摩天楼の迷宮攻略組の動乱
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十二層を攻略し、一夜明けた朝。俺達は全員一律で八時にかけていたアラームによって叩き起こされ、寝ぼけまなこを擦りながらテントから這い出た。
昨晩も昨晩とてカレル達男三人のやかましいこと。初日ならともかくもうそこそこの日数を経験しているのに、彼らはまだ修学旅行気分が抜けないらしい。
盛り上がるのは大抵が色恋関連か、そうでなくても異性に関する話題だ。男友達と泊まって語り明かすなんて経験に乏しい俺とソーヤは、よくもまあ毎晩ネタが尽きないものだと感服しながら聞いていた。
カレル、ダン、キースは仲間内なので大体お互い語り尽くしてしまっているらしく、ターゲットは必然的に俺とソーヤになる。
初日は恋人はいるのかという無難な質問だったが、うっかり頷いてしまったのが運の尽き、ハルカのことについて根掘り葉掘り聞かれた。
やれ歳は、やれ髪型は、やれ身長は、やれなれ初めは。さながらマシンガンのような質問攻めに俺が一々バカ正直に答えると、カレル達はその全てに大袈裟なリアクションをくれるのだ。
そんなことが毎晩のように続くのだが、四日目辺りだったか。写真はないのか、と言われ、俺はそこで気づいた。ハルカと二人で撮った写真が一枚もないことに。
この世界でものを撮影する手段は一つだけ。それはスクリーンショットと呼ばれるもので、今自分が実際に見ている景色を、自分の眼をレンズに、まばたきをシャッターの役割にして撮影する方法。
スクリーンショットは一応スキル扱いだが、レベル1から全員が使用可能なので広く用いられている。だがこれでは、自分の写真を撮ることはできない。
これを解決するには、第三者にスクショしてもらい、画像データを送ってもらう他ないのだが──写真お願いしてもいいですか、この一言がどうしても言えずにツーショットは撮れず終いだ。
それを打ち明けたときはカレル達だけでなくソーヤまで笑っていた。ハルカに言ってもらうのはそれはそれで情けないし、俺はそもそもカメラが大の苦手だ。出来ることなら写りたくない。
だから俺が持っているのは、ハルカが一人で写っている写真だけ。どの瞬間を切り取っても非常に良く撮れている。被写体がいいのだろう。
それまで、ハルカのことを考えないように、思い出さないようにするため努めて見ないことにしていたが。俺は手持ちの中でもとびきりよく写っている写真をカレル達に見せた。
そして袋だたきにされた。洒落になっていないレベルの暴力だったが、カレル達の反応が快感だったのも事実だ。
ハルカのことを褒められるのが、ハルカの魅力を解してくれるのが俺は何より気持ちよかったのだ。カレル達はとても聞き上手だった。
もう一つの矛先が向いているソーヤだが、彼はあまり異性に関心が無い様子だった。特に、攻略組の女性陣の中で最も年齢の近いソラを引き合いに出すとものすごい剣幕で否定する。
「誰があんな冷たい機械みたいなやつと! 世界で二人きりになったってあり得ないです!」──この拒否ぶりだ。相当仲がよろしくないらしい。
ソーヤがこの調子だからカレル達の標的は俺に集中してしまうことになる。昨晩話題になったのはアンナのことだった。
「セツナってさ、実際のところアンナとはどんな関係なんだ?」
興味津々という感じでキースが聞いてきた。どうやらこの話題に関してはこれまで避けようとしていたらしいカレルとダンが、一瞬だけばつの悪い顔をする。
「いや、悪いセツナ。俺も気にはなってたんだけどさ。そのハルカちゃんって子がいるんだし変な質問なのは分かってるんだけど……二人を見てると、なんかあり得なくも無い妄想かき立てられちまうよなー」
遠慮がちなカレルの言わんとすることが、最初は分からなかった。
