫ったカブト割りは【二段ジャンプ】で真横に跳躍して難を逃れた。
受け身もそこそこにごろごろ地面を転がり、泥まみれになりながら必死の思いで顔を上げる。その時にはもう目と鼻の先の距離に剣が迫っていた。
「んぎ……っ!」
生きた心地のしないまま間一髪刀で迎撃。呼吸の休まる暇がまるで無い。
一体一体はノロくてもこの数相手では、最速の敵と渡り合っているようなもの。武器破壊だってかなり高度な技術だ、そうそればかり狙ってもいられない。抑えきれない苛立ちが次々と愚策を選ばせる。
「邪魔だァッ!!!」
蒼炎を力任せに拡散させ、回転切りで全方位の亡霊騎士を薙ぎ払う。全方位攻撃スキル【八咫烏】と蒼炎を掛け合わせた技だが、さっきから炎とスキルの連発でSP消費が著しい。
ただでさえ息が切れている時のスキル使用は、筆舌に尽くしがたい疲労感の加速に襲われることに繋がる。
荒技が功を奏し俺の周囲は粗方掃討が完了したが、さてこれからどう動くのが得策か──などと考える暇もほとんど無い。それを意識すること自体が余裕を更に失わせ、そう言っている間にもあちこちで鎧がカチカチ音を鳴らし始めた。
発狂しそうになる苛立ち。俺はひとまず再生しようとしている亡霊を片っ端から、モグラたたきの要領で潰していきながらカレル達の様子を確認した。
状況は一目見て最悪だと分かった。
「スズ! 気をしっかり持つんだ、早く立て!」
カレルの必死の叫びも届かず、スズは地面に丸くなって横たわっていた。小刻みに震えるだけで立ち上がるそぶりを見せない。
肩と腹部を握り込むように抑え、焦点の合わない目を開けたまま涙を流して痙攣している。
どうやら攻撃の当たった痛みに耐えきれず、戦意を完全に喪失してしまったらしい。
スズは俺よりレベルも低いし、元が女の子だから総合すればステータスは俺に比べてかなり低めだ。さっき俺はこの胸を貫かれたが、スズがクリーンヒットを受けたとすれば痛みは俺以上の激痛として感じたことだろう。
気持ちは文字通り、痛いほどよく分かる。俺だって初めてこの痛みを感じたときは──ゲイルに思いっきり蹴り飛ばされたときだ──あっさり戦意を失って死を待つだけの態勢になってしまった。
誰だって腹を刺されればその場に倒れ込み、もう立ち上がって反撃しようなんて気持ちは欠片も湧かないだろう。
だが今この世界でそれをしてしまえば、単純に隙だらけとなって更に袋だたきに遭うのだ。
だから、どんなに痛くても、どんなに死にたくても絶対に動きを止めてはいけない。これは仮想だ、まやかしの痛みだ、自分にそう言い聞かせて血涙ごと飲み込んで、いち早く戦闘態勢に舞い戻る。
それができない者に、この世界は生きられない。スズもそこらの女の子に比べれば相当タフだったが、流石に限界が来たようだ。これまでもカレルやキースにそれとなく庇われながら騙し騙し攻略を続けていたような印象がある。
「スズ! 立てスズ、そんな痛みすぐに消える!」
カレルは無防備なスズを狙う奴らも含め、たった一人で大量の亡霊騎士を相手取っていた。
だがそのペースでは、全員倒した頃には一番最初に無力化した亡霊騎士が再生しているのに十分な時間がかかってしまう。
完全にじり貧必至の悪循環だ。そうと言ってここで俺がカレル達を助けに更に輪の奥に入り込めば、脱出の突破口は確実に塗り潰される。
どうする。どうすればいい。いや、迷っている時点で俺は最低なのか? さっきカレルがしたように、何も考えずに助けに突っ走るべきなのか? けれどそれでは……
思考が泥沼化しかけたその時、向こう側の輪の外の亡霊騎士が何者かの雄叫びと共に弾け飛んだ。直後、何を思ったのか外から輪の中心部まで飛び込んできた人影が二つ。
「大丈夫か、二人とも!」
「世話が焼ける奴らだなまったく。助けに来たぜ!」
ダンと、キースだった。俺がもう少しで選びそうになっていた選択を、たった今駆けつけたばかりの二人は躊躇いなく選んだのだ。
それがどれだけ勇敢で、美しく、そして──愚かな選択なのか、こいつらはきっと気づいていない。
もしこの二人が外で堅実に僅かな隙間でも道を拓いてくれたなら、俺はスズとカレルを纏めて抱えてそこを一息に駆け抜け、離脱することができたかもしれない。
だが、二人は後先考えずに中に飛び込んできてしまった。標的が輪の中に密集してしまった今、次々と復活していく亡霊騎士は甲冑をガシャガシャ言わせて更に輪を縮めてくる。
助太刀はありがたいが、脱出はこれまで以上に困難になったと言っていいだろう。酷い頭痛を覚えて思わずこめかみを押さえる。
それでも戦力が増えたのは確かか。それに、迷い無く仲間のため危険に身を投じた二人の行動は誉れ高きものだろう。少なくとも俺にはできなかったことだ。
「二人とも、よく来てくれた! アンナ達を見てないか!?」
「いや、俺達二人だけだ! 通知が来てないんだから全員生きてるさ、気楽に行こうぜ!」
キースの楽天が今だけはこれほど頼もしい。俺は抜刀状態だから確認のしようが無いが、彼らに死亡通知が届いていないというのならそれはまだ全員が生きていることの証明である。
倒れ込むスズを単騎で守り切っていたカレルも、仲間の到着に気持ちを大きく持ち直したようだった。軽口さえ交わしながらお互いの背中を託し合う三人の男達の、その絆の強さが垣間見える。
俺も彼らに勇気づけられ、自然に前向きな気持ちになった。
「よし、さっさとここを突破しよう! まさかヌシ以外のMobに殺されるなんて情けない恥さらすのは御免だからな」
「おうセツナ、良いこと言った! カレルはスズを頼む!」
「俺達の火力を一点に集中させれば、この包囲網も突破できないことはないはずだ」
キースとダンと、スズを抱えたカレルと頷き合う。直後、それぞれ襲いかかってきた騎士の剣を俺達は危なく武器で弾いて防いだ。これ以上は軽口を叩き合うことも許されなさそうだ。
ダンの言う通り、全員で一点に攻撃を集中させて、崩れたそこを一気に突破するしか他に策は無いようである。
俺は丁度キースが双剣で二体を相手にしている、その向こう側に幾ばくか手薄な箇所を見付けると、切り込み隊長の役を買って出るべく突進スキルの挙動に入りかけて──そこで頭の中が真っ白になった。
「……ふ、」
キースの低い頭の奥から迫り来る殺気の塊に総毛だつ。全力で叫んだ警告は上擦った。
「──伏せろッ!!!!」