「どうって……アンナは大切な人だ。あいつがいなけりゃ今俺はここにいなかったと思う」
「だーそうじゃねえんだって。ようセツナ、ここは男同士、野暮な誤魔化しは無しで行こうぜ。どんなゲスいことでも上等、むしろ大歓迎なのが深夜テンションの俺達だ」
余計に分からなくなってきた。カレルの日本語はたまに理解不能なときがある。例えば今がそうだ。
「つまり、アンナのことを異性としてどう思うか、ということだ」
ダンの翻訳によってようやくカレルとキースの質問の意図をくみ取った俺は、瞬間、強く動揺した。
俺はこの世界に来る前から、アンナに憧れていた。メルティオールで本人を至近距離で拝んだときは卒倒しかけたし、そんな彼女が今、こうして隣で俺を支えてくれている──その事実の恐れ多さを、俺はもしかするといつの間にか忘れていたのかもしれない。
日を追うごとに余裕を失わせていく自分がいるのを感じていた。時が経つごとに弱っていく自分を認めていた。俺はいつの間にか、隣の人間さえ満足に見られないほど視野が狭窄していたらしい。
驚くべきことだが、カレル達の問いに正直に答えるならばこうなってしまう。
「……見た目も、性格もど真ん中ストライクで。喋りやすくて、俺のこと支えてくれて、一緒にいてすごく落ち着いて、たぶん恋人にしたら最大の自慢になるぐらいの有名人で……異性として、これ以上無いってぐらい好みの人だと思う」
ああ、これが誰かを本気で愛するということなのだ、と、答えを探しながら思った。
「でも。ハルカをこの腕から奪われたあの日から、ハルカのことしか考えてこなかった。隣のアンナを意識する暇が無いぐらい。──その逆を、俺はきっとできない」
ハルカをすっかり忘れてアンナに没入することを、俺はできる気がしない。
理想の女性に服を着せたような存在のアンナでも、どれだけハルカより近くにいてくれていても、俺はどうやらハルカを選ぶらしい。
……なんて、何で俺は勝手にアンナを振ってるんだか。いつの間にそんなに偉くなったのだお前は、と自分で自分を鎮まらせておく。
カレル達は俺の返答を聞くなり腹を切りかねない勢いで俺に謝ってきた。よく分からないがとりあえず許しておく。
「じゃ、じゃあ俺、アンナいっちゃおうかな!」
「やめとけ。ゴキブリの方がまだ可能性ある」
「まさかの節足動物以下!」
元気なキースとクールなダンのいつもの掛け合いでテントの中がどっと湧く。その後も話は色んなところに飛びながら大いに盛り上がり、確か眠ったのは午前三時を回っていた。
カレル達三名は夜更かしに慣れている様子で、今日も朝から元気そうだ。俺とソーヤも大分耐性がついたとはいえ彼らのようにはいかず、降り注ぐ朝日が眩しい。
この寝起きの眠気もシステムが出している仮想の睡眠欲に過ぎないはずなのに、これほど個人差があるのは一体どういう仕組みなのだろうか。どうにも釈然としない。
そんなどうでもいいことを考えながら一つ大きな伸びをすると、隣のテントからソラが出てきた。
いつも朝からしゃきっと背を伸ばしてすたすた歩いてくるのに、今日はどうも眠そうに覚束ない足取りだ。顔もとろとろしていてなんだか新鮮に感じる。
「おはようソラ、えらく眠そうだな」
「……おはようございます。セツナさんこそ ……って、あなたはいつもですね」
「お陰様で」
苦笑するとソラは手で隠して小さな欠伸を一つ。本当に眠そうだ。
「両サイドがうるさくて全く眠れませんでした。急に仲良くなっちゃって何があったんですかね」
その後、チラッと俺の方を見上げると意味ありげに微笑を浮かべた。その愉快そうな顔に俺は思わず見入る。ソラが笑った顔は初めて見たかもしれない。
「なんだ?」
「いいえ。おモテになるんですねセツナさん」
「え、何を持つって?」
「いえいえなんでもありません」
あからさまに小声で言われてほとんど聞き取れなかった。聞き返してもあっさりはぐらかされる。ソラは顔を洗いに川辺に近付いていったのでそれ以上突っ込むこともできなかった。
その後、何やら仲むつまじげにアンナとスズがテントから出てきた。おはようを言おうと近付くと、スズの方がふとにやにや笑ってアンナを肘で小突いた。なんだ最近、全員意味不明だぞ。
この不愉快な感覚は覚えがあった。女同士で秘密ごとや陰口を共有しているときのあの感じだ。秘密なくせに表情や態度から隠す気がまるでないのが特徴である。
ははん、と俺は納得した。ソラの言う、昨日女子テントで盛り上がったというのは俺やジン達への愚痴大会か。アンナにはいつも計り知れない苦労をかけているからな。流石に負担がたまっていたのだろう。
アンナの方はすました顔をしているが、こいつは女優なので違和感を察しろという方が無理だ。
支えてもらってばかりで俺はアンナの話を何も聞いてやっていなかったことに気づき、アンナのケアも怠らないようにしようと反省するのだった。
やがて三つ目のテントからもジン達がもそもそ起きてきて、これにて全員の起床が確認された。一応、成り行きで全体リーダーのようなポジションになっている俺が恒例の朝礼をする。
次層へと続く転移陣の前に集合し、軽い朝の挨拶と戦闘の最終確認などを行うのだ。どうにも俺の性には合わず、カレルにでもやってもらった方がいいとはよっぽど思うが、十日も続ければ大分板についてきた。
「層を一つ上がるごとに、フィールドの総面積が比例して広くなっている傾向がある。ヌシの実力ももちろんどんどん凶悪なものになってきている」
ソーヤ特製のポーション、砥石などの必需アイテムが全員まだ十分に残っているかを確認した後、俺はここ最近の懸念について話し始めた。
「これまでは一日に一層から三層のペースで攻略が成っていたが、これから先、数日がかりで一層をクリアするような持久戦が増えてくると考えてる。危険だと考えたらすぐに撤退の指示を出すから、全員必ず従ってくれ」
ヌシのHPは、睡眠や食事のアクションによって多少回復するものの、プレイヤーと違い自然回復という概念が無い。
そのため、シンプルに言えば一斉攻撃してから撤退し身を隠す、これを繰り返してチクチクダメージを蓄積させていく戦法で、比較的安全に攻略ができる。
カレル達は不満そうだったが、昨日のアンナのフォローのお陰か頷いてくれた。
「今日はこれから十三層に入る。いつも通り、入ったらまずはフィールドの環境や気象を把握。猛暑地帯ならクーラーポーションを使うなどして対応しよう」
「おっけーおっけー、バッチリだって!」
キースが親指を立てた。他の三人も口には出さないが体を揺すってそわそわアピール。ご託はいいから早く行こう、そう言わんばかりの彼らに俺は苦笑を禁じ得ない。
これでも昨日の件を受けてかなりマシになった方だ、こいつらにこれ以上は求められないのかもしれない。
「分かった分かった、もう何度も確認してることだしな。しつこくて悪かった。……じゃあ、行くか」
「やっほーい!」
キース、カレル、スズ、ダンの順で四人が一目散に駆け出し、転移陣めがけて思い切り飛び込んだ。入った瞬間蒸発するような音を伴って彼らの姿がかき消える。
「俺達も行くぞ。あいつらさっさと先に行きかねないからな」
「まったく……少しは改心してあれなのかしら。呆れたー」
隣のアンナも苦笑していた。そういえば今日初めての会話になる。立ち止まった俺達を追い越したジン達が緩慢な動きで先に行く。
「アンナ、ごめん」
「え!? なにいきなり……?」
「いや、いつもアンナに頼りっぱなしで、苦労かけてたよな。その自覚さえ無かったなって思って」
アンナは変な生き物を見るような目で俺をまじまじと見ていた。やがて顔を背けてもごもご呟いた。
「別に、好きでやってることだし」
「いつも本当にありがとうな。お礼に何でも奢る……って言いたいところだけど、NPCショップの一つもないこんな迷宮じゃ無理かぁ」
何かアンナのためにできることは無いだろうかと本気で腕を組み思案する俺に、アンナは何やら初めて見る顔つきになった。
「じゃ、じゃあ、今夜ちょっと付き合って。セツナに……聞いてほしいことが、あるんだけど」
「そんなことでいいのか?」
そう言った手前、アンナを喜ばせるような物は何一つ手持ちが無い俺だ。ここは俺の気持ちを無碍にしないよう取り計らってくれたアンナの機転に感謝すべきだろう。
「分かった。ありがとうなアンナ。今夜楽しみにしてる」
「なんでセツナが礼を言うのよ……じゃ、そういうことだから!」
残っていたソラとソーヤが、先に行ってますねと残して魔方陣を踏んだ。最後はまくし立てるように言ってソラ達を追うように駆け出したアンナの細い腕を、ふと思い立って掴んで止める。
「そうだ。俺でもアンナに贈れる物があった」
きょとんと棒立ちしているアンナをよそに、俺は左腕に装着されていた腕輪のヒモを口で引っ張って緩めた。長らく愛用したシュンの形見は、不思議な解放感と共にするりと手首の位置まで落ちる。
「これ、Aランクのアクセサリー装備なんだ。まあ、ちょっとダサいかもしれないけど。御守り代わりだ」
防御力大上昇の効果と根性系統の加護スキル。かなり優秀な防具と言って間違いない。アンナはしばらく見たことのない表情で硬直していたが、俺がアンナの腕にそれを通そうというときになって大きく身動きした。
「だ、だめだよこんなの……セツナはいつもたった一人で壁やってくれてるのに、これはセツナが付けてなきゃ!」
「俺は全員の中で一番レベルが高い。それにタンクって言っても俺の場合は受けるより回避だからあまり問題ないよ。俺より、アンナに付けていて欲しいんだ」
腕輪が手首にぶら下がった左手でアンナの左手と強引に握手。アンナの袖をまくり上げないように気をつけながら華奢な腕に腕輪を通していく。解けないようにキツくヒモを縛った。
「痛くないか?」
「……うん」
「ちゃんと装備状態になってるか? 俺の装備状態が外れてるからたぶんできてるはずだけど」
アンナは上の空でまた返事をした。かなり押しつける感じになってしまったが俺としては大満足だ。苦労ばかりかけていたアンナにようやく恩返しができた。
「それ付けてればまず間違いは無い。まだまだ迷惑かけると思うけど、これからもよろしくな」
「……ほ、本当にいいの? もらっちゃって」
アンナは何やら寝ぼけているような顔をしていた。もう少し納得させてから渡したかったが、最初に飛び込んだカレル達をずいぶん待たせている。そろそろ行かなくては。
「押し返したかったら今夜会うときにしてくれ。行くぞ」
「う……うん!」
先を歩き出した俺にアンナが小走りで追いついた。二人並んで転移陣を踏む。甲高い起動音の中でもアンナの声ははっきり届いた。
「セツナ……ありがとう」
視界が濃度を増した光で埋め尽くされ、特有の浮遊感に包まれる。アンナのその一言は、初めて聞く質をしていた。
「礼なんて必要ない。精々今日はその腕輪分の働きをしてもらう、から……」
俺の照れ隠しは最後まではっきり音になることなく、途中で喉元に引っかかった。
光が収まり、十三層の地を踏んだ俺の視界を覆い尽くしたのは紫色の瘴気だった。これまで緑の美しい自然豊かなフィールドばかりを経験してきた俺はあまりのギャップに身構える。
鼻をつくような異臭。視界もこの毒々しい霧のせいで覚束ない。足下がぬかるんでいることから、俺はここを沼地系のフィールドだと判断。ヌシは毒なんかを使ってくる可能性が高そうだ。
「アンナ、解毒ポーションのストックは──」
隣の存在に声をかけかけて俺は絶句した。直後、虫が這うような寒気が全身を駆け巡る。
隣にアンナはいなかった。そして先に来ていたはずの仲間も、誰一人──そこには誰一人いなかった。




